岩徳線

悲運の岩徳線を行くその4~のんびり隣駅を目指す

玖珂駅の駅名標

2022年10月3日9時15分

バスに乗車後、口頭で行き先を告げる

周防高森駅から徒歩5分ほど。旧山陽道でコミュニティーバスの時刻表をチェック。目指すはお隣の玖珂駅

こちらのバスで行けそうですが、ちょっと問題があり、ここからだと右回りは、ほぼまっすぐ玖珂駅を目指すのですが、左回りはグルリ回って行くので結構な時間がかかる

岩国~徳山には岩徳線とほぼ並行する路線バスが1日5往復運行されています。国道2号を行くバスで、必然的に岩徳線の駅の近くを通り、山陽新幹線の新岩国駅や錦帯橋まで連れていってくれる、ある意味、使い勝手の良いバス路線です

ただ周防高森では国道2号は駅の北側、旧宿場町とは逆サイドを通る。時刻を調べるとちょうど合うものはない上、ここまで降りてきてしまったからには駅の逆側まで行くのも面倒、ということで10時4分を待つことに。ちなみにすべてのバスの出発時間が2分刻みとなっているのは、一度駅まで行って戻ってくるからです

駅の写真を撮ったりした後、40分ほどを過ごしてバスがやって来ました

先日紹介した気仙沼訪問時(旅の順序はこちらが先)も同じ形式でしたが、コミュニティーバスに乗るとよくある、というか、たとえ降車ボタンがあっても初めて訪れた地では土地勘がないことが多いので、乗車時にバスの運転手さんに口頭で行き先を告げるのがほとんど

バスは周辺の病院、スーパー、運動公園、音楽ホールなどに立ち寄っていく。なかなか楽しい車窓を堪能しながら40分ほどで玖珂駅に到着

実は歩いてもほとんど変わらない(笑)。先に紹介した国道2号を走る路線バスは時間が合わないと記しましたが、バスの時間まで待っても、あまり変わらない時間に到着します。しかし、いずれにせよ3時間も運行がないので、ここは町のあちらこちらを見ながらの車窓が正解だったと思います

難しい2文字

玖珂駅に到着しました。1934年の開業時からの風格ある駅です。駅舎自体はもっと大きいのですが左半分は岩国市の玖珂支所と公的施設となっています

簡易委託駅できっぷ販売を行っています。「ご乗車ありがとうございます」の文字がいいですね

ホーム側からの「きょうもお元気で」もいい

2面3線構造ですが跨線橋は入れないようになっていて今はホームは1面のみの使用。隣の周防高森で列車交換できるので、列車本数から2駅も続けて交換設備は要らないようです。ただつなげるように造られている跨線橋は駅舎と逆方向に向かうもので、国道2号はそちらを通っていることもあり、重要な通路となっています

今は入れないホームですが、きれいに手入れされています

玖珂駅は旧玖珂町の中心駅。平成の合併まで玖珂郡玖珂町でした。玖珂郡は大きくて現在、玖珂郡に所属する自治体は和木町ひとつしかないのですが、和木町は広島県に隣接している海沿いの町で山陽本線の和木駅は岩国と大竹の間に位置していますから、ここからはかなり遠い

地名については黒い「玖の玉」、白い「珂の玉」に由来するとのことですが、2文字とも普段はほとんど見かけない文字です

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悲運の岩徳線を行くその3~旧宿場町の駅

周防高森駅の駅名標とキハ40

2022年10月3日8時50分

路線の中心となるべき駅

周防高森に到着しました。岩徳線の駅は山陽本線となるべく戦前に開設された駅と、ローカル線になった戦後に設置された駅に二分されますが、前者は本線対応の長いホームを持つ一方、後者は簡素な構造の駅となっています。両隣の米川、玖珂はいずれも戦前からの駅

いつの間にか岩国市に入っています。山中を走るローカル線の岩徳線ですが、平成の合併を経たことで郡部の駅はひとつもない。周南市の徳山から来ると下松市を経て再び周南市に入り、次いで岩国市。ちなみに下松市の駅はこれまで紹介した周防花岡、生野屋、周防久保の3駅ですが、山陽本線の下松市の駅は下松ひとつしかありません

