青春18きっぷ

永遠の未成線・名松線を全駅訪問~山中にポツンと一駅

伊勢鎌倉駅の駅名標

2023年3月15日

寸前で勘違いに気付く危機一髪

駅前のバス停で待ちます。この日わずか1回のバス利用ですが、訪問日を水曜日に設定したことの意義は、この一本のためにあります。コミュニティバスに乗車するのですが、ご覧の通り、月水金と週に3回のみの運行しかありません。このバスは伊勢奥津、比津、伊勢八知、伊勢鎌倉、伊勢竹原そして家城と名松線の家城~伊勢奥津の各駅に立ち寄ります。駅訪問者としては、大変有意義なものなのですが、比津駅の項でも記したように列車との接続があまりにも良すぎて、なかなか利用しにくい。ただ写真の時刻表にある14時49分発のバスについては伊勢鎌倉駅で20分ほど過ごすことができます

そんなことを考えながら手元のメモを見ると、時間が微妙に違うことに気付きます。バスや徒歩を絡める駅訪問の場合、間違いのないよう必ず用紙にメモ書きするようにしているのですが、発車時刻は14時50分と自分で書いています。10分違いや1時間の間違いはメモ書きする際、よくあることですが、49分と50分を書き間違うのは、ちょっと考えられない

疑問に思い、時刻表の下にある路線図を見ると、伊勢竹原駅前の停留所は美杉東ルートにあり、伊勢鎌倉駅へ向かう美杉西ルートのバスはここからは出ない。ひとつ手前の「竹原」という停留所で東西ルートが分岐しているようで、メモにも「竹原」と書かれていました

時刻は14時45分。大変マズい。大いに焦りましたが乗り場は徒歩3分ほどの所でホッと一安心

停留所があったのは防災センターという建物。広い駐車場があって特産品売り場も併設。現地のバスターミナルとしての役割も果たしているようです。伊勢竹原駅前には自販機がなくて困ったのですが、こちらにありました。駅にはないお手洗いもあります

こちらは間違いないよう。駅からだと線路沿いに100メートルほど歩いた場所にあります。ここから雲出川をはさんで2つのルートに分かれて伊勢奥津駅を目指すようです

バスがやってきました。ギリギリで気付いて良かった

竹原14時50分→バス→伊勢鎌倉駅前15時02分

バスはさらに山中を進み、山深い道路に設置された停留所に到着

県道から中に少し入り込んだ所に駅はありました。もう半月もすれば、桜がきれいにホームを彩るのでしょう

駅から道路側を見ると、こんな感じ。奥は突き当たり。駅前通りの左右に1軒ずつ民家がありますが、人の気配はありません。一部は朽ちたりしている

何もないところにあえて設置

駅周辺の地図を改めて見ると

地図に書き込むことがないぐらい何もない。そして伊勢竹原駅の項でも説明した県道15号は駅の手前でトンネルをくぐっている。おそらく道路改良によってトンネルができたのでしょうが、県道にもパスされる駅となっています

それでも当駅は1935年の家城~伊勢奥津開業時に八知村の熱心な働きかけによってできた駅。なぜ、このような不便な所にあるかというと地形を見ればなんとなく分かる

駅は雲出川が蛇行する場所に設置され、名松線はこの前後で2度川を渡ります。駅に近い徒歩10分ほどの集落は、線路から見ると川を渡った向こう側にあり、同じ側に設置するには、この場所しかなかったのだと思われます

単式ホームと待合所のみ。かつては駅舎があった記録は残りますが、その痕跡らしきものはありません

ホームの向こう側は農地そして川。高台にあるため景色はいいですが、住宅らしきものは何もありません。桜の季節でも新緑の季節でも、紅葉、降雪の季節でもない時期に来てしまいましたが、四季の移り変わりはよく分かりそう

「いつまでも愛し育てよう名松線」

松阪行きがやってきました

ホームには私一人。最後の訪問駅となる井関へと向かいます

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永遠の未成線・名松線を全駅訪問~原風景の駅とオサルさん

伊勢竹原駅の駅名標

2023年3月15日

伊勢川口13時39分→伊勢竹原14時06分

再び家城をまたいで山中に入ってきました。何度も繰り返していますが、名松線は家城を境に雰囲気が一変します。家城からたった1駅で周辺は山に囲まれます。そして

素晴らしい木造駅舎が残る伊勢竹原駅

財産票によると1935年12月。開業時の駅舎がそのまま

駅名も右から左に書かれている。これだけでグッときてしまいます。駅舎そのものが少ない名松線ですが開業時からの駅舎は家城とこちらだけです(一志は駅の場所が変わって駅名変更された際に建てられたもの)

