※訪問は2025年2月7日
※現在、三岐鉄道の三岐線と北勢線は別々の1日乗車券が必要です
修正の駅名標

近鉄富田の隣の大矢知から6駅西藤原へと向かい梅戸井(うめどい)駅に到着。島式の1面2線。サムネ写真でよくお分かりかと思うが、隣駅が修正されている。これは駅の移動と駅名変更が行われたためだが、それについては当該駅の項でお伝えしたい
かつての梅戸井村に基づく

ホームから構内踏切を渡って駅舎へと入る。おなじみの光景だが、この時点で駅舎が見えているので期待が膨らむ

「とまれ」はいつからのものだろう。意外と新しそうで実はそうではないかもしれない。そもそも遮断機がいつからのものだろうか

「定期券拝見」。これも路線内で何度も見た。2つあるが、天井からぶら下がっているものがやはりいい
梅戸井駅は1931年(昭和6)の開業。当時の梅戸井村に基づく。梅戸井村は1954年に梅戸井町となって1959年に三里村と合併して大安町となった。現在はいなべ市である
駅の住居表示は「梅戸」。明治の町村制施行の際、周辺の南金井村などと梅戸村が合併して梅戸井村が誕生している。一帯はかつて梅戸氏が支配していて梅戸城を築いた。北勢線沿線を調べている時もそうだったが、現在の滋賀県や岐阜県と山を隔ててつながっている当地域には多くの城が築かれている。そしてほとんどが戦国時代に織田信長の侵攻を受けて落城した
お城の跡は現在、光蓮寺山公園として整備されているが、梅戸城は織田信長の攻勢を受けた際、廃城となっている。北勢線沿線の各地もそうだが、多くの地域が織田信長の侵攻を受けている。梅戸城の場所はどちらかというと大安駅の方が近い。梅戸氏はその後、織田氏の配下となった。もともとは「梅津」という名前で「うめづ」が「うめど」に変換されたともいう
駅舎の文字を凝視した

改札付近の様子。最近は都心にある駅でも無人が多く、私のように地方に駅巡りに出かけると大半というよりほとんどが無人駅なので、西野尻をのぞく全駅が有人そして自動改札機なしという三岐線の各駅は子どものころに見た風景を思い出させてくれて、なぜかホッとする

こちらは駅舎。アルミ補強されているが、おそらく開業時からのものだと思われる
そして思わず目が行ってしまったのは駅名板の存在

いつからの駅名板かは分からないが「梅」の文字は右側が「毎」ではなく「母」となっている旧字体だ。「駅」の右側については「尺」てではなく一部が欠けているように見えなくもないが、最初からそうだったようだ。これはさすがに目が釘付けとなる。これを見られただけで、ここまで来た甲斐があったというものだ
そしてもうひとつ

確かにおっしゃる通りです


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