11月10日11時45分
またもや川の壁
橋脚再発見で快調な歩み
これは振り返りなのですが、その先は
またもや川で向こう側に行けません。目の前にあるのは堀川。その名の通り、川沿いに北上していくと熱田神宮、大須観音の西側を通って名古屋の中心街へと向かい、納屋橋、錦橋を経て名古屋城のお堀へと至ります。中川運河とは違って庄内川とつながっていますが、都市部分から下流にかけての水質汚染は問題となっています
とにかく渡らないとどうしようもない
迂回して渡る
新幹線が走ります。こうして東海道新幹線沿いを歩いていると、本当に「ひっきりなし」に新幹線が運行されていることが実感できる。正午ごろでこうなのですから、本数の多い朝はもっとすごいのでしょう
血税投入ゆえに
国鉄からJRに管理者が変わる際、ほぼ完成しているこの施設をどうするかの議論になりました。建設は国鉄で国の予算をもらって工事をしている。資金はいわゆる「血税」で、400億円近いお金が投入されています。貨物需要がなくなったからといって放棄します、とは簡単にいかない
有力な選択肢のひとつとして当然、旅客化もありました。貨物線の活用は東京ではうまくいっています。お休み中の線路を生かして東京駅から羽田空港まで直通できる新線の工事も始まっています
大阪では新大阪から分岐して大阪駅を避け、環状線の福島駅で合流する貨物線が「くろしお」や「はるか」の特急運行に利用され、この3月からは地下の新線が建設されて大阪駅近く(駅名は大阪)を通る発展を遂げました
ただそれは現在の状況を見るから言えるのであって、埼京線が山手貨物線を利用して新宿まで到達したのは1986年で成田エクスプレスは91年。JR移管は87年ですから、南方貨物線の議論は、東京でもようやく貨物線利用が開始されたころだったのです
南方貨物線の目的がそうだったように、そもそも貨物線というのは都心の駅を避けるように造られています。池袋、新宿、渋谷と東京駅とは離れた貨物線が走る位置にも大きな流動があるのは東京という巨大都市だからであって、他都市ではなかなかそうはいかない
先日、国鉄色の103系が最終ランで多くの鉄道ファンが訪れた神戸の和田岬線も、その先には港に向けて広大な貨物線が敷かれていました。東側の港には神戸臨港線があり神戸駅の南側を出て三ノ宮のすぐ東側の灘駅~六甲道駅間で東海道本線と合流していましたが、三ノ宮を避ける形になっていたため電化もされていたものの阪神・淡路大震災後に廃線となっています。臨海部の貨物線で生き残ったは旅客利用から始まり、旅客線となった和田岬線だけでした
今回、未成線沿いに歩いていくと多くの住宅街やマンションがありましたが、まだまだ工場と倉庫中心の街並みで、名古屋駅を避ける形の運行では採算がとれない、と旅客化も断念。未成線化が決定しました
迂回して対岸までやってきました
奥は新幹線。再び遺構を利用した構造物が姿を見せます
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