JR

東日本の新幹線単独駅を巡る~仮名称のまま40年

上毛高原の駅名標

2022年10月21日10時

いきなりテンションが上がる

上毛高原駅の柱の案内

本庄早稲田から25分。上毛高原に到着です。いきなりこのようなものを見せられるとテンション上がりすぎるではないか

もちろん初めてやってきました。元々、関西の人間にとって栃木、群馬というのはなかなか行けそうで行けないところで、私的な感想ですが関西の人が行ったことのない県、となると両県がワンツーを占める。では東京で同じような質問をすると鳥取、島根がワンツーとなります(繰り返しますが個人の感想です)。必ず乗り換えが生じるので、なかなか腰が重い

もっとも鉄オタは、そんな事情はむしろプラスにとらえて逆に積極的に行きたくなるのですが、新幹線駅というのは、なかなか気合いとお金が必要となります

40年の歳月を感じるものがあちこちにあります。ベートーベンの第九のようにどんどん盛り上がります

一見、普通の階段ですが左側のスペースはエスカレーター設置を予定していたように感じます。ただしその後に奥に見えるエレベーターが造られたことでエスカレーターの設置は不可能な構造となっています。というか「エレベーターを造るからエスカレーターは要らないんじゃない」となった感が強い

実在しない高原

改札を抜けて駅の外に出ます

いかにも国鉄時代の新幹線駅です。派手さはない代わりに大きく目立つように造る、あくまでも機能重視

当駅は高崎~新潟で唯一の新幹線単独駅です

利根川を見下ろすような高台に設けられています。1982年、上越新幹線の開業と同時に駅も開業しました

さて、この駅名。事情を知らないと同名の観光地というか高原があるのだと誰もが思ってしまうのですが、上毛高原は実在しません

「県北観光地の玄関口の機能があり、その範囲は、日光、尾瀬、沼田、谷川、四万、草津まで及んでいる。その広域性を意味するために上毛高原が最適だった」と案内されていますが、客観的に見て日光はかなり遠い気がします。そもそも栃木県。つまり最適という駅名は国鉄が仮名称として付けたものです

仮名称がそのまま駅名になっていても問題はないのですが、その駅名は「もっと適正な名前はないのか」と、ずっと議論の的となっています

現在はみなかみ町にありますが駅の発足時は平成の合併前で月夜野町にありました。当時から駅名については、いろいろな意見があったようですが、全国各地の例で分かる通り、こういうのはなかなかまとまらない。2つの町(自治体)なら組み合わせればいいのですが、前述した通り、地域が広くすべて入れ込むわけにはいきません

有名なのは駅でも観光案内があるように

沼田城を巡る攻防で真田家の物語に必ず出てくる沼田ですが、所在は月夜野町で現在も沼田市にはない。ということで仮名称が正式駅名となり、そのまま40年が過ぎています。もちろん変更の要望は定期的に行われていて、昨年にもみなかみ町と町商工会、町観光協会が要望書を提出しています。ただし駅名変更には、かなりの費用が必要で誰がどのような理由で捻出するかという問題もあります

駅では、さまざまなキャラがお出迎えしてくれます。東京までの所要時間は列車によって異なりますが60~80分で1時間に1本の列車が確保されています。次に訪れるのはいつになるか分かりませんが、その時の駅名にも注目です。そんなことを思いながら、ふと向かいの上りホームを見ると

こちらにもテンションが上がるものがありました

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東日本の新幹線単独駅を巡る~学校名が付く駅

本庄早稲田駅の平仮名駅名標

2022年10月21日9時25分

請願駅の新幹線駅

安中榛名から逆戻りする形で高崎を越え本庄早稲田で下車しました

駅名から想像できるように早稲田大学の本庄キャンパス最寄りです。実は40歳を過ぎるころまで都内にある「早稲田」の地名は学校ができたことで付いたと思い込んでいました。実は全く逆で早稲田といえ場所に学校ができたのです。私自身も20歳前後は、あのあたりに4年ほど生息していたのですが学校近くまでは行っても校門はくぐらず付近のパチンコ店や雀荘への途中下車を繰り返していたため、全く知らない。もちろん当駅に入っているのは学校名です

新幹線の単独駅は請願駅として上越新幹線の開業から20年を経て開設。駅名に学校名が入ったからかどうかは分かりませんが、請願駅の条件となる地元負担の工事費の一部を大学が出しています

