JR東日本

宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その23(帰宅と旅のまとめ)

花巻空港から伊丹行きに搭乗

※訪問は2024年7月6日

別の経路も模索

花巻空港駅と空港を結ぶ路線バス。前記事で記した通り、盛岡からの空港バスが必ず花巻空港駅に立ち寄るようになったもので、空港までは10分もかからない。料金は320円。花巻空港HPによると花巻空港駅からタクシーに乗車すると1400円がめどらしいので4人旅だったら一人あたりの料金はさほど変わらない。空港バスは発着に合わせて運行されているので、JRとの接続はさほど考慮されているわけではないので空港でゆっくりしたい人ならタクシーもおすすめかもしれない

花巻空港はJRの各駅からさほど遠くはないので、いざバスに乗れなくてもそれほどお金をかけずにタクシーでたどり着ける利便性がある

ちなみに最も近い駅は釜石線で花巻と新花巻の間にある似内(にたない)で

ターミナルビルが移動したおかげで花巻空港駅より空港に近い駅となった。徒歩約30分。ただし無人駅で快速通過駅。花巻駅からだと9時49分発の次は14時40分と5時間ほど運行がない状況だ。もちろんバス路線はない。花巻空港駅で1度降りながら、わざわざ似内駅まで行って歩くと企画を思いついた。15時35分発の飛行機は似内駅を降りて50分後の離陸。道路は複雑そうではなく、おそらく間に合うはずだが、さすがに朝の時点の暑さで中止を決めた。駅から離陸まで2時間ほどあれば決行していたかもしれない…いや、さすがに暑さには勝てなかったと思う。列車には乗ったものの、おじけづいて次の新花巻まで行ってタクシー1800円という世界になっていたと予想する

東京行きの便はなし

花巻空港は「いわて花巻空港」の愛称が付けられている岩手県唯一の空港。開港は1964年(昭和39)。元々は東京便のための空港だったが、1982年に東北新幹線が開業。85年に上野~大宮が開業(それまでは大宮~盛岡の暫定営業だった)すると羽田行きはなくなった。大阪、神戸、札幌、福岡、名古屋と台湾行きの国際便がある

天候、経費は◎、体力、知力は×

花巻空港はこじんまりしていて利用は楽。バスの到着は出発の約40分前で、そのまま保安検査場に向かったが、検査場をくぐると売店がなく土産は買えず。もし今後利用される方がいれば留意してほしい

ということで無事に旅を終えられたわけだが、簡単に振り返りを

まず経費面。早めにタイムセールで航空券を買っていたこともあって

伊丹~羽田 8410円

花巻~伊丹 1万240円

北海道&東日本パス 1万1330円

後は空港まで、空港からのバス、電車代で合わせて3万2000円ほどグリーン利用も新幹線利用もこらえたので6日間の旅としては交通費は安く抑えられた。鉄道運賃については、そもそも盛岡~青森の三セクだけで5590円なので単純往復するだけで、ほぼ元をとれる。多くの駅で途中下車し、例によって戻ってまた進むを何度も行ったので、三セク利用の2日間だけで大幅に回収できている。東京まで戻らず東北から直帰という道程も、どうせ東京から大阪への旅費が発生するのだから、東北での滞在時間を増やせて正解だった

次いでホテルは

東京 9000円

いわき 5700円

北上  5500円

青森  6800円

盛岡  6300円

5泊で3万3300円。初日の東京が鬼門だったが、東京のホテルだけはおそろしく早めに確保して何とか1万円切り。ここからホテルそのものや予約サイト、携帯電話のポイントを使用したため実際は3万円で済んでいる。時期的にも7月1日からと、まだオフシーズンだったことも良かったようだ。同じホテルに1カ月後に泊まるともっと高かったはずだ。ということで経費面は合格(1日の食費も夜のビール代も含め東京以外は5000円以内で抑えている)

