きっぷ

青空フリーパスで高山本線に挑む~名鉄との直通特急接続駅

鵜沼駅の駅名標

※訪問は2023年4月29日

早朝の名古屋駅

朝の5時20分、名古屋駅前にいた。ちょうど夜が明け始めたころ

新幹線はホームで待機中だが、名古屋駅からの新幹線は上下とも6時20分発でまだ改札も開いていない。新幹線の自動改札はこんな風に両方が閉じられているとは初めて知った。出発まで1時間近くあるが、GWのまっただ中。自由席を求めて早くも待機しているようだ

私のブログでは常連中の常連である青空フリーパスを購入。今回は主に美濃太田~下呂間の駅を訪問予定。広大なエリアをカバーする青空フリーパスだが、名古屋~下呂は乗車券だけで2310円もするため、往復だけで十分に元がとれる(現実的には下呂のひとつ手前までしか行かないのだけど)。例によってチョコチョコ乗っては降りて、また引き返してを繰り返すので、こちらのきっぷは破壊力十分である

3回目の高山本線

名古屋発5時37分発の始発で岐阜に6時3分到着

織田信長公がお出迎え

6時25分発の美濃太田行きに乗り込む。この列車は平日は太多線直通の多治見行きだが週末は美濃太田止まり。平日はこの時間から通勤通学でにぎわい始めるが

GW最中とあって実に快適。高山本線のJR東海区間は昨夏の青春18きっぷ以来

この時はほとんど無計画に青春18きっぷのラスト2日間で高山本線の下呂以北をウロウロしたが、今回は主に下呂以南に出かけることにする。この時と比べ、多少は計画性を持って行動する予定だ(笑)

名鉄との接続駅

まずは美濃太田の2つ手前の鵜沼で降りてみる

高山本線は岐阜~鵜沼間を名鉄各務原線と並行していて競合関係にある。乗車してしまえば駅の少ないJRが速いが、単線非電化の高山本線と全線複線電化の名鉄では利用者数で名鉄に軍配が上がる

そしてJRと名鉄が接近している区間は他にもあるが、明確に乗り換え駅となっているのは当駅のみとなっている

名鉄の駅名は「新鵜沼」。かつて「新名古屋」「新岐阜」「新一宮」などJRとの接続駅は「新」が付くのが定番で、近年になって「名鉄○○」と改められるケースが目立つが、当駅は今も「新」である

地図の方が分かりやすいかもしれないが、名鉄の駅は並立というより直角にホームが造られている。名鉄の特急が見えるが、名鉄はここから犬山線となり、岐阜方面から犬山方面へ直通する電車もあるが、当駅からは始発の名古屋行き特急があり、所要時間は30分。乗車駅にもよるが、名古屋へ向かうには岐阜経由より名鉄の方が圧倒的に速いため、当駅で乗り換える人も多い

元は改札も共有

かつて両駅は改札も共有していたが、現在は駅舎が別になり「鵜沼空中歩道」で結ばれている

こちらがJR側の北口

そして両者の中央あたりにある東口。もうひとつ名鉄ホームのさらに先にある西口がある

さてグーグル地図は、こんなことまで書き込んでくれるのかと改めて感心してしまったのだが「急行北アルプス連絡線跡」がある跡といっても現在はカーブを描く道路があるだけだが、ここにはかつて線路があり、JRと結ばれていた。名鉄から高山本線に入る特急「北アルプス」が運行されていた。当初は急行だったが、後に特急に昇格した。国鉄時代は富山駅を経て富山地方鉄道の立山まで直通されるという私鉄→国鉄→私鉄という、今にして思うと夢のような列車だったが、後に富山地鉄部分はなくなったがJR移管後も残り「名鉄を走る気動車特急」「JR西日本エリアを走る名鉄車両」と、これまた夢のような列車だった(後に高山止まりとなり、JR西への乗り入れ期間は短かった)が2001年に廃止。その後、渡り線も撤去されたが、現在のネット時代まで存続していれば、常にクローズアップされる存在になっていたかもしれない

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宗太郎の「お隣」市棚を訪問(後編)~美しきうろこ雲に癒やされる

市棚駅に到着

※訪問は2023年10月5日(動画あり)

