山陽本線

青春18きっぷで相生-岡山途中下車のススメ~高台にたたずむ県境の駅

三石駅訪問時は桜が満開だった

※駅の状況が変化している可能性があります

岡山県と兵庫県

上郡を出て岡山に向かう電車は距離にして12・8キロ(山陽本線最長の駅間)、電車で10分もかけ、岡山最初の駅である三石に到着します

いかにも県境という車窓には民家はほとんどなく、国道2号線のバイパスが見えるのみ。こういう県境感の車窓が私は好きです

新幹線に乗れば、新大阪から45分、新神戸からは30分で岡山に着いてしまうので、とても近い隣県と思われる方も多いかもしれませんが、私の認識は全く異なります。まず駅を降りるとイントネーションが違います。いわゆる関西式とは逆になります

過去の歴史を見ても、播磨の国と備前の国は攻めて攻められてと、領地争いが繰り広げられ、豊臣秀吉が主役なので描かれ機会が多いのでしょうが、有名な上月城の戦いなど争いの印象が強い

三石は古代より宿場として栄え、南北朝時代から戦国時代までも内紛を含め数々の攻防が行われた地。近代は耐火性のある蝋石を産出する鉱山の町からレンガの町となりました

多くの側線を有する高台の駅舎

今もレンガ関連の会社や倉庫が残る国道2号の旧道沿いにある町の高台に駅はあります

手前でカーブを描いているのが国道2号で駅舎は道路を見下ろすように建てられています

多くの側線が残ります。無人化されていますが、山陽本線では岡山県の東端にあるため、早朝と夜間には当駅始発、夜間と深夜近くには当駅止まりの列車が設定されています

訪問は今年の4月6日。沿線の他の駅では終わりかけていましたが、山中の駅では桜があまりにも美しすぎた

当駅訪問は2017年9月以来。前回と異なるのは駅舎の左側が縮小されて新しい建物が建っていること

財産票を見ると目的は明らか。電車の夜間停泊時の乗務員の宿泊施設となっています

大正時代からの駅舎

これは6年前の様子で無人化されて間もないころの写真ですが、今と大きな変化はありません

窓口の上には列車のヘッドマークが展示されていてユニークなものばかりですが、どの時代のどんな列車のものか私には確認することができませんでした

駅は1891年の明治23年に現在地に設けられました(開業は別の地で1890年)。財産票には大正10年と記されています。大正10年といえば1921年。すでに100歳を超えたことになります

駅舎を入るとホームにはトンネル形式の通路を上がっていくのですが、振り返るとこのような感じ。途中の通路は庭園となっていて、きれいに整えられています

ホームは側線に囲まれた1面2線。電車に乗ると旧三石町の中心部だった街が車窓から一望できます

ぜひ訪れてほしい県境感たっぷりの駅です

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青春18きっぷで相生-岡山途中下車のススメ~知名度抜群の県境駅

上郡駅の駅名標

※状況が変化している可能性があります

何かと見聞きする駅は

相生から西へ向かう山陽本線は有年そして、ここ上郡のわずか2駅で兵庫県と岡山県の県境に到達します

降りたことはないけど駅名だけは知っているという駅というのがあるのではないでしょうか。都市圏で運行される電車の終着駅となる駅によくあるケースで近畿圏では「野洲」「網干」などが挙げられます。上郡もそのひとつ。今は運行がなくなりましたが、赤穂線の備前片上駅は大阪・神戸方面への直通列車が走っていて「一体だんなとこやろ?」と子供心に思っていました

上郡もそんな駅のひとつで鳥取方面へと向かう「スーパーはくと」の停車駅としての案内が必ずある上

近畿圏のフリーきっぷが発売されると一番左に印字されていることが多い。市町村合併の影響もありますが、このきっぷで言うと利用区間の限界で自治体で言うところの「町」にあるのは上郡だけ(関西空港駅は田尻町と泉佐野市にまたがっている)

山陽本線の姫路以西は相生ダッシュの項で触れたように、多くが赤穂線直通へとシフトしましたが夜には大阪方面から上郡が終着となる電車が今も運行されています

古来からの重要地域

と延々説明してきましたが、私がちゃんと同駅に降りたのは2018年6月のことで全くの最近。上郡という駅の存在を知ってから40年以上が経っている

時間は22時前。鳥取から帰る際、それまで乗ったことがなかった「スーパーいなば」にどうしても乗りたくなった私はスーパーはくとではなくスーパーいなばに乗車。ここ上郡で乗り換えました

