※訪問は2024年6月15日
読みは「そうり」
大間々を過ぎると急に山深くなるわたらせ渓谷鐵道。大間々からググッと栃木県との県境まで乗車。沢入駅で下車する。「沢入」と書いて「そうり」と読む意表を突かれる難読駅。かつては東村にあったが平成の大合併で現在はみどり市
渡良瀬川を渡ったところに駅があり、川を挟んで集落が広がる
開業は1912年(大正元年)。現在の駅舎は三セク転換後に改築されたもの。三セク転換後、もうひとつ改められたことがある。開業から80年近く、当駅は「そおり」駅だった。地名は「そうり」だが最初に付けられた駅名が足尾鉄道→国鉄→JRとずっと維持されていた。地名と駅名の読みが微妙に異なる例は各地にあるが、JRだと日本中にある駅の、たった1駅の名前を変更するだけで、いろいろ面倒なことが起きるので、そのままというケースが多い。当駅も同様の扱いだったが、JRから切り離されたことで地名と同じ読みとなった
群馬県と栃木県の3自治体を通る
わたらせ渓谷鐵道は全長が44・1キロ。群馬県の桐生駅から栃木県の間藤駅までを結ぶ。平成の大合併があったおかげで通過自治体は群馬県の桐生市、みどり市、栃木県の日光市の3つしかない(ただし地形の関係で桐生市から出た列車はみどり市に入った後に再び桐生市に入り、またみどり市に戻るという形となっている)
多くの説明は必要ないだろうが、元は国鉄そしてJRの足尾線。足尾銅山の鉱山を運ぶために足尾鉄道という私鉄が1911年(明治44)から徐々に線路を延ばし1914年に全通させた。ただ鉱山は国策として重要ということで、わずか4年後に国有化された
足尾銅山については全盛期は国内の3~4割を占める全国一の銅産出地だった一方、日本で初めてとされる公害の地としても有名。足尾線も多くの鉱山物資を運搬する路線として活躍したが、やがて銅は掘り尽くされ銅山は1973年(昭和48)に閉山。その後も精錬事業は続けられたが、徐々に事業は縮小。足尾線も1984年に廃線対象となる第2次特定地方交通線の指定を受け、1987年に一度JRとなったものの1989年(平成元年)に第三セクターわたらせ渓谷鉄道となった。と同時に貨物輸送は完全に廃止。現在は地元の旅客輸送だけでなく観光輸送にも力を入れる路線となった。愛称、通称は「わ鐵」で沿線の各駅でもこの表記はよく目にする
郵便局と一体
話を沢入駅に戻そう
当駅には郵便局が入居している
訪問が週末だったこともあり、郵便局はお休み。過去何度か郵便局が入居している駅を紹介したが、こちらもあくまで入居しているだけで駅業務は行わない
駅舎は後らしいものだがプラットホームと待合室は登録有形文化財となっている。なぜか列車とかぶり、待合室単独の写真を見つけられなかった
ここからもう一度桐生方面へと戻る。時刻は12時半を回った。お昼の時間となっている。となると向かうは「あの駅」だろう
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