周辺も懐かしい景色が連なる

かつては貨物の取り扱いもあり、ヤードが残ります。おそらく材木輸送でしょう

到着時の写真で側線が写っていますが、こちらはすれ違い用のレール跡ではなく、単式ホーム+貨物側線で開業時から列車交換の設備はなかったようです

駅前は、そのまま映画の一場面になりそうな風景

地図にある県道15号と雲出川(くもずがわ)は名松線の「お友達」。県道は久居美杉線と言って、名松線の存続理由となった「道路状況困難」から徐々に改良され、まだ細い部分は残りますが伊勢奥津までつながっています。雲出川は奈良県の県境付近の源流から伊勢湾へと向かい、それぞれ県道は伊勢奥津から一志あたりまで、雲出川は伊勢大井あたりまでずっと寄り添います。特に雲出川については渓谷を生かした川沿いにレールが敷かれたことがよく分かる

ちなみに、県道と川はこの日の私にもお友達(笑)。駅間徒歩の間は多くの時間を共有しました

駅前広場の突き当たりでバスの時刻を確認。結局、この日1回だけの利用となるバスです

駅の方向を振り返ってみると、駅に最も近い民家は、かつて駅前旅館だったような雰囲気でした

予期せぬ来客

バスの待ち時間が40分ほどあるため、貴重な駅舎でランチタイムとすることに

国鉄末期の1986年まで有人駅として頑張っていた伊勢竹原。木造で統一された駅舎の中で窓口のみシャッターとなっていることが、それを証明しています

現在の利用者は1日に十数人のようで、私の訪問時は「貸切」。ランチといっても上ノ庄駅近くのコンビニで購入したおにぎりです。ムシャムシャ食べ始めると何か目の前を横切った。というか、一度立ち止まってこちらがのぞかれたような感覚がある

オサルさん!

目があってしまった。比津駅付近で見た鹿については、まぁいるだろうな、という感覚でしたが、サルがいるとの情報は知らなかったのでビックリしてしまいました。しかもちょうどおにぎりを手に立ち上がった状態。「強盗」に遭ったらどうしよう。正直ビビッた。入口の木戸は閉まるのか、などと身構えると

どうやら目的は別にあったようで、ひとつを手にして素早く去っていきました。ホッと一安心

とはいえUターンされるとマズいので、猛烈なスピードでおにぎりを食べ、ゴミごとバッグにしまい込みました。思わぬ珍客でしたが、ずっとここに住んでいる向こうにとっては私の方が予期せぬ来客だったのかもしれません

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永遠の未成線・名松線を全駅訪問~かつてのターミナル駅には述語なしの札

伊勢川口駅の駅名標

2023年3月15日

伊勢大井12時35分→徒歩→伊勢川口13時10分

伊勢大井駅を県道側から見ると、このような感じ。車の窓からはよく見えるに違いない。「違いない」と書いたのは、ここから再び徒歩が待っているからです。お隣の伊勢川口までは線路で2・8キロ。ただし若干の回り道が生じるので、上ノ庄~権現前の2・8キロとは事情が異なります

一度、名松線とクロスして歩かなければなりません。そして今回の各駅訪問で知ったのですが、グーグル地図というのは徒歩コースを選択すると歩道がない幹線道路はできるだけ避けて案内するようになっているようです。こちらの地図もそうなっていますが、当然県道をひたすら進みます

妙な妄想にも取り憑かれ

伊勢川口発13時39分の伊勢奥津行きに乗車予定なので時間には余裕があります。しかし時間に余裕があるというのと、また歩くのか、という疲労感は別問題。計画では駅間徒歩は、これで最後の予定です。そう思うと、最後のひと踏ん張り、と力が60歳の人間にわいて来る…はずがありません

地方あるあるで幹線道路にはビュンビュン車が走っているのに、歩道を歩く人は誰もいない、というおなじみすぎる光景。この孤独感もまた力を失わせる原因かもしれません。すると、いつの間にか背後からやって来たパトカーが徐行で傍らを通り過ぎていく。確かにふだん誰も歩いていないはずの道路をトボトボ歩く見慣れないオッサンはどう見ても不審者。チェックしたのでしょう

「いっそのこと不審者として尋問してくれんかな」と思ったりする。そこで時間をとられると列車には間に合わなくなるわけで「尋問のおかげで全駅訪問が不可能になるので伊勢川口駅まで乗せていってください」なんて流れになると歩かなくていいんだけどなぁ…なんてことを考えているうちにパトカーは遙か遠くに消えていきました。朝の7時前から行動しているのです。そんな妄想まで出てくるほど疲れているようです