この時はすっかり夜で、ちゃんと明るい時間帯に訪れたのはもっと遅く2020年の3月で、つい最近のこと。こういう「いつでも行けるようで意外と遠い駅」というのは後回しになってしまうものです(三ノ宮~上郡は約90キロもある)

開業は1895年の明治28年。その5年前に有年から岡山県に入った三石まで線路が延びていて後から設置された形となっていますが、上郡は古来より播磨の国と備前の国の国境として重要な地域でした。駅舎はおそらく大正期からのものがずっと使用されています

有年の駅前を通る国道2号線は岡山方面へは山中を突っ切るバイパスとなっていますが山陽本線は川沿いを一度北へ向かう形で敷設され、大きく弧を描く形になった線路の北側に位置するのが上郡。奈良時代よりさらに前に山陽道の通り道となり、鎌倉時代から戦国時代にかけては国境を巡る陣取り合戦も繰り広げられました

駅前にはこのような観光案内も

ちなみにこの白旗城への最寄りは智頭急行で2つ先に行った「河野原円心駅」となります

山陽本線最長の駅間

鉄道的には山陽本線の兵庫県西端として重要地域となり、今も上郡発着の電車が設定されています。そのため構内も広い

また県境越えとなる三石までは12・8キロもあり、これは山陽本線最長の駅間となっています。ぜひ車窓を楽しんでほしい区間です

1994年には智頭急行が開業。起点駅となりました。スーパーいなばはJRのホームから発着しますが、他は別ホームで

線路はつながっているものの別駅扱いです

上郡は運行の拠点駅で朝と夜に大阪方面への直通電車も運行されていて新快速の出発、終着駅ともなっています。もちろん直営駅で駅員さんもいますがきっぷ販売については一昨年にみどりの窓口が廃止され、みどりの券売機が設置されています

ちなみに最終電車の到着は深夜0時40分でかなり遅い。こちらは20時43分に米原を出て高槻~明石間は快速として運行される電車ですが4時間もの長時間運行。存在はかなり以前から知っていて、ぜひ乗車してみたいと思ってはいるのですが、では着いてどうするんだと言われると、なかなか厳しいものがあり、長らく保留状態となっています

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青春18きっぷで相生-岡山を途中下車~いきなりメインディッシュの有年駅

有年駅の駅名標

※状況が変化している可能性があります

兵庫県最古の駅舎が存在していた

相生のひとつお隣で、すぐに私にとってのメインディッシュとなってしまいます。これを最後にしたいため、岡山側からたどる方がいいのか真剣に悩んでしまったほど

有年駅です。「うね」と読みます。さりげなく難読駅。これは2016年10月22日の写真です

このような木製の解説が建てられていました。ここにも記されている通り、開業は1890年というから明治23年。当時の山陽鉄道によって一度神戸からの終着駅となりました(間もなく線路は岡山県まで延びる)。こり山陽鉄道は現在の山陽電鉄とは異なっていて十数年後に国有化され、山陽本線となりました

駅舎はその当時からのもので、兵庫県最古の駅舎として長らく知られていました

駅舎内の様子。みどりの窓口こそありませんが駅員さんのいる駅

と同時に工事が行われていて新しいホームの付け替え作業は完成に近づき

新たな橋上駅舎もほぼ完成

使用も一部が開始されたばかりという状況でした

塩で大いに栄えた駅

駅の所在地は赤穂市。赤穂といえば赤穂浪士の時代から今に至るまで「塩」が大きな産業です。ただ鉄道黎明時に赤穂の町中や沿岸部には路線がなく、塩の運搬は課題でもあり、儲け話でもありました

そこで既存の山陽本線まで何とか線路で結ぼうと、いろいろな案が練られました。当時の大きな町で岡山側にも便利な場所は上郡ですが、地図を見れば分かるように山陽本線は大きく北側に迂回するように敷設されていて、ここまで線路を伸ばすのは無理となって指名されたのが有年。赤穂市の中心部から真っ直ぐ北にある。ということで1921年の大正10年に敷設されたのが播州赤穂~有年の赤穂鉄道

接続駅として有年が大いに栄えたことは駅前の解説にもあります

大変分かりやすい

地図の部分だけを拡大するとこのような形。駅の周辺はいろいろな店舗だけでなく、映画館やダンスホールまであり、大いににぎわっていたことが分かります。もちろん今はその光景は一変していますが、国道2号線の有年駅近辺は今も住宅が多く片側1車線の細い道路となっていることに、名残があります