オフシーズンといえば、天候的に東北はまだ涼しかったことも幸いした。あまり触れなかったが、最初の5日間は小雨に何度も見舞われ、折りたたみ傘はすぐ取り出せるようにしなければならない状態だったが、トシをとると炎天下よりは全然マシだ。最終日の6日になって東北地方にもようやく本格的な夏到来となったようで、ギリギリ通り抜けたようで幸運だった

ただ問題はここから。目の前に来た列車に乗り、降りたいと思った駅で降り、宿もその日の到達点で適当に決めるという、ある意味会社員時代に憧れていた旅だったが、トシというのはどうも隠しようがない。記事にしたものもあったが、駅での時刻表の見誤りも何度かやらかしている。事前に時刻をチェック。駅に着いたら駅舎に張られている時刻表で再確認しながら上りと下りを間違うとか、トシのせいとしか言いようがない。ホテルを決めた瞬間に疲れが出て、まだまだ明るい夕方の4時にチェックインということもあった

きっぷの特性上や地域性で訪問時期は暑い時か寒い時に限られる。ということは1年後に再びチャレンジ、ということになるのだが、その時まで何とか体力と知力をキープしたいものである

道中かなり省略しながらも23回もかかってしまった旅の報告。長らくお付き合いくださり、ありがとうございました

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その22(古風すぎる空港駅)

花巻空港駅の改札

※訪問は2024年7月6日

最初から決めていた道程

一昨年秋以来出会った釜石駅前の「鉄と魚とラグビーの街」の文字を見て花巻に戻る。滞在はわずか30分ほど

みどりの窓口も設置されている釜石駅だが、列車の本数はわずかにこれだけ。快速を除くと1日に8本の列車しかないため、限られた時間内で途中駅ウロウロというのはなかなか困難。本当は陸中大橋駅ぐらいは行きたかったが、今回はやむを得ない。花巻へと戻る

花巻駅で何か食べるのもありだったが、猛烈に暑くて食欲も出ない。売店でサンドイッチを買って、これが本日の昼食である。旅を始めてから連日のようにテレビで報じられていた東京の暑さが、北の地にもやって来たようで、この日の最高気温は30度を軽く超えるという。今日は帰る日なので、ある意味助かった

まだ時間があるため東北本線をちょっとウロウロして

花巻空港駅に到着。こちらについては5月に航空券を購入した時から決まっていた道程だった。まだ利用したことのない花巻空港へ空港アクセス駅から向かおう

ちょっと違和感の「空港アクセス駅」

花巻のお隣の花巻空港駅

複数パターンの駅名標が出迎えをしてくれる

空港アクセス駅だけあって、なかなか彩り鮮やか

だが駅舎を眺めると

実にクラシックな駅舎のお出迎え。空港アクセス駅というと近代的なコンクリート製を思い浮かべてしまう。近年、鉄道で空港にそのままアクセスが流行りとなったので、その印象がより強いが、こちらは開業時の1932年(昭和7)からの木造駅舎

駅はこの春から無人化され、券売機も撤去。ICリーダーだけが設置されている。戦前に空港駅があったのかも含め、違和感はある

違和感を解くカギは駅前ロータリーの石碑にある

「二枚橋駅開設50周年」とある

その隣には「花巻空港駅開業60周年」の石碑が並んでいる

駅の所在地は「花巻市二枚橋」。石碑で分かる通り、元々は二枚橋という駅だった

改名25年で本当のアクセス駅に

駅前のタクシー会社も二枚橋タクシー

大正期に設置された信号場が昇格した。もちろん当時、花巻空港はない。空港の開港は1964年。駅名にも変化はなかったが、JRとなった1988年に転機が訪れる。空港への近さから空港アクセス駅のような駅名へと改名されたのだ

とはいえ空港までの距離は2キロ。そして路線バスはあることはあったが本数は少なかった。2キロといえば徒歩30分ぐらいだが、空港へ手ぶらで向かう人はあまりいない。スマホで調べることなどできなかった時代。知らずに降りた人はタクシーで向かうしか手段はなかった。さらにその後、空港ターミナルビルが駅から遠い方に移転して距離約4キロとなった