最初の出会いは…

宗太郎は滞在15分しかない駅だが、市棚は30分ほど時間があります

また山中の秘境感が漂う宗太郎に比べると市棚は小さいながら集落がある

国道10号は宗太郎越えでは、ほぼ日豊本線と寄り添うように走っている。また駅舎の裏手を国道が走るようになっているのは、かつて駅前の道路が国道だったから

まだ朝の6時半だが、もう起き始めているようで人の気配をそれぞれの家に感じる。ただ外を歩いている姿とまではいかず、最初に出会ったのは

2人のニャンコ。仲がいいのか悪いのかは不明だが微妙な距離感。共通しているのは明らかにヨソ者の私を警戒しているということ

ちょっと振り返って駅舎側を見る

再び駅まで戻って写真を撮ってしまった。あまりにも美しいうろこ雲。まだまだ暑いが、空に秋を感じる

駅付近のナゾを探索

もう少し歩を進める。車窓から見ていて不思議だったのは駅前に複数の集合住宅があること。大分県側の重岡駅もそうだったが、峠越えに多い宮崎側の保線作業の場は市棚のはずなので、かつて当駅で保線にあたっていた方の住居跡だと思っていた

その道中で

山中になぜか船

そして線路に面した集合住宅。見た目も含め、廃屋かと思ってナゾを明かしに入っていこうとしたが、1軒に灯りがついていたのでやめておいた

再び駅へ戻ろうとしたら

またもや美しいうろこ雲。これだけでここまで来て良かったと感じる

駅の規模は大きい

駅へと戻る

自転車置き場の「利用者」は見たところ1人だけのようだ。いつからのものかは分からない

駅の規模は大きい。2面3線構造は今も現役で、それとは別に側線がある

こちらは宗太郎方面を望むもの。ホームは待合室側から1~3番線。2番線は特急や貨物の通過列車が通り、停車列車は3番線を使用する。といっても1日1本なのだが。もっとも写真を見るだけでは電化された長いホームの駅に停車する列車が上下合わせて3本とは、とても思えないだろう

市棚駅はホームに3種類の駅名標が立っていた

まずは国鉄式。きれいなので最近更新されたものなのか

これはJR移管後のもののようだが、いわゆる「鳥居式」

そしてもうひとつが現在のJR九州の標準的なもの。ちょうど駅名標の向こうから朝陽が上ってきたところで美しい構図となった

延岡行き普通という名の特急車両がやってきた。名残惜しいが、これだけは乗らないわけにはいかない

日向長井駅も紹介

4カ月前の乗車で日向長井では列車交換のため3分ほど停車することが分かった。あまり本意ではないが、列車事情が事情なので許してもらおう

こちらもうろこ雲に覆われている。当駅は待合所のみの駅

2面2線構造で側線が1本残る

東九州自動車道の北川ICが近くにある。東九州自動車道は佐伯で海側に向かい、宗太郎越えでは国道10号、日豊本線と離れたところを通るが、この付近で合流する

待合所の背中に駅名板がある

駅名標には西郷さんが描かれている。宮崎県で一体何?と思ったが、近くの可愛岳は西南戦争の激戦地のひとつとなったそうだ

ここから列車は北延岡を経て延岡に至る。北延岡では路線バスの絶妙な乗り換えで延岡まで行けそうだということが分かったが、いずれにせよ北川駅が残ってしまう。いつになるか分からないが3回目のチャレンジで残る駅の回収をすることにしよう

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宗太郎の「お隣」市棚を訪問(前編)~ダイヤは同じです

市棚駅の国鉄式駅名標

※訪問は2023年10月5日

夜明け前の出発

朝の5時40分、ホテルを出て延岡駅へと向かう。この日の延岡の日の出は6時でまだ暗い

4カ月前と同じ景色が私を出迎えてくれて

あの時と同じ普通という名の特急列車に乗車する。3カ月前にも宗太郎から北側となる大分県内の閑散ダイヤに挑んだ時も同じ列車に乗っているから、4カ月で3回。かなりの頻度で足繁く通っていることになる

宗太郎と同ダイヤ

今回目指すのは宗太郎のひとつ手前の「市棚駅」。この時にも記したが、クローズアップされるのは宗太郎ばかりになりがちだが、延岡~宗太郎の各駅はすべて同じダイヤ

先に市棚の時刻表を掲載すると

朝に2本、夜に1本。延岡から北の北延岡、日向長井、北川、市棚、宗太郎はすべて同ダイヤである。夜の1本は遅すぎる上、下車してしまうとそこから動けない。早朝の1往復を利用するしかないのだ。つまりこれはどういうことかというと、この5駅をすべて鉄道で訪ねようとすると、5日間を要することになる。延岡~宗太郎は約25キロ。東京~横浜が約29キロだから、これより短い距離の各駅訪問が5日もかかるという、壮大な旅程となってしまうのだ

