青春18きっぷ

リベンジ岩徳線その7~ハイライトは思わぬ形で

柱野駅の駅名標

2022年12月28日12時

無人駅中の無人駅での問い合わせ

柱野駅からの側道?かどうか分からない。真っ直ぐ行くと、かつては貨物ヤードだったかもしれない場所に行き着いて終わります。そんな雰囲気たっぷりの駅近くで写真を撮っていると、背後から「ちょっと聞きたいんだけど」との声。振り向くと明らかに70代以上と思われる男性。「どうしました?」と言うと

「ここで新幹線の切符は売っているんかな?」

絶句してしまいました

前回の記事でも紹介しましたが、いわば「無人駅中の無人駅」。駅舎もない。こんなところで新幹線のきっぷはおろか、きっぷなんて販売しているはずもない。そもそも「無人」なんですから

大変申し訳ないのですが、一瞬「大丈夫か?この人」と思ってしまいました

だが、ゆっくり話を聞いていくと、そうではないことが分かりました

この方、もともとは地元の出身なのですが数十年前に町を出て、今ははるか離れた都市に住んでいます。本当に久しぶりに里帰りをしたため、変わりすぎた沿線の様子が分かっていないのだとか

個人情報になるので詳細は記しませんが、車のナンバーを見ると、この付近では絶対見ることのないものです。車があるのに、なぜ新幹線のきっぷなのかというと、あまりにも遠いので業者に依頼して車だけを別に運んでもらい、帰りもそのようにする、という。確かにこのナンバープレートの所まで車で行こうとすると現在正午の今、出発しても日付変更線前に到着できるかどうか怪しい

ようやく会話の中身を理解した私。「玖珂は大きな駅だから売っているかな」と尋ねてくるので「いや、ちょっと確実ではないですね」とスマホを取り出す。土地勘がないので、この山中では何も分かりません。すると意外なことが分かりました

山陽新幹線の新岩国駅まで車で5分。そんなに近いとは知りませんでした。過去、新岩国には何度か訪れ、錦川鉄道の清流新岩国駅との乗り換えもしてきましたが、柱野駅との距離間は知らなかった。ただ考えてみれば柱野からすぐ東側に錦川鉄道との分岐となる信号所があり、柱野駅の前を流れているのは御庄川。清流新岩国の元の駅名は御庄なので、そのように思考回路を働かせれば納得です

「車にカーナビはありますか?」と尋ねると、ないというのでスマホの地図を見せ「川の向こうの道を真っ直ぐ行くと、すぐ新岩国に着きますから」と言って無事に道案内をすることができました

それにしても新岩国駅の開業は1975年と50年近く前。車を運転する年齢ではなかったことを考慮しても一体、故郷を離れたのは、いつのことなのかと思ってしまいました。ご本人は「大昔」と言うので、詳しくは聞きませんでしたが

散策で思いにふける

車が去った後、あらためて周辺を散策。川の向こう側まで行ってみます

駅の階段の屋根がかすかに見えます。ここにもバス停があって新岩国駅から錦帯橋を経由して岩国駅に行くバスがありますが、1日2本の運行しかない。逆方向は山中に入って行くので玖珂には行かないようです

どちらかというと駅側ではなく、川の反対側に民家は多いようです

御庄川を渡る橋梁が見えます。2つの橋梁を経て、さらに3キロものトンネルは昭和初期では難工事だったと容易に察しがつきます。あそこを渡るキハ40の赤い姿を写真に収めてダッシュしてもギリギリ間に合うかな、と一瞬頭をよぎりましたが、さすがにギャンブルはやめて駅に戻ります。それにしても、ここから5分で新幹線の駅に着くとは、ちょっと想像できません

あらためて駅を見ると無骨な駅名板に屋根付き階段、わずかに顔を出す構内踏切に駅名標と、なかなかの勇姿です

構内踏切の入口。警察官は来るのでしょうか?