駅舎入口はこのような感じ。国鉄時代にできた上越新幹線の駅舎は無骨なものが多いのですが、そんな感じはありません

ローマ字の字体はこのようになっています。感想はお任せ

駅前には広大な駐車場が広がっています。パーク&ライドで使用されているようです。目に入るところに何かがあるかと言われると、商業施設がポツポツあるだけ。ある意味、学問や研究に専念できそうですが、友人と顔を合わせると速攻で都電の駅へと向かい大塚で連れパチという人間は確実に尻込みすることでしょう

当駅の在来線の最寄りは高崎線の本庄。上越新幹線は整備新幹線ではなく国鉄時代に国策として堂々と開業した路線なので並行在来線問題はありません

駅は新幹線単独ですが並行した在来線があるため、規定により乗車運賃は在来線のどこかの駅(近い駅とは限らない)のものを使用します。もちろん本庄。その本庄は直線距離で2・5キロ。道路を行くとご覧の通り3キロに満たない距離で、歩こうと思えば歩けますが、好んで歩く距離ではない。本庄市による「はにぽんシャトル」というパスが1時間に1~2本運行され15分で結んでいるので新幹線の本数を考えると、それほど不便ではありません

朝はかなりの人が

列車本数も上越新幹線、北陸新幹線と両方が乗り入れるため、東京とのアクセスという意味では困ることはありません。北陸新幹線の各停パターンのはずの「あさま」には「安中榛名のみ通過」という、いじめのような列車も存在しますが、それらの一部は上越新幹線の中に入っている本庄早稲田にもちゃんと停車します

下車したのは上りだったので、そうでもなかったのですが、7時24分東京発のあさまに乗車した私は乗客の流動パターンに驚きました。東京駅は自由席に余裕がある形で発車したのですが大宮でドッと乗ってきて座れない立ち客も出現。驚いていると、その方々は8時12分着の当駅でゾロゾロ降り、次いで8時22分の高崎でほとんどが降りていきました。本庄早稲田で降りたのも学生さんという感じではありませんでした。時刻表を見ると平日朝には私の乗車した列車のわずか12分後に東京発高崎止まりとが設定されているので新幹線通勤もしくはビジネス利用がかなりあるようです

コンコースは大きい。ニューデイズもあります

再び改札口に入ることにします

この駅の見どころは

写真だけだと何のことやら分からないかもしれませんが、ホームの向こうにはコンクリートの壁があって、その中に通過線があります。これはどういうことかというと、元々は駅のない高架部分に駅を設置したため、その外壁がそのままにされているのです。工費がかなり節約されたそうです

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東日本の新幹線単独駅を巡る~ここが安中榛名

2022年10月22日8時30分

新幹線駅で初めてときめく

到着しました。安中榛名。各地で念願の駅の手前で降りる時はドキドキします。枚挙するとキリがない。ただ新幹線駅の手前でドキドキしたのは初めてです

帳簿上は高崎から始まる北陸新幹線で唯一の新幹線単独駅(敦賀延伸で越前たけふが加わる予定)。かなり狭い場所に設置されていて速達列車は停車しないのに通過線がありません

改札に向かいましょう

自動改札機が2つだけ。ただし利用者が増えれば増設できるスペースは確保されています

開業25周年

開業25周年でお出迎えしてくれました。北陸新幹線は「長野新幹線」という通称で1997年10月に高崎~長野が開業。かなり大急ぎの工事で慌ただしい開業でしたが、それは翌98年2月に長野冬季五輪が控えていたため。当然それまでに開業しなければならないのですが、ここで群馬県から「待った」が入ります。北陸新幹線は、最初に計画された新幹線(東海道、山陽、東北の盛岡まで、上越、成田)の後からの、いわゆる整備新幹線で「地元が工費の一部を負担」することになっています

北陸新幹線の当初の予定では軽井沢まで駅は設置されない予定でしたが、そうなると群馬県内には単なる素通りになってしまうため「だったらお金は出さない」となったわけです。近年、整備新幹線を巡る工費について、いろいろな事象が起きていますが、当時は長野五輪に向けて開業することが急務で安中榛名駅が登場することになりました

ちなみに北陸新幹線を巡っては、金沢延伸の際「県内に最速達の列車が停車しない」との理由で新潟県がお金を出さない、という一幕もありました。こちらは最終的に境界駅の上越妙高で乗務員が交代するので必ず全列車が停車するだろう、という読みのもと工費捻出に至ったという話があります(ふたを開けると長野駅での交代となった)

新幹線の夢と現在

外に出てみましょう

とても悠々しい駅舎です。整備新幹線より前の昭和時代に開業した新幹線の駅は、よく言えば機能重視で遠方から単に目立つだけ、という無骨な構造が多いのですが、そうではありません