全国各地には石炭などの鉱山や林業で栄えた駅は数多くありますが、塩で繁栄した駅というのは珍しい。赤穂ならではの話です

ただ戦後間もなく現在の赤穂線が相生から分岐して播州赤穂まで開通すると同時に存在意義がないとして赤穂鉄道は廃線。この赤穂線の影響は非常に大きく、元々岡山までの延伸を目的にしていた現在の山陽電鉄は計画を止めてしまいました。今は支線となって山陽網干が終点となっている網干線は現在の赤穂線のルートでの岡山到達を狙っていました。兵庫県内で完了しているにもかかわらず「山陽」という社名だったり、姫路駅に向かう際、本線と網干線の分岐駅である飾磨駅で網干線の線路が直線的で、本線が大きく弧を描いているのが、そのなごりです

長らくの静かな駅が

1951年の赤穂鉄道廃線後はひっそりと暮らしていた有年駅に変化が訪れたのは2010年代に入ってから。駅を訪れると分かるのですが、駅舎とは反対側に新たに宅地が造成され、駅へのアクセスの利便性を図るため橋上駅舎の構想が持ち上がります

それに伴い、明治以来の駅舎は解体となるのですが、由緒ある駅舎を残そうという運動が持ち上がり2016年は、まさにそのまっただ中

ただ翌2017年9月の時点でも、そのままでした

しかし同年12月24日に訪れると

このような案内とともにすっかり駅舎は姿を消していました。しばしぼう然

右にある旧ホームの上に駅舎は建っていました。もう土台が残っているだけ

山陽本線なんて未来永劫、廃線になることはない路線ですが、地方都市にある古い駅舎を残す難しさを痛感した瞬間でした

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青春18きっぷでちょっと途中下車~相生-岡山の各駅紹介

青春18きっぷ

※各駅の施設が変化している可能があります

新快速で楽々移動

青春18きっぷのシーズンまっただ中。夏の18きっぷは期間も長いため、1年を通じて最も利用者が多い期間。今年は7月20日から9月10日までが利用期間となっています

「JR全線の普通列車が乗り放題」というルールの避けられない運命として普通列車で延々と揺られなければならないのですが、JR西日本の東海道本線、山陽本線の米原~姫路間は在来線の特急を追い越しそうになるスピードスター、新快速が走る18キッパーにとっての人気区間です。個人的なオススメはこの区間を利用して四国の高松に渡るコース。岡山からは快速マリンライナーで、こちらもストレスなく乗車できます

ただ、兵庫県と岡山県の県境越えとなる区間は普通のみの運行。しかも姫路~岡山をダイレクトに結ぶ電車は朝と夜にしかなく、昼間はすべてが相生での乗り換えとなります。これが名高い「相生ダッシュ」を生む原因となっています

相生ダッシュのメカニズム

こちらは2019年9月の相生駅での一コマ。18きっぷ期間最後の週末で朝の9時半。最も各地からの利用者が多そうな時間です。姫路からの電車とは同一平面で乗り換えられるのですが、写真に「殺気」があふれています

しかしなぜ相生での乗り換えを強いられるのでしょう?

それは相生以西では赤穂線が「本線扱い」を受けているからです

姫路から相生を経て西へ向かう山陽本線の電車は昼間はすべてが播州赤穂行き。観光地でもあり、沿線人口も多い播州赤穂へ姫路から直接行けるようになっています。相生からの山陽本線は有年、上郡の山中の2駅で岡山との県境に入ってしまうので、次第に播州赤穂方面が優先されるようになりました

しかも相生から岡山へ向かう電車は1時間に1本しかありません。この電車は姫路方面からの播州赤穂行きと平面接続ですぐ発車するため、18きっぷのシーズンは、岡山の電車に向けて殺到する場面が見られるのです

コロナ禍以前は相生発上郡行きという兵庫県内の2区間で完結する電車が1時間に1本あり、こちらも播州赤穂行きへの接続があったため、姫路から相生までは30分に1本の運行で、こちらに乗れば、早めに相生駅に着いて確実に着席するという戦法がとれたのですが、今は昼間は1時間に1本。余裕を持って岡山行きに座れる電車がこの時間帯はなくなってしまいました

また新快速は原則12両編成ですが、姫路で播州赤穂行きに乗り換え、また相生で岡山行きに乗り換えると編成数がどんどん減っていきます。大阪方面からの播州赤穂行きの直通がない時間帯は姫路駅でも座席争奪戦が起きるので、こちらも要注意。特に12両編成の後ろの方に乗っていると、かなり前まで移動しなければならないので留意しなければなりません。姫路までは15分に1本の新快速があるので、こちらこそは余裕をもって姫路で乗り換えたいものです