駅舎内の地図には「距離4キロ 徒歩40分」とあるが

なかなか40分ではたどり着かないようだ。空港へは盛岡駅または花巻駅からの路線バスがアクセス手段とされ、単なるタクシー乗り場だった時代が長らく続いた(とはいえ、現行のタクシー料金も花巻空港HPによると花巻駅から1900円、花巻空港駅から1400円とそう大きくは変わらない)

転機が訪れたのは2013年のこと。花巻駅~空港のバス路線が廃止され、代わりに盛岡~空港のバスが当駅を通ることになった。現行の花巻空港への路線バスは当該便と北上駅からの2路線のみ。ただし後者の運行本数は多くはなく、また盛岡駅~空港のバス運賃が1500円なのに対して花巻空港駅~空港は320円と安く利用者の財布にも優しい。改名25年で本当の意味での空港アクセス駅となったのだ

私も多くの乗客とともに空港へ移動。無事、伊丹空港行きの飛行機で帰ることができた

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その11(北上から三セクの盛岡へ)

北上駅の駅名標

※訪問は2024年7月3、4日

宿泊地は北上

一ノ関から予約サイトとにらめっこしながら北上。本日の宿泊地はあっさり北上に決まった(北上して北上泊とか別にシャレではありません。偶然です)。こういうのは実際に現地を訪れてみないと分からないが、盛岡をのぞくとホテルの数は圧倒的に北上が多く、ホテルチェーンが続々と進出していることはサイトで一目瞭然。これはその後に知ったことで、過去2度、北上で下車したものの素通りばかりだった私は恥ずかしながら全く無知だったのだが、北上には東北新幹線のほか、東北自動車道、秋田自動車道が入っていて流通の拠点となっていて、多くの工場が進出している。ビジネス出張も多いのだろう。そこに宿泊するかどうかは別として、私の体験では多くのホテルチェーンが進出している地区は、食事やコンビニの有無も含め、まず間違いない。結局はあるチェーンのホテルを予約したが、5500円と盛岡より安価に宿泊できた

北上を選んだもうひとつの理由は列車の本数。一ノ関から盛岡を目指すと北上までは昼間は1時間に1本だが、北上からは当駅始発着の列車が加わり2本態勢となる。途中に花巻を含む距離にして48キロ、所要時間50分のこの区間は盛岡への通勤通学エリアと認識されているようだ

魚と日本酒で疲れを癒やすこの瞬間は最高だ

北上駅は1890年(明治23)と130年以上の歴史を有する。開業時は当時の町名に基づいて「黒沢尻駅」。1954年(昭和29)に付近の自治体が集まり北上市が発足したのに伴い駅名も変更となった。国鉄コンクリート式の駅舎が健在

もっとも黒沢尻が北上の中心であることには変わりはなく、住居表示のほか、施設名や学校名にも黒沢尻の名は残る。高校ラグビーの名門、黒沢尻工は有名だ

街中を歩いているとこのように説明文が残っていた。地名の由来は「クロサワジリ(畔沢尻)」から来ていて草の密生した湿地だったという。「黒沢」については「黒土の沢」「水が淀んだ湿地の沢」を意味するとされる

ラッシュ時とかぶる

翌朝はホテル出発が7時すぎと前日から1時間以上遅くなってしまった。それほど飲んだわけではないが、2日続けて5時台の出発となっていて、さすがに身体が動かなかった。事前に予定を決めている旅なら、設定は早い時間にしがちで、それに従って行動するだけだが、逆に言うと、朝も適当にというのは、こんなケセラセラ旅の良さである

とはいえ7時台には駅にいるので、それほどの寝坊ではないが、時間帯が悪すぎた

電車が着くと北上駅のホームは乗降客でいっぱい。私の選択も悪く、北上発7時23分、盛岡着8時18分という最も混雑しそうな時間帯の電車で、なおかつ北上始発ではないため、ドッと降りる人、乗る人が多過ぎて出発は数分遅れた(盛岡には定刻に着いたので、おそらく混雑込みのダイヤだと思われる)。途中、花巻を通るため、ここでも出入りは激しく、その他私が認識できていない学校最寄り駅もあるようで、単に満員というだけでなく、駅に着く度に人の動きが激しい電車で座れることなく過ごしたため、かなりの疲労度だった。とにもかくにも盛岡到着である。ここからIGRいわて銀河鉄道に乗り換え、三セク区間に入る