アプリによって県道から線路沿いの細い道に誘導されると、そこには運転士向け「伊勢川口」の案内。過去の駅間徒歩でも何度も励まされた「もう少し」の合図です

やがて

ホームが見えてきました

戦時中までは乗り換え駅

伊勢川口は今や各地で見かける「バス停駅」となっています。ただ名松線で、この形式が見られるのは全14駅(松阪をのぞく)で、ここだけ。というのは多くの駅が元々、ホームと待合所のみの構造で駅舎が壊された唯一の駅だからです

数年前までは開業時からの立派な木造駅舎がありました。なぜかというと津の町の中にあった岩田橋という駅から久居駅を通り、当地が終着だった中勢鉄道という路線があって、その乗り換え駅だったから。津市のHPによると、1908年(明治41)に部分開業して1925年(大正15)に伊勢川口まで到達したそうなので、名松線や近鉄より先に敷設されています

その後、会社が近鉄(当時は参宮急行電鉄)の傘下に入ると、近鉄が線路を伸ばし始め、後に開業した名松線とは伊勢川口で、近鉄とは久居で接続されていましたが、軽便鉄道だった中勢鉄道は速度が遅いため、名松線や近鉄に客足がシフトしていき、戦時中の1943年に廃線となりました。立派な伊勢川口の駅舎はそのためのもの

そのため駅の規模も大きく、今も現役の側線が残ります。保線用のもので名松線では唯一の側線となっています

レールが積まれるとともにヤード跡も広さを感じさせるもの

今も残っていた中勢鉄道の駅跡

最初の当駅の写真にあった駅に隣接する新しい建物は保線用のもののようで施錠されています。つまり残るものは駅舎跡の広い土地と保線の線路のみ。かつてはすれ違い可能駅だったことも分かりますが、今は単式ホームとバス停形の待合所のみ

ヤード跡付近には述語のない立ち入り禁止の立て札がありました

現在の駅の利用者は1日20人ほど。私がいる間は「貸切」でした。伊勢奥津行きに乗ることにします

と、ここからは帰宅してからの話ですが

「中勢鉄道伊勢川口駅跡」がしっかり登録されていました。津市の広報誌にも「わずかにプラットホームの痕跡が残る」とある。80年も前の廃線なので、ほとんど気にも、とめていませんでした。写真を見ると、これがホーム跡だと言われて初めて分かるレベルですが、まさか今も残っているとは思ってもいませんでした。ただホームの北側には、かなり遠回りを強いられます。時間の制約もあり、何よりここまでの徒歩による疲労もあって、分かっていても、さらに歩く気力があったかどうかは、今となっては定かではありません

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永遠の未成線・名松線を全駅訪問~庁舎最寄り駅はひっそり

関ノ宮駅の駅名標

2023年3月15日

権現前11時43分→関ノ宮12時06分

権現前から一志を経た名松線は勾配区間にさしかかり、井関あたりで山中に出ますが、伊勢大井付近から再び平野部に入ります。降りたのは関ノ宮

名松線は1929年に松阪~権現前が開業した後、少しずつ線路が伸びていき1935年に伊勢奥津までが開業。現在に至ります。その後、1938年に、ここ関ノ宮のほか、伊勢大井、伊勢田尻(現一志)と3駅が一気に開設され、どの区間も2~3キロと、まるで私鉄のような駅間になった。当時は大変な利用者があったそうです

ここ関ノ宮は旧白山町の町役場(津市白山庁舎)の最寄り

いわば旧白山町の中心駅ですが駅そのものはひっそりとしています

県道同士が交差し、一方が名松線に沿って伊勢奥津を目指し(私が比津~伊勢八知を歩いた道路)、もう一方は南北で榊原温泉を目指す県道同士が交差する地点にあって周辺には役場のほかJAへスーパーもあるなど、機能はそろっていますが、駅そのものはともすると見落としてしまいそうな場所にひっそりとたたずむ。駅への入口は細い通路のみ

単式ホームと待合所があるのみの簡易な構造。周囲の状況から推測すると開設時から、この形で駅舎は一度も作られなかったようです

関ノ宮12時21分→伊勢大井12時28分

関ノ宮のお隣は家城で、家城ですれ違った松阪行きがすぐやってくるので滞在は15分。こんな感じで乗り継げれば楽ですが、これは家城前後の駅だけに許される「特典」で、とにかくここはありがたく乗車させてもらうと、車内はおそらく白山高校からの帰りの高校生で座ることもできないほどの状態。伊勢大井で下車