再び構内踏切を渡る。融雪剤がここでもまかれていますが、もうそれが必要な気温ではありません

列車到着を告げる音がしました。ちゃんと機能しています。山陽本線のままだったら、通過列車もバンバンあったんだろうな、と思いながら列車に乗り込みます。柱野がいろいろな意味で岩徳線のハイライトになるとは予想していませんでした。全駅訪問まで、あと一駅

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リベンジ岩徳線その6~岩徳線イチの駅でした

柱野駅の縦駅名標

2022年12月28日10時

ゴールが決まっているゆえに

徳山にやってきた時点で岩徳線13駅(両端の岩国と櫛ヶ浜はのぞく)のうち未訪問駅は2。川西と柱野です。岩国側に偏っていますが、これは最初に「ゴールは西岩国にする」と取めごとをしたからです。10月に改修中の駅舎を見て膝から崩れそうになりましたから。今回の旅は岩徳線のリベンジでもあります

そのために

山陽本線で岩国まで戻ります。岩徳線は11時すぎまでないので山陽本線で10時8分に徳山を出れば11時15分に岩国に着き、同21分発の岩徳線徳山行きに乗ることができる(このダイヤは今年3月の改正で微妙に変わっていて徳山発10時11分→岩国着11時22分→岩徳線岩国発11時26分となっています)

岩国の乗り継ぎは6分しかなく途中、何かのアクシデントで山陽本線が遅延すると行程が完全崩壊するのでヒヤヒヤしましたが、無事に到着

5時間ぶりに岩国の岩徳線ホームに戻ってきました。すっかり明るくなっていますね。というか、もうお昼前で好天に恵まれ暖かい。すぐ出発だったので、その必要はありませんでしたが、風もなく待合室は不要な陽気でした

すごいものが続々

目指すのは岩国から3駅目の柱野。柱野で40分ほど過ごして岩国行きで折り返し川西へ。川西から西岩国までは徒歩30~40分と思われるので今日の気候なら、ちょうど良いでしょう

しかし、そんな先のことを考える余裕なんてないほど柱野では、いろいろと「見せて」いただきました

15分ほどで柱野に到着。1934年の全通時に開設。全通と同時に山陽本線となったので山陽本線の駅として誕生しています

駅は高台の盛り土というか山の斜面に造られています。当駅から徳山側へ1駅の欽明路までは岩徳線の中では最も長い6・7キロもあります。これは欽明路の項でも触れましたが3キロ以上の欽明路トンネルがあるからで欽明路が平成に誕生したことを考えると、もともとの駅間である柱野~玖珂は8・6キロもの距離がありました。トンネルのほかにも2つの橋梁があって岩徳線では最大の難工事だったことがうかがえます。この駅間にはバスもないので全駅訪問には、なかなかハードルの高い駅となっています

島式ホームの柱野はさすが山陽本線の駅として造られただけあって長い長いホームを有しています。そんな長い列車は今は走らないのでブロックされていますが欽明路トンネル手前の駅なので交換設備は残され、当駅ですれ違いを行う列車も設定されています

左横にはどこにもつながらない道路のようなものが見えますが側線があったようにも思える

年季の入った待合所がホーム上にありますが、手前に引き戸があることから以前は左側にも壁もしくは窓があったのでしょう。片側だけになった理由は分かりません

感心するのは、まだ早い

跨線橋ではなく構内踏切で改札に向かいますが

そこにあるのは駅名板。どう見ても本来の使い方ではないですよね。金網の上に掲げてあったものが時刻表を設置する際、完全に隠れてしまうことから、この位置に来た、いや置いたと考えられます

まだまだあります

階段を降りるとこのようになっています。勝間駅と違って屋根は残してもらったようですが、少し前の写真では階段の両脇は以前は立派な木が何本もあって森が階段を包むかっこいい形になっていたものが、今はきれいに刈り取られている。火事対策でしょうか

現在の駅としての施設はこれだけですが、以前はちゃんと駅舎があったようで駅前は大きな広場となっていて、さらには

池と庭園があった跡が。きっと緑も多い立派な駅だったのでしょう。少しずつ痕跡が残っているのがすごいなぁ、これは岩徳線でナンバーワンかも、と写真を撮っていると後ろから声をかけられました