ということで

4両編成のうち先頭の1両だけが開放されている普通に乗車。旅客は私を含め5人。4カ月前と似たような数だが、ちょっと異なるのは、うち2人が若い女性だったこと。大きなスーツを持っている。男性の1人は地元の方といった風情で、もう1人の私と同世代ぐらいの方は、おそらく同業者(鉄道ファン)。最近はスマホアプリの発達により、車内でパラパラ時刻表をめくる姿が少なくなり、同業かどうか見分けはつかなくなりつつあるが、この路線については確認が可能である。私は宗太郎まで行かないが、同業者なら後で必ず出会うことになるからだ。宗太郎から延岡に向かう列車も特急車両の1両のみを開放するシステムなので、すぐ分かる。やはりというか、市棚からの折り返し列車でしっかり同乗となった(笑)

路線バスでも困難

電車に揺られること20分。市棚に到着。すっかり夜は明けている

宗太郎を除く4駅のうち、なぜ市棚を選んだかというと、当駅は宗太郎と同じく付近にバス路線がないからだ。この後、先に進まなければならないので今回は市棚の1駅のみの訪問で終わるわけだがコミュニティバスはあるものの、それは2時間後で北川駅付近には行けるが、どこかの駅で再び長時間待機となる(北川まで歩いた方が早いが結末は同じとなる)。いずれにせよ途中駅の乗下車はかなわない

おそらく、いつの日にか再び来なければならないが、できれば何とかあと1回で終わりたい。その意味で先に市棚を回収しておこう。また車窓からの市棚駅に大きくひかれたこともある

車窓からはホームを降りると駅舎が出迎えてくれる、と思っていたが実際は違った

駅舎のように見えるが実際はお手洗い。お手洗いの裏手のホーム側が待合所になっていて実態は待合所のみの駅ということになる。ただ駅訪問の際、これは実にありがたい。そもそもが近い方なので、大変助かる。男女別できれいなもの。20年ほど前にかつてあった駅舎が解体されて現在の姿になったようだ

宗太郎は15分ほどの滞在時間しかないが、こちらは「時差」がある分、30分の時間がある。周囲の散策を開始しよう

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今こそ違った乗継割引の使い方をしよう

大阪~金沢間で運行されているサンダーバード

来春で廃止

JR各社は先日、来春での乗継割引の廃止を発表しました。新幹線から在来線特急へ乗り継ぐと在来線の特急料金が半額になるというこの制度。ちょうど1年前に岡山駅の乗継割引が発表された時にも記事を書いています

まさか1年後に乗継割引の記事を書くことになるとは思ってもいませんでした

システムの詳細については、この時にも記しているので参照していただきたいのですが、なぜなくなるのか、どのぐらいの影響が出るのかを分かりやすい例で示してみましょう

駅弁1個分の料金

9月に長野県に行ってきました

新幹線で名古屋まで行き、特急「しなの」に乗り換えます

こちらが往路のきっぷ

そしてこちらは帰路のもの。乗車駅は異なりますが、チケットには「乗継」と印字されています

往路では名古屋駅で

駅弁を購入しましたが、乗継割引の特急料金を見ると名古屋~篠ノ井の正規料金は、この倍になるわけですから、駅弁に加えビールを買っても、まだおつりが来ます。単純に駅弁だけ買うなら1500円と、かなり高級なものが買えます

JR各社は「チケットレスの増加によって需要が減った」を理由に挙げていますが、少なくとも関西や東海地区の新幹線沿線から長野県に行く手段は「新幹線+特急しなの」の一択ですから、この区間の需要が減るはずがない。というか窓口や自動券売機できっぷを購入すると自動的に半額割引が適用されます。私的にはきっぷに全く興味がない、言い値で支払うという方にも、私のような「1円でも安く乗車してやろう」と考える鉄オタにも公平な制度だと評価しています。鉄道料金は元々、こうでした

今回の決定は体のいい値上げであると同時に、鉄道会社にとっては紙のきっぷを減らして経費削減を図る良い機会となっています

新幹線の1区間料金に注目

10月にはサンダーバードと北陸新幹線で新高岡まで行き、氷見線と城端線の全駅訪問を完成させてきました

これがその時のきっぷです。もちろん乗継割引が適用されていますが、ここで注目してほしいのは金沢~新高岡の特急料金。サンダーバードは指定席ですが、新幹線は自由席としました。なぜかというと、この区間は自由席と指定席で大きく料金が異なるからです

特急料金は季節や利用日によって変動しますが、この記事を書いている本日(2023年11月6日)の料金だと金沢~新高岡の指定席料金は2200円なのに対し自由席は880円と大きく差があります。原則的に両者の金額の差は指定席料金の530円ということになっていますが、新幹線の1区間については「特定特急券」という自由席利用に限り適用される料金があり、その料金は約900~1000円ほど。この制度は後から新幹線駅が誕生した場合でも元々の区間に適用され、例えば東京~新横浜(品川駅ができた)、名古屋~豊橋(三河安城ができた)などがこれにあたります