こちらの駅は周囲にほとんど何もありません。ホームとは逆側に県道(先ほどの伊勢奥津を目指す道路)が走っているものの、周辺は農地ばかりで民家が点在。集落は少し離れたところにあるようですが森に遮られるような形になっていて、ホームからは見えません。住宅が農地に転換された雰囲気もないので、関ノ宮と同日の1938年1月20日に開業していますが、周辺の光景は立派な県道以外はそのままだと思われます

そのためかホームも入口からは離れていて

関ノ宮以上に細い通路を歩いていく必要があります

目の前の県道を車が快走していきます。ただひとつ言えるのは駅の設置時にこんな立派な道路はなかっただろうし、そもそも自家用車という概念がなかったでしょうから、貴重な存在の駅だったのです

他の単式ホーム駅には見られなかった駅名板は待合所が輝いていました

こちらは駅名標。車内に多くいた高校生のうち一人だけが降り、森の向こうに消えていきました

次の駅を目指しましょう。ただ残念ながら、お次も徒歩が待っています(泣)

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永遠の未成線・名松線を全駅訪問~徒歩で迷い大ピンチ

権現前駅の駅名標

2023年3月15日

伊勢八知9時49分→上ノ庄10時54分

伊勢八知から一気に松阪のひとつ手前となる上ノ庄まで戻ります。途中、例によって家城で長めの停車があるため、約30キロを1時間近い乗車

すっかり平野部。その中にホームと待合所のみの駅がポツンとある。松阪から家城までの各駅はほとんど、そんな感じです

こうして改めて地図を見ると、松阪からしばらくは近鉄とほぼ並行して線路が走っていることが分かります。徒歩3分ほどの一志と川合高岡の乗り換え以外は、すぐに徒歩で行ける距離ではありませんが、それでも近鉄とJRの各駅はいずれも徒歩30分ほどで行き来できる距離感です。もっとも利用人員も列車本数も競合というレベルには達しておらず、野球だと「コールドゲーム」のような状態

上ノ庄駅の駅名標

ホームと逆側を県道が走っています。駅には県道から踏切を渡った小径から入る。名松線で唯一の「戦後生まれ」の駅で1960年開業。つまり最も新しい駅で、今後もずっと、その立場は変わらないはず

この駅のポイントは県道を渡った至近にコンビニのミニストップがあること。松阪から1駅というのが、どうかという感じですが、ホームから見えるのは当駅だけ(伊勢八知駅のコンビニは車窓から分かる)

飛び出し注意でコンビニに向かう。松阪から1駅といっても、私は7時から活動開始しているので11時前と良い時間。ありがたい存在でした

伊勢八知11時→徒歩→権現前11時35分

ということで、お隣の権現前駅までは再び徒歩(泣)。この後もまた徒歩が出ますが、こればっかりはどうしようもありません。松阪~家城間は名松線の駅と駅を結ぶバスというのが、ほとんどなく、ここは徒歩しかないのです

ということで県道をトボトボ歩きます。最初の比津駅付近とは異なり、こちらは交通量は多い。そしてほぼ平坦道路。名松線というと秘境の山中を走る路線というイメージの方が多いのですが、それは家城~伊勢奥津間のこと。松阪から家城までは住宅街と農地が続く平野部を走ります

上ノ庄と権現前は列車で2・8キロ。そして道路も2・8キロ。ほぼ並行しているので同距離となります。次の権現前発伊勢奥津行きは11時43分。おそらくいい感じで間に合うはず。ただ上ノ庄と同じく駅の入口は県道には面していないため、どこかで線路を渡る必要があります

それでもこのあたりはずっと住宅地が続いている場所。どこかの踏切を適当に渡れば駅に連れていってくれるだろうと携帯アプリにも頼らず進んでいくと、早めに渡りすぎたようで線路沿いの道が消えて焦る

途中、古典的な広告看板を見たり

寺社の参拝道のような所を通りますが、見とれている暇はない

何とか駅の入口に到達したのは自分の予測時間をはるかにオーバーしてからでした。ここで逃すと2時間待ちになってしまうので冷や汗でした

歴史を感じるそそる駅名

権現前駅も単式ホームと待合所のみの駅ですが、上ノ庄駅とは少し趣を異にしていて、1929年に松阪から線路が伸びてきた時、半年ほどは終着駅だったこと。そのためかつてはすれ違い可能だった面影が残ります