地域の中心駅となるべくような駅舎です

ただ駅からロータリー方面を見ると

おそらくいろいろな施設が立つべき場所なのでしょうが何もない。道路は大変立派で気持ちの良い秋の朝の空気が味わえる空間が広がっています。駅前に商店はありません。コンビニがありましたが撤退したそうです

ただし地図で分かる通り、少し行くと住宅街が広がっています。駅開業後に「びゅうヴェルジェ安中榛名」という広大な住宅街で「びゅう」という名称で分かる通り、JR東日本が山中の土地を購入、分譲したもので副業ができなかった国鉄時代ならできなかったことを民間移管後に行っています。名誉のためにちゃんと触れておきますが、駅前の光景だけを見ると大赤字のミッションだったと思われるかもしれませんが、10年以上の歳月をかけて601区画が完売。そのためか駅前の駐車場は私が訪れた時点で、ほぼ満車でした

県知事による宅地開発の協力記念碑があります

現に開業時は1日300人程度だった乗降者がコロナ禍直前では600人にまで増えていました。もっとも600人という数が新幹線駅として多いか少ないかは別問題で、何かと失敗駅の代名詞のように言われる山陽新幹線の新尾道駅の数字を挙げるとコロナ禍以前は2000人でした

狭き門

駅に戻ります

1日12往復。これが多いのか少ないのかは何とも言えませんが、駅名を伏せて時刻表だけを見せられると朝は上りが多く、夕方は下りが多く、昼間は2時間停車列車がない、よく見かける通勤通学に配慮したローカル線のダイヤだと思うかもしれません。ちなみに私は8時31分着の下りで到着し、9時7分の上りで撤退しました

料金案内は今や古典的なものです。出発の10分前になり、人が集まり始めました。眺めていると皆さん券売機の扱いに慣れているようで、いつも利用されている方ばかりなのでしょう。考えてみれば観光客というのは、あまり考えられず常態的な利用者か私のようなオタクばかりなのでしょう

残念ながら峠の釜めしも駅そばも開店前。ここで立ち食いそばでもいただければ、もっといい記念になったのでしょうが、先もあるのでなかなかそうは行きません。そもそもめん類販売時間は11時から14時のわずか3時間で、時刻表をご覧になれば分かりますが厳密に営業時間を守ると上下1本ずつしかありません。なかなか狭き門です

在来線とのアクセス

私が到着した際、駅前にバスが停車していました

信越本線の在来線へのアクセスバスが安中と磯部に向けて出ています。本数は磯部の方が圧倒的に多い。磯部への時刻表を見ると新幹線との乗り継ぎを考慮したものになっているようで

マイカーなら20分、バスでも25分。これもまた近いか遠いかは微妙なところですが、バスの車窓は見たいものです

名残惜しいですが上りがやってきました

次回来る時はぜひ在来線とのバスアクセスを体感し、駅そばを所望したいなぁ、と思いながら新幹線に乗り込みました

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東日本の新幹線単独駅を巡る~やっぱここ一択でしょう

2022年10月21日7時

鉄道開業150周年記念 JR東日本パス

朝7時の山手線。記事には何の関係もありませんが、初めて黒い山手線に乗車したので記念の意味でも載せておきます(笑)

手には「鉄道開業150周年記念 JR東日本パス」。JR東日本の全線に加え、一部の三セク、私鉄にも乗車できます。これが2回目の利用。1回目については、また日をあらためて紹介させていただきます(アイキャッチの写真は1回目のもの)。この「全線」というのが大きなポイント

7時24分発の「あさま」に乗り込みます

意外と困難な新幹線駅訪問

駅巡りをしていて意外と難易度が高いのが「新幹線駅」です。なぜかというと「カネがかかる」からです。いろいろなフリーきっぷが出ていますが新幹線も含むものは、ほとんどありません。新幹線に乗れるが乗車券部分のみ有効で新幹線は別料金というものがほとんど、というかすべてと言ってもいいぐらい。新幹線駅なので、それなりに本数はあるので到達難易度はそれほど難しくないですが、料金はかかります。自由席に限ると1駅もしくはそれに準ずる区間で1000円に満たない料金が設定されていますが、それでも乗車駅も含め、駅で乗降することを条件とすると3駅2区間で2000円ほどのお金が必要になります。JR各社によって指定席の有無やB特急券の設定、複線または単線による所要時間の違いで一律にはくくれませんが、先日までお伝えしていた高山本線なら、岐阜から高山まで2時間特急に揺られても自由席特急料金は1860円。新幹線料金がいかに高いかが分かります

しかも各社とも新幹線はドル箱なので、新幹線も乗り放題というきっぷは、なかなか出ません。最も収益の高い東海道新幹線などは聞いたこともない。山陽新幹線については一昨年の秋にJR西日本が乗り放題をリリースしましたが昨年は出ませんでした