相生駅周辺は

そんな相生駅ですが、新幹線駅も併設している割に街の中心部から離れているため、駅前はホテルがあるだけで大変寂しい場所となっています

私がよく訪れていたのは道の駅であるあいおい白龍城。これは冬場の写真ですが温泉が併設されていて風呂に入った後、カキオコを食べにいつも来ていました

相生駅からは歩くと30分近くかかりますがバスだと10分程度(歩くのなら赤穂線の西相生から15分で行けます)

相生~岡山間は68キロ。電車だと約1時間。県境越えをはさんで途中12の駅があります

18きっぷのシーズンは、ほとんど乗ったまま通過されることが多いのですが、せっかく乗り放題、降り放題の青春18きっぷです。岡山市内に近づいていくと本数も増えます。どこかで途中下車して風情を味わってみてはいかがでしょうか。順番に駅紹介をしていきたいと思います

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リベンジ岩徳線その6~岩徳線イチの駅でした

柱野駅の縦駅名標

2022年12月28日10時

ゴールが決まっているゆえに

徳山にやってきた時点で岩徳線13駅(両端の岩国と櫛ヶ浜はのぞく)のうち未訪問駅は2。川西と柱野です。岩国側に偏っていますが、これは最初に「ゴールは西岩国にする」と取めごとをしたからです。10月に改修中の駅舎を見て膝から崩れそうになりましたから。今回の旅は岩徳線のリベンジでもあります

そのために

山陽本線で岩国まで戻ります。岩徳線は11時すぎまでないので山陽本線で10時8分に徳山を出れば11時15分に岩国に着き、同21分発の岩徳線徳山行きに乗ることができる(このダイヤは今年3月の改正で微妙に変わっていて徳山発10時11分→岩国着11時22分→岩徳線岩国発11時26分となっています)

岩国の乗り継ぎは6分しかなく途中、何かのアクシデントで山陽本線が遅延すると行程が完全崩壊するのでヒヤヒヤしましたが、無事に到着

5時間ぶりに岩国の岩徳線ホームに戻ってきました。すっかり明るくなっていますね。というか、もうお昼前で好天に恵まれ暖かい。すぐ出発だったので、その必要はありませんでしたが、風もなく待合室は不要な陽気でした

すごいものが続々

目指すのは岩国から3駅目の柱野。柱野で40分ほど過ごして岩国行きで折り返し川西へ。川西から西岩国までは徒歩30~40分と思われるので今日の気候なら、ちょうど良いでしょう

しかし、そんな先のことを考える余裕なんてないほど柱野では、いろいろと「見せて」いただきました

15分ほどで柱野に到着。1934年の全通時に開設。全通と同時に山陽本線となったので山陽本線の駅として誕生しています

駅は高台の盛り土というか山の斜面に造られています。当駅から徳山側へ1駅の欽明路までは岩徳線の中では最も長い6・7キロもあります。これは欽明路の項でも触れましたが3キロ以上の欽明路トンネルがあるからで欽明路が平成に誕生したことを考えると、もともとの駅間である柱野~玖珂は8・6キロもの距離がありました。トンネルのほかにも2つの橋梁があって岩徳線では最大の難工事だったことがうかがえます。この駅間にはバスもないので全駅訪問には、なかなかハードルの高い駅となっています

島式ホームの柱野はさすが山陽本線の駅として造られただけあって長い長いホームを有しています。そんな長い列車は今は走らないのでブロックされていますが欽明路トンネル手前の駅なので交換設備は残され、当駅ですれ違いを行う列車も設定されています

左横にはどこにもつながらない道路のようなものが見えますが側線があったようにも思える

年季の入った待合所がホーム上にありますが、手前に引き戸があることから以前は左側にも壁もしくは窓があったのでしょう。片側だけになった理由は分かりません

感心するのは、まだ早い

跨線橋ではなく構内踏切で改札に向かいますが

そこにあるのは駅名板。どう見ても本来の使い方ではないですよね。金網の上に掲げてあったものが時刻表を設置する際、完全に隠れてしまうことから、この位置に来た、いや置いたと考えられます

まだまだあります

階段を降りるとこのようになっています。勝間駅と違って屋根は残してもらったようですが、少し前の写真では階段の両脇は以前は立派な木が何本もあって森が階段を包むかっこいい形になっていたものが、今はきれいに刈り取られている。火事対策でしょうか

