
※訪問は2025年6月7日
かつては同型の駅舎が並ぶ

あらためて西大塚駅。赤湯側からだと米坂線の接続駅である今泉のひとつ手前にあたる。開業は1914年(大正3)で、その前年に赤湯~梨郷が開業していた長井軽便線を長井まで延伸する際に途中駅として設置された。以来、ずっと同じ姿だが、山形鉄道のHPでは駅ごとに「今昔物語」を伝えており、それを見ると長井線内の他の駅も、西大塚駅と似た姿をしていたことがよく分かる。近隣の駅が「そっくりさん」なのは、過去の他路線でもよく見かけた姿だが、おそらく同じ業者の手によるものなのだろう。ただし、今もその形を保っている駅はわずかとなった
登録有形文化財に
残された西大塚駅は、その「ごほうび」として2015年8月に登録有形文化財となった。対象は駅舎本屋とプラットホームだが、それ意外にも見どころは多い

まずは駅名標。山形鉄道の駅名標になっていないので、以前からあったものか、あえて国鉄様式にしたものか。この西大塚駅はフラワー長井線で唯一、東置賜郡川西町に所在する駅で、それは同町の誕生した1955年(昭和30)から変わらない。設置時期はそれ以降のものということになる

到着時の写真だが、単式ホームとホーローも加えた駅名標の座り心地がいい
駅舎内にも空気は残る
駅の周辺には特に何があるというわけではなく農地の中にある住宅街という風情だ。赤湯を出た線路は最上川を渡って当駅に滑り込む。この後、長井線は最上川に沿う形で進んでいく。最上川流域に街ができているので鉄道もできたわけだが、同時に鉄道にとって最上川を渡るのは、かなりの難工事だったこともよく分かる

こちらは駅舎内の様子。無人駅だが駅員さんがいた時の雰囲気は残る。パンフレットなどが置かれているが、右手がきっぷの窓口、左手が手荷物受付だろう

財産票も残されている。「大正2年8月」と記されている。駅の開業は1年後なので、駅舎はその1年前に竣工していたことになる

こちらはサムネにもした駅名板だが、先述の山形鉄道「今昔物語」によると、山形鉄道の駅名板が掲げられた時代もあったようなので、雰囲気を出すために、あえて付け替えたようだ

こちらは横から眺めた駅舎。窓のアルミ補強は近年のものだろうが、板のくたびれた感じが当時の空気を運んでくるようだ
6月の1日は長いが、時間はすでに16時半となっている。この日は米沢泊。赤湯まで戻って米沢へと向かい、明日再び戻って荒砥を目指す


↑2つクリックしていただけると励みになります