
※訪問は2025年7月10日
中小国駅から約1時間

三厩駅へと到着。中小国駅からわんタクで約1時間の道程だった

駅前では朝の7時すぎに蟹田から今別まで乗車した代行バスが「休憩中」。このバスは8時2分に当駅に到着し、同7分に三厩体育館まで行って終着となる。ここまで戻って待機なのだろう。17時40分に三厩体育館を出て当駅経由で蟹田に向かうので長い休憩である
聖徳太子がいなければ
三厩駅は平成の大合併まで存在した三厩村に基づく。「厩」とは、なかなか難しい文字だが、馬小屋で生を受けたという聖徳太子の「厩戸皇子」という名前を学校で習った方なら、触れた経験のある文字だ(ただし書け、と言われても書けないが)
村の名前も馬に基づく。当地には平泉で亡くなったとされる源義経が当地で3頭の馬を得て北海道へと逃げたという伝説があり、地名となった

当駅は今別町から外ヶ浜町に入ってすぐ(外ヶ浜町は飛び地となっているので、正確には1度外ヶ浜町から出て再び入る形となる)の場所にあるが、観光案内図でも義経ゆかりの場所が記され、義経が北海道に渡った伝説についても解説がある
かつては有人駅

三厩駅は1958年(昭和33)の開業。蟹田から延伸された終着駅となった
代行バスが三厩体育館まで行くのは、その付近が三厩の中心部だからだと思われる。駅自体は海から徒歩で10分ほどの高台にある
三厩駅が有名となった理由のひとつとして有人駅だったことが挙げられる。信号システムが遅れたおかげで、1日5本しかやって来ない駅にもかかわらず駅員さんがいたばかりか、今別、津軽浜名の3駅を管理し駅長もいた。映像や写真で積雪の中、駅業務に従事する職員の様子が紹介されていた
2019年に無人駅となったが、有人駅だった面影はまだ残る

龍飛埼への観光拠点としての役割も担い、駅舎内のこのイラストも駅が紹介される度に登場していた

ホームへと入る。錆びたレールはこの先で終わっている。以前と大きく様変わりしたのは、この部分で後述する

ホームとレールは今別駅と同じ光景。ずっと島式ホームだったが、2019年の無人化の際に片方だけの使用となった。ここに列車が来ることはもうない
2019年の思い出
三厩駅に来るのは6年ぶり。前回は2019年の8月終わりだった
この日のことは今もよく覚えていて、前夜は仙台に宿泊。仙台から東北新幹線で奥津軽いまべつで下車して津軽二股から津軽線に乗車。三厩駅へと赴いた。津軽二股から青春18きっぷを利用することにしたので、津軽線の車掌さんにサインをもらった。三厩駅は訪問の2カ月前に無人化されていたためで、2度とできない思い出となった

車内は18きっぱー専用列車のようになっていてホームは同業者(鉄道ファン)であふれていた

使い古されたサボが印象的

現在の錆びたレールと行き止まりの草むらを前掲したが、この時はポイントがあり、その先にスノーシェッドに守られた車庫が残っていた。無人化に伴い、ポイントも車庫もこの後撤去されることになる
駅でずっと一人
この時は、列車がすぐ折り返すということで滞在時間わずかで同業者とともにゾロゾロと再び列車に乗り込み青森方面へと戻ったが、今日は30分ほど時間がある。ただ6年前と決定的に異なるのは、当時は人であふれていた駅が、今回はやって来たのも1人、駅から出発したのも1人だったということ。つまり私がこの日、この時間帯にたまたま訪問しなければ、誰も来る人はいなかったということになる。「たまたま来た私1人だけ」のフレーズは過去何度も書いてきたが、鉄道ファンにも人気だったこの地で同じ体験をするとは思ってもいなかった

ホームから駅舎を眺める。宿泊もあった大きな駅舎だ

駅舎内の手作り観光新聞そして

駅ノート。訪問時は私1人だったが、間隔を空けずに次々と書き込みがある。駅を訪れた人の熱い思いが伝わってくる内容だった

お手洗いを借りた時に繰り返し書かれている「マムシ注意」の文字が気になって、草むら部分に入ることはできなかったが、前回がわずかな滞在で終わっただけに充実の時間だった


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