JR九州

復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~単行の直通列車はすし詰め状態

※訪問は2025年8月26日

必ず乗り換えの発生する要衝駅

あらためて肥後大津駅。すでに当駅始発の南阿蘇鉄道直通の列車が待っている

発車の10分以上前に駅に着くことができたので無事に「旅名人の九州満喫きっぷ」を購入。5月に九州を訪れ平成筑豊鉄道から田川井田経由で日田彦山線BRTに乗車した時にも利用したが、九州内の私鉄、三セクに乗車する際は本当に便利なきっぷである。ただし、これを買うということはこの旅行では九州新幹線をはじめとする優等列車には乗車しないということを意味する

その肥後大津駅の駅名標がこちら(撮影は2023年)。町名の由来について記されているが、初めて来た時に滋賀県の大津が地名の由来と知って驚いた記憶がある

そして当駅は電化、非電化の境界駅となっていて豊肥本線は熊本から当駅までが電化、当駅以遠が非電化となっていて特急以外の列車は必ず乗り換えが発生する。つまりすべての普通列車は当駅が始終着となる

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大きく異なる運行本数

そして肥後大津の時刻表がこちら

一目瞭然で運行本数が全くことに気付く。赤文字は特急なので、それを引いて考えると熊本に向けた電化区間は昼間でも1時間に2~3本の運行があるのに対し、阿蘇から大分方面については、昼間は2時間以上、普通の運行がない時間帯がある

それ無理もない話で2駅先が立野駅

これから乗車する南阿蘇鉄道の分岐駅そして豊肥本線はここからスイッチバックで山岳地帯を行く。つまり人口の少ない場所に入っていくのだから、列車の運行が少なくなるのも自然な流れである。逆に言うと肥後大津駅前のにぎわいを見ると、2駅先がスイッチバックとはとても思えない

あらためて時刻表を目にしていただくと、私がこれから乗車する9時26分を逃すと次は11時48分。その間に特急も走っていて、こちらは立野にも停車するのだが、立野で南阿蘇鉄道に乗り継ごうとすると、そちらの運行がなく、11時48分に乗車するのと同じ結果となる。飛行機早着の恩恵は本当に大きかった

突然にぎわう車中

2023年7月の南阿蘇鉄道全線復旧によって肥後大津からの直通列車が設定された。朝に2往復。これは朝の通勤通学で熊本市内方面に向かう人の利便性を高めるもので、9時26分発とは随分遅いと思われるかもしれないが、南阿蘇鉄道の終点である高森駅を出発するのが8時25分で肥後大津着が9時8分の折り返し。通学の時間帯は終わっているが、午前中に熊本に向かうという点では寄与している

もっとも朝の行動のピークとなる時間帯は終わっているので下りとなる高森行きは発車まで10分を切っても車内はこの通り。全くの貸切だ。これは楽しく過ごせそうだと思っていたら、熊本からやって来た9時24分着という高森行きへの乗継ぎ電車が到着すると、車内はあっという間に満員状態に。乗車している間に分かったのだが、台湾からのお客さんで軽装ぶりを見ると熊本市内に宿があって、ここまでやって来たようだ。アテンダントがいるわけでもないのに、うまい具合によく乗継ぎができるものだと感心していたら隣に座った方がスマホで帰りの乗継ぎを調べている。もう20年ほど海外に行ったことはないが、妙に納得してしまった

とにかく車内はすし詰め状態で正面は人しか見えないし、身体をひねって車窓を見ることもかなわない。終点高森の手前である見晴台までこの状態で向かった

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復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~飛行機早着という5分の奇跡からスタート

※訪問は2025年8月26日

あきらめから一転

大阪空港の熊本行きに乗り込む。ご覧の通り、7時45分発

バスで飛行機の手前まで運ばれる形式。JALの場合、伊丹空港から地方に向かう便は結構この形式が多い。ただこの時点で私はため息まじりだった

飛行機を予約したのは2カ月も前の話だが、とりあえずは深夜零時からのタイムセールに参加し、朝一番の便を押さえたものの、これだと現地での乗継ぎが悪く目的である南阿蘇鉄道に乗車するために2時間もの待ちが出てしまう