私は東海道新幹線については初乗車から40年以上かけて全駅乗下車を達成しました。本格的に始めてからも20年はかかりました。東海道本線への乗り継ぎが容易なので前述した通り、作業そのものは難しくないのですが、なかなか別の目的がないと先立つものがないと二の足を踏みます。新駅ができると、また理由をつけて行かなければならない。最後に利用したのは掛川でした

山陽新幹線についてはコロナ禍以前に50歳以上を対象とした「おとなびパス」という西日本全線のフリーきっぷが青春18きっぷのシーズンを避けるようにリリースされていて、そちらを利用したところ、こちらはかなり瞬殺でした(笑)。ただ山陽新幹線のこだまは昼間は1時間に1本なので東広島には本数の多い朝に訪問したことを覚えています。最後の訪問は新下関でした

そんな状況下でリリースされた東日本パスですから、これは利用しないわけにはいきません

第一歩は安中榛名以外に選択肢なし

一応、旅程を組んでみて前日に東京入りし、今回は上越新幹線と北陸新幹線のJR東日本部分を回ることに。2泊目は長野の知人宅に宿泊することが決まっているので反時計回りで上越新幹線、北陸新幹線を巡っていくことにしましたが、朝という本数の多いアドバンテージや私的な行きたかったランキングを考慮すると第一歩は安中榛名にならざるを得ません

旅にハプニングはつきものなので、関西からの訪問がかなり困難な同駅をまず回収しておきましょう

乗車から1時間ちょっと。安中榛名を告げるアナウンスが始まると、かなりドキドキしてきました

到着です。実は同駅に停車する北陸新幹線に乗車したのも初めて。こんなに細いホームとは知りませんでした。誠に失礼ながら、10人以上の人が下車してちょっと驚きました(謝)

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宿も取らずに青春18きっぷで高山本線に突っ込んでみる~JR西日本区間そして、また来ます

9月9日12時

4時間の空白も不安なし

笹津駅前にあった付近の案内図。さすがに50年近く前に廃線となった富山地鉄の線路は描かれていませんが、往時を感じさせるものです

そして当駅の時刻表をといえば

11時21分の富山行きに乗ってきたので、次の富山行きは4時間後、猪谷行きも3時間半後と、おそろしく長い空白区間があることになります

ただ私に全く焦りはありませんでした。JRの時刻は分かっていて、それからのことをろくに調べもしていません。これが飛騨の山中だったら、いろいろな交通機関を必死で調べていてから下車したはずですが、ここはまず大丈夫

なぜかというと、富山地鉄の廃線跡だから。もう富山の市街地ともいえる場所なので、廃線後を担うバスがあるはずです

これは楡原の駅前で見たバス停。猪谷~富山を結ぶバスがあって、これだけの本数がある。きっと笹津も通るのでしょう

そして結果から言うと、私の考えは半分正しく、半分間違っていました

笹津駅前のバス停。1時間に1本の富山行きがあります。12時5分の富山駅行きバスまで45分の待ちです(※訪問当時のバス時刻表です)

駅舎は立派でお手洗いもあります。駅に着いた途端に雨が降ってきたのですが問題ありません。こちらの駅舎でしたら、原稿を書いている今の冬の季節でも大丈夫だと思います

バスに乗って富山駅へ向かいます

ただ後で分かったことですが、猪谷から出ているバスとは異なる路線のようで、猪谷からのバスは駅前を通らず国道41号を走って行くので、こちらのバス停から徒歩5分ほどの次の停留所まで行けば、さらにもうひとつの路線もあって1時間に3本ほどの便利な区間だったのです

JR西日本区間内でも温度差

全長225キロにもなる高山本線でJR西日本区間は36キロしかありません。全体の6分の1ほど。しかし、その中でも随分と温度差があります

こちらは婦中鵜坂の時刻表。明らかに笹津とは違う。特に7時台は高頻度です

これは運行形態を富山~越中八尾の17キロと越中八尾~猪谷の19キロで分けているから。前者の区間運転が設定されていて特に通勤通学時間帯は本数も多い。越中八尾以南の東八尾、笹津、楡原の3駅は停車列車がかなり少なくなります

岐阜から国道41号とほぼ並行して進む高山本線ですが、一部離れている場所もあり、笹津と富山の間は鉄道が旧八尾町を経由して迂回する形になるのに対し、国道は真っ直ぐ富山の中心部を目指します。富山地鉄笹津線は国道沿いを進んでいたわけで、廃線で地域の足がなくなることに対し、猛烈な反対運動が起きたこともうなづけます