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リベンジ岩徳線その5~考えさせられる現実

2022年12月28日9時40分

大混雑の車内

徳山に到着。エスカレーターに久しぶりの対面

時期は冬休みで朝の通学時間帯の高校生は少なかったのですが、朝の9時を過ぎて「おでかけ」の高校生で車内はあふれかえっていました。編成は単行の2両の2パターンのようですが、学校の休みなどは関係なく、いつも同編成になっているらしく私が高水からの徳山行きに乗車したのは9時過ぎ。その時点で単行列車はすでにギリギリ座れるかどうかの混雑ぶりでしたが、一駅ごとに大量のお客さん、ほとんど高校生のようでしたが、どんどん乗ってきて車内は大混雑

10月の訪問時の朝の通学帯についても触れました

この時は「バス転換なんて無理だろう」と思いましたが、今回は「これで廃線論議になるとしたら」と感じました。日本中のローカル線は、かなり乗っていますが、私鉄や三セクも含め、もっと閑散としている路線を数多く知っています。なかなか厳しいというか、いろいろ考えさせられる現実です

さて早朝に起きてコンビニおにぎり1個食べただけなので、かなりお腹が減ってきました。かなり活動してきた実感がありますが10時にもなっていない。岩徳線はここから2時間近く運行がなく、まだ朝食タイムということで

吉野家で朝食。一息つきました

無人化翌日の訪問

大混雑の岩徳線でしたが、半分以上の乗客がドッと降りたのは櫛ヶ浜でした。山陽本線との分岐駅で岩徳線はすべての列車が徳山まで乗り入れますが、帳簿上は岩徳線の終点はこちらになります。この日は櫛ヶ浜付近でイベントが開催された形跡はなく、高校生が大量に降りたのは、ここで乗り換えてショッピングモールに向かったのでしょう

その櫛ヶ浜についても触れておきます。訪問は前回、岩徳線を回った前日の10月2日

開設は昭和初期ですが駅舎は、いかにも昭和40年代の国鉄コンクリ駅舎

規模は大きくホームは3本もあります。ただし機能しているのは山陽本線の2面と岩徳線の4面

こちらは駅舎と一体となっている山陽本線の下りホームの駅名標

明らかに国鉄時代からのものと思われる古文字がいくつか残っています

こちらは岩徳線ホームへの案内

こちらは岩徳線ホーム

周南市のスポーツセンター最寄りで「津田恒美メモリアルスタジアム」の愛称を持つ周南市野球場も一帯にあって、各種イベント開催日は大いににぎわいます。この日はイベントの開催はなかったよう、と記したのは、そのためです。学生の利用も多い駅です

にもかかわらず

改札付近には「10月1日から無人駅」の案内が。つまり訪問は無人化翌日

これまでも無人となる時間帯はあったようですが、イベントなどで臨時の駅員さんが派遣される時以外、窓口が開くことはありません。1日に1500人ほどの乗降がある駅ですが定期利用が多いのでIC改札だけで十分と判断されたのでしょう。これも時代の流れですか

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リベンジ岩徳線その4~感謝

高水駅の駅名標

2022年12月28日8時40分

かつての終着駅

高水に到着しました。岩徳線は岩国側、徳山側から工事が進められ徳山側からは1934年3月に当駅まで到達。同年12月に全通するまでの間、終着駅となっていました。2003年まで存在した熊毛町の中心駅で、岩徳線単独(錦川清流線も含める)の13駅中6駅しかない駅舎があります

跨線橋から眺めると、かつては2面3線の大きな駅だったことが分かります

駅にはタクシーがいます。というか駅前にタクシーの営業所がある。私の訪問時間がたまたまだったのかもしれませんが、タクシーを見たのはこちらと周防高森、玖珂そして西岩国のみ

瀬戸内海沿いを走る山陽本線は高水の南側では山中を走っていて、最も北側となるあたりに高水は近い。島田駅には車で10分程度。1台にかかった声が聞こえたので分かりましたが、島田駅への迎えが出ていました。その時に地図を眺め、近いことが分かりました

駅舎は開業時からのもの。老朽化が進んでいることは否めませんが「高」「水」「駅」と、それぞれが立体化している駅名板は、なかなかお目にかかれません

JR移管後まもなく無人化されています。老朽化の進行は駅員さんがいないことも大きいと思いますが、立派な駅舎はあるのにお手洗いは撤去されています。その代わりに周南市が立派なお手洗いを設置してくれています。今回も寒いので何かと近くなるのですが、大河内、勝間そして当駅と周南市設置のお手洗いに大変お世話になりました。駅舎の古いトイレというと事実上、男性しか利用できないものが多いのですが、周南市設置のものはどれも立派なもので感謝の念でいっぱいです。お手洗いがあることで寒い中、駅前の自販機で缶コーヒーも安心して買うことができました