その時間をどうやり過ごそうと思案していたら、なんと奇跡が起きた

時刻表では空港着が8時55分。9時発の空港ライナーに乗車できれば、肥後大津発9時26分の南阿蘇鉄道直通列車に乗車できるのだが、電車の乗継ぎ時間5分とはわけが違う。降機してから到着ロビーを抜けてバス乗り場まで行くには時間がかかるとそもそも飛行機には遅延がつきものなので完全にあきらめ、次の列車は11時48分なので待ち時間はどう過ごすかなどと考えていたら、なんと5分の早着。しかも飛行機は最前列の座席をたまたま確保できていたため、先頭で降りて9時のライナーに乗車できたのだ

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空港ライナーとアクセス線計画

何の説明もなく「空港ライナー」と書いてきたが、これは肥後大津駅と熊本空港を結ぶ無料のシャトル便

県が運用にあたっていて30分間隔で運行されている。ワゴンタイプで9人乗り。満員になった場合は追加のバスが来るそうだが、ちょっと待たなければならない。私は出発ギリギリで8人目として乗り込めた

こちらも説明が後になってしまうが、空港と肥後大津駅は至近距離にある

車で15分。熊本空港はかつては熊本市内にあったが、1971年(昭和46)に現地に移転した。肥後大津駅は1914年(大正3)開業と110年もの歴史を持つが、当駅についてJR九州が力を入れ始めたのは1999年(平成11)に熊本から当駅間の電化から。この区間内は学校が多く、熊本から肥後大津までは30~40分と通勤通学圏内。さらには九州新幹線の全線開業まで博多と熊本を結んでいた特急「有明」が当駅まで乗り入れるようになった。駅での「肥後大津行き」の案内や列車の方向幕で駅の存在を知った人が多かったのではないだろうか

ちなみに現在、肥後大津駅と空港の約7キロを結ぶアクセス鉄道の計画が進んでいてJR九州も乗り気になっているため、近いうちに具体化しそうである

発展する駅周辺

ライナーが到着するのは南口(写真は翌朝のもの)。もともとの大津の町は北口が中心で

こちらは木造駅舎が健在で(写真は2023年6月のもの)、JRの直営は北口。南口はビジターセンターで駅員さんはいるものの業務委託となっているようで、みどりの窓口は北口にある。私は旅名人きっぷを購入する必要があったため、北口に行かなければならないが、その旨を告げると通してくれた。駅には阿蘇くまもと空港のサブ駅名が付けられている

空港が近いということもあり、駅周辺にはビジネスホテルが多く進出している。宅地としても開発が進んでいて、訪問は3回目だが、来るたびにマンションとホテルが増えている印象だ。今日1日ではとても南阿蘇鉄道の全駅訪問は無理なので、当駅近くのホテルに宿泊の予定。夕方に戻ってきてホテルにチェックインしたが、朝から猛暑の中を歩き回ったため、夜に出かけることなく南口からすぐのイオンで酒と食材を購入して夕食とした

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私的に最後の「JR路線」に乗車する~来て良かった歩いて良かったの2日間

※訪問は2025年5月28日

最初から決めておけば

大行司駅にあった東峰村の案内図。大行司駅近くに自治体としての機能が集まっていることがよく分かる。宝珠山炭鉱で栄えた東峰村(当時は宝珠山村)だが、石炭を運ぶことが目的で戦前から工事が始まった日田彦山線は戦争により工事が中断。戦後に再開されたが、難工事のため全通は1960年(昭和35)。すでにエネルギーの主役は石油に移行しつつあり、その3年後に閉山となってしまった

それでも地域にとっては重要な足だったことには間違いない。村内にあった駅は筑前岩屋、大行司そして宝珠山の3駅。その区間がまるまるBRTの専用軌道となっていることは、何度か記した通りだが、大行司~宝珠山は結構近い

徒歩30分。グーグル地図によると高低差26メートルの下り坂だそうなので、比較的楽な徒歩移動だ。最初から専用軌道区間の駅すべてを訪ねるつもりなら、徒歩訪問はまずこちらを軸に考えていただろう。最初に立てた計画が終わってから、あらためて計画を練ったので1時間近く歩くことになってしまったが、そのおかげで雄大なめがね橋も見られたし、地元の方といろいろお話もできたので結果的には良かった

