水尻駅の駅名標

※訪問は2024年1月9日

開業は1999年(平成11)

平成以降において、わざわざ駅を新設置する理由のほとんどは沿線人口の増加だろう。他には通勤通学の利便性を向上させる、スタジアムやテーマパークなどのハコ物ができた、というのもあるが、基本的には利用者が多そうなので設置した、というベクトルは同じ。平成以降というのは、JR化後とほぼ同じ意味合いなので、民営化された後は、お金にならなさそうなことはあまりしないのがノーマルな考えだ(民営化直前に駆け込み開業した駅も存在するが)

呉線でも平成以降にいくつかの駅が開業した。すでに紹介した中では、テーマパークのためにできた呉ポートピア駅(1992年開業)が代表格だろう。こちらは駅の設置費用もテーマパーク持ち。また安芸長浜駅(1994年開業)は発電所への利便性を図るもの

まだ紹介していない駅は他に新広駅、かるが浜駅そして今回の水尻駅となるが、呉線で最も新しい駅は新広で2002年の開業、次が水尻とかるが浜で1999年の開業(2月の同日開業)。厳密に言うと、かるが浜は復活駅なので、水尻は2番目に新しい駅となるが、1日の利用者数(2021年)は26駅中25番目(三原と海田市をのぞく)の142人。最も少ないのが三原からひとつ目の須波の124人、下から3番目が大乗の184人なので、あわや最少利用者になりかねないところ。平成生まれとしては、なかなか異例ともいえるが、その異例さが駅そして呉線の特色をよく表しているのだ

狭い島式ホームに到着

小屋浦から、ひとつ広島方面へ戻る形で水尻に到着。狭い島式ホームでのお出迎えである

呉ポートピア、安芸長浜、新広と新駅は単式ホームとなっているのが特徴で、新駅らしく器用に駅を設けている。水尻も国道が迫る位置に器用に設けられているが、列車交換可能な複線構造となっているのが、特徴である

駅舎が当初からないのも特徴。つまり

・新駅ながら利用者は少ない

・駅舎はないが列車交換はできる構造

なのである

高まる需要に応える

呉線は1970年(昭和45)に電化されたが、今も単線だ。複線化の話は戦前からあり、特に戦時色が強まった1939年には軍都・呉への輸送力を強化しようと海田市~呉の複線化が決定。工事が開始され、新たな路盤やトンネルがいくつも造られたが、開戦後の資材不足もあって工事は中断して終戦。せっかくの新線は「未成線」のまま放置されていたが、電化の際に利用されることとなり、いくつかの区間で線路の付け替えが行われた。ただし旧来の路線は「廃線」となった

複線化が再び持ち上がったのはJR移管前夜あたりから。呉が広島のベッドタウンともなったことで輸送量が限界に達しつつあり、複線化が強く求められるようになったが、今度問題となったのは、お金。複線化に際しては数百億円が必要とされたが、交換設備を備えた新駅を設置すれば、数十億円で済むということになり、それで開業したのが水尻駅と復活のかるが浜。つまり新規開業でありながらも信号場の役割が強い駅だった

それでも駅は山と山の間にある小屋浦~坂の水尻地区に設置された。小さな集落ではあるが、利便性は大いに増した

食券型の自動券売機とICリーダーが設置されている

跨線橋からは山側にしか出られないが、すぐ踏切があるので国道つまり海側にはすぐに出られる

国道を渡ると人工砂浜の「ベイサイドビーチ坂」。夏場は海水浴でにぎわう。訪問時は1月で盛夏の様子は分からず、広大な駐車場を見ると多くの客は車利用と思われるが「海に近い駅」であることは間違いない

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