
※訪問は2025年8月27日
残るは立野から1、2駅目
いよいよ残るは立野から1駅目の長陽、2駅目の加勢の2駅となった。それなりに回る順序を決めたつもりだが、詰めまで来て昼間に運行本数がガクンと減る時刻表の壁がやってくる。何度も書いてきたが、これは「ローカル線あるある」で、その壁には何度も直面してきた。だから移動手段も含め、この2駅をセットにしたのだ。その理由については後述する

とにかく中松駅を出て加勢駅に到着である
コンパクトな駅舎に包まれた周辺は
南阿蘇鉄道の10駅のうち国鉄高森線時代からの6駅で三セク移管後に新設されたのは4駅。7駅を回ってきて気付いたのは、国鉄時代からの駅は周辺に集落があり、街の顔として約100年にわたり歴史を刻んできたが、新駅は観光などの目的が設置されているということだ。それはそうで、新駅の設置はすべて南阿蘇村。山中の村に新たな集落が誕生することはほぼない。ここまで巡ってきた3駅は「見晴台」「南阿蘇白川水源」「南阿蘇水の生まれる里白水高原」と、道中でも触れてきたが、何らかの目的があったり感じたりする駅ばかりだった

ということで加勢駅。ここまで見てきた南阿蘇鉄道の駅舎で最もコンパクト。ホームは植え込みの向こうにあり、階段を登ると待合室があって、そしてホーム

待合室はきれいに掃除が行き届いている。駅舎の写真でも分かるようにお手洗いも設置されている。ホームへはここから出るが、他にもホームへの行き方はある
そして駅前には細い道路があるだけだ。ちなみに隣駅の長陽までは徒歩も可能なぐらい近い。というか結果的にはここから歩いたのだけども
集落が目的だったのか
これまで見てきた南阿蘇鉄道の駅舎の中で最もコンパクト。言い換えれば最も小さい。開業は1986年(昭和61)の11月。この年の4月に三セク移管が行われ、見晴台と同時に南阿蘇鉄道最初の新駅として設置された。周辺に何もないのだから利用者も少ない。全線復旧後のデータは発表されていないが、震災前の2015年のデータによると1日の利用者はわずか6人で路線内最少。震災前でこの数字なので、おそらく現在もその地位を保っていると思われる。ただ全国に周囲に何もない駅は数多くあるが、それは長い歴史を積み重ねていく上でそうなってしまったものがほとんどで、JRから三セク転換をする際、何の意味もなく新駅を設置するはずがない
一応私なりに考えた駅の設置の意味は
駅舎の逆側、旧国道沿いにある集落の存在ではないだろうか。徒歩7分の場所に集落があり郵便局や南阿蘇西小学校がある。もともとは長陽小学校があった場所に旧長陽村にあった3つの小学校を統合して誕生した。集落側に駅舎を設置したかったのだうが、そちら側は森。道路や地形の関係で駅舎の位置も決まったというのが私なりに導き出した考えだ

こちらはホームと駅舎の様子

ホームには「ワンピースを探せ」のキャラクターがいる。列車を見送ったのは8時45分。次の立野行きは10時52分で2時間以上もない。さすがにここで2時間時間をつぶすわけにはいかないので、朝の9時とはいえ、かなり気温が上昇してきた中、最後の長陽駅まで歩き始めることとした


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