ちなみに笹津~富山に限って言うと運行も多いバスは約50分、770円なのに対し、鉄道は約40分、510円とコストと時間では鉄道に軍配が上がります。ただしバスは富山の繁華街である総曲輪(そうがわ)を通ります。総曲輪は全国各都市で多く見られるように、JR富山駅からは若干離れています

富山駅に到着。13時前です

越中八尾は10年以上前に行ったのが最後で千里や西富山は降りたこともありません

適当旅らしく駅構内にある回転寿司で、今さらながら午後の作戦を練る。西富山の駅は路面電車で富山大学まで行けば十分に徒歩圏内だ、などと調べていると電話が鳴って家で緊急事態の報告。すぐ帰宅しなければならなくなりました

ついているというか、ついていないというか、これが山中の無人駅だったら、すぐ帰ろうにも帰れないところでしたが富山駅にいるので、すぐに帰れる

予定外でしたが早い時間に北陸新幹線のホーム

まだ明るいうちに大阪駅到着となりました

高山本線は地形上、たびたびの豪雨被害に遭ってきました。その度に懸命な復旧工事が繰り替えされています。過去には電化の計画もあったようですが岐阜市近郊も未だ単線非電化のまま

私が降りたことのない魅力ある駅舎も、まだあります。次回は計画を練って訪問したいと思います

これで夏の青春18きっぷの旅は終了です

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宿も取らずに青春18きっぷで高山本線に突っ込んでみる~2度の廃線を経験した駅

9月9日11時20分

貴重な遺産を次々と

楡原から1駅富山側に戻って笹津で降りました

ホームは1面2線。ホーム上の待合所で発見したものが

鉄製の案内板。今やあるようでないものとなりつつあります。長年の排煙を受けているようですが、こちらはまだまだ使えそう

駅舎へは跨線橋で向かいます

かつては跨線橋にも、このような文字が描かれていました。最近見る機会が少なくなっています。私が見落としているものもあるかもしれませんが、直近だと中央本線旧線の辰野支線、川岸駅(長野県、今年10月)

昨年までさかのぼって和歌山線の粉河(和歌山県、昨年7月)

こちらは明朝の渋い案内文字付きですが、これぐらいしかありません

ただ笹津駅のものは、かなり危ない感じがします

広い駅前とピカピカな駅舎

跨線橋を渡って駅舎に行くと

無人駅ですが立派な駅舎が建っています

旧駅舎は大正期のものでしたが、2000年代に入って現駅舎となりました

コミュニティーセンターにもなっているようです。そして駅前ロータリーは広い

国鉄の高山本線がここまでやって来たのは昭和初期のことです。ではなぜ旧駅舎が大正生まれだったかというと、富山鉄道の駅だったからです

笹津は岐阜県の神岡鉱山から神岡鉄道により鉱石が運ばれる拠点となり、その際に富山鉄道の笹津~富山が敷設されました。しかし高山本線ができたことによって鉱石輸送はそちらが中心となり、富山鉄道の路線は廃線

しかし復活を望む声は廃止当時から多く、戦後になって新たに富山地方鉄道の笹津線として当駅~南富山が新たに開業。ただ今度は自動車普及による波で実績が低下。当時は全国的に軌道線が車の邪魔だという時代で75年に廃線となりました

笹津駅のやや北側に消防署がありますが、地鉄の笹津駅はここにあったようです。つまり現在の笹津駅は、かつての地鉄の跡地に建てられています

ホーム側から跨線橋を経た駅舎への導線はこんな感じ。妙なスペースに不自然さを感じるのも、駅前ロータリーの広大さに違和感を覚えるのも、そのためです

こちらもホームから見た裏側。奥の白い建物が消防署で手前が現駅舎。並んでいるのが分かります

また高山本線で富山方面へと向かうと車窓右手の草むらが分岐していく様子が残っていて廃線跡だと伺えます

帰ってから調べたことですが、廃線跡の痕跡は、あまり残っていないものの、12キロという手頃な距離だからか、南富山~笹津のウォーキングイベントは開かれているようです

駅舎内には地元紙が張ってありました。廃線は全国で見られる姿ですが、2度の廃線というのは、なかなかないことだと思います

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宿も取らずに青春18きっぷで高山本線に突っ込んでみる~難読というより難文字

9月9日10時50分

高台の駅

ギリギリ乗れた婦中鵜坂から30分

キハ120は楡原駅に到着です

こちらも読むのが難しい。難読駅には2種類あって、簡単な文字ながら思わぬ読みをするものと漢字そのものが難解なものに分かれますが、こちらは後者です

今は富山市となっていますが、十数年前まであった細入村の中心駅。楡原は地名です。特急停車駅である猪谷も細入村でしたが、役場があったのはこちらで駅前も開けています。猪谷の隣ですが区間距離は7キロとかなり長い。高山本線し神通川に沿って敷設されていて、このあたりまで来ると町がパーッと形成されてきて飛騨山地から出てきたというイメージとなります