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1駅分の回収ならず

さて今回、2日にわたって日田彦山線BRT内にある旧鉄道駅を回ったのだが、実は1駅だけ行けなかった。豊前桝田駅だ。道の駅があった歓遊舎ひこさんと彦山の間にある駅でホームと待合所のみの駅だったという。BRTの停留所はかつての駅に近い県道上にあり、停留所の前を3回通り過ぎた車窓からホームは見えづらかった

実は訪問の道程だけは考えていて、筑前岩屋駅到着が10時39分なので、大行司まで1時間近く歩いても大行司発11時52分のBRTに乗車できる。その場合は12時21分に豊前桝田に到着。その場合は約40分の待機で13時1分の日田行きがやって来る-というもの

ただ地元の方といろいろお話したこともあって大行司到着は11時47分になっていた。出発まで5分もない。前回の記事でも記した通り、大行司の停留所は77段の階段を登った場所にあるので、写真だけ撮って急いで階段を登ればギリギリ間に合ったが、せっかく1時間近く歩いてたどり着けた駅である。新たに復元された駅の雰囲気も味わいたい

ということで12時8分の日田行きに乗ることにした。次の豊前桝田行きはちょっと待っていられない。今日は帰る日だし、博多からはすでに新幹線のきっぷを確保済み。乗り遅れた場合は乗車券部分も無効になるという3割引チケットなので絶対に乗り遅れるわけにはいかないので断念

そもそもてくてく歩いてお腹も減ったので、光岡駅近くのコンビニで買ったおにぎりをいただくことにした

旧鉄道駅にある工夫

今回日田彦山線BRTに乗車して気付いたことは「旧鉄道駅は特別待遇」ということだ。BRTはバスなので、乗降客のない停留所は通過する。それは当然のことだが、旧鉄道駅の停留所については必ず停車するのだ。豊前桝田や大鶴のような旧駅からやや離れた道路上にある停留所も同様だった

そして旧鉄道駅の停留所には必ず便利な電光ボードが設置されている

こちらは鉄道の駅ともなっている夜明駅のものだが。現在の運行状況を逐一知らせてくれるもの。バスなので多少の遅延はあるが、それも表示してくれるので利便性は高い

大鶴のような屋内ではない停留所にも設置されている

BRT化したことによって運行本数は増え、豪雨被害前よりも乗客も増えているという。定時運行や大量輸送という意味では鉄道に比べて劣るバスだが、細かく停留所を設けて病院や店舗、駅から離れた旧市街地に立ち寄ることも可能になったことは事実。何よりもJRの路線として運営、運行されている点が評価されるのではないだろうか

廃線が取り沙汰されたり、廃線が俎上に乗ったりしている路線は全国各地にあるが、過去に鉄道の廃線後に運行されるようになった代替バスの多くが結局廃線になっているケースは多い。新型のバスを投入した上でこれだけの設備が設けられているのなら、鉄路の廃線に寂しさは残るものの、地元の方々は安心だと思う。予定変更で細かく沿線を回れ良かったと思う2日間だった

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私的に最後の「JR路線」に乗車する~列車は来なくても歴史と思いを込め再建の駅舎からの長い階段

※訪問は2025年5月28日

高倉健さんにもゆかりの宝珠山村、東峰村の中心駅

あらためて大行司駅

かつての宝珠山村(現東峰村)の中心駅は宝珠山駅ではなく、ここ大行司駅。戦争が終わり日田彦山線(当時は彦山線)の工事が再開された1946年(昭和21)に宝珠山から1区間が延伸されて開業した。ただしそこから先が難工事だったこともあり、10年以上終着駅だった

宝珠山川と大肥川の合流地点を中心に大きな集落があり、自治体の機能が集まっている。かつては宝珠山炭鉱でも栄え、あの高倉健さんも父の仕事の関係で幼少期の一時期を当地で過ごしたという

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豪雨被害後の真新しい駅舎

日田彦山線BRT区間の各駅を伝えてきたが、近年に駅舎が建て直されたばかりのタイミングで2017年7月の豪雨被害に遭っていることが多い。ただ大行司駅も真新しい駅舎だが、こちらは豪雨被害の後に新築されている。2019年のこと。なぜかというと当駅は豪雨によって1946年(昭和21)の開業時からの駅舎が倒壊してしまった。それでも日田彦山線の復活に向けて話し合いが行われている最中ながら、地元負担で駅舎が新築された。長年代表駅として機能してきた駅に対する地元の熱意だった。以前の形を損なわないよう新築というより復元された形だ