ツルのはく製

駅で目につくのは

ツルのはく製です。ナベヅルの本州唯一の飛来地(越冬地)であるツルの里の最寄り駅となっています(8キロ離れていますが)。各地にいたナベヅルが明治以降、捕獲の対象となり激減する中、熊毛町を経て現在は周南市の旧八代村だけが捕獲禁止として保護してきたそうです

周南市のホームページにはナベヅルの飛来情報が細かく更新されていて、今年は3月20日にすべてのツルが北帰行したとありました

駅前の観光案内のエリアは旧熊毛町のもの。「八代のツル」も記されています

この案内も山口県でよく見かけるもの。9時になって、ようやく日差しらしいものを感じられるようになってきました。全駅訪問も先が見えてきました。一度徳山まで出ることにします

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リベンジ岩徳線その3~豊臣秀吉も絶賛

勝間駅の駅名標

2022年12月28日8時20分

歴史を刻む

勝間に到着しました。もう8時半になろうとしているのに、まだ霧は残ります。霜はビッシリでホームの白いものは融雪剤だと思われます。それほど冷え込みが予想されたのでしょう

築盛の高台にある駅で見晴らしはいいのですが、お出迎えは今は使用されない向かいのホーム。現在は1面のみの使用

かつては2面だったということは、それなりの歴史があるわけで岩徳線の「初期」からのメンバー

今は立ち入ることができませんが、もともとのホームは長く山陽本線の駅らしいことが分かります

現在は平成の合併で周南市となりましたが、20年前までは熊毛町。その由来となったと思われる熊毛神社は至近

大内氏や毛利氏からも大切にされ、山陽道をたどって当地に宿泊した豊臣秀吉が「勝間」という地名を聞き「縁起の良い名前だ」と感心したという由緒ある場所。同日の設置となったお隣の高水駅とは駅間2キロちょっとと、当時としては短いのですが、駅の設置理由は納得できるものです

屋根まで撤去

高台のホームからは階段で外に出るのですが

外から見ると

こんな感じで実に寂しい。私は列車で到達しましたが、別の手段でここまでやってきたら大河内駅のように新設された単式ホームの駅かと思ったかもしれません

自転車置き場となっているあたりに、10年以上前まではJAの建物があり駅の待合室も設けられていたそうですが、今はなく周南市が設置した立派なお手洗いが建てられています(私的には大いに助けられたのですが)

さらに言うと事前に少し勉強したものとは何か違うというか違和感がある

その時は気づかなかったのですが、すでにJAの建物がなくなってトイレが建てられている最近の写真と比べるとホームに向かう階段にあった屋根が撤去されているのです

現在は階段を上った場所にあった駅名板は階段の入口にあり(同じものの流用かどうかは不明)、屋根をくぐる形で階段があったのですが、その屋根も撤去されている。そんなに古いものではないようですが、屋根までなくなると寂しくなりますね

それなりのにぎわいがあったと思わせるのはタクシー乗り場の存在。駅前が狭かったためか道路を挟ん向かいに設けられていますが、タクシーの常駐があるのかどうかは私の滞在時間では分かりませんでした

再びホームに戻ります。周辺は住宅街で、1日に300人ほどの乗降と、それなりの利用はある駅にもかかわらず、ちょっと寂しい気持ちになりました

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リベンジ岩徳線その2~「国鉄」の2文字

米川駅の駅名標

2022年12月28日8時

霧と霜の風景

大河内から岩国方面へ逆戻り。15分ほどで米川駅に到着しました

大河内にいた時から30分経過していますが、山中のためか霧が深い。霧の中にスーッと消えていく列車が幻想的な雰囲気です

写真で分かる通り、かつては島式の1面2線ホームだったようですが、今は片側のレールが撤去されて1面1線の棒状駅となっています

はがされたホームの向こうには、さらにスペースがあり貨物ヤードだったことがうかがえます。草木がうっすら白くなっているのは霜。かなりの山中で霧もあって遠くはよく見えない