現在の駅としての施設はこれだけですが、以前はちゃんと駅舎があったようで駅前は大きな広場となっていて、さらには

池と庭園があった跡が。きっと緑も多い立派な駅だったのでしょう。少しずつ痕跡が残っているのがすごいなぁ、これは岩徳線でナンバーワンかも、と写真を撮っていると後ろから声をかけられました

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リベンジ岩徳線その5~考えさせられる現実

2022年12月28日9時40分

大混雑の車内

徳山に到着。エスカレーターに久しぶりの対面

時期は冬休みで朝の通学時間帯の高校生は少なかったのですが、朝の9時を過ぎて「おでかけ」の高校生で車内はあふれかえっていました。編成は単行の2両の2パターンのようですが、学校の休みなどは関係なく、いつも同編成になっているらしく私が高水からの徳山行きに乗車したのは9時過ぎ。その時点で単行列車はすでにギリギリ座れるかどうかの混雑ぶりでしたが、一駅ごとに大量のお客さん、ほとんど高校生のようでしたが、どんどん乗ってきて車内は大混雑

10月の訪問時の朝の通学帯についても触れました

この時は「バス転換なんて無理だろう」と思いましたが、今回は「これで廃線論議になるとしたら」と感じました。日本中のローカル線は、かなり乗っていますが、私鉄や三セクも含め、もっと閑散としている路線を数多く知っています。なかなか厳しいというか、いろいろ考えさせられる現実です

さて早朝に起きてコンビニおにぎり1個食べただけなので、かなりお腹が減ってきました。かなり活動してきた実感がありますが10時にもなっていない。岩徳線はここから2時間近く運行がなく、まだ朝食タイムということで

吉野家で朝食。一息つきました

無人化翌日の訪問

大混雑の岩徳線でしたが、半分以上の乗客がドッと降りたのは櫛ヶ浜でした。山陽本線との分岐駅で岩徳線はすべての列車が徳山まで乗り入れますが、帳簿上は岩徳線の終点はこちらになります。この日は櫛ヶ浜付近でイベントが開催された形跡はなく、高校生が大量に降りたのは、ここで乗り換えてショッピングモールに向かったのでしょう

その櫛ヶ浜についても触れておきます。訪問は前回、岩徳線を回った前日の10月2日

開設は昭和初期ですが駅舎は、いかにも昭和40年代の国鉄コンクリ駅舎

規模は大きくホームは3本もあります。ただし機能しているのは山陽本線の2面と岩徳線の4面

こちらは駅舎と一体となっている山陽本線の下りホームの駅名標

明らかに国鉄時代からのものと思われる古文字がいくつか残っています

こちらは岩徳線ホームへの案内

こちらは岩徳線ホーム

周南市のスポーツセンター最寄りで「津田恒美メモリアルスタジアム」の愛称を持つ周南市野球場も一帯にあって、各種イベント開催日は大いににぎわいます。この日はイベントの開催はなかったよう、と記したのは、そのためです。学生の利用も多い駅です

にもかかわらず

改札付近には「10月1日から無人駅」の案内が。つまり訪問は無人化翌日

これまでも無人となる時間帯はあったようですが、イベントなどで臨時の駅員さんが派遣される時以外、窓口が開くことはありません。1日に1500人ほどの乗降がある駅ですが定期利用が多いのでIC改札だけで十分と判断されたのでしょう。これも時代の流れですか

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リベンジ岩徳線その1~厳寒の早朝

岩国駅で出発を待つキハ40

2022年12月28日6時15分

朝食もパスして出発

前回から約3カ月。早朝の岩国駅に私はいました。10月と同じように前日は呉線に乗車し呉~三原の全駅回収を完了。夜のうちに移動して岩国泊。10月の訪問時に回りきれなかった岩徳線の駅訪問を行います。今回は間違えられないのでホテルの無料朝食はパス

まだ6時すぎなので駅はまばら。今回手にしているのは青春18きっぷ。自動改札は通れず不便なことも多いですが、岩徳線では全く関係ない(笑)

先の写真でも分かるように岩徳線と当駅内を発車する錦川清流鉄道の案内表示は四角のふちに囲われています。山陽本線は次発、次々発も表示されるのに対し、本数が少ないのでその表示が必要ないからでしょう