新幹線の1区間なんで仮に自由席が満席でも気にすることはありません。1区間の新幹線利用も在来線利用と所要時間に大きな差がある場合は結構な人気で、私の知るところでは東京~新横浜や博多~小倉は利用者が多い

在来線特急だけ利用する

さて、ここから本題となります。おそらく分かっている人は分かっていて既に利用されている方法かもしれません。道義的な部分もあるので文字にするのは私も控えてきましたが、乗継割引制度は、あと半年もないので書いてしまいます

大阪~金沢の在来線特急料金に注目してください。写真のきっぷはe5489で購入したもので、やや正規料金とは異なりますが、大阪から金沢まで行こうとしてサンダーバードに乗り込むと(2023年11月6日の料金)、指定席特急券が2950円、自由席特急券が2420円となります

一方、新高岡までは乗継割引と特定特急券が二重に適用されるので金沢まで指定席利用なら2350円、自由席利用なら2090円

なんと新幹線まで利用して遠くに行く方が特急券は安くなってしまいました。両方の制度を組み合わせた結果、こんなことが起きるのです

つまり最終目的地が金沢であっても特急券を新高岡まで買い、乗車券は金沢まで買えば数百円お安く旅ができるということ。新幹線のきっぷは放棄となってしまいますが、指定席なら乗りたい人に迷惑をかける可能性があるのでおすすめできませんが、必然的に自由席となるので迷惑はかからない

この利用法は乗継割引が適用される駅へ在来線特急を長時間乗車する際、有効になります。乗継割引が適用される駅や特急にも制限がありますが、今は簡単に特急料金が検索できる時代。ぜひ、これからの数ヶ月で利用する機会があれば試してほしいところです

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豊肥本線のスイッチバック、特急列車を堪能

九州横断特急はあそぼーい車両で運行されていた

※訪問は2023年6月29、30日(動画あり)

たまには乗り鉄なども

当日は長崎から在来線の駅も回りつつ、熊本を目指す予定で熊本到着後は三角線の渋い駅を回る予定だったが、折りからの悪天候で新幹線各駅訪問を優先。熊本には午前中に着いてしまった。天気予報は明日が今日以上に悪い。せっかく早めに着いたのだから、明日に訪問予定だった豊肥本線各駅とスイッチバックを本日中に堪能することに予定変更

ということで早速指定券を発券してもらう。駅弁を買い込んで在来線に乗るなんて久しぶりだ。たまには乗り鉄としよう

すでにホームで待っていたのは「九州横断特急」の車両で運行される「あそ」。九州横断特急とは、なかなか言い得て妙な名前で熊本~大分の豊肥本線148キロを縦断。日豊本線の別府まで乗り入れるが、阿蘇山のカルデラの中を通り、熊本と大分の県境をまたいで完走する列車は特急の2往復のみ。それとは別に熊本から宮地止まりの特急「あそ」が運行されている(週末は熊本~宮地の「かわせみやませみ」が加わる)

ロゴがなかなか素敵

私が社会人になった時に誕生したらしい

簡易駅舎の特急停車駅

特急は立野からのスイッチバックを経て赤水に到着。私は豊肥本線は実は初乗車。往路はキョロキョロするだけだったので熊本に戻る時にあらためて堪能することにして、まずは赤水駅の様子から

週末だけのかわせみやませみ以外の全列車が停車する駅とは思えない簡易駅舎。少し前まで1918年(大正7)の開業以来の木造駅舎が残っていたが、2016年4月の熊本地震で被災。現在の形となった

それでも「阿蘇カルデラ横断鉄道」のアピール板があり、駅舎側からホームを見ると

まるで山中の下灘駅(愛媛県)。好天なら、きっと絶景だったのだろう

スイッチバックを堪能

立野から大分方面を目指す列車は、坂を登るため、まず赤水とは逆方向に向かいスイッチバックで赤水を目指す。駅間距離は線路にして約8キロだが、スイッチバックの際の手間で1区間15分ほどを要する

立野方面への普通列車がやって来た。この区間は普通だけで1日13往復もの運行があるのが特徴(午前中に3時間普通が運行されない時間はある)。通学の高校生も乗っている。阿蘇山中のスイッチバックというと秘境感を想像する方も多いかもしれないが、ちょっと違う