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その10(仙台は素早くパスして北上)

一ノ関駅の駅名標

※訪問は2024年7月3日

18きっぷシーズンと被らぬように

今夏は発売がないのではないか?という声すら出るほど発表がギリギリだった北海道&東日本パス。私なんぞは5月のタイムセールで早々に飛行機のチケットを買っていたので、最悪は大幅な手数料を支払っても飛行機をキャンセルしなければならないのか、とやきもきさせられた口だ。6月もかなり経ってから発売が発表された時はホッとした。飛行機も例年の利用期間の初日である7月1日にとっていたのだが、なんで初日スタートにしたかというと基本的には青春18きっぷの季節とかぶらないようにしたかったから。この北海道&東日本パスはJR区間で一人で乗る分には18きっぷと同じルールだが、有効期間が長いのが特徴のひとつである。有効期間といっても期間内のどこでも5回と、乗車したらその日から強制的に1週間では事情が違うが、できれば18きっぷの利用者と被らない方が、少しでも混雑を避けられるだろう。何より7月に入ったばかりで、まだホテルの稼働にも余裕がありそうな時期だ

鹿島駅から1時間15分。仙台に到着。いつのまにか東北本線に入っている。つまり普通だけで常磐線の約340キロを完乗した。鹿島のいわき寄りに一駅の原ノ町から出る普通列車はすべて仙台行き。日暮里からの常磐線は岩沼が帳簿上の終点だが、列車はすべて仙台まで直通する。岩沼から仙台までは20分で完全に仙台都市圏内だ。東北本線と合流する岩沼以北は運行本数も都市圏のもので昼間も常磐線の1時間に1本、東北本線の1時間に2本と、ほぼ20分に1本の運行で朝夕は両路線の列車が増える上に岩沼折り返しの列車が加わる。また名取からは仙台空港アクセス線も加わるので多くの電車が運行される

仙台ではランチのみ

早朝からコンビニおにぎりのみだったので、仙台駅構内の立ち食いそばでカレーそば。カレーなんで白いご飯を注文しようと思ったら自動的に付随してきた。この記事を書いている今の季節だったらカレーはちょっと…となったかもしれないが、この時期の東北地方は、テレビをつけると東京の猛暑ぶりを報道していたものの、まだそこまででもなかった。普通におかずと白飯として食べようと思ったら周囲の人々はそばを平らげた後、雑炊のようにして食べている。私も半分ほどは白飯として食した後、カレー雑炊に。なかなか満足

腹が満たされたら即北上である。そもそもあまり仙台で泊まりたくなかった。仙台が嫌いというわけではなく、過去何度も、まさに「美味しい」思いをしている。ただ少し前にホテル事情の記事を書いたが、仙台のホテルはやはり高い。午前中のうちに福島県を抜けられたので少しでも北へと向かおう

一ノ関は3月に泊まった

乗車電車は45分かけて小牛田止まり。というか東北本線を真っ直ぐ北へと向かうと昼間はほぼここで1度降ろされる。そして1時間に1本のダイヤに戻る

小牛田は石巻線、陸羽東線が交わり、気仙沼線も入ってくる鉄道の要衝駅。私も東北に来る度にここで乗り換えをしているため、本来はかなりの難読駅のはずだが、難読ではなくなってしまった

一ノ関行きに乗車。このあたりで本日の宿について真剣に考え始める。すでに13時半を回っている。このままだと14時半ごろに一ノ関へ到着するが、3月に泊まったばかりだし、時間的にはまだ北上できそう。明日は盛岡からIGRいわて銀河鉄道で北上の予定なので、盛岡泊が便利そうだが、予約サイトをチェックすると県庁所在地の盛岡はさすが結構な価格。となると盛岡の手前あたりがいいな、と思案しているうちに一ノ関到着。東北本線は必ず一ノ関で運行が分断されるので、こちらも強制下車となる