高森は旧宿場町でもあり、岩徳線の真ん中あたりに位置することから路線の中心駅にしようとしていたようで

元は2面3線の広大な敷地を持っています。多くの人が降り、また乗ってきました

立派な施設だったことがうかがえますが、単行の列車は施設を持て余し気味。雑草も目立ちます

駅舎は開業時の1934年のもの

古風な三角屋根にある駅名板の文字が、なかなかおしゃれ。岩徳線の列車はすべて岩国~徳山の運転で区間運転はないのですが、平日の早朝に1本だけ当駅始発の列車が設けられています

駅舎内の様子。簡易委託駅で曜日や時間帯にもよりますが窓口は開いています。椅子も古くからのものを使用しているようです

さて問題はここからどうするか。前回も伝えましたが、ここから3時間、運行がありません。徳山から乗ってきた列車は当駅で交換するため、3分ほど時間があり、写真を撮るだけなら可能ですが、せっかく岩徳線では貴重な駅舎もあって周囲に町も広がっている駅に来たのです。あまり先のことは深く考えていませんが、とりあえずゆっくりしましょう

ご覧のようにタクシーもいるので、本当に困れば何とでもなる。コミュニティーバスがあることは分かっているので、そちらもチェックすることにします

駅から5分ほど歩くと旧山陽道に出る。高森は宿場町で古い町並みが残ります。現在、いろいろ議論が行われている中国山地のローカル線ですが、線路を敷いた理由はちゃんとあって旧街道に沿って建設されています

当駅は2006年まであった周東町の中心駅で役場もありますが、地図で分かるように以前の市街地とは逆の駅の北側を国道2号が走っていることから、町の中心も駅舎の逆側に移っているようです。まだ朝の9時ですが、そちらに行けばファミレスもコンビニもある。私の経験では地方に行くと役場の近くにコンビニがあることが多い。ただ当日は10月とは思えないほど暑い日だったので向こうまで行くのは、ちょっと遠慮してバスの時間を調べることにします

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悲運の岩徳線を行くその2~山陽本線から「降格」した歴史

周防久保駅に到着したキハ40

2022年10月3日8時15分

駅からの大動脈

周防花岡から周防久保に到着。乗車列車は単行となりましたが周防花岡で多くの乗客が下車してしまったため、十分な容量となっています。ここで列車交換のため10分の停車

こちらは生野屋の時刻表。朝夕の通勤通学帯、中でも朝に特化したダイヤであることが分かります。私が乗車しているのは当駅8時12分発の岩国行き。この後、3時間以上列車がありません。その次も2時間半、2時間と間隔が空く。列車の停車時間を利用して駅訪問とするのは本意ではないが、3時間列車がないのでやむを得ません

駅舎を出ると国道2号線のバイパスが目の前を走る。その奥には新幹線と山陽自動車道。大動脈に寄り添いながら在来線はローカル線という光景が続きます

戦時中の決定

山陽本線は岩国~徳山間を瀬戸内海に沿って敷設されています。前記事でも触れましたが岩徳線より20キロ以上も長い。先にできたのは現在の山陽本線ですが、短絡で真っ直ぐつなげようとなるのは当然の流れ。工事が開始されたのは大正期で道路整備もまだまだの時代ですが、そもそもは古来からの山陽道が現在の2号線なので、その意味でも短絡線で岩国と徳山を結ぶのは自然なことで、全通時はこちらを山陽本線とすることで工事が開始され、1934年に全通して山陽本線となり、旧来の山陽本線は柳井線となりました

短絡で結ぶためトンネルも勾配もいとわずの工事で欽明路駅の東側にポッカリ口を開けている欽明路トンネルは3000メートル以上と当時としては、かなりの大工事。他にも1000メートル超1本を含む7本ものトンネルを掘りました。だが、これが後々にマイナス要素となってしまう

間もなく戦時体制に入っていくと、輸送力強化のための複線化が求められる。同様に軍も物資運搬も含めた海の需要が急速に高まります。SLの時代に長大トンネルはあまり好ましくない上、複線のためもう1本、3キロ以上のトンネルを造るのに一体、どれだけの時間と手間がかかるのだ、ということになり1944年の柳井線の複線化が完了したことで柳井線は山陽本線へカムバック。全通まで岩徳西線、岩徳東線と呼ばれていた「山陽本線」は岩徳線となりました。戦争まっただ中のこと。たった10年の山陽本線。戦後も改めて工事が行われることなく現在に至ります

