根室本線の廃線予定区間の全駅訪問~わずか3カ月で運命が変わった「終着駅」

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東鹿越駅の駅名標

※訪問は2023年5月27日

代行バスの接続駅

布部から列車に乗り込み、2駅飛ばし東鹿越に到着。線路はここで途切れていて、先の区間は代行バス輸送となる。到着時刻は14時59分。代行バスが幾寅方面からやって来るのは時刻表では15時4分。バスの到着を待って列車も折り返す。時刻表では15時12分発でバスも15時13分に幾寅へ折り返すことになっているが、少なくとも私の訪問日についてはバスもほぼ正確にやって来た

駅舎横には「バス停車位置につき駐車禁止」の注意書き

子供が元気に飛び出してきたが、列車→バスもバス→列車も、かなり同業者(鉄道ファン)が多い。青春18きっぷの期間外ではあるが、この日は土曜日。旅客はそれぞれ十数人ずつだが、半分以上はそのようだ。前々日は小幌駅を訪問したが、室蘭本線車内で見かけた方もいる。車中で「この人は絶対に同業だ」と確信したが、洞爺で降りてしまったため、自分の見込み違いかと自信喪失したが、そうでないことが分かり、ホッとする(笑)

多くの側線を持つが

多くの側線を持つ駅で現在もJR貨物の駅ということになっているが、貨物運輸はとうに終わっていて臨時駅扱い。ホーム上には実に分かりやすく「石灰石」が置かれていて、これが駅を物語る。かつては、駅に近い日鉄鉱業の東鹿越鉱業所からの石灰石輸送が行われていた。ちなみに日鉄鉱業の鉱業所といえば、伯備線の井倉駅から見えるものもそうである。他の鉱業所への輸送もあった。側線の数々はそのなごりだ

ただ貨物輸送で栄えた駅の利用者数はどうかというと駅の位置で明らか

駅前に広がるのはダム湖のかなやま湖。民家は全くない。元々は集落があったが、ダム工事とともに沈んだ。金山と当駅の間にあった鹿越駅はダム工事に伴い、線路が変更され信号場を兼ねた仮乗降場となった末、正式駅の再昇格はならず国鉄末期に廃止された

駅としての歴史は東鹿越の方が浅く、戦時中の1941年(昭和16)に輸送力増強のための貨物を取り扱う信号場として設置。戦後間もなく正式駅に昇格した

だがダムができる以前から信号場として設けられたぐらいなので、当時から利用者は少なく、ダム湖完成後は、役割は石灰石輸送とかなやま湖観光のための駅としての位置付け

名所案内は、ダム関連のものばかりだが、当然のように観光客のほとんどは車利用である

廃駅決定の直後に

このような状況なので、1日の利用者は極めて少なく、JR北海道も廃駅を決定。2016年6月のことで、翌春に70年の歴史にピリオドを打つはずだったが、同年8月の降雨災害で根室本線が大きな被害を受けたことから、10月に代行バスの発着場となり、廃駅予定だった翌春も被害からの復旧が見込めないことから、駅として存続することになった

以降、鉄路の「終着駅」として利用されていたが、2024年春の廃線が決定。廃駅予定からの復活を経て、今度は廃線に伴う措置で廃駅になるという数奇な運命をたどることになった

立派な駅舎を持つ。利用者は少なかったが、石灰石の貨物輸送が行われていたため、駅員さんが必要だったためだ。1997年の貨物輸送の終了で無人化されている

窓口は塞がれているが、きれいに清掃されている

ホームは島式1面2線で、一応現役となっているが、実際に使用されているのは片側のみ。私は代行バスには乗り継がず、乗車してきた列車に再び乗り込み、折り返すことに。本当は列車も代行バスも去った駅の静寂を味わいところだが、とにかく4・5往復の区間。なかなかそうはいかない。わずか10分ちょっとの滞在で名残惜しく駅を去らねばならなかった

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