※訪問は2024年11月20日
30分に1本の運行
東員駅から終点である阿下喜行きの電車に乗る
こちらは列車交換の西桑名行き。訪問時は11月の後半だったが、すでにクリスマスムード
朝夕のラッシュ時は本数も増える北勢線は昼間は、きっちり30分に1本のパターンダイヤとなっている。内訳は途中の楚原止まりと終点の阿下喜行きが半々。つまり楚原以遠は1時間に1本となるが、駅の配置だけを見ると楚原は阿下喜の2つ手前。たった2駅区間なので、すべて最後まで行けばいいのに…と思うのが人情である。ということで車窓や乗車状況などもできるだけしっかり確認しながら電車に乗り込んだ
朝のラッシュが終わると
9時を過ぎると朝の通勤通学ラッシュは終わり
突如として乗車車両は貸切状態に。人がいないと写真は撮りやすいが、誰もいないとナローゲージの車内の狭さが分かりにくくなる
列車は麻生田駅に到着した。1時間に1本となってしまう2区間の途中駅。格好いいデザインは
Jリーグ入りを目指すJFLのヴィアティン三重である。東員駅の記事で東員町役場の最寄りと書いたが、町役場近くには町の中心機能が集まっていてクラブがホームスタジアムとするLA・PITA東員スタジアムもその一帯にある
三岐鉄道移管後に駅舎設置
ということで麻生田駅だが
これは読めない
駅前にあった名所案内にも「麻績塚古墳」があり、いなべ市観光協会のHPによると、麻生田の地は古来から伊勢の神領であり、麻の栽培や紡織が盛ん。「和名抄」にもその名をとどめているという。古墳があり、埋葬された人物の名をとって一般に「麻績塚」と呼ばれ、墓の主は伝承によれば神麻績連。天物知命の后、また、桑名玖賀の姫ともいわれていると記され「その名のとおり、麻の栽培・紡織といった生産に深い関係を持っていたことがうかがえる」と綴られている。全国には「麻」の付く町は数多くあるが、当地でも麻の栽培が行われていたのだろう
駅の開業は1916年(大正5)。楚原から阿下喜までが延伸された際に設置された100年以上の歴史を持つ。開業時は山郷村に所在し、戦後に北勢町そして現在はいなべ市
楚原を出ると車窓は急に山深くなり、それまでの桑名市からの都市圏というムードが一変して当駅に着く。ここから阿下喜までも山中を行く。当駅の両側には近鉄時代はそれぞれ駅があったが、ともに廃駅となっていて、そんな事情も山深さを感じさせる要因となっているのかもしれない
駅舎はあるが、これは三岐鉄道移管後に建てられたもの。駅の全景は
このような感じで、かつてはホームと待合所だけだったことが想像できる。ただ写真では自由に入れるように見えるホームだが
おそらくかつての出入口だった箇所は塞がれていて駅舎に備えられた自動改札機を通らないと入れなくなっている。北勢線はその部分がしっかり守られていて、多くの無人駅も遠隔操作できる自動改札機が必ずあり、後で出てくるが、全13駅のうち自由にホームに出入りできる駅はひとつしかない
周辺はポツポツと民家が存在するだけだが、当駅もパーク&ライドができるようになっていて舗装されていない部分もあるが、駐車場は備わっている。なお北勢線の中では利用者数が最も少ない駅となっていたが、2023年のデータでは13駅中11位の260人となっている
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