短絡線の構想が戦後だったら、など「イフ」を挙げるとキリがありませんが悲運の路線となってしまったことは間違いありません

周防久保は1934年からの駅舎が、そのまま残ります。岩徳線では貴重な駅舎のある駅

国鉄時代に無人化されています。バス路線の多い駅でもあり、近くには住宅地があります

駅名標はきれいです

山陽本線時代の駅でもあり、ホーム有効長は長い。発車時刻となったので列車に戻ります

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悲運の岩徳線を行くその1~通学列車に乗ってみる

周防花岡駅の駅名標

2022年10月3日7時

秋の乗り放題パス最終日

朝の徳山駅の在来線改札口。季節は半年前で今は一冬越えて、このころに戻りつつありますが、暑い1日でした

手には「鉄道開業150周年記念秋の乗り放題パス」。こちらについては

昨年10月にも説明しました。150周年記念と銘打ってはいますが、おそらく今年も鉄道の日記念として今年も秋に発売されます。このきっぷを使用して1日は呉線、2日は山陽本線の岩国~徳山間の駅巡りを行い、今日の最終日は岩徳線を巡ることにします

岩国行きが並んでいますが7時10分発が岩徳線、7時21分発が山陽本線。海沿いをグルリと回る山陽本線と真っ直ぐ進む岩徳線では距離数にして20キロも山陽本線の方が長いのですが、後に出た山陽本線の方が岩国に先着します。ただ徳山(正確には分岐駅の櫛ヶ浜)と岩国をまたぐきっぷを買うと岩徳線経由の料金で計算され、山陽新幹線もまた岩徳線経由の運賃計算を行います。後日、詳細に説明しますが、このあたりが岩徳線の不運さを物語っています

あえてこの時間に乗った理由は

岩徳線はホーム半ばから出発します。よく見ていただければ分かりますが、キハ40系車両に乗りやすくするため、この部分をかさ上げしているからです。朝のラッシュ時は2両編成ですが昼間は単行

座席が埋まったというレベルで発車。お隣の櫛ヶ浜が分岐駅で徳山行きの岩徳線列車とすれ違いのため数分間停車するのですが、徳山行きキハ40の2両編成は立錐の余地もないほどの高校生であふれ返っていました。この光景を確認するために7時過ぎの列車に乗車したのですが、まずは櫛ヶ浜から2駅目の生野屋で下車

単式ホームだけの簡易な構造

待合所もなく屋根があるだけ。券売機もホーム入口のスロープにあります。特筆すべきは開業が1987年3月27日だということ。国鉄がJRに移管されたのは同年4月1日ですから、5日間だけ国鉄の駅だったことになる。予算の問題もあり、このような滑り込み事例は全国に結構あります。ちなみに駅前にはセブンイレブンがあり、私はローカル線で至近にコンビニのある駅を「神駅」と呼んでいますが、徳山からは早すぎてまだコンビニの必要はありませんでした

隣を走るのは山陽新幹線。こちらもまた今回のテーマのひとつですが、ひとつ徳山側へと戻って周防花岡で下車します

1932年に櫛ヶ浜から1駅だけ線路が敷設され、約2年間終着駅でした

駅舎は当時からのもので駅前の立派な木も同時に植樹されたようです

地名の由来も解説されています。さてこちらの写真は駅が「落ち着いて」からのもの

ちょっと前までの状況はというと

先ほど櫛ヶ浜で見た列車の次の列車にあたりますが、原則後ろ乗り先頭降りのワンマン車の後ろ側は高校生を中心に長い列ができていました。全国ローカル線あるあるですが通学の混雑帯、高校生は定期券を持っているため前からも後ろからも乗り降りする。先日の高山本線でも見た光景。そうしないと列車が定時に発車できないのです

当駅は最寄りの高校もあって降りる生徒も多いため、乗降で相当な時間を要していました。ダイヤ上は7時47分着の同48分発ですが、とてもじゃないけど1分では終わりません

私が列車を選んだ理由がこれだったのですが、現在廃線からのバス転換の話も出ている岩徳線。これだけの人間を果たしてバスで運べるのかと思いました

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