国道2号線や山陽新幹線と寄り添うように走る岩徳線ですが、両隣の高水、周防高森では、駅近くを通る2号線は米川駅近辺ではいったん離れています。もっとも駅のすぐ南側を走る国道は玖珂駅、周防高森駅から一本道の県道で当駅の西側で高水駅そして山陽本線の光駅へと分岐する重要な道路となっていて、米川駅も岩徳線の全線開通時に山陽本線の駅として誕生しています。貨物ヤードがあるのも不思議ではありません

駅舎で思わぬ文字

駅舎は使用されなくなった片側のホームをふさぐように建っています。簡素なつくりです。駅前の規模から想像すると、かつては立派な駅舎があったと想像できますが、駅舎をチェックしていて思わぬ文字に出会います

財産票にある「国鉄」の2文字。各地で財産票を見てきましたが、国鉄と記されたものには、なかなか出会えません。ちょっとびっくり

昭和54年となっていますから1979年。民間移管へはまだ時間があるころ。ただこちらを参考にすると40年以上前の当時、すでに駅は現在の形になっていたことになります

「米川駅」の上に「米川駅」。文字が薄くなったので新たに貼り付けたのでしょうか

駅舎はそんなに大きなものではなく他の岩徳線の駅と同様、券売機が置かれています

あらためてかつてのホーム跡へ。レールがあった場所に、こうして電柱が建っているところを見ると確かにかなり以前から現在の形になっていますね

にしても真っ白な世界。幻想的と言ってしまえば素晴らしい景色ですが、現実の世界はというと、はっきり言ってめちゃ寒い

駅舎も入口と出口が吹き抜けになっているので、寒さをしのげるかというと、なかなか難しい

山口県内で見ることが多い出発案内。ただこの手書きのような字体は初めて見ました。これって故障しているんじゃないか?動くんなかぁ、と思っていたところ、けたたましく音がしてランプもピカリ。十分に現役でした。寒くて「早く(列車が)来ないかなぁ」と思っているところに心地よい音でした

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リベンジ岩徳線その1~厳寒の早朝

岩国駅で出発を待つキハ40

2022年12月28日6時15分

朝食もパスして出発

前回から約3カ月。早朝の岩国駅に私はいました。10月と同じように前日は呉線に乗車し呉~三原の全駅回収を完了。夜のうちに移動して岩国泊。10月の訪問時に回りきれなかった岩徳線の駅訪問を行います。今回は間違えられないのでホテルの無料朝食はパス

まだ6時すぎなので駅はまばら。今回手にしているのは青春18きっぷ。自動改札は通れず不便なことも多いですが、岩徳線では全く関係ない(笑)

先の写真でも分かるように岩徳線と当駅内を発車する錦川清流鉄道の案内表示は四角のふちに囲われています。山陽本線は次発、次々発も表示されるのに対し、本数が少ないのでその表示が必要ないからでしょう

慌てて道程を組み直す

岩徳線の時刻表。朝に特化したダイヤとなっています。前回訪問時の記事でも紹介したように沿線に住む高校生の通学に配慮していると思われる。5時発というのは通学には早すぎる気もしますが、これは山陽本線との兼ね合いで岩国発の山陽本線徳山方面行きは6時10分が始発。徳山に行く朝の一番列車は岩徳線となっています

ですから細かく駅を回っていくには早ければ早いほどいい。実は当初、考えていたのは5時58分発で道程を組んで「これで完璧」と4時半過ぎには起きたのですが、窓の外を見てふと気づいたのは「駅で降りても真っ暗ではないか」との疑問

私は日没後は駅訪問をしません。駅そのものの夜は、よいたたづまいをしているかもしれませんが、周辺の景色や雰囲気が味わえないからです。考えてみると前回は10月に入ったばかりでしたが、今は1年で最も日が短い季節となっています。というか真っ暗な山中の無人駅はちょっと怖いかも(汗)