付近は盆地となっていて背後の景色でも分かるように、婦中鵜坂あたりとは違って山間の町となっています

じっくり駅名標を眺めてもやはり、なかなか書くのも難しい

駅は高台にありスロープまたは階段で駅舎に向かいます

駅舎はJR移管後に改築されたかわいいもの。背後にホームに向かう階段が見えます。階段を使いたくなければ右手に見えるスロープでも可能。駅舎の時計が微妙に進んでいて、ちょっと焦りました

撤去された線路と撤去される待合所

さて、その階段ですが実は2つあります

ひとつは完全に塞がれています

再びホームに戻ると、現在のホームの向こう側にもうひとつホームがあることが分かります

かつては2面2線の交換駅だったものが単式ホームにされ、と同時にもうひとつのホームに向かう階段も入れなくしたのでしょう。2面ホームというのは構内踏切や跨線橋で結ばれるものですが、高台のカーブ状にホームは設置されています。駅舎から、それぞれのホームへと階段で向かい、いずれも屋根付きという、なかなか珍しい構造だったのですね

そのホームには

こちらはかなり年季の入った待合室が設けられています。駅舎ももちろん待合室として利用できますがホームにもしっかりと待合所があるという、なかなか親切な構造。入ってみようとすると

……

……

なくなるようです。しかも3日後の話。老朽化に伴うものでしょうか。これを書いている時点では、とっくになくなっていることになります。ホームの待合所撤去も各地で見られます。当然知らずに降りたのですが、間に合ったという表現が正確なのかどうかは分かりません

待合所の内部。この時期はあまり使われていなかった感じですが、歴史の証人がひとつ姿を消したことになります

当駅滞在は20分ちょっと。猪谷から折り返してきたキハ120に乗り、再び富山方面へと向かいます

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宿も取らずに青春18きっぷで高山本線に突っ込んでみる~先生お願いしますよ(泣)

9月9日9時55分

絶対行く駅へ残り20分での徒歩移動

今回、絶対行く駅リストの最後となるのは婦中鵜坂です。駅舎も何もない棒状駅ですが、高山本線で最も新しい駅で、なおかつ駅設置への課程も興味深いので、ぜひとも訪問したい駅です

現在いる速星のお隣なんですが、時刻は10時前。婦中鵜坂に向かう富山行きは1時間半後。それは待っていられない、というか私としては再び高山方面へと向かいたい。まだまだ行きたい駅はあります。となると、婦中鵜坂発10時21分に乗らなければなりません。もう30分もないのですが、任せておいてください。作戦は万全です

線路に並行して真っ直ぐ道路があります

駅間距離はわずか1・7キロ。グーグルマップによると1・8キロ、徒歩での所要時間は22分となっていますが、20分以内で歩けるでしょう。しかも道路はほぼ平坦で広い。迷うこともないので10時10分ぐらいには到着できるはず。速星の駅前にはタクシーもいますが乗ると怒られそうな距離。鼻歌交じりで歩き始めます

社会実験からスタート

婦中鵜坂は「ふちゅううさか」と読みます。速星駅が旧婦中町の中心駅だったことは前回の記事で説明しましたが「婦中」という町名の駅は存在しませんでした。「鵜坂」は、もっと前にあった村の名前。いわば2つの自治体名が駅名として復活したわけです

元はというと高山本線の利用を喚起しようと富山市が始めた活性化の実験として臨時駅として2008年に富山市が経費を捻出して設置しました。臨時駅というか実験駅です。3年間様子を見る、ということになっていたのですが利用者は3ケタになり、3年が経過しても臨時駅のまま存続。さらに3年後の14年に正式駅に昇格しました。高山本線の新駅は約60年ぶりのことでした。利用者は順調に増え続け2019年には500人近い乗降がある駅となっているので十分に成功です

富山までは、わずか2駅、10分です。中心部への近さが成功の原因ーと、ここまではあくまでもデータとして知っただけなので、これはローカル線の駅の貴重な成功例として周辺も含め見ておきたいところです

なにゆえ分岐点が?

