辰野駅

終日の沼にはまる~時刻表では1日7本?の駅

2022年10月23日11時30分

時刻表を開いて絶句

辰野駅訪問を終え、さて次はどうしようというこの時点でも、まだノープラン状態。ただ時刻表から行動は縛られています。辰野からは3方面の列車が出ていますが所持しているきっぷは飯田線には行けないわけで、中央本線旧線しかない。となると塩尻行きか岡谷行きに限られるわけで岡谷行きは11時48分、塩尻行きは12時43分。そりゃあ早い方に乗ります。そして私は岡谷と辰野の間にポツンと1駅だけある川岸という駅に大いに興味を持っていました。優等列車の停車駅に挟まれた、たったひとつの駅はどんなものだろう?というものです

実は最初に時刻表を広げた時に絶句したのです。この川岸駅、停車する列車が1日で下り7本、上り8本しかない。なんだこれは

しかしよく見ると違うのです。私が持っているのは交通新聞社のコンパス時刻表ですが、岡谷始発、終着の飯田線列車は飯田線のページに記されているのです。時刻表をよく見る人は分かると思いますが中央本線の欄外ページにしっかり「岡谷~辰野間は飯田線のページと併せてご覧ください」と書かれている。中央本線の路線でありながら飯田線のページの方に記されている列車が圧倒的に多いのは、この区間の特性を表しています

ホームで待っていると乗務員の方がやってきました。私が乗車したのは上諏訪まで乗り入れる電車でしたが、たった2区間、10キロにも満たない距離ですが、JR東海とJR東日本で、しっかり交代するようです

ワクワクしながら下車

ということで川岸に到着。飯田始発の電車。当然ですがJR東海の車両です。ワンマンにはない、この出発シーン。いつ見てもいいですね

駅に残るのは旧式の駅名標。字体はもちろん、両隣の駅をきっちり端に寄せているのがいい

1面2線のホームから見た駅舎の風情も期待にたがわぬもの。ワクワク感が大きくなります

そして跨線橋

おおっ、そう来ますか

勝手に「スタンプ駅名標」と名付けていますが、高山本線の笹津駅の訪問記でも紹介した写真です。笹津駅は危ない感じですが、こちらはしっかりと残りそうな気がします

来て良かったと思わせる駅

川岸は以前の自治体名で川岸村が戦後、岡谷市に編入されています。当駅の設置は大正期で明治期に中央本線が敷設された後、新たに設置。川岸村に対する駅だったのでしょう。まさに天竜川の川岸で住居表示は駅がある方が川岸東、川の向こうが川岸西。町は川の西側に広がっていて線路がある側は道路と中央道があるだけで、あまり何もありません。ただ川岸村の中心で旧村役場などがある町は、もう少し岡谷寄りの場所。なぜそこに近い所に駅を設置しなかったのかは分かりませんが、駅を造るスペースがほど良かったのか、よくある話で駅間距離が短くなるからかもしれません。ちなみに当駅と辰野は6キロ、岡谷までは3・5キロと現状でもかなり偏っています

駅舎は

基本的には開業時のものだそうで、屋根の色に合わせた緑色の「川岸駅」の文字が映えます

入口の駅名板にも風格があります

その一方でかわいいポストがあり

50周年に設置されたものでしょうか、駅の記念碑があって、その下には

国鉄とD51のプレートが埋め込まれていました

古い駅舎ならではの悩みもあるようです

ホームの待合室は新しいもので、こちらは冬場も大丈夫

訪問時は秋の穏やかな日でしたが天竜川沿いにあるため、集落は過去には何度も被害に遭っているそうです。その度に復旧してきました

来て良かったと思わせるに十分な駅でした

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終日の沼にはまる~見どころの多い辰野駅

JR東日本とJR東海の分岐を示す辰野駅の駅名標

2022年10月23日11時

かつての要衝駅

辰野駅には広い構内が残ります。

ホームは2面3線プラス0番線の形式。その向こうに貨物用の側線が広がっていますが現在、貨物の定期運行はないようです

切り欠きホームの0番線は構造的に飯田線方面にしか進めないので飯田線専用ですが、帳簿上は飯田線の終点駅で、なおかつJR東海とJR東日本の境界駅でありながら、当駅が終着となるのは最終の1本だけ、始発となるのも早朝の始発1本だけで他はすべて岡谷まで運行されるため、1日1本だけが出発するホームとなっています

跨線橋の0番線案内。旧線経由で塩尻方面からやってくる電車は6時32分に辰野着。0番線は駅舎から平面で入れるため、外から来る人は跨線橋を利用しません。つまり1日1回だけ利用される階段ということになります

手元に鉄道全盛期の余韻が残る1968年(昭和43)10月号の時刻表復刻版がありますが、当時はもちろん飯田線の列車はほとんどが辰野発でした。中央本線はすべて辰野経由だったのですから、ここで乗り換えとなります。前記事でも触れましたが、中央本線が辰野を通ったからこそ飯田線(当初は私鉄)が敷設されたといえます

話はそれますが当時は飯田線を走る急行も多く設定されていて現在の特急の原点ともなっている急行「伊那」の姿もあります。うち1本は上諏訪を14時16分に出て辰野発が14時44分。豊橋経由で名古屋まで運行され、終点の名古屋着が20時44分。それで終わりかと思いきや、ここから普通電車へと変わり、米原着が22時18分で、ここが本当の終点となっています。こういうのを眺めていると、あっという間に時間が経ってしまいます