駅名板の横に「四十一代 式守伊之助」と記されている。駅名にちなんで立行司の式守伊之助(当時)が揮毫した。新駅舎の完成は2019年12月のことで、落成式には式守伊之助や元横綱大乃国の芝田山親方も参加

当時の写真や他に揮毫したものが駅舎内に飾られている

相撲に関心があるかないかは別としても、ついつい見入ってしまう

駅舎内はまだ新築の木の香りが漂いそうなほどきれいだ。豪雨被害以前に駅舎は東峰村に譲渡されていたことも自治体による復元につながった

駅舎の内側には豪雨被害以前から使用されていた駅名標が設置されている

ホームへは長い階段を

さてふだんなら「駅舎のホーム側」と書くところを「駅舎の内側」と表現したのには理由がある

BRT乗り場へは階段を登る必要がある。77段と、なかなかの距離。これは鉄道時代と同じ。筑前岩屋駅から1時間近く歩いて汗びっしょりの私には最後の一仕事だが、ひとつ言えるのは1度登ってしまうと2度と降りる気力はなくないだろうということだ。BRT到着の5分ほど前に乗り場に行くことにした

階段の途中で振り返ると、なかなか急峻な階段である

鉄道時代のホームはそのまま残されている。2面2線とすれ違いのできる構造で、村の代表駅らしく彦山~夜明間では唯一、交換機能が残されていた

高台にあるホーム、現在のBRT停留所からは村が眺望できる。右の建物は小学校だったと思われる

こちらは停留所。最初に時刻表を見た時、当駅で8分間の待ち時間という上下線の交差があり、これはタイミングよくいけばうまく訪問できるかと思ったが、バスだけに遅れ気味になることが分かり、それを理由にやめた。まさかこんな階段があるなどとはその時は思ってもいなかった。予定時刻通りにバスが来ても、8分しか時間がないのでは、ちょっと無理だっただろう

日田行きのバスがやって来た。2台ワンセットのパターンのようだ。途中でいろいろ話し込んだおかげで、いろいろな思いと歴史が詰まった駅舎を観察する時間はそう多くはなかった。ただ予定を変更しても専用軌道中にある2駅を訪問できて本当に良かった、そう思える60分の徒歩旅だった

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私的に最後の「JR路線」に乗車する~道中のふれあいに感謝

※訪問は2025年5月28日

しばし話し込む

めがね橋の撮影をしていると、農作業中のご婦人から声をかけられた

「夕方だときれいだよ」

そこからしばらくお話の時間となった

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貴重な体験と貴重な話

前記事でも書いたし、過去に何度も記しているが、地方の幹線道路を歩いていると車はビュンビュン走り抜けていくが、人にはほとんど会わないというケースがほとんどだ。会うとしたら朝や夕方のワンちゃんの散歩。ワンちゃんに吠えられて「よしよし」と言ったり「男の子?女の子?何歳ですか?」という会話をすることはあるが、基本的に駅間徒歩の最中に会話ということは、ほぼないのである

それが今回は思わぬ展開。筑前岩屋駅からの道中での道案内に続いて道中2回目である。夕方の橋はきれいだが、2017年の豪雨被害の時は本当に大変だったという。避難所から戻ってくると田んぼは土砂で埋まり、どこから流れてきたか分からない流木が散乱。ほかにも当時のことをいろいろ聞いた。現在に至るまでのことも含め、いくらでも話はできそうだったが、私も時間内に大行司駅まで行かなければならない。この後、大行司駅まで歩くことを告げると「ずっと下り坂だから、すぐだよ」と手を振ってくれた

すぐといっても携帯アプリによると大行司駅までは徒歩40分。すぐという時間ではないが、たくましさが違う。ただ「ずっと下り」というのは予想通りというか、それを裏付けるありがたい情報だった