徒歩の方は順調で、右手にある野球場を見ながら「社会人野球の日産化学のグラウンドって、ここなんかなぁ」などと考えていると北陸道の高架をくぐり、踏切のある大きな道路に出ました。駅はすぐ向こうのはず。この時はナビタイム先生の導きでしたが、踏切を越えると線路の逆側、つまり線路の東側を歩いてきた道を西側に行けという、お達し。写真を見ただけですが、駅は1面1線棒状駅なのでホームはそちら側にあるのかな、という認識。住宅街の中の線路沿いの道をどんどん歩いていきます

と、チラリ駅のホームが見え始め

ホームは逆側(つまり最初歩いてきた道)やん!

これは焦りました。ナビを見ると最後は点線で線路を越えて駅に行くことになっています。これは不安。立ち止まってしばし思案。何か地下道があるのかもしれませんが、もしなかったら…

10時21分の次は12時31分の越中八尾行き。つまり2時間待っても猪谷の手前で終わりです。猪谷行きはとなると14時26分と4時間後で、お話にならない。既に富山市の市街地なので脱出はできるでしょうが、とにかく先生を信じるのはリスクが高いと判断。来た道を引き返して小走りも交えながら、ホームがある方向に進んでいくと

駅への通路が見えてきて(最初の道を真っ直ぐ行くと向こう側に出たことになります)

何とか到着。10時18分。3分前でギリギリセーフ

高山の朝は肌寒いぐらいでしたが、すっかり平野部に降りています。当然汗だく。ただ運が悪かったというか何というか久留里線の平山駅の時とは異なり、ホームには先客あり。スマホを触っていた若いお兄さんに「何だ?このゼーゼー言ってる汗だらけのオッサンは」といぶかしげな目で見られました。まぁ、そう思いますよね

とりあえず駅名標は必要だと写真を撮っていると、もう列車の音が

でも良かったです。勝手知ったるキハ120で。こちらは遠くで音がしてから、なかなか姿を見せないことを私はよく知っている(笑)。ホーム上は少しウロウロできましたから

ということで駅の周辺を見ることもなく出発しました

ちなみに最初のコースで来ると、右側に来ます。「勝手踏切など造らせないぞ」という強い意志を感じます

ただ今回掲載したグーグルマップもナビタイム先生と同じ指導をしています。もちろん最後は「…」で(それが不安なのです)

確かにホームの逆側が住宅街となっていて住民の皆さんは遠回りをしては不便きわまりない。古い駅だとよくあるのですが、臨時駅を含め、わずか20年前のことなのに近道を造らないままにするのかなぁ、しかし入れそうなコースはなかったなぁ、そもそも簡単に真っ直ぐ進む道路を指示するべきではないのか、などと独りごちながら列車に揺られていました

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宿も取らずに青春18きっぷで高山本線に突っ込んでみる~意外と普通に読む広大な駅

9月9日9時50分

キハ120も混雑

都会の電車にしか乗ったことが地方ローカル線に乗って、まず驚くのが単行(1両編成)運転の列車があることとボタンを押さないと開かないドアだそうです

もっとも後者については空調維持のため都会でも違う形で導入されていて、普通の待避が多い阪神の新型車両では車掌さんがすべてのドアを開けるものの、停車中は乗客がドアを閉められるようになっています。真夏とか真冬とか助かるのですよ。ただ見ていると、まだまだ定着とはいかず、ドアをプシューッと開けて入ってきたお客さんが閉めずにシートにどっかり座り「寒い」とばかりに他のお客さんが閉めるシーンがよく見られます。私も閉める側によく回りますが嫌みのように思われているかも

さて単行(1両編成)運転の代名詞のようになっているJR西日本のキハ120。間違っていたら申し訳ないのですが、高山本線では2両編成となっているようです。なかなかやるじゃないか!

その2両編成のキハ120。富山に向かうにつれ、お客さんがドンドン乗ってきてキハ120名物(と勝手に私が思っている)のボックス独占は、ままならない状況に。青春18きっぷ最終盤で、明らかに同業者と思われる人もバッグをひざに載せたりと慌ただしい

私は富山まで行かず速星で下車。猪谷から約40分。もう富山までは3区間で10キロもありません。旧婦中町の中心駅。文字だけ見ると「何て読むのか」と、いろいろ考えてしまいますが、ご覧の通り訓読みを並べて「はやほし」と普通。全国の難読駅を見ている人こそ引っかかる、ある意味難読駅かもしれません。地名で駅から近い速星神社にちなむようです

地図でも描かれているぐらい大きな構内、多くの側線を持ちます

高山本線では貴重な駅

これは隣接する日産化学の工場につながるもので当駅は今も現役の貨物駅。そして現在の高山本線では唯一の貨物列車が運行されている路線となっています。高山本線においては貴重な駅

