※訪問は2024年6月22日
ホーム移動は公道経由
ホームをどんどん中津川方面へと歩いていくと、やがてホームの端も過ぎ
たどり着いたのは公道。右側が線路をくぐる形となっていて、そちらに向かうと駅舎側に行けることは分かる。左側は「登山道 空木岳」と書かれているが、そういえばホーム上の待合所にこのような名所案内があった
ちゃんと読みも入っているが「海抜2864メートル」って簡単に言われても困る高さである
ということで登山道側は私には無縁のものだということが分かったので駅舎側へと出る
出たところにあったものは坂道と、わずかに頭をのぞかせる屋根。前を行っていたご婦人がそこを登っていく。左側を見ると
国道そして、その向こうは木曽川。つまりは何もない。店舗はもちろん民家もない
あらためて坂道を登ると、そこにあったのは立派な木造駅舎だった
信号場としてスタートした歴史
ここからは後に学んだこととなる
倉本駅は1914年(大正3)に信号場としてスタートした。道理で周囲に何もないはずだ。駅へと昇格したのは戦後すぐの1948年(昭和23)で、この時に「倉本」という駅名が付けられた(それまでは立町信号場。ちなみに現在、当駅から塩尻側が複線で中津川からは単線となるので信号場的な役割を果たしてはいる
高台のスペースが少ない場所に設置されているが駅名板も重厚。財産票によると駅舎は駅に昇格した時に建てられたものだ
当然のように無人駅で窓口も手荷物受付もともに板でふさがれているが国鉄末期まで有人駅だったという
駅舎内には向かいホームへの案内がある。字体から、かなり古いものだと推測できる
駅舎の逆側から少し離れた場所が倉本の集落となっていて、旧中山道がその中をぬう。ふだん駅を利用する方は、こちらの方だろう
自転車置き場が坂の途中にある。訪問時の台数は1台。2022年の1日あたりの平均利用者は28人。これはJR東海の中央本線では37駅中35位(塩尻、金山をのぞく)と下から3番目。もっとも駅周辺を眺めると28人の乗降があることが凄い
駅舎内の告知板
少し時間があるので再び国道まで降りてみる
国道なので車の通行量はあるが、歩道を歩く人の姿はない
コミュニティバスの立派な停留所があった
さすが材木の上松町。現地産のヒノキで造られている
中津川方面へは約20分の遅れだったが、塩尻方面へは定刻で動いているようだ。駅へと戻ろう
ちょうど貨物列車がやって来た。いい光景だ
駅舎側にも空木岳への案内があることに気付いた。調べてみると当駅からの道程は空木岳登山の有力コースのひとつだそうだ
駅舎内にはこのようなものも残されていた。登山者のための気象情報のようだ。有人駅時代は駅員さんが日々書き込みをしていたのだろう。冒頭が「S」と固定されていることから、無人化された後、ずっと更新されず、それでももしもに備えて捨てることはできず、そっと置かれたままになっているのか
列車が遅延したため時刻表優先で降りてみた駅だが、こういう「たまたま降りてみた」駅こそ、いろいろな発見がある。だからこそ「ふらりの降り鉄」はやめられない
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