熊取駅の駅名標

2022年12月8日9時50分

関空以前からにぎわう

和歌山で宿泊した翌日は大阪市内へ戻りつつ、いくつかの阪和線駅訪問を行います。紀州路(関空)快速は和歌山から、ここ熊取まで各駅に停車した後は快速運転となるので渋めの駅が中心となる私は区間快速に乗り換えとなります。朝のラッシュ時の終わりあたりから日根野始発で運行が始まり、昼間はここ熊取が始発。鳳まで各駅に停車した後に快速運転となります(朝のラッシュ時は普通の運行)

おおよそ15分に1本の運行で、熊取からは紀州路快速と合わせると1時間に8本の電車が大阪に向けて出発するので、すっかり都会ダイヤです

熊取町は泉佐野市と貝塚市に囲まれた形になっている町で、昭和初期に阪和電気鉄道によって初めて鉄道がやってきました(当時は熊取村)。町内に駅はひとつしかないのですが、京大の原子力研究施設を設置することで快速停車駅に昇格。大阪中心部へのアクセスがグンと上がってベッドタウン化。ひとつお隣の日根野は関空への分岐駅となったおかげで大出世しましたが、当駅はそれ以前からにぎわっています

バスの案内にもある通り、平成になると大阪体育大学も移転。他にも学校が移転するなど、現在は人口4万3000人の「都市」へとなっています

南海が拒んだ鉄道国有法とは

南海が鉄道国有法による国鉄化を拒んだことは

この時にも触れましたが、日清戦争、日露戦争で鉄道の重要性を知ったこともきっかけになった鉄道国有法は、20年も経って昭和初期になると線路を造って収益を上げている私鉄各社にとっては「迷惑なもの」になっていました。せっかく自らの手で建設して育ててきた路線を手放してはたまらない、というわけです

国有化を避けるため、国鉄の狭軌ではなく最初から標準軌で敷設する会社もありました

ただ、この法律、ほとんど有名無実化しながらも何と1987年3月まであったのですから、そちらの方がむしろ驚きです。なぜなくなったかというと「国鉄が消えたから」。JRの発足で国有化しようにもできなくなったのです

戦後、GHQによっていろいろな法律が無効化されましたが、こちらは手つかず。そういえば戦時体制の「国策」で農地や食糧、住宅を統制する「営団」がすべて消えたにもかかわらず「営団地下鉄」は、「帝都高速度交通営団」という、名前だけ聞くと何のことやら想像もつかない名前で残っていました。戦時統制、戦時体制ではない、との理由でした。話はそれますが、営団地下鉄が残ったことで東京都は別に都営地下鉄を造ることになり、現在の地下鉄二重構造につながっています

私も世界中回ってはいないので断言とまではいきませんが、海外に行って分かるのは「私鉄がこんなにある国は日本だけ」ということ。米国については、ほとんどが民間のものですが、他国はほとんど「国鉄」です。国の重要インフラとしての側面が強く、現代においては保線や車両の管理など、金銭的に割に合わない事業のひとつとされているからだと思われます。その意味で現在の日本が「国鉄がない国」となっているのは、すごいことです。GHQが鉄道国有法を残したのは、そんな事情を知っていたのか、有名無実だった法だったのでスルーされたのかは分かりませんが

駆け足気味で北上する

駅前は大きなロータリーが広がります。こちらも阪和電鉄ならではの、こぢんまりした三角屋根駅舎が健在だったのですが橋上駅舎に変わっています

2面4線構造

コロナ前は1日2万人が利用する駅でした。コンコースも広くとられています

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