貨物を担う私鉄としてもうすぐ100年の三岐線~その18(終) 総ガラス張りの駅でゴール

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※訪問は2025年2月7日

※現在、三岐鉄道の三岐線と北勢線は別々の1日乗車券が必要です

最後の駅は長い駅名

いよいよ最後の駅となった。「ほくせいちゅうおうこうえんぐち」。ひらがなにすると随分と長い駅名である。三岐線の駅名で地名以外の駅名は2つしかない。暁学園前駅と当駅。昭和初期からの歴史を持つ三岐線。暁学園前がそうであったように、こちらも戦後に名付けられた駅である

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移転して駅名変更

当駅の駅名標を見ると「旧大長」と記されている。大長駅は1931年(昭和6)の開業。当時の大長(おおなが)村に基づく。大長村は戦後の合併で東員村となり現在は東員町。1997年(平成9)に現在の場所に100メートルほど移転して駅名変更となった。目的は同名の公園へのアクセス向上である。と同時に駅の位置は旧大長村の村域からは出てしまったが、それでも新駅扱いではなく、あくまでも駅名変更である

ただし三里駅の記事でも触れたように

「○○口」という駅名は対象となる場所からかなり離れていることが多い(三里駅も戦後に地名以外の駅名に一時変更されている)

公園の公式HPにも駅から徒歩30分と記されている。地図だけ見ると梅戸井駅からの方が近く見える(実際は歩くとほぼ同じ時間のようだ)。それでも駅名変更としたのは駅前の広さなどを考慮してのものだろう

ガラス張りの駅舎に目を見張る

駅舎は新しい

ちょっとした小さなビルのような建物。たった14駅しかない三岐線だが、戦前の開業時からのものと思われる駅が残っているかと思うと東藤原や当駅のような斬新な構造で楽しませてくれる

駅舎内は総ガラス張り。いろいろな方角から光が差し込んでくる斬新な構造だ

周辺案内図は見上げた場所にある。単式ホーム構造ながら、なかなかおしゃれな駅となっている

各駅訪問をふりかえって

駅前のロータリーから駅舎をながめて全駅訪問の終了である。昨年11月から始めた北勢線と三岐線の旅。パッと地図を見ると、ほぼ並行するように走っている2つの線路は何か関係があるのかと思う人も多いだろう。今は同じ三岐鉄道という会社の路線となっているが、もともとは岐阜県に向けて貨物中心の線路を敷設する際、北勢線のナローゲージの路盤では貨物列車は無理ということで新たに三岐線が建設されたものの、岐阜県への延伸をあきらめたことで2つの並行する路線ができたことが分かった

また三岐線の出発駅がなぜ近鉄富田なのかも不思議だったが、貨物を考慮した国鉄の富田駅(当時)での接続は利用者から不評で新たに近鉄との連絡線を設置したことも分かった。いろいろなナゾが解けた有意義な2路線の訪問だったが、まさか今年3月にフリーきっぷが別々のものになるとは昨年11月の時点で私は全く知らず、その意味ではギリギリ滑り込みセーフというか、最後の貴重な体験となった

そして三岐線の各駅で見た自動改札機のない有人改札の美しさ。貨物鉄道博物館の開館日に合わせて、ぜひまた訪問したいと思っている。その際は新しいフリーきっぷを手にしているのだろう

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