ただ1983年の新線開通がした後、現在は岡谷始発の飯田線から中央本線旧線に乗り換える駅だという性格が強くなっています。優等列車の発着も定時ではありません

印象的な駅ビル

駅の外に出ます

立派な駅ビルとなっています。新線開通時に建てられました。当駅が中央本線のメインルートから外れることの対価として造られたという記録が残っています。いろいろなテナントが入っていたそうですが、現在は残念ながらすべて撤退しているようです

辰野駅はもちろん辰野町の中心駅ですが、川に阻まれたのか元々の町の中心部から少し離れたところに設置されています。町の中心部にはどちらかというと飯田線の宮木が近いようで、単式ホームと待合所だけの駅でありながら、付近に学校もあるため利用者数は辰野より宮木が勝っています

数年前まで管理駅だった辰野も現在は大幅に機能が縮小されています。駅員さんはいますが業務委託でみどりの窓口もなくなりました

それでも複数ある駅名板が楽しませてくれます

駅舎の中に外にと複数存在します

駅の規模を考えると、こういうのってあまりありません

駅舎の出入り口でヒラヒラしているものは何かと見たら野鳥対策だそうです

駅前の通り。昔からの空気が残っています

神戸市の会社でありながら意外と神戸の自販機で見かけないUCCのミルクコーヒーを買ってしまいました

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終日の沼にはまる~上りと下りが交差する辰野駅

辰野駅の観光式駅名標

2022年10月23日10時50分

両社の車両が並ぶ

岡谷から約10分で辰野に到着しました。私が乗ってきたのは左側のJR東海車両。このまま飯田線に入り中部天竜が終点です。右は旧線を塩尻へと向かうJR東日本車両。旧線は本数は多くはありません。昼間は1時間半に1本程度の運行。一応、接続が考慮されているようです

塩尻でも見た感じの駅名標。緑がJR東日本でオレンジがJR東海。川岸は岡谷方面で信濃川島は塩尻方面、宮木が中部天竜(豊橋)方面

ここに至る道中で時刻表をパラパラとめくっているうち、自分の中で上りと下りの感覚がおかしくなっていることに気付きました

大回りにも意義はあった?

塩尻~岡谷間を路線図で見ると、こんな感じです

右の新宿方面からやって来た線路は現在、岡谷から真っ直ぐ塩尻へと向かいます。途中にはみどり湖という駅が1駅だけある。ですが40年前までは辰野経由で向かっていました

今見ると「なんちゅー遠回りをしとるんや」と思うかもしれませんが、以前は普通の感覚でした。私も新線がないころに乗ったことがありますが別に何とも思わなかった。しかし客観的に地図を見ると明らかにおかしいですよね

これにはいろいろな説があり、ひとつは政治的圧力、もうひとつは単なる技術の問題です

明治時代に中央本線が敷設される際、現在の路線を行くか、今の飯田線がたどっているコースを行くかで激しい争いが繰り広げられた末、現行路線となりましたが、伊藤大八という飯田出身の政治家が「できるだけこちらも通せ」と命じて辰野回りになったいう説です。確かに地図を見るとわざわざ塩尻まで行ってからUターンするようになっている

技術的な問題とは岡谷~塩尻間の峠を通れなかったというもの。諏訪盆地と松本盆地の間にある塩尻峠は古くから交通の難所とされ、とてもじゃないが蒸気機関車では登れない。現在、ここは6キロものトンネルでつながれていますが、明治の技術ではトンネルを掘るのは無理。現に戦後でも8年もかけてトンネル工事が行われています

私的には後者のような気がしますが、平面的な地図を見た感じだと説得力があるのは前者で、また話としておもしろというか伝説時になりやすいですね

ただ辰野回りになったからこそ現在の飯田線が敷設されることにもなったわけで、その意味では意義があった遠回りになったことも事実です

紙の時刻表のおもしろさ

そんな経緯もあってこの区間では上りと下りが交錯しています

東京に向かうコースが上り、もっと広義にして平べったくすると田舎から都会へ向かうのが上り、というイメージがあり、確かにそれは正しいのですが、感覚的にあてはまらないケースもあります。例えば三重県の亀山からグルリと紀伊半島を回って和歌山へと至る紀勢本線。和歌山から大阪府内へは阪和線で結ばれ、両方を通る特急も運行されていますが正式に言うと和歌山までが下りで和歌山から大阪は上りです。起点から終点に向かうのが下りで終点から起点に向かうのが上りというルールがあるからです。阪和線は後から国鉄になったという歴史的経緯もあるのですが、天王寺を起点に和歌山と結ばれ、紀勢本線は亀山を起点に和歌山市まで結ばれるので、このようになりました。ですから時刻表は普通、下りページがあって次に上りページとなるのですが、この区間については上りが先に書かれていたりします。

北陸本線も途中で変更があり金沢が起点で米原が終点というのが正式ですが、冊子の時刻表では肌感覚に合わないとされたのか、昔からそうなっているという意味なのか、上りと下りは昔式となっています

話を戻して中央本線ですが、私が来たコースは塩尻から岡谷経由での辰野行き。塩尻から岡谷にかけてはもちん上りですが、岡谷から辰野にかけては下りとなります。線路上は同じコースを引き返しているわけではないのにそうなります

また飯田線は豊橋が起点で辰野が終点ですから辰野から豊橋へと向かう列車は、上りとなるのですがほとんどの列車が岡谷始発なので岡谷から辰野は中央本線の下りを走り、同じ列車が飯田線の上り列車となる運行です。時刻表では飯田線については岡谷→豊橋が上り、豊橋→岡谷が下りのページとひとつになっていますが、そのため、おもしろいことに途中の川岸については中央本線と飯田線で同方向の列車が上りと下り、それぞれのページで別になっています

ちょっと長くなってしまいました。これから辰野駅のウォッチングとなります

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