※訪問は2024年1月10日
福塩南線では利用者最少
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近田駅に到着。単式ホームと待合所のみという福塩南線では定番の形となっている
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駅前の道路と入口が近くスロープ状でホームに直接入る形になっているのもよく見かける。開業は他の多くの福塩南線の駅と同じく1914年(大正3)。福塩南線のシリーズを始めてから、あまりにも「1914年」と入力するので、ここのところPCさんもすっかり記憶したらしく「1」と打ち込むと「1914年()」と表示されるようになっている(笑)
現在は福山市だが、1975年(昭和50)までは駅家町。さらにその20年前までは近田村が存在した。駅名は、その近田村に基づく
駅の周辺は住宅街だが、「街」という意味では、お隣の駅家駅周辺がにぎわいを見せる。またメイン国道となる486号まではやや距離があり、ロードサイド店もそちら方面に集まっているため人の集まりはそちら側に向かっているようで、駅の利用者は少なく、1日の利用者数(2022年)は福塩南線では最も少ない。とはいえ386人。平野部の住宅街を進む福塩南線では、利用者一桁の駅は存在しない。二桁もない。このあたりは歴史の違いだけでは片付けられない福塩北線とは別路線とも言われるゆえんだろう。
またこれは次の駅へと関連してくるが、駅の北側を走る県道、つまり万能倉駅から駅家駅まで歩いたルートは「石見銀山街道」の名がある通り、かつては駅周辺のメインルートだったのだろう
ひときわ目立つ駅名標
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他の駅と少し異なるのは待合所の位置。ホームからは4段しかない小さな階段を降りるのだが、この空間はかつてもう1本の線路があったように思える。島式ホームだったことがあるのか貨物ヤードがあったのかは分からないが、線路跡のスペースのようだ。とはいえ待合所そのものもかなりの年代もの。国鉄時代の早い時期に現在の形になったものと思われる
そんな近田駅で目を引くのが
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頑張る駅名標。ホームには2つの駅名標があり、ひとつは1枚目の駅到着時のもので、もう1枚がホームのフェンス外に建っているもの。「建っている」というより「立っている」と表現した方が分かりやすい。かつて線路があったであろう場所に設置されている。ホームのフェンスより高くしないと意味がないので精一杯背伸びする光景が、なかなかほほえましい。長大ホームではないので、わざわざホーム上に加えもうひとつを設置しなくても良さそうなものだが、かなりきれいに更新されている。これを見るだけでも駅訪問の意味はある
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