福塩南線14駅の全駅訪問を目指す~情緒ある踏切をまたいでの参拝

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※訪問は2024年1月10日

わずか900メートル

道上駅から湯田村駅に到着。福山を出て神辺を過ぎ道上まで行って1駅戻ったことになる。既に1時間に1本の運行時間に入りつつあり、呉線もそうだったが、効率良く回るには行って戻ってを繰り返すことになる

もっとも軽便鉄道をルーツとする福塩南線の特徴は駅間が短いことで、道上から湯田村までの線路は900メートルしかない

線路と並行して道路があるわけではないが、それでも15分歩けば到着してしまう距離。福塩南線訪問にあたり「時刻表も確認せずに出発」と記したが、時刻表の空き時間が多ければ歩いてしまえばいい区間だらけだからだ。ただ「降り鉄」を名乗るからには、できるだけ「乗降」の両方をこなしたいのが性(さが)というもの。せっかくの青春18きっぷである。ここは900メートルをありがたく乗らせていただくことにする

3つの村が集まった湯田村

湯田村は旧神辺町の中心駅である神辺の隣駅。ここからICOCA非対応区間となるが、福塩南線は神辺から分岐する形となっている井原鉄道と相互乗り入れの1日3往復を除くと、すべての列車が福山~府中の運行で途中区間の運行はないため列車本数は変わらない

訪問時は工事中だったが単式ホームと待合所のみの構造

裏側にベンチがある

歴史を振り返ると昭和40年代に無人化されたらしいので、当時は駅舎があったとも思われ、ホーム屋根の形を見ると島式ホームだった雰囲気もあるが、判然としなかった

工事をのぞいてみると簡易駅舎の建築中のようだ。現在は完成していると思われる。駅入口の階段に設けられそうな屋根の骨組みが木製だったので完成形が気になるところだ

駅名は旧湯田村に基づく。駅の住所は「福山市神辺町德田(字)」。明治の町村制施行の際「湯野村」「德田村」「箱田村」が合併。3つの村名を合わせ湯田村とした。1954年(昭和29)に神辺町となった。駅の開業は1914年(大正3)

ちなみに「湯野駅」は現在、井原鉄道に存在する。神辺のひとつお隣。こちらは平成になって開業した駅だが、かつて神辺~井原を結んでいた井笠鉄道にも湯野駅が存在した。話の本筋からやや離れるが、福塩南線を敷設した両備軽便鉄道は「両備」の会社名で分かる通り、備後と備中を結ぶためのもので、井笠鉄道の前身も両備軽便鉄道である。湯野駅の開業は1922年だが工事はかなり前に始まっていて、すでに湯野駅は計画にあったとみられる。箱田も駅から比較的近く、駅名を地名通り德田ではなく「湯田村」としたことに苦労の跡がみられる

ホームからの気になる景色

ホームに立つとお寺が見える。駅舎と逆側にあり、車が入っていくところが見えたが踏切と直結しているようでもある。これは気になる。見に行こう

お寺は賽泉寺。グーグル地図も参道入口からの徒歩コースを指南してくれる

奥に境内が、その手前に踏切が見える

歩を進めると踏切とお寺の入口が見えてくる

名前は、そのまま寺前踏切。湯田村駅の構内扱いになっているようだ。寺社の参拝道や入口前を線路が通っている例は全国に数あるが、どうやっても「勝手踏切」でしか行けない場所も見たことがある。地元では暗黙の了解での参拝となっているようだが、不法を助長することになりかねないので紹介は控えている。ただもちろん、ここは堂々と参拝することができる。踏切と寺社のコントラストって絵になりますね

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