※訪問は2022年6月12日

※動画あり音声注意

豊橋駅の不思議な構造

豊橋駅の写真なら、いくらでもあると思っていたが意外と撮っていなかった。こちらは2019年6月30日のもの

豊橋駅は初めて来る人は面食らってしまう構造となっている。名古屋まで完全なライバル関係となる名鉄と改札を共有するどころか、名鉄のホームは飯田線と東海道本線に挟まれる形で存在する。三重県でも津や松阪、伊勢市でも改札の共有が行われているが、両社のホームは別で、厳密にはそれぞれが駅舎を所有していて、桑名のように自由通路を設けることで改札口も別にすることは可能だが、豊橋だけは永久に変えられそうもない

JRの構内の一角というか真ん中に名鉄のICリーダー(乗り換え用)やきっぷ売り場があったりするが、これも歴史の積み重ねのひとつ。なかなか飯田線を扱う機会がなく、お蔵入り気味になっていた平井信号場の紹介を番外編として取り上げることにする(訪問は2022年6月12日)

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かつては重要駅だった小坂井

豊橋から飯田線で3駅目。小坂井で下車

駅舎は平成になってから建て直されたもの。コンクリート構造の簡易的なもので無人駅。1日の利用者数(2022年)は787人。周辺は主に住宅街だが、近くにある名鉄の伊奈駅や東海道本線の西小坂井駅に比べると、両駅が名古屋から直通できることもあって少ない。ただ、かつては名鉄の乗り換え駅の時代もあり、また運行の重要駅でもあった

平井信号場へ

冒頭で豊橋駅のホームについて触れたが、小坂井に至るまでの飯田線の2駅である船町と下地のホームに立っていると名鉄の車両がやって来る。営業列車でお客さんも乗せている。あまり旅人が行く駅ではなく、日々利用している方にとっては日常の光景なので驚く方はほとんどいないが、初めて遭遇するとビックリするはずだ。そして名鉄の車両は普通もすべてこの両駅を通過するのだが、JRと名鉄が同じホームを走行するシーンは飯田線のひとつのハイライトともいえる

ではJRと名鉄は一体どこで分岐するのか。その分岐点が平井信号場。信号場というと山中の近寄りがたい場所にたたずむイメージがあるが、平井信号場は違う

10分もかからず歩けてしまう。通行量の多い道路で歩くには注意が必要なほどだ

信号場とは平井踏切。名鉄、JRともに複線区間となっていて、こちらは下り線(名古屋方面)の分岐地点。踏切の上で分岐するという見やすい構造

さっそく踏切が降りて列車が来るようだ

名鉄車両が来て

あっという間に通過

去っていった。右に行けば飯田線である

元々は民民協力事業

これまでの記事で何度も書いているが、飯田線は4社の私鉄が戦時買収で国鉄となったもの。この部分を「担当」したのは豊川鉄道という会社だったが、その後に名古屋から豊橋へと線路を伸ばしてきたのが愛知電気鉄道(現在の名鉄)である。当初は伊奈から小坂井へと敷設され、豊橋(当時の駅名は吉田)へと向かうには小坂井で乗り換える形をとっていたが、やがて直線で豊橋と結ばれるようになったのが1927年(昭和2)。豊橋へは豊川鉄道、愛電ともに単線だったが、この部分は両社で共有して利便性を向上させようということになって現在の形が出来上がった

現在のJRの線路を名鉄が走る形となったのは、戦時買収で豊川鉄道が飯田線という国鉄路線となったため。吉田駅は国鉄の駅名だった豊橋に変更されて同じ駅となったが、線路の共有だけは変えようがないので南側の部分は国鉄が、北側の部分は名鉄(1935年から名古屋鉄道)が所有することになり、JRになった今もライバル同士が同じ線路を共有するという形態が続く。グーグル地図では両線からの点線部分が重要で注目点である

今度はJRの車両がやって来て右側へと進路をとっていった

小坂井駅と伊奈駅を結んでいた名鉄の線路は名鉄が戦後、独自に豊川線を敷設したため廃止。分岐の操作を行っていた小坂井駅もCTC導入によって分岐をつかさどる役割を終えた

なおライバルが呉越同舟する形となっている豊橋駅だが、飯田線との線路共有のため名鉄は豊橋駅への乗り入れが毎時6本に制限されているジレンマを抱えているため、普通列車の多くは隣の伊奈駅で折り返すという形式をとっている

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