ただし動画で分かる通り、当日は強風で駅名標の鉄板がミシミシ音を立てて揺れるような状況。私の滞在時に雨が落ちてこなかったのが幸運だった

赤水を出ると立野駅付近まで来て分岐が見える。左側が立野方面だが列車はそのまま直進

やがて停車する。列車の車種ごとに停止位置が決められている

ワンマン運転なので、運転士が2両編成の車内を「横断」。準備が整うと立野に向けて出発する

立野駅の駅名標。私がいちいち説明する必要がないほど、すべてのデータが入っている

こちらも分かりやすすぎる解説だった

幸運に恵まれあそぼーい乗車

この後、雨が酷くなったら止める予定で豊肥本線の熊本近郊の各駅を訪問。そして翌日、あらためて大分へと向かう。この日の夕方までに佐伯にたどり着いて今回の旅の柱のひとつだった「人名シリーズ訪問」を行う予定だ

早朝から前日訪問できなかった熊本近郊の駅を回っているうちは良かったが山中に入ると猛烈な雨

赤水でドアが開いた際に写真を撮ったが、土砂降りとはまさにこのことで傘を持っていても屋根のない所では1分も立っていられないレベル

列車後部のかぶりつきで撮ると、ガラス越しにこんな感じ。どちらかというと、よくぞ動いてくれたと感謝のレベル(翌日は運休していた)。前日に訪問しておいてよかった

宮地駅では小雨模様

運行の重要駅で

かつては機関区もあった運行の要衝で転車台も残る。この転車台は「SLあそBOY」にも利用されていたので20年近く前まで現役で使用されていた

ここから先の県境越えは普通の運行は1日5本という閑散区間なので、九州横断特急で大分を目指す。すると駅員さんに「今日は、あそぼーい!車両です」と告げられた

これは超ラッキー。九州横断特急は午前と午後の2往復だが、土日祝の午前1本は同ダイヤの「あそぼーい!」となる。運用の関係で平日にあそぼーい車両が使用されたようだ

もちろん初めて目にするし初めて乗車する

九州横断特急とあそぼーい!の違いは後者が全車指定席であること。だからこんな時以外は自由席のボードがはめられることはない

写真を掲載するとキリがないが、いろいろ「遊べる」車内である

佐伯には予定時刻に到着できた。前日の長崎から降雨前線を逃れるような道程だったが、もちろん事前の旅程は雨を見込んでのものではない。スイッチバックを前日のうちに堪能できたことも含め、ある意味幸運が続いたと言えるだろう

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九州新幹線の全駅訪問~私鉄とライバル関係

久留米駅の駅名標

※訪問は2023年6月29日

久留米出身の大スター

久留米駅に到着。本日の最終目的地は熊本なので(というか所持しているきっぷでは熊本までしか行けない)、これで新鳥栖から南側の駅はすべて回ったことになる。後は熊本に行くだけだが、久留米は「さくら」も停車するので、ここからはノンストップで熊本に向かう予定である

鹿児島本線は博多から一度、佐賀県に入って再び福岡県に入るので、その地理関係が理解できないと、どの都市がどこにあるのかもパッと頭に入ってこない。世の中には久留米が佐賀県なのでは、と思っている人も多く、同様に大牟田が熊本だと思っている人も多いと感じる

私も高校生あたりまでは、その一人だったが、ある時から久留米市は福岡県だと理解するようになった。私と同世代に松田聖子さんとチェッカーズがいたからだ

その久留米駅はもちろん久留米市の代表駅

久大本線との乗り換え駅で久大本線に乗り入れる特急はもちろん、在来線は全列車が停車する。新幹線も以前はさくらのみの停車だったが、現在は最速達タイプの「みずほ」も一部が停車するようになった。以前の駅舎は、いわゆる国鉄コンクリート駅舎だったが、九州新幹線全通の1年前の2010年に現在のキラキラした駅へと変わった

博多~熊本の九州新幹線駅は従来の中心駅とは異なる場所に設置されていることが多いが、博多、熊本そして久留米については鹿児島本線と併設された。筑後船小屋駅の項でも記したが、元々、九州新幹線はスーパー特急方式つまり在来線を走る特急として計画が進められ、筑後船小屋近辺までは在来線を通る予定だった。その後、フル規格へと変更され、長崎本線上への新鳥栖駅の設置のほか、新大牟田、新玉名などが新幹線単独駅として誕生。筑後船小屋も元々の在来線駅を移設しての開業となったが、久留米については、その重要性から鹿児島本線と同駅とするべく工事が進んだ