慌てて道程を組み直す

岩徳線の時刻表。朝に特化したダイヤとなっています。前回訪問時の記事でも紹介したように沿線に住む高校生の通学に配慮していると思われる。5時発というのは通学には早すぎる気もしますが、これは山陽本線との兼ね合いで岩国発の山陽本線徳山方面行きは6時10分が始発。徳山に行く朝の一番列車は岩徳線となっています

ですから細かく駅を回っていくには早ければ早いほどいい。実は当初、考えていたのは5時58分発で道程を組んで「これで完璧」と4時半過ぎには起きたのですが、窓の外を見てふと気づいたのは「駅で降りても真っ暗ではないか」との疑問

私は日没後は駅訪問をしません。駅そのものの夜は、よいたたづまいをしているかもしれませんが、周辺の景色や雰囲気が味わえないからです。考えてみると前回は10月に入ったばかりでしたが、今は1年で最も日が短い季節となっています。というか真っ暗な山中の無人駅はちょっと怖いかも(汗)

ということで慌てて道程を組み直して6時38分発としました

季節の変化といえば、この時間は猛烈に寒い。今日の現地の天気予報は晴れで最高気温12度と穏やかな気候になりそうですが、晴れていると放射冷却で朝は冷えます

幸運なことに岩徳線ホームには暖房の効いた待合室があり

コンビニおにぎりで朝食。後からもう一人のお客さんが入ってきますが、おかまいなしにムシャムシャ食べていると列車が入ってきました

平日のみ運行されている岩徳線唯一の途中駅始発となる周防高森駅発の列車が折り返して徳山行きになるようです

早速乗り込むと早朝だけあってお客さんは少ない。18きっぷの季節とあって同業者(鉄道ファン)の姿も。もっとも私が降りる駅で彼らが降りない自信は100%あります

こちらも滑り込みの駅

約1時間かけて大河内駅に到着

この時間となると車内は混雑して立っている人の姿も。2両編成で出発したのも納得です。ただすでに冬休みに入っているので高校生の姿は部活の生徒さん以外、ありません

大河内は1面単式ホームのみの簡素な構造で生野屋駅と同日の1987年3月27日のJR移管直前に国鉄の駅として誕生しました

生野屋とほぼ々構造でスロープに券売機が設置されています

こちらが駅名標

駅は小さいですが駅前には立派な公園が整備されていてお手洗いも設置されています。冷え込む日に助かる

駅が設置されたのは付近に住宅街ができたからでホームからも、私とすれ違いに多くのお客さんが乗り込んできました。住宅街のための駅ですから、実は隣駅とも近い

線路でも1・4キロしかなく徒歩でも20分程度。地図を見ると住宅地に寄り添った駅であることが分かります。もっとも周防久保駅は前回訪問済みなので今回は行きません

再びホームに戻り、次の駅を目指します

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和田岬線からの必見ポイント~快速が普通に追い越される?

兵庫駅の和田岬線駅名標

朝のラッシュ時の不思議な光景

和田岬線は朝夕の通勤通学時間にしか運行されません。そのため、訪れるならその時間帯となるのですが平日朝に限ってはとてもユニークかつ貴重な場面が見られるので、ぜひ訪れてほしいところです

朝の8時前の兵庫駅。左が7時57分初の快速。やや遅れて同58分発の普通が右側に入ってきました。快速から多くの人が普通に乗り換えます。一見、どこにでもある光景ですが、乗り換えの多くの人は快速も停車する三ノ宮を目指します。先に快速が到着するにもかかわらず、ここであえて普通に乗り換え神戸を目指す人も多い。兵庫から三ノ宮へは神戸、元町そして三ノ宮と3駅で、快速もすべての駅に停車するので普通でも同じなのですが、先に発車する快速からわざわざ普通に乗り換えるのは不思議な光景。この時間帯なので、どちらも座れないし、わずか3駅です。その答えは次の神戸駅にあります

伝統のホームを利用するわずか8本

神戸駅。東京からやってきた東海道本線の終点で文字まで伸びる山陽本線の起点駅。かつては東京へと向かう優等列車がここを始発としていましたが、現在は当駅を始発着する電車はほとんどありません。ただ特急「つばめ」「こだま」が発車した伝統の始発ホームは今も残っています

