信濃大町駅

大糸線全40駅訪問最終章~予想を上回る寒さに震える

信濃大町駅の跨線橋にある駅名標

※訪問は2024年10月9日

スタートは名古屋から

朝6時の名古屋は栄付近。まだ暗い。前夜は名古屋泊だったが朝方にかなりの雨が降って気温は低い。とはいえ残暑厳しく前日の昼間は長袖シャツ1枚で暑いぐらいだった。この時間帯でもその服装で十分だった

本日から秋の乗り放題パスを使用して大糸線の全駅訪問の総仕上げを行う予定。最後は1カ月前と同じく大糸線増便バスなどを利用しながらJR西日本区間の大糸北線のいくつかの駅を再訪して糸魚川から北陸新幹線に乗車するつもりだ

もっとも名古屋から乗り放題パスでトコトコ北上しては間に合わないので松本までは特急「しなの」で向かう。7時発のしなので松本着は9時すぎ

おなじみの「ま~つもと~」のアナウンスとともに下車したが「さ、寒い」。それが感想だった

スポンサーリンク

1年前に学んだこと

この時間帯の松本の気温は9度。身体が一ケタの気温に慣れていないので、ことのほか寒いが、とにかく大糸線に乗り継ごう。乗継ぎ時間はわずか10分ほど。大糸線ホームに向かうと

大きな置き案内が通路にあった。行く手をさえぎるように置かれているが、これは大いに助かる。何も知らず大糸線ホームまで行っていたら時間的に危なかったかもしれない

ということで無事乗車。行先を見ていただくと分かるが、1日3本しかない松本から南小谷への直通列車の1本(ダイヤ改正で2本になったようである)。これを逃すと悲惨というか今日の1日がほぼムダになってしまう

そしてバッグからセーターを取り出してシャツの上から着る。冬物の厚手のセーターだ。実は昨年の同時期にも高山本線の全駅訪問の仕上げを同じきっぷで行ったのだが、前日に氷見線や城端線で各駅訪問をしていた時は暑いぐらいだったにもかかわらず、早朝に富山から高山本線に乗り込み県境の猪谷で降りると寒さに震え上がってしまった。その時はシャツを2枚重ね着するという緊急対策を行ったものの、それでも寒い

県境付近にある簡易型ながらシェルターのようになっている打保駅の待合所で、ずっと身を潜めていた。その体験があるのでセーターを用意したのだが、これが大正解。おかげでこの後は寒いと感じることなく旅程をこなすことができた

信濃大町以北は工夫が必要

列車は約1時間で信濃大町に到着。ここで25分ものいわゆるバカ停車を行う(ダイヤ改正で15分ほどに短縮された)ので外に出てみる。当然だが松本よりさらに寒い。1カ月前に当駅に来た時は1時間半ほどの待ち時間の間、エアコン完備の待合室だったにもかかわらず、朝の9時前という時間帯で、暑い暑いと自販機の冷たい飲み物に2度もお世話になったことを考えると、わずか1カ月で隔世の感がある

ただ駅舎の外にあるお手洗いに行くと、その付近にいたご婦人同士が「今日は急に寒いねぇ」と会話していたので急に気温が下がったようだ。その証拠といっては何だが、自販機には「冷たい」しかない。運が悪いといえば悪いが、ホームと待合所のみの駅もこの先には待っている。雨に降られるよりは、はるかによい

そして

こちらが信濃大町駅の時刻表。これまで何度も書いているが松本~信濃大町は、昼間も1時間に1本の運行があるのに対し、信濃大町~南小谷はガクンと本数が減る。私は10時43分に乗車するが、これは7時21分から3時間20分後の運行。次は12時21分で1時間40分運行がなく、さらにその次は3時間近く運行がない。おそらく沿線の高校生に合わせたダイヤと思われるが、夜の駅訪問は基本的にやらない主義なので、18時以降はないのと同じ。このダイヤで途中の12駅(3駅は訪問済みなので9駅)を回らなればならないので、いろいろ工夫が要る。一応、自分なりに考えた作戦はあるので、まだ不透明な部分は残るもののスタートしよう

