新茂原駅の駅名標

※訪問は2023年12月13日

冬至前の日の入りは早く

八積から茂原をやり過ごし新茂原に到着。お隣は本納で外房線の各駅訪問を始めた駅。本納で降りたのが8時20分で現時刻が16時20分なので、途中モバイルバッテリーの不調によりロスタイムはあったものの、8時間をかけて元の場所に戻ってきたことになる。冬至寸前なので、この時間帯で暗がりが始まっている。冬の東北や北海道にはあまり縁がない日常を送っているが、東京は住んでいたこともあるし、出張で来る機会も多かった。この季節になると関西と関東の日の入り時刻の違いをいつも感じていた

そんなこともあって本日最後の訪問駅。後は宿泊地の茂原へ行くだけ。外房線の各駅紹介をしていく中で上総一ノ宮を運行の重要拠点駅として何度も紹介してきたが、人口や産業を見ると重要駅は茂原である。昼間に上総一ノ宮以南から北上していくと上総一ノ宮を境に1時間に1本の列車が1時間に2本となり、そこに茂原折り返しの電車が加わって1時間に3本となる。基本形は普通が2本と京葉線直通の快速が1本(蘇我まで各駅停車)。もうひとつ総武本線から東京駅へと向かう快速があり、こちらは上総一ノ宮を出ると大網までは茂原のみの停車となるが、昼下がりは運行されていない

とにかく新茂原には1時間に3本の電車が停車するので訪問は容易である

工場線の歴史も

島式ホームの1面2線駅。茂原市は天然ガスの採取地、生産地としては世界屈指であり、戦前は軍事的にも重要な都市となっていた。ただ当駅は戦後の開業。1955年(昭和30)のことだった。戦後といっても当駅付近はまだSLが走っていて単線非電化の時代。駅は高まりつつある需要に応えたものだったが、やがては茂原に集約されていた天然ガス関連の貨物輸送が手一杯となり、茂原は旅客専用となり当駅が分岐となった

分岐というより線路の付け替えで、茂原駅から三井化学の工場へと向かっていた線路を新茂原駅の北側から分岐する形とした。地図では廃線跡は分からないが、工場の西側を流れる阿久川沿いに線路が走り、新茂原駅の北側で外房線と合流していた。だから新茂原駅そのものには工場線の名残はない。ちなみに三井化学の工場は戦時中は茂原海軍飛行場があった場所で、元々の茂原駅からの貨物線は飛行場へ向けた線路だった

首都圏防衛のための飛行場は突貫工事で建設され、戦時中の1942年からわずか3年間利用されただけだった。工場への新茂原からの専用線も1981年から利用が開始され、JR移管後も貨物輸送が行われたが、1996年(平成8)に廃止。こちらも15年だけの利用だった

駅舎に残る旧駅名標

駅舎は開業時からのもの

1日に2000人以上が利用する駅で有人の営業時間は16時30分まで。閉店ギリギリの訪問だった

そして当駅で価値あるものは

現在も駅舎に掲げられているホーローの駅名標。古い駅名標の保存はどのような基準があるのか私には分からないが、ホーローの駅名板はたまに見かけるものの、これだけ大きいホーロー駅名標は、なかなか出会えない。これを見るだけで十分に価値があると思う。なお以前のローマ字表記は「shin」で現在は「shim」である

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