表現として適切かどうか分からないが、ダラダラと下り坂が続く。緩やかな下りなので歩くのには楽だが、逆コースを行くとギブアップしていただろう。もっともこの記事を書いている現在の気候だと最初から歩いてはいないけれど…

豊かな水をながめながら

すぐ先にめがね橋の解説があった。私が説明することもなくこれですべてが分かるが、竣工が1938年となっているものの、実際に橋梁として列車が走るようになったのは、戦争をはさんだずっと後のことになる

その先には棚田親水公園。夏場には川の水を利用したプールが開設されるようだ。昨日と今日、当地を訪れて感じるのは、やはり豊かな水量である

やがて別のめがね橋の解説と大行司駅まであと1・3キロの案内が出てきた。ゴールは近い。そして歩き始めて感じるのは東峰村の中に設置されているさまざまな解説板と案内板だ。紹介しないものもあったが実に細かく設置されている

さらに10分ほど歩くと左手に見える建物は確か車窓の大行司駅から見えるものだ。ゴールは近い

そして国道211号との合流地点。もうすぐそこがゴールである。交差点の名前は「宝珠山」。大きめの集落に入ってきた。かつての宝珠山駅村の中心部は宝珠山駅付近ではなく、ここ大行司駅付近。右手に行くと東峰村役場があり、左手に行くと大行司駅そして宝珠山駅へと至る

たどり着きました。大行司駅。といっても駅に着いてからも簡単にホームに行けないのが当駅ではあります

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私的に最後の「JR路線」に乗車する~60分かけての有意義な徒歩をしよう

※訪問は2025年5月28日

PCを見て助かった

筑前岩屋駅から大行司駅までは4・3キロ

徒歩で50分と指南された。大行司から次のBRTが出るのは約70分後。この日は初夏の陽気で最高気温は28度。時間はお昼前で1時間歩くのにはちょっと暑いが、まぁギリギリなんとかなるレベルだ

ただ今回については前夜にホテルでPCをチェックしたおかげで大いに助かったのだ

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1度に情報が得られる

最初に考えたのは筑前岩屋→大行司なのか大行司→筑前岩屋なのか、どちらを先に行くかの選択。どちらも見どころは多そうだ。念のために登り下りをチェックすると「ほぼ平坦」と出てきたので、スルーしようとしたが、その下にある高低差に目が行ってあらためて見直すと、高低差114メートルの表示。これって平坦とは言えないのでは、と大行司→筑前岩屋のルートを検索すると

同じコースなのに10分以上長くかかるではないか。これは明らかに上り坂ということだろう。平坦の概念、基準がどうなっているのかは分からないが、危ないところだった。そして今回は道程チェックをスマホでなくPCでやって良かった。PCの場合は大きい画面で複数の情報が1度に見られるのが利点である

いきなり農道行きを命じられる

筑前岩屋駅から県道52号に出て歩き始める。前記事で紹介した通り、越前岩屋から彦山にかけてはクネクネの悪路だが、越前岩屋から大行司にかけては良い道路だ。ただBRT化の際、東峰村内を鉄道路盤を生かした専用軌道にしなければ、おそらく越前岩屋駅付近は公共交通機関のない場所になっていただろう

ところが駅前の橋を渡って宝珠山川を渡って歩き始めるとすぐに工事中の案内。車は進んでいいが歩行者は不可という平素とは逆の指示で再び川の向こう岸へ向かうことを強制される。歩道不可といっても、これはいつもの地方道路あるあるで、歩く人なんてほとんどいないのに…とブツブツ言いながら歩き始めると

田んぼに張り出した農道を歩くことに。県道ははるか向こうになっていく。案内はなく、とてつもなく不安になったが、ちょうど田植えの季節だったようで、農地には作業中の方がチラホラ。「この道って、県道に行けるのですか?」と尋ねると「どうしたん?」。このような農道を見かけないよそものが歩くことなんて、まずないだろうから不思議がられたが、事情を話すと「道なりに行けば着くよ」と親切に教えてくれた。と同時に助かった

無事に県道へと復活してホッとひと安心

すると間もなく

お~っ、と声が出そうになった。日田彦山線の名所とされるめがね橋。これは車窓からは分からない光景。もちろん歩くと決めたからには、この景色もカウントしてあったが、実際に見ると大変な工事だったことがよく分かる。平素の駅間距離は、ただ目的だけのためにあることが大く、景色の有意義さを求めることがまずないので、歩いた甲斐があった。すっかり満足して写真を撮っていると、今度は話しかけられたのだ