駅舎は

歩行者用の屋根が設置されていて少し分かりにくいですが、1927年(昭2)からの開業時のもの。駅舎の広さも維持されています

指指確認の文字は古そうです

みどりの窓口あり。富山中心部へのベッドタウンで利用者は増加傾向。一部の特急も停車する乗客4ケタの駅ですが、みどりの窓口については危うい状況のようです

立体型というか駅舎から少し飛び出る形の表示がいいですね。というか「全線きっぷうりば」をずっと見てきたのでJR西日本区間に入ったことを実感します

立派な駅名板。書かれた方の署名があるようですが達筆すぎて読めず。すいません

駅舎内の待合も立派です。冬場は大いに助かりそう

せっかくテレビまであるのだから、これならいくらでも時間をつぶせそうですが、あるあるというか、こういう時に限って時間がない。事前に決めた「どうしても行く駅」がある。列車はしばらく来ないのですが、とにかくそちらに向かいます

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宿も取らずに青春18きっぷで高山本線に突っ込んでみる~キハ120で「いつもの」旅

9月9日9時

JR東海から西日本へ

昨日に続いて猪谷にやって来ました。ただ今日は強制乗り換えのためです。社境の駅なので普通については運行が分断されます

背後の景色を見ると飛騨山地を抜けてきた、という気分になります

私が前日乗車した列車は先に行けませんでしたが原則的には富山側からも高山側からも乗り継ぎができるダイヤとなっています。すぐ発車の場合もありますが私の乗車列車は15分ほどの乗り継ぎ時間がありました

当然ながら国鉄時代は社境をまたぐ列車が運転され、JRになっても猪谷をまたいでいて、昨日も紹介したJR移管後1年の1988年時刻表によると富山側から高山を目指す列車は乗り継ぎが設定されていないものを除くとすべてが直通運転。高山側からも乗り換えがあるのは1本だけです

そして普通の本数については今とあまり変わらないことに気付きます

ローカル線の過去の時刻表を見ると、以前の本数の多さに驚かされることがしばしばで1日3往復と閑散区間の代名詞のようになっている芸備線の備中神代~備後落合は当時(多いか少ないかは別としても)8往復が運行されていました

現在高山~猪谷は1日8往復で、うち猪谷で富山行きにスムーズに乗り換えられるのは6本(少!)ですが、88年のダイヤも富山発が6本、高山発が8本とほぼ同じ。むしろ岐阜から富山まで直通する優等列車が急行の2本だけしかなく、後は鵜沼から名鉄に入る特急北アルプス(懐かしい)があるだけなので、4本の特急が富山まで直通する現在の方がむしろ本数が多いと言えます

本線だけど地方交通線

「本線」を名乗りますが高山本線は地方交通線です。本州にある本線では唯一の地方交通線です。全長225キロと東海道本線だと東京から掛川あたりまで行っていまうので、なかなかの距離。日本海側から(岐阜を経由して)太平洋側まで抜ける鉄路は重要で大正時代の1920年から工事が始まり、山間部の狭路を通す難工事ながら、たった14年で全通しました

戦後に車社会の波が押し寄せ、各地の山間部ローカル線が苦戦する中、高山、下呂を筆頭に特級の観光地を持つため、一定の需要があります。また岐阜近辺と富山近辺では、それぞれ通勤通学の足として多く利用されています

岐阜近辺の利用者を見ていると複線電化してもいいのではないかと思えるぐらいですが、全線が単線非電化。特急の運行もあるため多くの駅ですれ違いが可能な構造となっています

マイカーですか

さて前日、猪谷まで乗車した時のこと

猪谷直前の車内の様子ですが、お客さんの少なさを言いたいわけではありません。猪谷から先は乗り継ぎがないのですから、こんなものでしょう

言いたいのは車内。まるで大都市圏の電車に乗っているかのようです。JR東海のキハ25ですが、とてもじゃないけど、1日8本のローカル線という感じではない。乗り心地も大変良い。気動車の感じではありません

それもそのはずで、つい先日まで名古屋市内まで通勤通学の足として多くの利用者を運んでいた武豊線が電化されたことで、その列車がゾロゾロと高山本線にやってきました。編成上、単行運転というのはありません

これから乗るのはキハ120。JR西日本のローカル線ではおなじみです。キハ25はこの世に登場してまだ10年ちょっと。キハ120は30歳ぐらいで、ちょっと年季が入っています

こうして並ぶと、若干若さの違いを感じますか

もっとも私にとっては乗る機会が多いキハ120の方が青春18きっぷの際は落ち着くといえば落ち着く。このあたりは個人の感想だけの話

カーテン、ボックス独り占めなどなど、私にとってはなじみの光景

気動車独特の音とともにJR西日本区間を走り始めました

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