3月中旬に来て以来、3カ月半ぶりの一ノ関。そのころは雪が降っていてブルブル震えたが、当然ながら別世界。10分ほどで乗り継ぎ列車に乗車。ここはまだ宿泊したことのない北上か花巻で降りることとして後は予約サイトにかかりきりである

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その9(気になる駅へ引き返す)

鹿島駅の駅名標

※訪問は2024年7月3日

原ノ町到着でひと安心

原ノ町に到着。浪江駅の項でも書いたが、常磐線は長年交通の要衝であり続ける当駅を境に運行本数が大きく変わる。昼間の普通列車は広野~原ノ町は2時間空きや3時間空きになってしまうが、原ノ町から仙台方面は昼間も1時間に1本程度は確保されていて、どうも最近、時刻表の読み間違えが多い私もここまで来れば「あっ!」となっても修正が可能だろう

と同時に普通は必ず原ノ町での乗り継ぎが必要となる。いわきを早朝に出てから、随分と長い時間が経っている気がするが、時間はまだ朝の9時すぎ。今日は下手すると仙台までかとも思ったが、もう少し先まで行けそうだ

原ノ町では30分以上の乗り換え時間があり、仙台行きに乗り込むと、お隣の駅を通りかかった際、古い駅名標がチラリと見えた。「お~」と思っているうちに電車の扉は閉まってしまったが、時間もまだ早いことだし、ここは出直しだろう

ここは戻って確認

ということで鹿島に到着

まずは先ほどチラリと見えた駅名標を改札口で確認。これはなかなかの年代ものだ。古い駅名標がそのまま設置されている駅を全国各地で、思い出したように見かけるのだが、こういうのって、どんなモチベーションというか理由で残るのか、知りたいものだ

平成の大合併により、現在は南相馬市鹿島区となっているが、それ以前は鹿島町。もちろん駅名も町名に基づく

鹿島といえば、サッカーで有名な茨城県の鹿嶋市が有名だが、JR鹿島線、鹿島臨海鉄道という路線はあるものの「鹿島」という駅はない。鹿島神宮駅をはじめ「鹿島○○」という駅はいくつもあるが、単独であるのは路線名だけ

鹿嶋市は1995年(平成7)に鹿島町から市になったが(つまり明治以来、鹿島町は茨城にも福島にも存在していた)、市制施行の際、佐賀県に鹿島市があったため、重複を避けるため「嶋」の文字を使用することになり、当時はかなり話題になった

そして佐賀県鹿島市にあるのは西九州新幹線建設の際に話題となった「肥前鹿島」駅である。福島県の鹿島駅が明治生まれだったのに対し、こちらは昭和一ケタの開業。この時期は全国で駅名の重複をできるだけ避けるようになっていたので、先頭に旧国名がついた(ちなみに開業当時は佐賀県鹿島町だった)

また東北本線には鹿島台駅(宮城県)があり、鹿島駅より歴史は古いが、こちらは元々の自治体名が鹿島台である

話が茨城県から佐賀県そして宮城県まで飛んでしまったが、要は「鹿島駅」はここだけである

古典の宝庫

鹿島駅の開業は1898年(明治31)。周辺は旧鹿島町の中心部となっている

駅舎はおそらく開業時からの木造駅舎

なぜそのように考えたのかというと、あまりにも渋い財産票が残っていたからだ

この財産票そのものが財産ではないかと思えるほど古いもので「M30」と記されているというより、刻まれている。駅の開業より少し前に駅舎ができたということなのだろう。駅の財産票についてはJR各社で姿勢が異なり、JR東海では簡易駅舎はもちろん倉庫やお手洗いにも細かく張ってあり、JR西日本もなかなか頑張っているが、私見ではJR東日本は探すのに苦戦することが多い。ただその分、このようなクラシックな財産票にまれに巡り会えることもある

