島原鉄道、現在の終着駅から

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6月18日11時半

※西九州新幹線開業前の時刻表で動いています

「終点」は島原港駅

大三東駅から約20分。終点の島原港に到着しました

元々は2面2線でしたが今は1面1線。かつては駅舎がありましたが火事のため、今は簡素な構造

逆側から見たもの。道路からすぐ入れるため、バリアフリーは万全です。明治生まれの島原鉄道としては若い戦後の設置(海に近い大三東駅は大正生まれ)。長らく「島原外港」という名称で親しまれてきましたが、3年前に現駅名となりました

駅名通り、島原港はすぐそこです。地図でも分かりますね。そして線路を見ると何か不自然な形で終わっていることも分かります

50年ぶりに乗りました

これまても書いている通り、島原鉄道は明治に敷設がスタートした古い路線です。「旧国鉄」というのではなく、ずっと独立した私鉄(国鉄への乗り入れをしていた時期もあり、今も諫早で線路はつながっているはずです)。徐々に鉄路は延びて現在の島原船津まで到達しました。島原港まですぐの島原外港駅の開業が戦後だというのに疑問を持たれる方もいらっしゃるかもしれませんが、ひとつお隣の島原船津がかつて「湊新地」「島原湊」という駅名だったように、当時の島原港の最寄りはそちらだったようです。大正期に、その湊新地まで到達して島原鉄道は42キロの路線としていったん完結。その後、別会社が、さらに30キロ以上を敷設。戦時中の合併により約80キロもの路線となりました

実は私が島原鉄道に乗車するのは50年ぶりか、それ以上。父の里帰りに伴う家族旅行でした。ちなみに島原地方には「高木」という名字が多い。大阪から島原へのアクセスは今もいくつかありますが、当時のルートのひとつは飛行機で長崎空港へと飛び、諫早から島原鉄道に乗車するもの。もうひとつは列車と航路の組み合わせで大牟田からの船便、または熊本経由で三角まで行っての船便。ただ今でこそ飛行は気軽に乗れる交通手段ですが、半世紀前は高価な乗り物で、なおかつ小さなプロペラ機しか飛んでいません。親子4人分の価格そして座席確保の両面で、里帰りはほぼ三角ルートでした。ですから子供のころの「随分と古い車両が走っているなぁ」という記憶ぐらいしか残っていないのです

そんな島原鉄道は91年の雲仙普賢岳の噴火活動により、大きな被害を受けました。多くの区間で運休と復旧を繰り返し島原外港からの一部区間は93年4月から4年間も運休。高架工事を行い、完成したのは97年。ただその後は利用者減に伴う赤字問題で08年に島原外港からの35キロは廃線となり、高架施設は11年しか使用されませんでした

先にも線路があるようですが、しばらく行くと終わっています。当初は車庫施設もある島原船津までを残して以遠が廃線予定だったそうですが、島原港へのアクセス駅ということで当駅が終点となりました

ちょっと付近の散策を

島原といえばそうめんです。「世界初」の自販機に目を見張りますね

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