※訪問は2022年12月16日
絶滅危惧種になりつつあるセールス案内
浜金谷駅に到着。島式ホームに加え側線も残っているが、使用されていないもの。それでも両隣の保田、竹岡に比べると利用者は多い駅である
それを物語るように駅舎内には
みどりの窓口。飛び出す「みどりの窓口」。全国の駅で過去何度か紹介したが、当駅にもある
その傍らには
券売機の上に「定期券は浜金谷駅でお買い求め下さい」の文字。「○○への往復きっぷは当駅で」「新幹線のチケット買えます」などとともに、こちらも全国各地で見られたが、窓口そのものが激減した今は大幅に姿を消している
「帰りのきっぷはいかがですか?」
ちょっと前まで窓口できっぷを買うと、予定調和のようにこのように言われた。私は北東北の駅で大阪までのきっぷを買った際、このように言われたことがある
10年近く前、仕事で出かけた時だ。往路は飛行機で行った。とてもじゃないが、大阪から新幹線を乗り継いで行ける場所ではない。そもそも東北新幹線の駅まで2時間近くかかるので、新大阪を始発で出ても到着は15時ぐらいになりそうな駅だが、その時は帰りに東京で用事があったため陸路移動。途中下車扱いで大阪までの乗車券を買ったのだが、はたして1年に何枚の大阪行き乗車券が売れるのだろう、という地方都市の駅で言われたので、ちょっと驚いたと同時に、妙な安堵感があった
窓口が多かったころは駅同士の営業成績を競っていて、往復きっぷのセールスが普通だった。きっぷの発売日にいち早くチケットを確保する、いわゆる「10時打ち」も駅によってはやる気満々の駅員さんがいて「○月○日に行きますから」と事前に伝えて訪れたこともある
最西端ならではの港
これはちょっと意外に思う方も多いかもしれないが、浜金谷は千葉県最西端の駅である。都内から江戸川を渡って、すぐの市川から内房線をかなり走っていて市川の方が西にありそうな印象だが
房総半島の構造上、浜金谷の方が西にある。そんな地形上の有利さもあって、金谷は東京湾の航路の重要地だった
駅を降りると久里浜港へ向かうフェリー乗り場の案内があった。内房線が浜金谷まで到達したのは1916年(大正5)だが、久里浜への航路は1889年(明治22)と、かなり前。港の重要性もあって、まず金谷までの鉄路が急がれた。当駅は1年近く終着駅だった。当時は金谷村。今も駅の所在地は富津市金谷だが、港の名前が浜金谷だったので分かりやすく駅名も同じにしたのだろう(金谷港との呼び方もある)
人が集まる場所なので、観光地である鋸山(のこぎりやま)へのロープウェーもできた。交通の拠点でもあった
フェリーとロープウェーについては駅を降りると両乗り場へは分かりやすい案内がされている
鉄道が変え、アクアラインが変えた
東京湾の航路は輸送の花形だったが、内房線が開通して鉄路が充実したことにより徐々に衰退。浜金谷~久里浜が残るのみとなった。それでもわずか40分で両者を結ぶ航路としてピストン運航が栄えていた。ただ大きく影響を与えたのがアクアラインの開通そして料金の大幅値下げで、かつてのピストン運航は現在、閑散期の平日は約2時間に1本、週末や繁忙期で約1時間に1本となっている
写真の順番が最後になってしまったが、こらちは駅舎。開業時からのものだ。安房勝山駅でも触れた話になるが、こちらも保田駅とほぼ同じ構造。浜金谷から保田を経て安房勝山まで鉄路が到達したのは、浜金谷到達の翌年のことだが、こちらも同じ施工者によるものだろう
そんな交通拠点の浜金谷だが、みどりの窓口は今年の7月で営業を終了している。内房線の木更津以南は君津が昨年3月に、安房鴨川が今年1月に、館山が今年3月にそれぞれみどりの窓口が営業を終了。浜金谷が「最後の砦」だったが、これですべての駅でみどりの窓口がなくなったことになる
みどりの窓口が残っていた時期は、ある意味、貴重な訪問だったわけだが、船から鉄道そして車と、交通の役割の変化を象徴しているようにも感じさせられる
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