利用者の利便性を考えると、これは重要なことだ

駅前のからくり時計は以前からのもの

久留米ラーメンのお出迎えもある

利用者を西鉄と争う

さて久留米にはもうひとつの「久留米駅」がある

西日本鉄道の西鉄久留米駅。写真は2022年6月のもの

両駅間は約2キロと歩くにはちょっと辛い距離。頻発するバスで結ばれている

駅の開設は国鉄の久留米が1890年の明治23年。日本で鉄道が開業して20年も経たない時期で、いち早く久留米の中心部となったが、30年以上が経った1924年(大正13)に九州鉄道(現在の西鉄)が開業すると、徐々に繁華街が西鉄駅へと移り始めた。現在、繁華街といえば西鉄駅の周辺となる

鉄道ダイヤは平日昼間は天神にある西鉄福岡まで急行で40分。朝と夜は特急も運行され30分(土日祝は昼間も急行を減らす形で特急が運行される)。対するJRも昼間は1時間に4本が運行されるが、博多へは鳥栖での乗り換えが必要な列車も多く、快速の運行本数も少ないため、時間と利便性では西鉄が有利。利用者も西鉄が圧倒。JRも朝の快速を増やしたり、鳥栖での乗り換え時間を短縮するなどしているが、現状ではダブルスコアである

熊本到着で気付いたこと

そして久留米からさくらに乗車して熊本で下車

所持しているきっぷで乗降できる新幹線駅を長崎から新鳥栖を経由してすべて訪問できたが、その後「あっ」と気付いたことがある

駅そのものはすべて乗下車したが、博多~新鳥栖間が未乗車区間として残ってしまったのだ。こういう1区間というのは、いつでも乗れるようで、わざわざ出かけなければならない分、意外と乗れないのだ。北陸新幹線の糸魚川~上越妙高も実際に乗るまで意外と時間を要した。この時点で秋に再び九州に来て残る新幹線駅をすべて回収することは決めていたが、日程に必ず博多~新鳥栖を組み込まなくならなくなった

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九州新幹線の全駅訪問~最も近い駅が対応駅ではありません

新大牟田駅の駅名標

※訪問は2023年6月29日

こちらも新幹線単独駅

筑後船小屋から、ひとつ熊本方面へと戻って新大牟田駅で下車

各駅停車パターンのみが停車する筑後船小屋、新大牟田、新玉名の3駅は原則的に1時間に1本の停車。駅訪問のやり方で1駅ずつ順番に下車していくと、それぞれ1時間待ちになってしまうので、行って戻ってを繰り返すのが効率よく回るやり方だが、それには大変お金を使う。特に新幹線については、さらに大金が必要となるので、今回のようにフリーきっぷを握った時に集約するようにしている

こちらは改札付近の様子

コンコース側には別棟の形で大牟田市の観光プラザが入居している

世界遺産への案内もある

対応駅は大牟田だが

駅舎は「風」をイメージしたもので、緩やかに波打っている

そしてなんとなく駅名で想像がつくが、当駅も新幹線単独駅。新玉名駅と同じく当駅も並行在来線は鹿児島本線で、対応する駅はもちろん大牟田である。ただし新玉名と比べると大牟田駅からは少し離れている

距離にして7~8キロ。車でも20分ほどかかる。両駅間は路線バスで結ばれていて1時間に1本という新幹線と接続を考慮するダイヤで1時間に1本運行されている

ただし地図をよく見ると、もっと近い鹿児島本線の駅がある

大牟田より博多方面に2駅の吉野駅。距離にして約3キロ。ちょっと気合を入れれば十分に歩けそうだが、JRの定める選択乗車の対応駅は、あくまで大牟田である

そもそも、周辺の学校があることや宅地化が進んだことでJR移管後の1991年に開業したばかりの小さな駅。なかなか、ここで選択乗車をしろ、と言われても困りそうだ

ただし、おもしろいことに利用者は若干ではあるが、新大牟田駅よりも利用者は吉野駅の方が多いのである

大牟田駅の紹介も

あまり機会がないので大牟田駅の紹介もしておこう

2022年6月の訪問時のもの。駅舎は戦後に改築された国鉄式コンクリート駅

江戸時代から石炭の採掘が始まった三池炭鉱の町として大いに栄えた

なお当駅が最寄りともなっている三池工業高校は原辰徳前巨人監督の父・貢氏が監督を務め、1965年(昭和40)に夏の甲子園で初出場初優勝を果たしたことで知られる。また同校はその後、センバツも含め甲子園には一度も出場していないため「甲子園勝率10割チーム」として今も名が挙がり、夏の選手権優勝チームでは唯一の存在となっている

