貨物を担う私鉄としてもうすぐ100年の三岐線~その5 いきなりのメインイベントはプチホテル?

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※訪問は2024年12月17日

※現在、三岐鉄道の三岐線と北勢線は別々の1日乗車券が必要です

ようやく三岐線をじっくり

時系列的にはこちらの続きになる

北勢線の全駅訪問を終えて近鉄富田へと移動。前回はほんの少ししか回れなかった三岐線に本腰を入れる

近鉄富田から乗車して45分

東藤原駅に到着である

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目を見張る駅舎

構内にはさまざまな列車がいる。こうしてあらためて写真を見ると、JR東海から譲り受けた車両がすでに待機していたことが分かる。もっとも当時は別のことに関心がありすぎて、あまり目に入らなかった

そのひとつはなんといっても美しい駅舎だろう

あまりにも美しすぎる

小高い丘の上にあるので離れてみるとこんな感じ。「東藤原」の駅名板がなければパッと見るとプチホテルおおしゃれなレストランにしか見えない

2017年(平成29)にできたばかりのピカピカ

正面からの姿も、もちろん美しい。上屋を支える柱も凝っている。当駅訪問がこの日のハイライトのひとつだった

路線の意義を体現する駅

ハイライトだったのは駅舎だけではない。どちらかというと、ここからが本題である

駅前にはかつて当駅で活躍したセメント用の貨物車が保存されている

解説文で貢献度が分かる

東藤原駅は1931年(昭和6)の開業。三岐線は富田から当駅までがまず開業。その年のうちに残る東藤原~西藤原までが開業して全線開業となったが、まずは東藤原までの開業が優先事項だったのだ

東藤原駅は太平洋セメント藤原工場へと直結している。車窓からもよく分かるが、三岐線はこちらの工場と富田駅を結ぶことが、まず最初の仕事だった。富田駅というのは近鉄富田ではなく国鉄(当時)の富田駅。今も当駅から貨物列車が出る。私鉄でありながら旅客輸送だけでなく貨物輸送も担う特別な路線を体現する駅だ

西側には大きめの踏切があるが、太平洋セメント藤原工場への案内板もある。そしてこの踏切はふだん見かけない案内がある

ひんぱんに遮断機が降りる時間帯を記したおことわりである。地元の方は理解されているだろうが、初めて来るとイライラするかもしれない。1時間に1本ぐらいの割合で10分ほど踏切を渡れない。それは単純に通過列車が多いだけでなく車両が行ったり来たりするからだ。ぼんやり見ているだけで踏切にかからない場所でも車両が動いていることが分かる

私のいた時間帯でも分岐を渡って貨物列車がやって来た。私は貨物列車については専門外だが、それでも見ているだけで楽しい

当然構内では多くの人が作業に従事している。駅舎についてプチホテルのようだと形容したが、あながちそれは間違っているわけではなく、駅舎は作業にあたる方の休憩所としても機能しているのだ

こちらは改札口

こちらは保存車両も含めた俯瞰したところ。セメント工場があるぐらいなので周辺に民家は少ない。駅の重要性の高さや立派な駅舎に相反するように1日あたりの駅の利用者は2023年のデータで98人と100人を切っていて、この数字は実は路線内14駅(近鉄富田はのぞく)で下から2番目。ただ三岐線訪問の際は、最優先でリストに入れてほしい駅である

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