ホームの裏側には広い空き地。柵で入れませんが貨物を取り扱っていた跡のようにも思えます。ローマ字表記は「gongemmae」なんですね

「権現前」という、妙にそそる駅名は近くにある須加神社に基づくもの。駅の住所は松阪市嬉野権現前町。2005年まであった旧嬉野町の町役場も神社近くですが、町の中心駅というと少し離れてはいますが、近鉄特急も停車する伊勢中川になるようです

とにかく間に合ったので、再び伊勢中川方面へと向かいます

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永遠の未成線・名松線を全駅訪問~昭和、平成と廃線危機乗り越え

伊勢八知駅の駅名標

2023年3月15日

比津9時→徒歩→伊勢八知9時35分

朝の気温は10度ぐらいで晴天、無風と徒歩には絶好の天候となったことが、この日最大の幸運でした

私の見立てでは下り坂を40分もかからず伊勢八知駅に到達できて9時49分発の松阪行きに乗り込めるはずですが、ちょっと道に迷うと大変なので急ぎ足

鳥のさえずりが聞こえます。そしてもっと暖かくなると、いろいろな動物に会えるのでしょうが(会いたい会いたくないは別として)、頭上でガサゴソと音がするので身構えたら親子と思われるシカが山の崖に沿って歩いている。器用に歩くなぁ、と感心しながら歩を進めていきます

それでも30分近く歩くと人里に突入。ゴールは近いようです。ホッとする瞬間です

グーグル地図で徒歩を選ぶと国道を迂回する3時間超コースが出てくるので車コースで表示します。おそらくそう広い道路ではないので歩くと危険という判断なのかもしれませんが、平日の朝9時という活動的な時間にもかかわらず、車にはほとんど出会いませんでした

赤字83線と特定地方交通線で唯一の存在

国鉄全盛期と言われた昭和む30年代から10年近くが経ち、国鉄は赤字のローカル線の廃止を検討し始めます。全国に鉄道網を広げることで拡大されていった国鉄において「廃線」という言葉は、ある意味タブーでしたが、極端に赤字となっている盲腸線が対象となった「赤字83線」が発表されたのは1968年(昭43)。その中に名松線も含まれていました。理由は「使命を終えた」。先に近鉄が名張を経て大阪までの路線を開設したので、もう要らないということです

この83線は一気に廃線となったわけではなく、地元からの反対もあって廃線となったのは10路線ほど。ほとんどが10キロほどのミニ路線でした。83線の中には今もJRとして存続している路線がいくつもあります

そもそもこの83線指定には矛盾も含まれていて、赤字83線を発表する一方で、開業してもおそらく赤字だろう、という路線の工事が進められていたことも事実

その後、国鉄は巨額の赤字が社会問題化して、さらに強烈な「特定地方交通線」を指定します。1980年(昭55)の国鉄再建法が成立したことによるもので、ここから国鉄民営化の前後までに全国で多くの国鉄線が廃線または三セク転換となりました

83線では廃線を免れた名松線ですが、特定地方交通線の対象にもなりました。しかし「沿線の道路整備が不十分」ということで対象から外れました。このころテレビのニュースでは何かと名松線が取り上げられていました。赤字83線と特定地方交通線の両方で指名を受けながら、現在もJR路線として存続しているのは名松線のみ

そして2009年の台風被害。家城~伊勢奥津間が6年以上も運休することになりましたが、こちらは地元の努力で2016年に復旧。現在に至ります

もっとも私が快適に歩いてきたように現在は道路ができています

旧美杉村の中心駅

大きな集落に出ると、コンビニもあって、すぐ伊勢八知駅

大変立派な駅舎は1988年(昭63)に改築されたもの。左側が研修施設で右側が駅。現在は津市ですが、当時は美杉村の中心駅。美杉村の特産品である美杉杉で造られています。近くには旧村役場(現在は津市美杉庁舎)

こちらが研修施設の玄関

美杉村の機能がほぼ、駅付近に集約されています

駅舎の入口には、これもまた美杉杉の立派な駅名板

簡易委託駅で、窓口では主に近距離のきっぷを販売しているようです。名松線の各駅できっぷ販売をしているのは松阪を除くと家城、伊勢八知のみで貴重な存在

私を終日悩ませる2時間おきのダイヤ

ホームは1面1線。右側の部分にもうひとつホームがあって交換可能駅だった跡が残っています。左側には貨物ヤードの跡地もあります。かつては木材運搬でもにぎわっていたのでしょう

駅で困ったのは自販機がないこと。30分以上歩き、駅にはお手洗いもあることから、安心して缶コーヒーでも、と思ったのですが見当たらず。コンビニの前を通り過ぎてきたのですが、戻る時間はない。そんな人がいるかどうか分かりませんが、比津から歩いてくる場合はコンビニでの買い物を強く推奨します