屋根に乗っかっている駅名板も明治のものとは言わないまでも国鉄仕様。駅そのものが古典の宝庫となっている

駅は2面2線。かつては貨物の取り扱いがあった雰囲気が残る

現在は無人駅で窓口は閉ざされているが、原ノ町のお隣にこんな素敵な場所があるとは知らなかった。こんな気ままな旅だからの発見である

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その8(最北の首都圏駅)

浪江駅の駅名標

※2024年7月3日

空白の時刻表に悩む

まず前記事でも掲載したJヴィレッジ駅の時刻表を見ていただこう

これから原ノ町・仙台方面へと向かうが、いわき方面を含めお昼にぽっかりと空白の時間帯があることが分かる。9時台までは1時間に1本ほどの普通が運行されているが、12時台まで約3時間、さらにお次の15時台までも約3時間。要は6時間の間に1本しか運行がない。この時間帯はいくつか、いわき~広野の折り返し運転はあるが、広野を越えて北上する普通はない。空白を埋めるように特急も走ってはいるが、1日3往復でうち2本の昼間運行については今回は特急課金しない方針だ

ということで、ちょっと悩む。7時38分に乗ってどこかの駅で降りたとすれば、40分後の電車が拾ってくれる。原ノ町まで行けば本数も増えるので行動範囲は若干広げられそうだが、そのひとつだけ下車する駅をどこにするか悩んで出した結論が

浪江駅だった

首都圏Suicaの限界点

私好みの国鉄型コンクリ駅舎が健在の浪江駅。最大の特徴は

ホームから出ようとした場所にあるICリーダー。一見なんの変哲もない光景だが、実は首都圏Suica最北の地である。と同時に東京近郊区間の端にある。東京近郊区間とは大都市近郊区間のひとつで、この間はどのような経路をたどっても同一料金という運賃の特例がある代わりに、たとえ100キロを超えるきっぷでも途中下車はできない。東京近郊区間は長野県の松本まで広がっていて、松本でピッという音ともにIC乗車し、在来線の特急を乗り継いで浪江まで来ればピッという音だけで別途乗車券を購入せずに乗れるのだが、改札の外に出ることはできず(できるが運賃はまた一から徴収される)、その日のうちにピッと旅を終えなければならない

これは紙の乗車券を買っても同じで松本~浪江は約500キロと東京~大阪ぐらいの距離があるにもかかわらず途中下車はできず、きっぷの有効期限も1日限りしかない。いかにも理不尽な規定にも見えるが、Suicaのエリアを広げていくと、このようになる(ただしこの考え方はJR東日本のものであって、他社は必ずしもICエリア=大都市近郊区間とは限らない)

もっとも途中下車をしたければ方法はいくつかあって、浪江の隣駅である桃内駅までのきっぷをい、それが100キロあれば堂々と途中下車できる。また磐越東線は東京近郊区間に入っていないので、いわきから磐越東線経由で東京へ向かえば、その時点で100キロを超えるきっぷならば途中下車可能である。またあらかじめ新幹線をルートに組み込んだきっぷを購入すれば、大都市近郊区間の規定外となる(もっとも東京~上野のみを新幹線経由とする乗車券については成功例と失敗例があるようで、買えるかどうか私には分からない)

と長々と書いてきたが、要は東京からピッと乗車してピッと出られる最長距離の駅だということ

さて、最長距離の駅ということで何かそれなりの仕掛けというか、お出迎えがあるかというと

残念ながら塞がれた窓口と指定席券売機(当駅は特急停車駅)そして乗車証明書発券機があるだけ。2020年3月に当駅と富岡間の運行が再開されたタイミングでICエリアが当駅まで拡大。と同時に無人化された

開業は19世紀

浪江駅の開業は1898年(明治31)と長い歴史を持つ

駅前の観光案内図

駅前には同町出身で戦前、戦後に活躍した佐々木俊一氏の功績をたたえる碑がある。「ここに立てば曲が流れます」と書いてあったので、立ってみると大きな音が流れ始めてピックリするやら感心するやら。残念ながら「高原の駅よさようなら」は存じ上げなかったが、作曲リストにあった「野球小僧」は多くのカバーもされているので知っている。調べると「南海ホークスの歌」も手がけていて、そちらも私は知っている。同町HPによると震災前に約2万1500人だった居住者は原発事故の避難指示によって0人となったが、現在は約2200人まで戻っているという