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私的に最後の「JR路線」に乗車する~鉄路最後のピースは湧き水の駅

※訪問は2025年5月28日

いよいよメインイベント

10時39分、宝珠山から専用軌道に入ったBRTは越前岩屋駅に到着した。昨夜、急きょ予定を変更しての訪問は、結果として日田彦山線BRTのメインイベントとなる。夜明側からやって来て、宝珠山を越えたので、ここは福岡県。宝珠山駅でも触れたが、専用軌道区間は東峰村に属する

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難工事の末に開通

日田彦山線は、戦前のエネルギーの花形である石炭輸送という大役を担っていた。この東峰村にも宝珠山炭鉱があった。ただそのための鉄路は難工事だった

以前も同様の地図を掲載したが、彦山駅から真っ直ぐ結ばれているのは鉄路つまりBRT専用軌道。そして、この大部分は釈迦岳トンネルという4000メートル以上の隧道である。並行する県道のクネクネとした悪路。大回りコースとして国道211号があるが、建設当時はここを最短ルートのトンネルで結ぼうとした

専用軌道部分は戦時中に工事が中断。戦後再開されて間もなくの1946年(昭和21)に、現在の専用軌道となっている宝珠山~大行司の1区間が開通したものの、大行司から越前岩屋を経て彦山までつながったのは、それから10年も経った1956年。途中には工事現場での落盤事故も起きている。それほどの難工事だった。筑前岩屋駅の開業はその1956年。つまり小倉と日田を結ぶ最後のピースだったのだ

BRTの停留所にはJR型の駅名標が埋め込まれ、越前岩屋と大行司の間にある名所めがね橋が描かれている。長大トンネルとめがね橋、この2つの名所はBRT転換でも残された

ガラス張りの駅舎と名物

こちらはBRT停留所側から見た駅舎。駅舎については鉄道時代と同じものを使用している。2017年の豪雨被害でホームには土砂が流入。線路も押しつぶされ鉄道としての機能は失われてしまったが、1997年に新たに建て直された駅舎は無事だった。他の駅でも触れたが、改築後に豪雨に遭った駅舎が多い。

ガラス張りの立派な駅舎は多目的ホールとの合築

東峰村の案内パネルも設置されている

外見も立派だ。よくぞ災害にも残ってくれたと思う

そして当駅のもうひとつの名所というか名物が

駅に隣接する岩屋湧水。見た通りの湧き水だが、もともとは天然のものではない

私が語るまでもなく解説を見ていただこう。釈迦岳トンネルの工事の際に出るようになった湧き水はSL時代に給水用として使用されていたものを自治体が整備したもの

有料にはなっているが、張られている新聞記事によると

30リットル100円というから1リットルあたり3・3円。100円硬貨を入れると給水が始まり、一時停止ボタンを押して容器入れ替えもできるようだ

さて無事に越前岩屋駅訪問を終え、残るは大行司駅。次にやって来る夜明駅は12時ちょうど発で、1時間以上ある。その大行司までの距離は専用軌道で4・2キロ。ということは…その後の行動は一択である

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私的に最後の「JR路線」に乗車する~連続の駅名にひかれいったん日田市の郊外へ

※訪問は2025年5月28日

こちらも気になる途中駅

今山駅では20分ほどの滞在で再び夜明方面へと折り返すことに

今山到着は8時47分。次の添田行きは10時16分なので1時間半ほどの空きがある。最終的にはこの10時16分のバスで専用軌道区間へと向かうことになるのだが、ちょっと寄りたい駅があって9時8分の日田行きに乗車した

降りたのは光岡駅だ

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日田~夜明の間に

「てるおか」と読む。意外と難読だ。駅は久大本線の日田と夜明の間に位置する

地図で分かる通り、周辺は民家も多く場所的には日田市の郊外部分。久大本線と日田彦山線利用者数の分岐駅である夜明よりずっとにぎやかだ

もともとは光岡村。町村制施行の際に誕生した自治体で1940年(昭和15)に日田町などと合併して誕生した日田市の一部となった。福岡県側から伸びてきた久大本線は1932年に夜明まで延伸され、しばらく夜明が終着駅だったが、1934年に日田まで到達。その年のうちに全通となった。光岡駅の誕生もその年