松阪行きがやってきました。私の他に利用者は一人。乗り込んで次の駅を目指します

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永遠の未成線・名松線を全駅訪問~いきなりの山中徒歩

比津駅の駅名標

2023年3月15日

家城8時25分→比津8時44分

松阪から家城までは平地部分を走っていた名松線は家城から車窓が一転、山中の路線となります。ここからの車窓だけで見どころ十分と言えるかもしれない

約20分で比津に到着。終点・伊勢奥津のひとつ手前の駅

すっかり山中。これは日本全国の駅に言えることなのでしょうが、今回の名松線は、もう少し後に来ていたら桜がきれいだったんだろうなぁ、という駅が多かった

比津駅も多分に漏れませんが、この駅は少し角度を変えると別の眺望がありました

詳しいことは分かりませんが、この時期に花をつけるもののよう。列車を構図に入れ込んだ写真なら、もっと美しいのでしょうが、乗ってきた列車はここまで私が来る間に去ってしまうし、今から乗車する列車では間に合わない

こちら「駅前通り」。細い道が駅につながっています

駅周辺は小さな集落となっています。駅の開設は伊勢奥津まで線路が延びたのと同時期の1935年。戦前からの歴史を持ちます

実際に降りてみて大きな勘違いをしていたことに気付きました。名松線は過去3回ほど乗車して、もちろん比津駅も通っていますが、ずっと「いい駅舎があるなぁ」と思っていました。そうではなくポツンとある感じの民家でした。誠に失礼。比津は単式ホームと待合所のみの駅です

ここからお隣の伊勢八知駅に向かうわけですが、いきなり

徒歩となりました(泣)

あらゆる手段を考慮した結果

黙々と歩きます

名松線の各駅訪問を行うにあたり、いろいろな手段を考えました。最初の手段はコミュニティーバス。山深い部分にも走っていて、私が利用しようとしたのは月・水・金の週3本運行のバス。週末利用の青空フリーパスではなく青春18きっぷにした理由はそれなんですが、ダイヤを見ると、なかなか微妙なのです。これから向かう伊勢八知駅は旧美杉村の中心駅で当地に向かうコミュニティーバスももちろんあるのですが、バスの時刻はうまく名松線に合わされていて、例えば今回乗車する時間だと伊勢八知駅着は列車の発車3分前とか。渋滞などないので時間通りに到着するのですが、これだと駅舎の写真のみを撮影して終わり、ということになってしまう。ですから利用はちょっと難しい

次に考えたのはレンタサイクルです。伊勢奥津、伊勢八知、家城に自転車貸し出しがあるようで、ポイントが高いのは「乗り捨てOK」なこと。実際は利用していなくてHPを見ただけですが、伊勢奥津で借りた自転車は普通、伊勢奥津が返すところを家城で返しても大丈夫な制度のようです

これはなかなか魅力的で地形的に伊勢奥津から家城にかけては、基本的には下り坂なので、伊勢奥津で借りれば、家城まで20キロほどですが、天候にさえ恵まれれば楽しいサイクリング日和にもなりそうです

しかし考えた末、こちらも却下。これだとマイカーやレンタカーで回るのと、ほとんど変わらないから。やはり現役の駅なのですから、少なくとも乗車や下車のどちらかは利用したいものです。閑散区間では徒歩で訪れ、バスで去るという手段も何回か使っていますが、3駅や4駅続けて乗降なし、というのは北海道以外では過去なく、しかも自宅から2時間もあれば来られるこの地で行うのは、ちょっと筋が違うな、と考えました

その結論が徒歩。伊勢八知まで線路だと3・1キロ。おそらく40分ほどで歩けて伊勢奥津から折り返してくる列車を捕まえられるはずです

渓谷沿いを歩いていきます。予想通り、ずっと下り坂。車はほとんどやって来ません。夜だととてもじゃないけど歩けない。景色にほんの少しだけ癒やされながら歩を進めていきます

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永遠の未成線・名松線を全駅訪問~見どころだらけの家城駅

家城駅の駅名標

2023年3月15日

松阪7時32分→家城8時11分

松阪からの始発は家城行き。ただし家城で伊勢奥津行きに連絡するので実質的には伊勢奥津行きのようなものです

家城に到着(写真は1月8日のもの)。名松線の運行の要です

5年前の夏の甲子園に春夏通して初出場を果たした三重県立白山高校の最寄りとあって、この時間は多くの高校生でにぎわいます。沿線にある高校は基本的にこちらだけ。家城は運行の要だけでなく通学駅としても貴重な存在