ということで慌てて道程を組み直して6時38分発としました

季節の変化といえば、この時間は猛烈に寒い。今日の現地の天気予報は晴れで最高気温12度と穏やかな気候になりそうですが、晴れていると放射冷却で朝は冷えます

幸運なことに岩徳線ホームには暖房の効いた待合室があり

コンビニおにぎりで朝食。後からもう一人のお客さんが入ってきますが、おかまいなしにムシャムシャ食べていると列車が入ってきました

平日のみ運行されている岩徳線唯一の途中駅始発となる周防高森駅発の列車が折り返して徳山行きになるようです

早速乗り込むと早朝だけあってお客さんは少ない。18きっぷの季節とあって同業者(鉄道ファン)の姿も。もっとも私が降りる駅で彼らが降りない自信は100%あります

こちらも滑り込みの駅

約1時間かけて大河内駅に到着

この時間となると車内は混雑して立っている人の姿も。2両編成で出発したのも納得です。ただすでに冬休みに入っているので高校生の姿は部活の生徒さん以外、ありません

大河内は1面単式ホームのみの簡素な構造で生野屋駅と同日の1987年3月27日のJR移管直前に国鉄の駅として誕生しました

生野屋とほぼ々構造でスロープに券売機が設置されています

こちらが駅名標

駅は小さいですが駅前には立派な公園が整備されていてお手洗いも設置されています。冷え込む日に助かる

駅が設置されたのは付近に住宅街ができたからでホームからも、私とすれ違いに多くのお客さんが乗り込んできました。住宅街のための駅ですから、実は隣駅とも近い

線路でも1・4キロしかなく徒歩でも20分程度。地図を見ると住宅地に寄り添った駅であることが分かります。もっとも周防久保駅は前回訪問済みなので今回は行きません

再びホームに戻り、次の駅を目指します

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和田岬線の18きっぷは要注意

和田岬駅の駅名標

電化以来走り続け

西日本グリーンパスの旅の最中ですが、和田岬線について優先して報告させていただきます

7日朝、和田岬線に乗車してきました。過去数え切れないほど乗ってきましたが、103系の終了が発表されてからは初めてです

あえて徒歩経路を示してみました

正式には山陽本線の支線で1区間2・7キロという超ミニ区間。長らく非電化でしたが2002年のサッカー日韓W杯の会場が現在のノエビアスタジアムになったことで、その前年に電化されました。ただ現実には混乱するとのことで試合当日は運休したという逸話があります。ただしW杯に向けて電化したとは公式には発表されていません。現在もJリーグの公式ガイドでは最寄り路線とはなっていない。このあたりの話を書き始めると長いので別の機会に譲りますが、電化以来、ずっと走り続けてきたブルーの103系が3月18日に引退します

前後にそれぞれ別のヘッドマークを付けて現在運行中

東海道・山陽本線の普通電車は3両+4両の7両編成ですが和田岬線を走る電車は6両の変則編成

扇風機が回ることはもうなさそうです

ご覧のように車内のつり革広告部分にも惜別がズラリ

朝と夕方のみの運行で和田岬駅近くの工場や営業所、学校に人を運ぶことが目的のため朝と夕にしか運行されません

ですから、朝は和田岬行きが満員で兵庫行きがほぼ無人状態、夕方は和田岬行きがほぼ無人で兵庫行きが満員というのが特徴

朝の和田岬着の電車からはドッと人が降りますが103系の6両編成で本数はかなりありますから、ギューギュー詰めという事態にはなりません。昔の客車が牽引していたころは戦後の買い出し列車か、という光景が日々見られていましたが、市営地下鉄も開通した現在はそうではなくなりました

通勤に特化した路線ですので土日はグッと本数が減ります。今も土曜ダイヤがあるのが特徴で土曜はそれでも平日の17往復に対して12往復とそれなりの運行はありますが、日曜はなんと朝夕1往復の計2往復と地方の閑散区間もビックリの運行。もっとも地下鉄は終日走り続けているし兵庫駅からも30分程度で歩けます

青春18きっぷ利用者は要注意

1区間だけの路線ですので和田岬駅は無人駅で料金は兵庫駅の中間で集約して支払います。和田岬駅から手ぶらで乗車した場合は中間改札手前にある券売機で目的地までのきっぷを購入。兵庫駅で下車する場合は、まず中間改札にきっぶを通し、改めて駅の改札口から出ます

