※訪問は2025年8月27日
歩くていっても(笑)
加勢駅の後はいよいよ最後の駅となる長陽である。前記事でも触れた通り、次の列車まで2時間以上の空白があるので、ここは歩くしかない。朝の9時という時間帯ながら、もう太陽はさんさんと輝きだしていて、徒歩という手段には勇気がいることだが、これだけ時間が空くと歩くしかないのだ
もっとも
わずか15分なのだけど(笑)
逆に言うと、この近距離ぶりが加勢駅設置について、あれこれ考えるきっかけにもなった
坂を上り下りしてたどり着いた先には
ただし徒歩といっても

いきなり踏切をまたいで細い道路を登ったと思うと

真っ直ぐ進むのではなく、またも踏切を渡って今度は下り坂(上記の地図で分かる通り、真っ直ぐ進むと旧国道に出て、やや遠回りながら分かりやすいコースになる)

ビニールハウスの傍らの車だとすれ違い困難な見通しの悪い道を降りていって、また登る。携帯アプリがないと、地図だけではちょっと勇気の要る道程だ。そもそも地図にどの程度描かれているのか分からない。携帯アプリがないと、このコースでの到達は困難だろう。携帯アプリがあっても果たして自分の進んでいるコースが正しいのかどうか何度も見直したほどだ

未だに「長陽村」の表記と電話局番5ケタが残る畳店を眺めながら進むと

長陽駅に到着である。ご覧の通り、国鉄時代からの駅舎が健在。おそらく1928年(昭和3)からの開業時以来のものだ。南阿蘇鉄道で唯一、国鉄駅舎が残る。もちろん高森線の1期生
かつての長陽村
平成の大合併で南阿蘇村が誕生するまで所在地は長陽村だった。長陽村は明治の町村制施行の際、長野村、河陽村、下野村の3村が合併してできた自治体。見て分かる通り合成地名である。阿蘇山の地形の関係で、この付近は日照時間が長いことも影響しているという。南阿蘇鉄道の誕生時には、当駅のほかにも加勢駅、阿蘇下田(現在の阿蘇下田城)駅そして立野駅と4駅もが村内にあった。立野はすでに紹介した通り、豊肥本線との接続駅で、長陽村から南阿蘇村となった今も「特急が停まる村の駅」だが、かつて大津町の誕生に参加した瀬田村の一部で、その際に立野地区だけが長陽村に入ることになった経緯がある。場合によっては村への特急停車はなかったかもしれない

駅前に長陽駅についての解説文があった

こちらが、その周辺図
南阿蘇鉄道が誕生して各駅が一新された中、どうして当駅のみが国鉄時代の姿のまま残されたのかは、調べても分からなかった。とにかく2016年の熊本地震でもしっかり残ったことだけは揺るがない事実である
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