日田彦山線は帳簿上の終点は夜明駅だったが、鉄道時代からすべての列車が日田まで乗り入れていたのは、これまで何度か記した通り。そのためBRTも日田まで乗り入れているが、途中にある光岡駅にももちろん立ち寄る。つまり久大本線の列車もBRTのバスも同時にやって来る。前日にここを通った時、高校生がかなり乗ってきた。列車とBRTを併用しているのだろう

ホームは島式の1面2線。側線にレールだけが残り、そこにある草むらはかつての貨物用スペースか

最初の写真の駅舎は2007年に新たに建てられたもの。それまでは開業以来の木造駅舎で、当初は駅舎ごとなくしてしまう予定だったが、日田市も費用を捻出して現在の姿となった。きれいなお手洗いも併設されている。厳密には入口に看板が掲げられている「すこやか光岡」という待合所で駅舎ではないようで

時刻表や運賃表も外に置かれていて「待合所」の中はいすが置かれているだけだが、BRTの電光案内はこちらに設置されている

この駅名標を見るために

わざわざこの駅までやって来たのは駅名標を見るためだといっても過言ではない

両隣から3駅が「夜明」「光岡」「日田」。夜が明けて光が出て日中に。なんとも素晴らしいではないか。光岡村は明治の成立時に新たに付けられた地名で「日当たりのよい岡」を意味するという。そこまで調べられなかったが、日田も夜明もそれ以前からあった地名で、そこまで考えて光岡村が誕生したのなら、実に素晴らしい発想だと言うしかない

当駅での滞在は約30分だったが、実はここで大きな目的があった

こちらはBRTの停留所と駅前の風景だが、歩いてすぐの大通りに出たところにミニストップがあるのだ。実は日田駅の周辺にはいくつかのコンビニはあるものの、駅からちょっと歩く場所ばかりで、駅からの距離という意味では光岡駅の方が近い。前日にBRTで通った時に気付いた。本日の予定では、この後、お昼を食べる場所はほとんどない(ただし時間はたっぷりある…笑)。例によってパンやおにぎりを買い込み駅に戻ると

バスがやって来た。本日のメインイベントに向かうおう

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私的に最後の「JR路線」に乗車する~ちょっと寄り道?いや、かなり寄り道

※訪問は2025年5月28日

「翌日もBRT」のきっかけをくれた駅

今山駅で下車。奥にはホーム跡が残され、鉄道公園のような風情になっている。前回の記事で専用軌道にある駅に行かないと日田彦山線BRTに乗りに来た意味がないと書いたが、ここも私に「降りてみたい」と思わせるに十分な駅だった。昨日は当駅を3回通過したが、その度に興味津々。それは駅の場所とバスの経路にある

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国道から約300メートル

今山駅は国道211号から、かなり離れた場所にある

大肥川を渡って約300メートル。歩くと5分はかかりそうだ

今山駅から国道方面を見る。白いガードレールがかろうじて見えるが、あそこが国道211号。そしてそこには地図にもある釘原という停留所がある。代行バス時代は、現在の釘原停留所が今山駅の停留所だった。というのも今山駅に至る道路があまりにも狭すぎるのと今山駅近辺が整っていなかったから。BRT転換後もこの道路は改修工事が施されている。大鶴駅では代行バス時代に駅前までバスが乗り入れていたのとは対照的。大鶴駅は国道からほど近く、今山駅は国道からあまりにも遠いのが理由と思われる

BRTはわざわざこの細い道路から今山駅までやって来る。そしてUターンして来た道をまた戻る。結構な寄り道だ

駅前ロータリーと立派に残るホームと駅名標

かつてのホームに隣接してロータリーが設けられ、停留所が設置されている。ロータリー上なので上り下りはなく同じ停留所を利用する

停留所に描かれているのは大肥川だとか

ホームが残り、駅名標も残る

サムネイルに使用したものとこちら、2つの駅名標がそのまま残されている。キロポストも残っている

ただこれだけの設備がそっくり残されているのには理由があって

周囲は農地で民家もほとんどない。だからかつての駅の空間もそのまま利用できる。民家は国道沿いの釘原停留所付近の方が多い

かつての駅のかたわらには休憩スペースが設けられ鉄道公園のようになっている。「ように」というか、もう列車はやって来ないのだから鉄道公園だ(ただしBRT区間の各駅は休止扱い)