もちろんIC乗車券を持っている場合はタッチすれば抜けられます

と平時はこれでいいのですが、問題は自動改札を通れないきっぷの場合。今の季節だと青春18きっぷがそれにあたる

写真は過去のものですが中間改札は原則的に無人。この場合は左の青い機械のお世話になります。これはJR西日本の各駅で見かけるもので

こちらは別の駅のもの。きっぷを青い台の上に置き、インターホンで係の人を呼び出すと向こうで読み取って改札機を開けてるのですが、運が悪いとなかなか出てくれない時があってイライラ。過去何度か18きっぷのJR西日本都市部分の利用はおすすめしないと書いてきました

元々は「自動改札を通れないきっぷを持っている人はごく少数だろう」という前提の制度というか機械です。今回のようにドッと押し寄せてくる可能性についてはあまり前提となっていません。こちらのインターホン前で行列ができているのも私は見たことがない。いても先に1人。ただ自動改札を通れるはずのきっぷが通れない時のトラブルが生じた場合は思わぬ時間を浪費することもあります。このパターンには過去2回遭遇したことがあります

今回のようにひとつの小さな改札に人が集まる時は、時間がかかる可能性もあります。私が見ていても最大で3人の列ができていました

18きっぷ利用の方は早めに駅へ行きましょう

ちなみに運行時間帯以外はこのように中間改札は閉鎖され、ホームには入れません。また現在、和田岬線の両駅ホームにはJR西日本の社員の方がいます和田岬駅が無人であるのをいいことに悪いことはしないでくださいね

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宿も取らずに青春18きっぷで高山本線に突っ込んでみる~JR西日本区間そして、また来ます

9月9日12時

4時間の空白も不安なし

笹津駅前にあった付近の案内図。さすがに50年近く前に廃線となった富山地鉄の線路は描かれていませんが、往時を感じさせるものです

そして当駅の時刻表をといえば

11時21分の富山行きに乗ってきたので、次の富山行きは4時間後、猪谷行きも3時間半後と、おそろしく長い空白区間があることになります

ただ私に全く焦りはありませんでした。JRの時刻は分かっていて、それからのことをろくに調べもしていません。これが飛騨の山中だったら、いろいろな交通機関を必死で調べていてから下車したはずですが、ここはまず大丈夫

なぜかというと、富山地鉄の廃線跡だから。もう富山の市街地ともいえる場所なので、廃線後を担うバスがあるはずです

これは楡原の駅前で見たバス停。猪谷~富山を結ぶバスがあって、これだけの本数がある。きっと笹津も通るのでしょう

そして結果から言うと、私の考えは半分正しく、半分間違っていました

笹津駅前のバス停。1時間に1本の富山行きがあります。12時5分の富山駅行きバスまで45分の待ちです(※訪問当時のバス時刻表です)

駅舎は立派でお手洗いもあります。駅に着いた途端に雨が降ってきたのですが問題ありません。こちらの駅舎でしたら、原稿を書いている今の冬の季節でも大丈夫だと思います

バスに乗って富山駅へ向かいます

ただ後で分かったことですが、猪谷から出ているバスとは異なる路線のようで、猪谷からのバスは駅前を通らず国道41号を走って行くので、こちらのバス停から徒歩5分ほどの次の停留所まで行けば、さらにもうひとつの路線もあって1時間に3本ほどの便利な区間だったのです

JR西日本区間内でも温度差

全長225キロにもなる高山本線でJR西日本区間は36キロしかありません。全体の6分の1ほど。しかし、その中でも随分と温度差があります

こちらは婦中鵜坂の時刻表。明らかに笹津とは違う。特に7時台は高頻度です

これは運行形態を富山~越中八尾の17キロと越中八尾~猪谷の19キロで分けているから。前者の区間運転が設定されていて特に通勤通学時間帯は本数も多い。越中八尾以南の東八尾、笹津、楡原の3駅は停車列車がかなり少なくなります

岐阜から国道41号とほぼ並行して進む高山本線ですが、一部離れている場所もあり、笹津と富山の間は鉄道が旧八尾町を経由して迂回する形になるのに対し、国道は真っ直ぐ富山の中心部を目指します。富山地鉄笹津線は国道沿いを進んでいたわけで、廃線で地域の足がなくなることに対し、猛烈な反対運動が起きたこともうなづけます

