※訪問は2024年10月26日
貴重な特急も乗継割引廃止の余波で
朝8時半すぎの名古屋駅在来線ホームでの朝食はきしめん。これはこれで十分美味だが、乗継割引の影響はこんなところにも出ている。少し前なら割引分で千円以上の駅弁を食べられたのだが
9時発の特急「しなの」乗車。本日は10両編成というサービス編成だが、2日前に指定席が満席だということを知り、いずれにせよ2両しかない自由席の列に並ぶ。駅員さんも複数で自由席の案内。8時45分から並んで何とか通路側の座席を確保。多くの立ち客をデッキに積んで名古屋駅を出発。ちなみに途中駅でポツポツ下車があり、塩尻到着時は全員が着席できていた。ちょっと不思議だったのは、多治見や中津川でも下車があったこと。私より前に並んでいた人だったので、少なくとも20分はホームで待っていたことになるが、20分もホームで立っているなら在来線の快速なり普通に乗った方がいいのでは?
ただ私も過去数え切れないぐらいしなのに乗車しているが、しなのの自由席の混雑具合というのは年に数回の乗車では全く想像できない。今回は8両もある指定席が満席だったことで想像できたけど
約2時間で塩尻到着。当駅からJR東日本の区間に入るので必ず行われる運転士と車掌さんの引き継ぎ儀式。しなのという列車は名古屋と信州を結ぶ幹線らしい特急だが、長野~松本という県内の重要な移動も担う列車にもなっている。だからこその1時間に1本という頻発ダイヤだが、この区間は完全なJR東日本エリアでありながら、特急車両はすべてJR東海という貴重な乗り物にもなっている
今のうちに見ておこう
塩尻駅には、ここ2、3年の間にも散々来ているが行ったことのない場所がある。旧駅跡だ。先に地図を示すと、この位置となる
1982年(昭和57)まで駅は地図で示されたロータリーの位置にあった。点線のように描かれているのが今も残る線路だが、旧駅のあたりの線路が多いことが分かる。そして中央東線と中央西線を結んでいる短絡線が、かつての中央本線だった。現在は中央東線と中央西線を直通しようとすれば、必ず塩尻駅でスイッチバックを強いられるが、駅移転までは中央本線の東西はそのままスルーできて、名古屋方面から松本方面に行こうとすれぱ(特急しなののコース)、塩尻駅でスイッチバックする必要があった
残った旧線は臨時列車や団体列車に使用されてきたが、今はほぼ使われていない。廃止の話もある。だったら今のうちに見ておこうと今回の訪問となった
駅前ロータリーを右に向かい、突き当たりを左へ折れると街がにぎやかになってきた。銀行があり商店街がある。このあたりが塩尻の中心部だということが分かる
それにしても人が多い。家族連れが目立つ。週末ということもあるのだろうが、何やら仮装ムード。この時点でも塩尻旧駅しか興味のない私は何のことやら理解していなかったが
先の道路が通行止めの歩行者天国となっていることで、ハロウィーンイベントだということをようやく理解した次第
そして通行止めとなっている大門八番町の交差点を右に折れると、そこに見えたのが
時計とロータリー。これは分かりやすい。どう眺めても駅前ロータリーの跡地だ
住所は大門一番町の1。駅の住所が1丁目1番地というのは、よくある事例だが、こちらも例に漏れなかったようだ
駅近くには、いわゆる駅前旅館があり、郵便局もある。商店街の近さから、駅が街の中心部にあったことが分かる
東線と西線がスルー構造だった理由
近づけるところまで近づくと、ここが貨物ホームのあったと思われる場所。旧駅付近の線路は貨物機関区となっている
特急「あずさ」が通過していった。旧駅の様子は中央東線に乗っているとよく分かる
踏切はもちろん渡れないが、奥に見える斜めにカーブしている架線が短絡線
現在というより、駅移転のかなり前から中央東線と西線を直通する定期列車は時刻表から消えていた。手元に1978年10月の時刻表(復刻版)がある。特急しなのはすでにあったが、新宿から松本へ向かう東線の特急あずさは塩尻通過列車があったにもかかわらず、しなのについてはスイッチバックの関係で全列車停車である。しかも塩尻駅では5分以上の停車を強いられていた
なぜ同じ中央本線なのにこのようなスイッチバック構造が生まれたかというと、長野から塩尻まで篠ノ井線を経由しての東京方面行きが中央本線だったのだ。長野と東京を結ぶ路線を信越本線と、もうひとつ設けようという目的だった。塩尻駅の開業は1902年(明治35)と古いが、松本から延伸された現在の篠ノ井線の終着駅だった。その後、岡谷からの線路(旧線)がつながった。現在の中央西線の登場は、さらに後。要は長野から松本を経由して東京へと向かう線路が先にできたので、松本から名古屋方面は塩尻でスイッチバック構造になった。名古屋までの全通を機に中央本線と篠ノ井線という路線名が付けられ、東京からだと松本へも名古屋へもスイッチバックなしで行けるようになっていた
ただ東京方面からも名古屋方面からも主要客は松本や長野を目指す。需要とは異なる不便なスイッチバックだったが、ずっと残っていた理由のひとつは中央本線が東海道本線のバイパス的な役割を担っていたため。日本の大動脈である東海道本線でトラブルがあった場合、旅客輸送も貨物輸送もストップしてしまう。そのための保険として中央本線は東西がスルー運行できるようになっていた。ただ東海道新幹線の開通によって、バイパスとしての存在感は薄れ、定期列車もなくなった
旧駅からの新駅まで、歩行者は線路沿いに歩いていくことができる。こちらが近道だ。現在、東西からの貨物列車も塩尻駅ホームに入る運行となっている。近年、わずかに短絡線を結ぶ臨時列車の運行があったが、ここ数年は運行されていない。短絡線の存在意義も薄れている
駅へ戻って気付いたのだが、改札近くの窓もズラリとハロウィーン仕様だった
旧駅跡は塩尻駅から徒歩10分もかからない。機会があれば、ぜひ訪れてみてほしい
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