大牟田は西鉄天神大牟田線の始終着駅でもある。東口がJR、西口が西鉄。西口にはかつて大牟田の路面電車として活躍した車両が展示され、観光案内所兼カフェとなっている

こちらは西鉄の駅名標

大牟田から福岡の繁華街である天神まで西鉄の特急で1時間(平日昼間は特急の運行がなく急行で70分)。JRだと、ほとんどの列車が鳥栖または久留米で乗り換えとなり、博多までの所要時間も80分を要するため、福岡市内へのアクセスは西鉄が優位となっている

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九州新幹線の全駅訪問~言わずと知れたホークスタウン

筑後船小屋駅の駅名標

※訪問は2023年6月29日

ホークス選手がお出迎え

新玉名から博多方面へ逆戻り。福岡県に入って最初に降りたのが筑後船小屋。所在地は筑後市

エスカレーターを降りると、さっそくソフトバンクホークスの皆さんがお出迎え

こちらはホークスタウン

駅から見えているぐらい近い。「ホークススタジアム筑後」が至近。ネーミングライツで「タマホームスタジアム筑後」となり、愛称「タマスタ筑後」で親しまれる

新幹線の駅は2011年3月の九州新幹線全通時に開業したが、それから5年後の2016年に球場とともに選手寮や室内練習場も完成。球場も2面を持つ充実した施設となっている

在来線駅は戦前から

鹿児島本線の在来線駅は新幹線駅とはロータリーを挟んだ向かい側にある

こちらは在来線の駅舎。新幹線との乗り継ぎは、互いに一度改札を抜ける必要がある

このあたりは新幹線と鹿児島本線が接近して併走する区間となっているが、在来線の駅は1928年というから、昭和3年からの歴史を持つ。だが、元の駅名は「船小屋」。新幹線駅の開業とともに現駅名となった

筑後市のホームページによると、江戸時代に久留米藩が、近くを流れる矢部川の護岸工事用の石を運ぶ船を洪水から守るために造られた小屋を石船小屋と呼んでいて、そのうちに地名となった。明治に入ると船小屋温泉が栄えた

元々は九州新幹線がフル規格ではなくスーパー特急方式で計画され、博多から在来線を通ってやってきた新幹線が当駅付近に設けられる信号場から専用軌道に入り、熊本へと向かうことになっていた。その後、計画は全線フル規格に変更され、信号場は必要がなくなったが、後に新幹線駅として建設することになった。その際、駅そのものを南に500メートル移動させて現在の筑後広域公園内にある駅となった。旧駅は移動の時点ですでに簡易的な駅舎で普通のみの停車だったが、立派な駅舎とともに快速停車駅にもなった。500メートルも移動した上に駅名変更となると新駅と言えなくもないが、あくまで駅の歴史は1928年からである

こちらは駅名板。新幹線はもちろん、在来線の駅にも駅員さんはいる

新幹線の駅設置時は不要論もあり(筑後市の中心駅は在来線でお隣の羽犬塚であり、新幹線駅が併設されている久留米まで在来線で12分で行ける上、久留米には速達型のさくらが全列車停車する)、開業当初は、そう多くの利用はなかったが、ホークスタウンとなったことで利用者は増えている

駅前の観光案内所にはウエスタンリーグの開催案内があった

なお、タマスタ筑後の観客席は密かな鉄道写真の撮影地としても知られていて、試合開催日など球場内に入れる日は、そちら目当てで訪れる人もいるという

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九州新幹線の全駅訪問~日本最南端の新幹線単独駅

新玉名駅の駅名標

※訪問は2023年6月29日

新生つぱめに初乗車

九州新幹線の全駅を効率よく回るため、新鳥栖から3駅飛ばして新玉名へと向かう

乗車したのは「つばめ」。九州新幹線内は「みずほ」「さくら」「つばめ」の3種類の列車が走っていてみずほは最速達型、さくらは停車駅を多くした速達型、そしてつばめは各駅停車。みずほとさくらは新大阪へ向かう(さくらの最後の2本はそれぞれ広島、博多止まり)のに対し、つばめは九州新幹線内で完結する(朝の1本のみ山陽新幹線小倉行きの設定がある。また新下関発熊本行きの設定も昼間に1本あり、つばめで唯一、本州に入る列車となっている)。そして朝の早い時間と夜の遅い時間以外は博多~熊本の運転が原則。つまり、速達型の停車しない博多~熊本間の各駅を結ぶ役割を担っている

九州新幹線は新八代~鹿児島中央が開業した2004年に早速乗りに行ったが、その時の列車は、すべてつばめ。さくらやみずほは山陽新幹線内で何度も利用している。つまり、九州新幹線内に3種の列車が走るようになった全線開通後の「新生つばめ」には初乗車となった

