中島駅

大都会に残る未成線跡~南方貨物線その3

あおなみ線の中島駅を降りるとすぐに怪しい形の構造物

2022年9月26日12時30分

3カ月の空白を経て

前回の訪問から3カ月後。あおなみ線の中島駅にいました

ホームから名古屋貨物ターミナル駅の建物が見えます。そもそもが貨物線だったあおなみ線ですが名古屋駅から、ともにやって来た貨物専用線はここで唐突な感じで終わっています

前記事までで説明した笠寺からの貨物線はここにつながる予定でした。夏場はの暑さは未成線訪問には全く適していない。涼しさも増してきた9月の終わりに今回は「終点」となるはずだった中島から歩いていきたいと思っています

さて前夜は名古屋に宿泊していたにもかかわらず、駅への到着時間が12時半という遅い時間になった(名古屋~中島の所要時間は10分)のには理由があって、朝は

のんびりリニア館を訪れていたから。当然、開館時間に合わせるので早朝というわけにはいきません。まさに「のんびり」と満喫していました。この行動が後に大いに後悔することになります

話を戻します

駅を降りた地図で付近のチェック。当駅はバス路線も多いので先に予習しようというわけです。地図は南北が逆(北が下)になっていますが、自分の向かう方向を見るにはわかりやすい。あおなみ線以外にニョロニョロと描かれているのが貨物線。駅の北側で終わっている感じがよく分かると思います

ターミナル駅は先に完成

南方貨物線が目指したターミナル駅は1980年10月に開業。1967年に工事が開始された貨物線は1972年には全通・開業する予定だったので、これでも随分遅れていますが、それでも駅だけが先行開業。名古屋から西側からの貨物列車はスムーズに入れるようになりました。しかし東側からの列車は名古屋からずっと東海道本線を西に行った稲沢駅(もう名古屋市ではない)でスイッチバックを行う不便な運行が続くことになります。機関車がけん引する貨物列車は単純に方向を変えることができません。「機回し」という機関車は先頭に付け替える作業が必要となるからです

この作業は現在も続けられていて、東側から来た貨物列車は名古屋駅を2度通ることになります。名古屋駅にいると「名古屋は随分と貨物運行がにぎやかだな」と感じるのは、そのため。その煩雑な作業を解消するのが南方貨物線の目的でもありました

中島駅からあおなみ線沿いに南側へ歩いていくと

さっそく不自然な構造物

不自然な空き地

こちらも

このあたりも

そして会社の建物や事務所もあります

高架はあおなみ線。看板を見ると、会社はいずれもJR東海関連のようです。南方貨物線の用地はJR東海に引き継がれました。現役路線の高架下での営業というのは限られますよね

建物の構造を見ると、このあたりであおなみ線と別れて左側に向かうようです。その先は森のようなものが見えます。歩き始めて、まだ10分ほどです

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大都会に残る未成線跡~南方貨物線その1

笠寺駅から歩くと最初に未成線と会う

2022年6月12日11時30分

完成間近の高架脚?

東海道本線の笠寺駅

こちらは駅名標ですが

音楽やスポーツイベントが行われる日本ガイシスポーツプラザの最寄り駅として有名です。駅の写真は昨年11月のものですが

駅直結でとても便利。このようにイベント告知もあり、快速の臨時停車も行われて多くの人でにぎわいます

当駅はJR貨物、名古屋臨海鉄道の貨物駅としての顔を持ち、多くの側線を持っています。6月でしたが、まだそれほど暑くはない日でした。鉄オタはガイシホール方面には、ほとんど興味を示さず、側線の端はどうなっているかを確認するため、側線に沿ってトボトボと歩きます

すると

側線の切れ目となる道路を挟んだ先に建設中とも思える橋脚が見えてきました

実際には東口から出て線路沿いを歩いてから踏切を渡っているので、徒歩時間は10分ほどですが、側線の端までにしてはかなりの距離と時間で規模の大きさが分かります

しかし、これは建設中のものではありません。「南方貨物線」という未成線跡です

ほぼ完成も列車は走らず

南方貨物線は旅客、貨物ともに好調だった昭和30年代の国鉄黄金時代の香りがまだ残る中、東海道新幹線が開業した少し後の1967年(昭和42)に工事が始まりました。名古屋駅を貨物と旅客の両列車が走ることで名古屋駅は満員状態となって、これ以上需要に応えられないということで、名古屋の南側に新たに貨物駅を設けて貨物列車は名古屋駅を通らないようにしようという計画

言われてみると東京駅や大阪駅に貨物列車はやって来ません。両駅を通らないよう専用貨物線が設けられているからです。名古屋も同様の構造にしようとしたのは自然な流れで計画そのものはかなり前からありましたが、先に新幹線計画と建設が始まったため、一度貨物線計画は凍結。新幹線開業によって東海道本線の優等列車はかなりそちらに振り分けられましたが、結局はゴーサインが出ました

専用線は武豊線との結点となる大府からスタート。笠寺までは既存の東海道本線を複々線とし、笠寺から新貨物駅までは新たに新線を建設するというものでした。複々線計画については東海道線の車窓で確認できます。明らかに複々線の用地と思われる不自然な空白があるからです

笠寺からは貨物新駅の間に建設される新線となります

ただ結論としては施設は国鉄時代にほぼ完成したものの、実際に列車は一度も走ることなく未成線に終わりました。貨物新駅は設けられて運用が開始されたものの(もちろん今も現役です)、そこに至る短絡線は未成線となりました。大都会でほぼ完成しながらの未成線というのは、かなり珍しいですが、35年が経過しても遺構は多く残っていて、中には街の風景に溶け込んでいるものもあります

その遺構見学を昨年の6月、9月、11月と3回に分けて行いました。実際に歩いたルートは微妙に異なりますが、大体こんな感じです

なぜ3回も足を運ぶことになったのかというと、他にやることがあったり、暑くてヘタレたりとかなのですが、比較的お手軽に行けるのは大都会の未成線ならでは

次回から順番に紹介していきます

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