まずは信濃大町から3駅目の稲尾で降りてみた

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります



      </section data-src=

大糸線全40駅を訪問するお話~痛恨を知らずに信濃大町のロング待機と豊科の夜

信濃大町駅の写真入り駅名標

※訪問は2024年9月10日

再び信濃大町へ

信濃常盤から2駅。前日に続いて信濃大町で下車

信濃大町に到着したのは8時55分。ここから白馬を目指して北上するわけだが、ご覧の通り、次の南小谷行きは10時43分。2時間近い待ち時間ができてしまった。早々に回送になってしまった方向幕がうらめしい

スポンサーリンク

致命的ミスに気付かず

こちらが信濃大町駅の時刻表。松本方面へは1時間に1本の運行があるのに対し、南小谷・白馬方面へはグッと少なくなる。特に朝の7時台の後は3時間以上の空白があり、お昼前から特急あずさを含めて3本の南小谷行きがあるが、その後は再び3時間近い空白がある。高校生の通学が終わった後は帰宅時間まで運行がなくなってしまうローカル線ならではのダイヤになるため、信濃大町から北へ向かおうとすると、朝は7時21分の列車を捕まえるしかないのだが、これに乗ろうとすると、豊科の始発である6時23分に乗るしかない。今回はどちらかというと南小谷からの増便バスに乗ることが目的なので、細かい駅巡りは、また来る予定の来月でも良い。信濃大町以南は今朝の信濃常盤ですべて回収したので、その分の憂いはなくなった喜びで待機しよう…

と、その時は思っていたのだが、実は1駅だけ「忘れ物」があった。翌月には鉄道の日記念のパスで再び当地を訪れているが、その時も分かっておらず、大糸線のシリーズを書き始めてから気がついた。島内駅を忘れていたのだ。島内は松本から2つめの駅で中心部にも近い駅。なぜだかエアポケットになっていた。今にして思うと、ここで2時間待ちをする間に十分回収できたのである

ということで、これ以降の記事は「全駅訪問できた気分」に向かって進んでいくことをご了承いただきたい。それにしても結構な痛恨となってしまった

エアコン完備の待合室で

2時間近い待機になってしまったため、この時間を生かして観光でも、と一瞬思ったが、とにかく暑い。昨日より暑いのではないか。ということであっさりヤメである

なんといってもエアコン完備の待合室という強い武器がある。途中、屋外の自販機を2往復して涼をとったが、喫茶店のお世話になることもなく、時にはうつうつ船をこぎながら時間を過ごすことができた

先の信濃大町駅の記事で「駅名標だらけの駅」と紹介したが、もうひとつあったことに前日気付かなかったむので、追加しておこう

豊科で思わぬサッカー談義

時系列は少し戻るが、前夜の豊科の夜のことも触れておこう。駅の周辺には飲食店がいくつもあるが、お店の看板を見て気になったので入ってみたのが

どう読みます?

「べっかむ」としか読めない。もしや豊科にもサッカーのお店があるのかと思い入店してみると普通の居酒屋さん。サッカーの雰囲気はまるでない

地酒も地のものも美味しかった。すっかりサッカーのことは頭から離れてしまい、カウンター席に座り、ご主人と歓談。かなりお酒も進んだころ、スポーツ新聞勤務の自分の職歴などを話すと、急に話題はサッカーモードへ

やはり、店名は元イングランド代表のデビッド・ベッカムのことだった。ベッカムが所属していたマンチェスターU(ユナイテッド)は、1999年欧州CL決勝でバイエルン・ミュンヘンを相手に0-1の劣勢からロスタイムに2点を奪って欧州制覇。歴史に残る大逆転勝利として名を刻むが、2点はいずれもベッカムのCKから生まれた。その試合に感動して店名の由来になったという。ご主人は海外までサッカー観戦に出かけるという、なかなかのファン。そこからお互いに話が盛り上がってしまった。居酒屋さんで欧州CLの話をしたのは、もちろん初めてのことである

ご主人は格闘技も大好きで、格闘技観戦のためWOWOWに入会したという、これまた私と同じ経歴の持ち主で、そちらでも大いに盛り上がってしまった。なかなか充実の豊科の夜だった