私が乗車したのは8時24分新鳥栖発のつばめ。熊本止まりの列車で、この時間帯の下りは利用者が少ないようで、車内は空いていた。「新玉名」の文字が出たので、降り支度を始める

玉名駅まで約4キロ

新玉名に到着。佐賀県から福岡県を通過して熊本県に入った(すぐ福岡に戻るのだが)

駅名から想像できるように玉名市の中心駅である玉名駅とは別の場所にある。そして新幹線単独駅である。2011年3月に博多~新八代の開業とともに設置された

距離にして約4キロ。両者は路線バスで結ばれている

そして九州新幹線は当駅以南には新幹線単独駅はない。つまり「日本最南端の新幹線単独駅」ということになる。おそらくこの座は、今後も不動と思われる。もっとも何でもかんでも「最○端」を定義するものではなく、駅にはこのような表記はない

ホームは2面2線。通過線はない。ホームは11、12の番線が振り分けられている。新幹線駅のホームが11から始まるのは東北新幹線などでも見られる方式である

玉名駅との選択乗車が可能

コンコース内には観光案内所や売店がある。もちろん、みどりの窓口設置

駅では玉名市の名所、名産のイラストが出迎えてくれる

駅前にはNHK大河ドラマの主人公となった金栗四三の銅像が設置されている

駅舎は「森の中の駅」をイメージしたもの

なお、西九州新幹線の項で大村線に沿って走っていて接続駅もあるが路線としては別と記したが、九州新幹線の並行在来線は鹿児島本線なので新玉名の対応駅は玉名で選択乗車は可能だ

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九州新幹線の全駅訪問~今も昔も交通の要衝

新鳥栖駅の駅名標

※訪問は2023年6月29日

鳥栖の隣駅として新たに開業

リレーかもめで新鳥栖に到着

列車によってばらつきはあるが、武雄温泉からは約30分。途中、江北(旧肥前山口)と佐賀に停車する(江北は通過列車もあり)。西九州新幹線で長崎から博多に向かう人は、そのまま在来線を通るリレーかもめに乗車する。一度下車して再び九州新幹線に乗車する人は、私のようなオタクかマニア以外、ほぼいない。当駅からリレーかもめで30分もかからない。新幹線の新鳥栖~博多は13分だが、乗り換えの手間などを考慮すると、ほとんど変わらないからだ

ただし熊本や鹿児島中央方面へと向かう場合は再び乗り換えとなる

私もその口なのだが、乗り換えの人を見ていると、その方面へと向かうようだ

在来線と新幹線の入口は別で、ともに有人。佐世保方面からの在来線特急もすべて停車するので駅員さんがいるのも当然。すべての特急は鳥栖、新鳥栖と連続停車する

鳥栖とは約3キロ

在来線は地上駅、新幹線駅は高架駅で両者の改札は中央コンコースをはさんで一直線と分かりやすい構造。2011年3月12日、九州新幹線の博多~新八代が開業した日に在来線の駅も同時開業した

駅舎は大きい。駅名通り、鳥の翼をかたどったような構造。周囲はまだ開発途中といった状況で、これといったものはないが、駐車場が大きく、パーク&ライドの利用者も多い

お隣の鳥栖までは2・9キロとそれなりに距離がある

鹿児島本線と寄り添うように熊本方面からやってきた九州新幹線は鳥栖の南側で、やや西に進路をとる。つまり長崎本線方面。その交差する場所に設置されたのが新鳥栖。だから在来線としては長崎本線の駅となる。線路距離は2・9キロと「新○○」駅としては、それなりに離れている

鳥栖駅の役割を引き継ぐ

こちらは1年前の2022年6月に訪れた鳥栖駅。鹿児島本線と長崎本線が分岐する交通の要衝として長く重要駅となっている。駅舎もそれを感じさせるもの。新鳥栖駅とは見た目が好対照すぎる。もちろん町も鳥栖駅周辺に広がるが、要衝としての役割は、西九州新幹線の開業もあって、少しずつ新鳥栖駅にバトンが渡されつつあるようだ

ホームは2面4線。将来的に西九州新幹線が当駅で接続した場合のことが考慮されている。そうなれば優等列車の接続は新鳥栖に完全にシフトされるのだろう

鳥栖駅の名物ともいえる立ち食いうどんも、すでに新鳥栖駅でも営業されている

ただし鹿児島本線上にある鳥栖駅は博多から普通でも50分と通勤圏内にあり、鳥栖始発着の列車も数多く運行されているため、通勤通学の役割としての鳥栖駅の価値は変わらない

新幹線駅構内には鳥栖出身の元広島カープ選手・監督の緒方孝市さんのユニホームとグッズが展示されている

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