列車発着時に窓口の閉まる全線きっぷうりば

旧白山町の町役場最寄り駅は、お隣の関ノ宮駅ですが、戦国時代は家城城があり、駅の周辺は実質的な中心地

名松線はほとんどが待合所のみの駅ですが、当駅は立派な駅舎が健在で松阪を除くと唯一の駅員さんがいる駅。JR東海のみどりの窓口である、全線きっぷうりばもあります

おそらく開業時の1931年来と思われる駅舎が健在で、沿線の写真も展示されています

ただユニークなのは1日上下合わせて列車の発着は十数本しかないにもかかわらず、到着時と発車時は閉鎖されること。私が到着したのは、もちろん列車の到着直後なので窓口は閉鎖されていました

これはどういうことかというと、当駅が名松線で唯一列車交換(すれ違い)できる駅(松阪を除く)だから。名松線の家城~伊勢奥津は現在もスタフ通票による閉塞方式が採用されています。これはJR東海では唯一の存在で、JR全体でも越美北線の越前大野~九頭竜湖とこちらの2カ所しか残っていません

唯一の交換駅でスタフ閉塞が採用されているため、列車の到着時と発車時は駅員さんは、大忙しで基本的らずっとホームにいるため窓口は必然的に閉鎖される。この駅には何度も来ていますが、当然のことながら、私は窓口が開いているところを見たことがない。ある意味、幻の光景

「遮断機」も手動

ホーム間と駅舎への行き来は構内踏切。列車の到着時と出発時はブザーが鳴りますが、それ以外にも「遮断機」があります

遮断機はチェーンブロックで出発間際に駅員さんが渡し

列車が過ぎ去るとチェーンを外すという手作業。なかなか他には見られません

ぜひ一度、見てほしい光景です。家城では必ず列車交換が行われ、通票の手渡しもあるため、長時間停車となるので、名松線に乗車さえすれば確実に見られますよ

ただ、家城のみでの列車交換というシステムが全駅訪問の難易度を高めています

家城発伊勢奥津行きに乗って、目指すのは比津駅となります

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永遠の未成線・名松線を全駅訪問~独特のダイヤに苦戦必至

家城駅では必ず列車交換がある

2013年3月15日7時15分

青春18きっぷでの全駅訪問に向け松阪泊

朝の松阪駅。今や全国でも貴重な存在となった「JRと大手私鉄の中間改札のない共同駅」。三重県には津、松阪、伊勢市がまだ残っています。立派なJR側と比べ、かわいい近鉄側の駅舎。ただ列車の本数と利用客は近鉄が圧倒しているあたりがおもしろい

本日は名松線の全駅訪問を達成するため、松阪からスタート。前日、名古屋で用事があったので、松阪まで移動して宿泊しました。水曜日の朝7時過ぎなので、駅はにぎわっています

手には青春18きっぷ。名松線はJR東海が週末に販売している青空フリーパスのエリアでもあるのですが、水曜日ということに価値があるため、青春18きっぷの使用となりました

昨秋から2度にわたり、沿線を訪れています

昨秋は名松線と近鉄大阪線の乗り換えをどうしてもやってみたくなり、一志駅→川合高岡で乗り継ぎ体験。寝過ごすてしまって、一足先の伊勢八太駅から川合高岡まで歩くという余話までついてしまいました

もう1回は年明け早々で、この時は終点の伊勢奥津まで行って前回、乗降のなかった一志駅で下車。再び川合高岡から近鉄に乗車しました

年明け1月8日のことです

この時は廃駅の池の浦シーサイドを訪問した翌日でした。伊勢奥津には過去何度か訪れていて、台風による被害で2009年から2016年まで家城~伊勢奥津間が長期運休する前にも足を運んでいます

伊勢奥津といえば、この給水塔ですね

名松線とは

名松線は松阪と伊勢奥津の43・5キロを結ぶローカル線です

松阪を出るとしばらく近鉄と併走。その後、山中へと入っていきます。名松線の「松」は松阪ですが、「名」は名張です。名張といえば近鉄大阪線の駅で、三重県と奈良県の県境付近の都市。元々はこちらを目指していたため、名松線と名付けられたものの、1935年に線路が伊勢奥津に到達した時点で工事は中断。現在に至ります

なぜ工事が中断したかというと近鉄(当時は参宮急行電鉄)が先に松阪からの線路を敷設したため。名松線は計画段階では「桜松線」。名張を経て奈良県の桜井までつなげる計画でしたが、その桜井までも近鉄によって敷設されたため、工事をする意味がなくなってしまいました

