※訪問は2022年12月16日
思い出がつながる
館山から3駅木更津方面に戻って岩井で下車
駅舎は立派なもの
開業は1918年(大正7)。内房線は明治最後の年にして大正元年である1912年に蘇我~姉ヶ崎が開業した(開業は3月で明治)のを皮切りに徐々に鉄路を延ばしていき1925年(大正14)に安房鴨川まで到達。現在の内房線にあたる区間が全通となった。当駅は安房勝山~那古船形が開業した際、途中駅として設置された
現在の駅舎はJR移管後のもので1997年に竣工。観光案内所も入居している。イメージは南総里見八犬伝の舞台となった富山(とみさん)。2006年に南房総市が誕生するまで存在した富山町の駅。富山町はもちろん富山に由来するが、町名は「とみやま」である。富山町は1955年に岩井町と平群村が合併して誕生しているが、駅名はその岩井町に基づく。駅の周辺は富山町の中心部となっている
南総里見八犬伝といえば、私の世代だとNHKの人形劇「新八犬伝」である。原作とは時代など設定を変えているが、坂本九さんの黒子の語り役が印象的で、平日夕方の放送。小学生のころ、毎日見ていた。そこで初めて辻村ジュサブローさんの名前を初めて知る
今年2月に亡くなられた辻村さんだが、別の思い出があって、それは2018年2月のこと。廃線へカウントダウンとなった三江線に1区間のみ乗車することになり
尾関山で下車。廃線を前に3両編成の三江線は多くの人が乗っていたが、尾関山で降りたのは私のみ。ここから徒歩で三次駅を目指したのだが、下車したおかげで、かつての三次町の中心地が当駅付近だったことを知る
そして
辻村寿三郎人形館。恥ずかしながら辻村さんの故郷が三次ということも初めて知った。思い出というのは意外な形でつながるものだ
駅を降りると海水浴場と山
駅は有人だが10時過ぎから正午までの1~2時間のみで、それ以外は無人となる(訪問時の情報)。かつてはみどりの窓口もあったが、数年前に閉鎖された
駅を降りるとすぐ山と海。内房線の駅の多くに共通しているのは海水浴場が至近だということ。訪問時は12月で海水浴とは無縁の季節だったが、マイカーではなく鉄道で泳ぎにいくのがメインだった時代の名残が各所に残っていた
運行は1時間に1本
内房線は君津以南は単線となり、区間運行のある上総湊からは朝の通勤通学帯を過ぎると1時間に1本の運行。千葉方面へ最も運行が多いのが6時台というのも特徴で当駅から木更津まで約1時間、千葉までは約1時間半という距離に基づくものだと思われる。また朝の時間帯以外はすべての列車が木更津止まり。千葉、東京方面へは木更津または君津での乗り換えが必要となる
内房線の優等列車はかつては多くの特急が走っていたが、現在の定期列車としては平日の通勤時間に運行される「さざなみ」のみで、こちらは君津以南は走らない。逆に週末には臨時列車として「新宿さざなみ」が館山まで運行される。定期列車のさざなみは京葉線経由の東京行き、新宿さざなみは総武本線経由の新宿行き。岩井は新宿さざなみの停車駅である
ホームは島式1面2線。側線も残る