貨物を担う私鉄としてもうすぐ100年の三岐線~その11 国鉄と近鉄の接点駅跡を見に行く

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※訪問は2024年12月17日

※現在、三岐鉄道の三岐線と北勢線は別々の1日乗車券が必要です

近鉄富田駅から歩きます

近鉄富田駅。当駅には東口と西口があり、東口を近鉄が、西口を近鉄がそれぞれ管理する形になっている

時間は14時。ここから少し歩くので遅い昼食

ラーメンとライスでお腹を満たして、さあ出発しよう

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分岐点には駅あり

前記事でも掲載した駅前の周辺案内図

今回は赤丸で囲ってみた。分岐あたりにかつて駅があったらしい。近鉄への連絡線ができる前に設置された富田西口駅については前記事で触れたが、もうひとつ廃止になった駅が分岐点にもあった。三岐朝明(あさけ)という駅が赤丸部分にあった。廃駅にはなっているが名称は残っている。そのまま「三岐朝明信号場」という。当初は分岐地点に駅が設けられるのは当然で、旅客輸送が近鉄富田への近鉄連絡線のみになったため不要になったのだろうと思っていた。ただ調べてみると私の考えは微妙に間違っていた

導線を調べる

朝明信号場はもちろん三岐鉄道の車窓から見えるが、駅跡については見えるような見えないような。つまりうまく確認できない。ならば現地まで行って確認しようと思ったのが今回の行動である。車窓から見る限りは住宅街の真ん中にありそうな感じで線路を見失わないように歩いていけば何とでもなりそうだが、ここはグーグル先生に従うことにする

徒歩で15分ほどの距離。12月中旬だったが、穏やかな気候で歩くにはちょうどよい

歩き始めて、これから進む道が旧東海道であることを知る

2つの高架が見えてくる。手前が近鉄、奥が三岐鉄道の高架。鉄道の交差というのは基本的な成り立ちとしては先にあった方が地上を走り、後からできた方が高架や築堤を行く。だから先にあった路線が廃線になったりすると、ナゾのようにその部分だけ一見無意味に見える高架が残ったりする

地上部分を行くJRの関西本線も見えてきた。道程しては一度、旧東海道からそれて関西本線に近い場所を歩いてショートカットを目指すようになっている

住宅地で警報が鳴り響くとJR車両の通り抜けていった

ちょっと感動した

そしていよいよ三岐鉄道近鉄連絡線とのクロス部分

ここは

西富田踏切という名称がついているが逆サイドを見上げると

おお~っ

住宅街の真ん中で声をあげそうになった。実はこの踏切近くでは道路工事の真っ最中で近くには工事関係者がたくさんいたり工事備品が並べたりしていたりで声も出せないし、引きの写真も撮れない状況だったが、うっすらと残る階段跡にかえってリアリティーを感じる

石が積み上げられているのはホーム跡だろうか

三岐朝明駅の開業は1950年(昭和25)と戦後間もなく。全線開業が1931年なので戦争を挟んで約20年後のことだった。連絡線ができるのは、駅の開業からさらに20年後の1970年なので当初の目的は近鉄連絡線との分岐駅ではなかった。単に新駅の設置だった

その後、近鉄連絡線ができたことで分岐駅という重要任務を担うこととなったが、駅の利用者は決して多くはなかったようだ。今でこそ周辺は住宅街となっているが、新しい家が多いことで想像できるように40~50年前はそうでもなかったのかもしれない。分岐駅でありながらも単式ホームがあるだけで開業時からずっと無人駅だった三岐朝明駅は、当駅~富田が1985年に貨物列車専用となったことで分岐駅としての意味合いもなくなり、普通列車の多くが通過する駅となっていたようだ。そして平成の声を聞いた1989年に信号場に格下げされている

近鉄富田駅まで歩いて15分なら駅があってもいいのでは、と思うのは現在、周辺の宅地状況を見ているからこそだろう。路線の廃止と異なり、駅のみの廃止というのは、近年のJR北海道を除くと、そう多い例ではなく、現地でいろいろ理由を探りたくなるものではある

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