国鉄時代はこのスペースに駅舎があったという

そのお隣には公民館があり

停留所の案内を見てありがたく使用させていただいた。到着は朝の9時前だったが、使えるようになっていた

今山駅は1937年(昭和12)の開業。夜明~宝珠山が彦山線として開業した際、途中駅として設置された。所在は夜明村で現在は日田市。国鉄時代は駅舎があり、貨物の扱いもあった記録が残るが2017年の豪雨被害時は単式ホームと待合所のみの構造となっていた

線路の路盤が残る

奥が旧ホーム、手前がBRT停留所。花壇が設けられきちんと手入れされている。そして想像はつくが、停留所の裏側はかつてレールがあった場所

その先にあるのは「JR九州」と示された路盤の跡

こうして見ると道路の狭さがよく分かる。鉄道時代の当駅の利用者数は豪雨被害前は1日に20人に満たなかったというが、それでもわざわざ川を渡ってBRTがやって来る姿には心打たれるものがあった

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私的に最後の「JR路線」に乗車する~思い直して翌朝も再びBRT乗車

※訪問は2025年5月28日

日田駅の「I」

日田彦山線BRTの完乗を果たした翌朝、私は日田駅へ(写真は前日のもの)

日田駅は初めてで、パッと見た瞬間「1文字足りない。誰だタチの悪いいたずらをしたのは?」と思ってしまった。そう思う人は多いのではないか

ただ、あまりにも堂々としているので調べてみると、写真を撮る際、ここに立ってもらい「あなたの愛(I)でHITAを完成させてもらいたい」という願いが込められているそうで大いに納得

日田市は「進撃の巨人」で知られる諫山創さんの出身地で駅周辺は進撃の巨人で大いに盛り上がっている

「日田は楽しめ!」そうですね。楽しんでいます。ただ私の楽しみ方は圧倒的少数だけど…

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悔いなき旅を!

ここで言われた「悔いなき旅を!」が夜にホテルで過ごしながら、とても気になった。今回の旅は3日間で大分空港に到着後に杵築駅で旅名人きっぷをゲットして日豊本線の未訪問駅を回収しながら行橋まで行き、平成筑豊鉄道田川線に少し乗った後、行橋まで戻って当地泊。翌日はあらためて田川線の駅を回収しつつ添田に向かい、日田彦山線BRTに乗車するとのものだった。日田で宿泊して最終日は博多からの新幹線を予約しているので旅名人きっぷの特性を生かして、かなり残っている西鉄の未乗区間に乗ろうという計画だった

彦山駅、宝珠山駅と、ここだけは行くと決めていた駅は訪問することができた。つまり予定はすべて完了したわけだが、前日に宝珠山駅から大鶴駅まで歩いたことで気が変わった

線路はなくなりBRTの停留所からも離れたところで存在し続ける大鶴駅には心打たれるものがあった。と同時にBRTの車窓からの高い橋の上を走る景色を思い起こすと専用軌道にある大行司、越前岩屋の2駅を回収せずして日田彦山線BRTでの訪問に悔いを残すに違いない、という疑問も出てきた。ただしBRTの本数と両駅の距離を考えると、やや逡巡があるのも事実

ふだんはあまり行わない駅情報をホテルの一室で始め、出た結論は「やはりこの2駅は絶対に行こう」というものだった

そして翌朝、私が立っていたのはアイキャッチ写真にもある日田駅前のBRT乗り場

8時15分のBRTに乗車する。随分とゆっくりだな、と思われるかもしれないが、始発が5時55分で次がこの時間というダイヤ。さすがに2時間以上の空白は空きすぎだ。ということでこの時間。乗客はというと私ともう一人、米国人と思われる方。ただインバウンズの方にありがちな巨大な荷物は持っておらず軽装だ。ホテルに荷物は置いてきたのか、それとも地元で暮らしている方なのかは分からない。そして揺られること約30分

今山駅に到着した

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