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

スポンサーリンク





<p data-src=

大糸線全40駅を訪問するお話~路線内最大の駅にして最重要駅は駅名標でいっぱい

信濃大町駅の駅名標

※訪問は2024年9月9日

大糸線はここから

信濃大町駅に到着。久しぶりに自動改札機を見た、というか駅員さんを見た気がする。大糸線で最も規模の大きな駅で、なおかつ最重要駅。列車の運行本数も当駅を境に大きく変化するのは何度も触れてきた通り。1日に2000人以上の利用がある。そして、こちらも触れたきたが、大糸線の「大」は、当駅から付けられているのである意味、大糸線はここからである

スポンサーリンク

駅名標を見つけよう

当駅には数多くの駅名標がある。こちらはJR東日本の管内で今もよく残る形のもので、駅によっては、この形式しか残っていない所もある

当ブログでは駅名標についてはあまり一般的ではないので第一種、第二種などの表記はせず、このように両隣の駅が記された、ホームに設置してあるものを駅名標、駅舎の入口に張られている駅名を記したものを駅名板と表記していて、ホームの柱で見かける縦のものを縦式駅名標などとしたり、あえて平仮名の読み、という表現で使用するようにしているが、基本的には駅名が記されているものは、すべて駅名標である

こちらは跨線橋に掲げられたもの。跨線橋に印字されたような形になっているものをスタンプ式駅名標と勝手に名付けて過去の駅で紹介してきたが、それも姿を消しつつある。こちらは立派な木板で作られている

写真入り駅名標。自分の中ではJR東日本名物なのだが、最近取り外しが進んでいるようで、どちらかというと生き残りの印象が強い。駅からの風景が変わると更新が面倒なのか、維持にお金がかかるのかは分からないが、JR東日本の駅で降りると楽しい気持ちになれたので残念なことではある

駅名標については良い機会なので私的な意見を言うと、かつてホームの両隣要りの駅名標には、当記事の最初のもののように必ず所在の自治体名が記されていたが、JR東日本とJR東日本、JR北海道については自治体名を記していない。平成の大合併で見られたように自治体名は合併などで変化していくもので、その度に更新するのは手間も経費もかかる、ということなのだろうが、駅に降りることはなくても車窓に見える駅名標の自治体名を見て「こんな名前の自治体があるのか」「このあたりは村なんだな」「どう読むのだろうか」などと考えるのは鉄道旅の楽しみのひとつだと思っているのだが、どうだろう

観光拠点としても有名

時間は13時半になっている

待合室の駅そばでお昼とする

長野らしく山菜そばをいただく。当日は猛烈に暑い日だったが、待合室はエアコンが効いて熱いそばでも美味しく食べられる

開業は1916年(大正5)。実はこれより先に別の場所に初代の信濃大町駅があった

初代の駅はさらに南の松本側から見ると高瀬川を渡る手前あたりに1915年に設置。川を渡る前の最も大町の町に近い場所で暫定的に開業したようだが、翌年に現在の位置であらためて信濃大町駅が開業すると、仏崎と駅名変更された上に1917年に廃止となった

信濃大町駅が脚光を浴びるようになったのは1971年(昭和46)のこと。当駅からの立山黒部アルペンルートができて多くの観光客が訪れるようになった。観光客だけでなく多くのスキー客も運ぶ大糸線優等列車の全盛期もこのころからやって来る

現在は長野からのダイレクトコースも

ホームにあるこちらも駅名標のひとつ

ホームは国鉄らしい2面3線構造。駅舎側の1番線と島式ホームの間にはホームのない線路があるため、2番線のホームはなく島式ホームは3、4番線となっている。特急は上下とも1番線からの発着だが、上り下りともすべてのホームが使用されるため乗車の際は注意が必要

また島式ホームからの発車は跨線橋の片側からしか出ないため、こちらも注意を要する

駅舎には当駅を拠点に登山を行う人のための登山届入れがある

こちらは島式ホームの写真入り駅名標

大糸線の路線名は信濃大町と糸魚川から1文字ずつとられている。中間駅が路線名に入るのは珍しい例で、信濃鉄道が松本~信濃大町を敷設したところで延伸をあきらめ、国鉄がそれ以降を引き継いだために「大」の文字が入ったもの。敷設については福塩線(広島県)の成立と似ている

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

スポンサーリンク