地図を見ると、名張へ向けては近鉄の線路が真っ直ぐ進んでいるのに対し、名松線は随分と山中へと入っています。地図だけ見ると、こんな調子で名張までたどり着くのかと思ってしまいますが、これには現在の津市と伊賀市の間にある青山峠の存在が大きい。分水嶺があるような峠を避けて名張に向かった国鉄に対し、近鉄は長大トンネルを完成させることで名張に到達。このまま名松線の延伸工事をしても近鉄の方が圧倒的に有利になることは分かっていたため、伊勢奥津から先は工事すら行われていません。つまり名張の名前は残されているものの「永遠の未成線」となったわけです

ラッシュ時のないダイヤ

全駅訪問を決めたのは、1月に車窓を見てから。特に家城~伊勢奥津の車窓には強くひかれるものがありました

ただダイヤがなかなか難関で

これは松阪から1駅目の上ノ庄の時刻表ですが、上りも下りもほぼ2時間おきの運行となっていることが分かります。1日に8往復あるダイヤで、こういう均等パターンは珍しい。同じ8往復でも朝の通勤通学時間帯に本数を増やして、お昼は休みというのが多くの形。早朝のまだ暗いうちから宿を出て駅巡りをするのは、比較的本数の多い朝の時間帯を狙ってのもので、このダイヤはちょっと困ってしまう。しかも松阪からの始発が7時32分と結構遅い

時刻表を眺めて困ってしまいましたが、とりあえずは作戦を考えて始発で出発です

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奥羽本線を行く~明治生まれの駅舎で18きっぷを買う

川部駅の駅名標

2023年3月3日10時30分

乗客の多さにビックリ

川部駅に到着しました

駅名標が分岐しているように奥羽本線と五能線の接続駅となっています

ここまで車内が混雑していたことにまず驚いていたのですが、多くの人がこちらでドッと降りて二度ビックリ。その点は考慮していなかったのですが、本数が多いとはいえない五能線の接続電車だったのです

跨線橋を渡った方々はどんどん五能線の列車に吸い込まれていきます。そこで現在は青春18きっぷの期間でもあることに気付きました。もちろん私が使用している東日本パスも期間内。昨秋は両者が重なることはなかったのですが、今回は重なるのですね。それは人も多いはずです。私が七戸十和田から乗車したはやぶさが東京からの始発で、こちらにきっちり間に合う。今日は金曜日で3日間有効の東日本パスは今日さえ休みをとれば、うまく土日に重なるわけです。なるほど、と納得。今日からは他の列車も混雑しそうだと身構える

五能線の案内がありました

五能線の終点を告げる案内標

ただ私の目的は五能線ではないので改札に向かいます

間もなくお別れとなる明治の駅舎

今回の旅でのミッションは3つあって、未訪問だった東北新幹線駅訪問はすでに達成。2つ目が川部駅の訪問でした

開業時からの駅舎が残る川部駅。雪がよい風情をプラスしてくれていますね

財産票も当時のものだと告げています

ただこの駅舎はこの時点で改築が決まっていて、JR東日本の発表では旧駅舎の面影を生かした改築とのこと。そしてもうひとつの大きな変更は3月18日から無人駅となることで、訪問時は健在だったみどりの窓口はなくなります

そこで「今期の青春18きっぷを川部駅で購入する」とのミッションを付け加えます

ただ私が改札を出た時は駅スタンプを熱心に押して入場券を購入するグループの方がいたので、私は先に写真撮影をすることにしました

ギリギリだった18きっぷ購入

駅舎内です(きっぷ購入直後の写真)。ストーブがいい感じ。人もいなくなったので早速、ミッションに移りましょう

そこであるものに目がいく

時刻はすでに10時35分。これは気付きませんでした。危ない危ない

ということでミッションも無事達成

ビューカードで購入すると駅名が入るはずです(要確認事項)。これで5回の旅は「川部駅発行」の文字を見ながら旅ができます

ついでに入場券も購入しました

駅スタンプとかわいい駅の模型

「村」のみどりの窓口

まだ時間はあるので駅の向かいで恒例の100円コーヒータイム。身体が暖まる

こちらは仮設トイレ。すでに工事は一部始まっているのでしょうか

駅舎内に戻るとすでにカーテンは閉ざされていました。私の前で窓口が開くことは、もうありません。駅の住所は青森県の田舎館村。「村」にあった貴重なみどりの窓口でした

年季の入った跨線橋はしばらく保たれそうです

JR東日本の発表では新駅舎の利用開始は5月27日となっています

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