ただし、その1番線は

ガッチリと柵が設けられ入ることはできません

その柵が開く時間が平日の朝のラッシュ時

出入りがあり

電車が停車中

堂々と1番線を利用できます

なぜこの時間帯だけ1番線を利用するかというと新快速の待避を行うため。階段を降りてきた人には神戸駅での下車ではなく新快速に乗り換える人の姿が目につきます

東海道本線・山陽本線の西明石~草津間は複々線で、基本的に快速と普通が電車線と呼ばれる内線を、新快速と特急や貨物列車が列車線と呼ばれる外線を走りますが、朝の一部快速は外線を走ります。内線、外線というのは進行方向に向いて内側の線と外側の線になることで、そう呼ばれています。もっともこれは西明石~兵庫については微妙な表現で、この区間については線路別複々線となっていて明石駅では新快速と快速及び普通の乗り換えは階段経由で別ホームに行く必要があり、快速停車駅となっている舞子、垂水、須磨にはそもそもホームが存在しません

兵庫駅から文字通りの外線と内線になり、乗客は平面乗り換えが可能となります

不思議な光景のわけ

兵庫駅での乗客の不思議な乗り換えの理由はここにあります

時刻表で説明します。先述の7時57分兵庫発の快速は8時に神戸に到着して5分間、待避のため神戸に停車。その間に7時58分発の普通は1分遅れで神戸に到着して先に出発してしまいます。快速が神戸を出発したころには、普通は三ノ宮に着こうとしている。ちなみにこの後、快速と普通は三ノ宮の次の快速停車駅である六甲道でほぼ同時刻に停車。六甲道の内外ホームを利用して緩急接続を行います

また兵庫で快速から普通に乗ると神戸には8時2分の新快速がやって来る(兵庫は新快速通過)ので、兵庫で快速→普通と乗り換えれば神戸で普通→新快速を平面乗り換えでき、神戸駅の階段を上り降りしなくても済みます(1番線にはエスカレーターはない)

六甲道での再合流といい兵庫、神戸の両駅を利用した待避、平面乗り換えなど、なかなかよくできたダイヤです。

神戸駅の1番線に入ることができたり、普通が快速を追い越す場面が見られるのも平日の朝のラッシュ時のみ。ただ気をつけていただきたいのは、すべての快速が神戸で待避するかというと、そうではないこと。私が数えたところ現行ダイヤでは8本。冊子の時刻表では舞子、垂水、明石を通過する列車がこれに該当します。ホームページや携帯アプリの時刻表では神戸駅での到着と出発時刻が明記されていることで知ることができます

ちなみに東海道本線と山陽本線の分岐キロポストは下り(姫路方面)5番ホームの外にあるので、こちらは終日見られます

昭和初期の駅舎が近代化遺産にもなっている神戸駅ですが、戦後に町の中心部が三宮に移り、約4キロも離れた新神戸駅の運賃計算を当駅基準で行っていることで、かろうじて存在感を示しています。神戸駅の代名詞だった貴賓室も今年に入ってテナントとして管理していた居酒屋が閉店して先行きが不透明となっています

和田岬線を訪れるなら、兵庫駅と神戸駅での朝の体験のセットをおすすめします

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和田岬線の18きっぷは要注意

和田岬駅の駅名標

電化以来走り続け

西日本グリーンパスの旅の最中ですが、和田岬線について優先して報告させていただきます

7日朝、和田岬線に乗車してきました。過去数え切れないほど乗ってきましたが、103系の終了が発表されてからは初めてです

あえて徒歩経路を示してみました

正式には山陽本線の支線で1区間2・7キロという超ミニ区間。長らく非電化でしたが2002年のサッカー日韓W杯の会場が現在のノエビアスタジアムになったことで、その前年に電化されました。ただ現実には混乱するとのことで試合当日は運休したという逸話があります。ただしW杯に向けて電化したとは公式には発表されていません。現在もJリーグの公式ガイドでは最寄り路線とはなっていない。このあたりの話を書き始めると長いので別の機会に譲りますが、電化以来、ずっと走り続けてきたブルーの103系が3月18日に引退します

前後にそれぞれ別のヘッドマークを付けて現在運行中

東海道・山陽本線の普通電車は3両+4両の7両編成ですが和田岬線を走る電車は6両の変則編成

扇風機が回ることはもうなさそうです

ご覧のように車内のつり革広告部分にも惜別がズラリ

朝と夕方のみの運行で和田岬駅近くの工場や営業所、学校に人を運ぶことが目的のため朝と夕にしか運行されません

ですから、朝は和田岬行きが満員で兵庫行きがほぼ無人状態、夕方は和田岬行きがほぼ無人で兵庫行きが満員というのが特徴

朝の和田岬着の電車からはドッと人が降りますが103系の6両編成で本数はかなりありますから、ギューギュー詰めという事態にはなりません。昔の客車が牽引していたころは戦後の買い出し列車か、という光景が日々見られていましたが、市営地下鉄も開通した現在はそうではなくなりました

