※訪問は2025年3月10日
急に変わった周辺の景色
聖愛中高前駅から石川駅で下車

所要時間は約15分。電車の中ではこの後、どのようにすれば良いのかばかり考えていたので車窓に目をやる余裕はなかったが、先ほどまでは弘前市の市街地にいる風情だったのが、駅を降りてみるとりんご園などの農地が広がっている
最初から徒歩移動が決まっていれば、車窓を凝視して道の広さはどうだ、坂はあるのか、とチェックするのだが、この時は出たとこ勝負のようになっていたというか、1時間に1本というダイヤの余裕もあって、予習不足気味だった。実はこれが後に大きな後悔をもたらすのだが、それは次回の記事に回すことにする。というのも、この石川駅、伝えることが多すぎるのだ
ホキさんそして凝った?ホーロー駅名標

電車が去った後の島式ホーム。カーブ状になっているが、まず目につくのは手前にある車両である

ホキさんが停まっている。ホキといえば石灰石運搬のイメージだが、ここ大鰐線ではとうの昔に貨物輸送は終わっている。弘前電気鉄道から弘南鉄道に引き継がれたタイミングなので半世紀以上前のことだ。よく見ると「石川駅常備」と記されている。どうも保線用のものらしい。雪で覆われて分からないが、当駅には貨物用の側線が残されていて、ここに常備されているようだ
構内踏切を渡って駅舎に向かうとホーロー駅名標が出迎えてくれるが、こちらがあまりに斬新である

それまでの文字を隠しているようで隠されていない。「頭隠して-」という言葉があるが、頭も尻も全く隠されていない。「しん」という文字があったことが分かる
当初の駅名は新石川
当駅は1952年(昭和27)の開業で弘前電気鉄道が設置した大鰐線の1期生。当時の所在地は石川町で現在は弘前市。駅名は先の写真で分かる通り「新石川」だった。「新」が付いた理由は簡単ですでに国鉄の石川駅があったからだ。両駅はちょっと離れているため、同じ駅名にはできなかったのだろう。ただし石川町の中心部は新石川だった
公民館の場所がかつての町役場だと思われる。郵便局や小中学校などもあることから大鰐線は石川町の中心部に駅を設置すべくここに線路を設置したのだろう。石川城跡(大仏公園)も近い。事実、大鰐線はJRの石川駅を過ぎたあたりでJRをわざわざ路線内唯一の跨線橋となっている陸橋を造ってまで交差して石川町の中心部に入っている
駅名変更は国鉄民営化の1年前となった1986年4月。「新」の文字を外し、間もなくJRとなる国鉄の石川駅と対抗することとなった
誰もが撮影する看板

駅舎のある大鰐線では貴重な駅のひとつ。一見、普通に見える駅名板だが「石川駅」の左隣にわざわざ1マスで「弘南鉄道」と記されている。この1マスはかつては「新」だったのか

かつては有人駅だったが現在は無人駅。窓口は塞がれている。繰り返しになるが、大鰐線の有人駅は大鰐、中央弘前の起終点の2駅のみ。右奥のお手洗いは一応現役だった
そして石川駅といえば、こちら

当駅を訪問した人が必ず写真に収め、SNSにアップする警告の看板。私が当駅というか、はるばる神戸から大鰐線にやってきた目的のひとつと言っても過言ではない。随分と大柄なこわもての駅員さんが旗を振って注意喚起というより警告を発している。写真で分かるように作成者は石川小学校のPTA。全国の踏切や駅で見かける「きけん」というものと違って実にインパクト大である。廃線となった後も、倉庫やゴミ箱行きではなく弘南鉄道に限らずどこかの駅で次の人生を送ってほしい


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