ちなみに笹津~富山に限って言うと運行も多いバスは約50分、770円なのに対し、鉄道は約40分、510円とコストと時間では鉄道に軍配が上がります。ただしバスは富山の繁華街である総曲輪(そうがわ)を通ります。総曲輪は全国各都市で多く見られるように、JR富山駅からは若干離れています

富山駅に到着。13時前です

越中八尾は10年以上前に行ったのが最後で千里や西富山は降りたこともありません

適当旅らしく駅構内にある回転寿司で、今さらながら午後の作戦を練る。西富山の駅は路面電車で富山大学まで行けば十分に徒歩圏内だ、などと調べていると電話が鳴って家で緊急事態の報告。すぐ帰宅しなければならなくなりました

ついているというか、ついていないというか、これが山中の無人駅だったら、すぐ帰ろうにも帰れないところでしたが富山駅にいるので、すぐに帰れる

予定外でしたが早い時間に北陸新幹線のホーム

まだ明るいうちに大阪駅到着となりました

高山本線は地形上、たびたびの豪雨被害に遭ってきました。その度に懸命な復旧工事が繰り替えされています。過去には電化の計画もあったようですが岐阜市近郊も未だ単線非電化のまま

私が降りたことのない魅力ある駅舎も、まだあります。次回は計画を練って訪問したいと思います

これで夏の青春18きっぷの旅は終了です

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宿も取らずに青春18きっぷで高山本線に突っ込んでみる~2度の廃線を経験した駅

9月9日11時20分

貴重な遺産を次々と

楡原から1駅富山側に戻って笹津で降りました

ホームは1面2線。ホーム上の待合所で発見したものが

鉄製の案内板。今やあるようでないものとなりつつあります。長年の排煙を受けているようですが、こちらはまだまだ使えそう

駅舎へは跨線橋で向かいます

かつては跨線橋にも、このような文字が描かれていました。最近見る機会が少なくなっています。私が見落としているものもあるかもしれませんが、直近だと中央本線旧線の辰野支線、川岸駅(長野県、今年10月)

昨年までさかのぼって和歌山線の粉河(和歌山県、昨年7月)

こちらは明朝の渋い案内文字付きですが、これぐらいしかありません

ただ笹津駅のものは、かなり危ない感じがします

広い駅前とピカピカな駅舎

跨線橋を渡って駅舎に行くと

無人駅ですが立派な駅舎が建っています

旧駅舎は大正期のものでしたが、2000年代に入って現駅舎となりました

コミュニティーセンターにもなっているようです。そして駅前ロータリーは広い

国鉄の高山本線がここまでやって来たのは昭和初期のことです。ではなぜ旧駅舎が大正生まれだったかというと、富山鉄道の駅だったからです

笹津は岐阜県の神岡鉱山から神岡鉄道により鉱石が運ばれる拠点となり、その際に富山鉄道の笹津~富山が敷設されました。しかし高山本線ができたことによって鉱石輸送はそちらが中心となり、富山鉄道の路線は廃線

しかし復活を望む声は廃止当時から多く、戦後になって新たに富山地方鉄道の笹津線として当駅~南富山が新たに開業。ただ今度は自動車普及による波で実績が低下。当時は全国的に軌道線が車の邪魔だという時代で75年に廃線となりました

笹津駅のやや北側に消防署がありますが、地鉄の笹津駅はここにあったようです。つまり現在の笹津駅は、かつての地鉄の跡地に建てられています

ホーム側から跨線橋を経た駅舎への導線はこんな感じ。妙なスペースに不自然さを感じるのも、駅前ロータリーの広大さに違和感を覚えるのも、そのためです

こちらもホームから見た裏側。奥の白い建物が消防署で手前が現駅舎。並んでいるのが分かります

また高山本線で富山方面へと向かうと車窓右手の草むらが分岐していく様子が残っていて廃線跡だと伺えます

帰ってから調べたことですが、廃線跡の痕跡は、あまり残っていないものの、12キロという手頃な距離だからか、南富山~笹津のウォーキングイベントは開かれているようです

駅舎内には地元紙が張ってありました。廃線は全国で見られる姿ですが、2度の廃線というのは、なかなかないことだと思います

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