通勤に特化した路線ですので土日はグッと本数が減ります。今も土曜ダイヤがあるのが特徴で土曜はそれでも平日の17往復に対して12往復とそれなりの運行はありますが、日曜はなんと朝夕1往復の計2往復と地方の閑散区間もビックリの運行。もっとも地下鉄は終日走り続けているし兵庫駅からも30分程度で歩けます

青春18きっぷ利用者は要注意

1区間だけの路線ですので和田岬駅は無人駅で料金は兵庫駅の中間で集約して支払います。和田岬駅から手ぶらで乗車した場合は中間改札手前にある券売機で目的地までのきっぷを購入。兵庫駅で下車する場合は、まず中間改札にきっぶを通し、改めて駅の改札口から出ます

もちろんIC乗車券を持っている場合はタッチすれば抜けられます

と平時はこれでいいのですが、問題は自動改札を通れないきっぷの場合。今の季節だと青春18きっぷがそれにあたる

写真は過去のものですが中間改札は原則的に無人。この場合は左の青い機械のお世話になります。これはJR西日本の各駅で見かけるもので

こちらは別の駅のもの。きっぷを青い台の上に置き、インターホンで係の人を呼び出すと向こうで読み取って改札機を開けてるのですが、運が悪いとなかなか出てくれない時があってイライラ。過去何度か18きっぷのJR西日本都市部分の利用はおすすめしないと書いてきました

元々は「自動改札を通れないきっぷを持っている人はごく少数だろう」という前提の制度というか機械です。今回のようにドッと押し寄せてくる可能性についてはあまり前提となっていません。こちらのインターホン前で行列ができているのも私は見たことがない。いても先に1人。ただ自動改札を通れるはずのきっぷが通れない時のトラブルが生じた場合は思わぬ時間を浪費することもあります。このパターンには過去2回遭遇したことがあります

今回のようにひとつの小さな改札に人が集まる時は、時間がかかる可能性もあります。私が見ていても最大で3人の列ができていました

18きっぷ利用の方は早めに駅へ行きましょう

ちなみに運行時間帯以外はこのように中間改札は閉鎖され、ホームには入れません。また現在、和田岬線の両駅ホームにはJR西日本の社員の方がいます和田岬駅が無人であるのをいいことに悪いことはしないでくださいね

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その23~海水浴も理由のひとつ

8月25日17時15分

こじんまりとした駅

松任から再び福井方面へと戻り3駅目。小舞子にやってきました。ここまでが白山市。お隣は能美根上なので能美市となります

こじんまりとしたコンクリート駅舎です

財産票によると駅舎は昭和39年(1964)にできたもの。これは正式な駅となった年です。「正式な」というのは、明治の開設以来、長らく臨時駅だったからです

重要な娯楽

無人駅で海側にも出入り口があるため、徒歩でももう少し早く行けるかもしれません

当駅は小舞子海水浴場の最寄りとして設けられました。海水浴場用の駅なので夏だけの臨時駅です。最近は海水浴場用の臨時駅というのは、少なくなっていて、最近では参宮線の池の浦シーサイド(三重県)が廃駅となったことが話題になりました。牟岐線の田井ノ浜(徳島県)は特急も停まる臨時駅として有名でしたが、コロナ禍で今年まで3年連続で休止中。牟岐線の特急も臨時停車していた列車の設定そのものがなくなっています

鉄路や駅の目的としては

・旅客輸送

・貨物輸送

・軍事上の理由

・寺社仏閣への参拝

が主なところですが海水浴というのも娯楽の大きな要素でした

美しい景観で知られる富山県の氷見線にも終点の氷見のひとつ手前に島尾という駅がうって、今はひっそりしていますがかつては海水浴で大いににぎわったそうです

もちろん現代も海水浴場は大いににぎわっていますが、地域によっては車で行くところとなっています

それでも小舞子は周辺に住宅もできてきたことで正式駅となりました

名前の由来は

ホーム側から見た駅舎です

白山市の駅では最も利用者の少ない駅で国鉄時代に無人化されています

ICタッチと自動券売機があります。駅舎内の待合所は広い

長らく閉ざされ、今は防がれている窓口。大理石のお金置きだけがのぞいている、これもよく見かける光景です

ちなみに「小舞子」というのは神戸の舞子浜に景観が似ていることから名付けられたそうです

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