すぐ仙台近郊区間に

さて大都市近郊区間の北限だと、ここまで書いてきたが、実はお隣の桃内駅を挟んで、さらにお隣の小高駅からは仙台近郊区間が始まる

Suicaはまたいで使えません、という注意書きが浪江駅にある。つまり常磐線で唯一、桃内駅のみがIC乗車非対応の駅となっているのだが、これは意図的なものだと思われる。ここをつなげてしまうと現在のやり方では仙台エリアまでが東京近郊区間になってしまうだけでなく、東北本線はSuicaでつながっていないのに常磐線だけがつながるという困った事態が発生してしまう

もっとも北海道&東日本パスでは、どこをどう行こうと関係ない。いつもこの手のフリーきっぷばかり使用していると、たまにきっぷのルールに接しても、もう1度調べ直さなければならないことがよくある

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その7(11年前の思い出も)

広野駅の駅舎

※2024年7月3日

こんな場所にあるんだ

Jヴィレッジ駅の入口。無人駅ではあるが、事務室があり、イベント開催時には有人となるようだ

この駅がいったいどういう場所に位置するのかピンと来なかったが駅前にある地図を見て要領を得た

こんな場所にあるんだ。私はメインのセンターハウスに行き、そこから練習を眺めていた。タクシーに乗ると必然的にセンターハウス連れていってくれるので、今いる裏のあたりには来たこともない

駅前は道路があるだけで見えるのはJヴィレッジの施設のみ。富岡に行く際のいわき発6時9分の電車に乗った時、ここでワイシャツの男性が1人だけ降りたが、おそらく施設内で働く人だろう

実は駅の出口付近まで来た時、生理現象に襲われ、何もない駅で一瞬困ったが、道路を挟んだ向かいに立派なお手洗いがあって安心して自販機のドリンクも飲めるようになった

11年前に広野まで訪れた

2011年3月の東日本大震災を機にJヴィレッジは原発事故の対応基地となった。芝のピッチは砂利やアスファルトで覆われ、以降2018年までスポーツセンターとしての機能は失われていた

そんな中、私は2013年3月に広野を日帰りで訪れたことがある。当時は東京勤務で3月いっぱいで大阪に帰ることが決まっていて、その前にどうしても行けるところまで行っておきたかったのだ。行ける所とは広野である。広野から北の鉄路はまだ休止状態だった

広野に行く前、ランプ小屋に惹かれて久ノ浜で降りてみた

駅舎で何をやっているのだろう、と見ていたら

駅名板の交換という、なかなか見られないタイミングだった

海の方は津波の爪痕が残る状態で

海と逆側にプレハブの商店街

そこでお昼を食べていると「どこから来られたのですか?」と、お店の人に声をかけられた。自分の事情を話し「4月以降はなかなか来られなくなるので最後に来たのですが、物見遊山のように思われるのも気がひけます」と答えたところ「われわれは、ここでお金をいっぱい使ってくれることがうれしいので気にせず写真もどんどん撮ってください」と商店街内の別エリアに連れていってくれた

展示された写真を見ながら話を聞く。この地区の津波は国道6号のところで、なぜかピッタリ止まったという話が印象深かった

そして当時は仮設ホームが設けられていた「終点」の広野へ。ちなみに帰りはいわきかせ磐越東線で郡山まで行き新幹線で東京まで戻ったのだが

せっかくなので、と帰りのきっぷは久ノ浜駅で購入した。広野という駅は福知山線にも存在するため「常」の文字が入る。ちなみに久ノ浜は2020年にSuicaが利用できることとなったのを機に無人化されている

アカデミーの生徒に助けられる

Jヴィレッジ駅は通常時は普通のみの停車だが、臨時列車に対応できるよう10両分のホームを備えている。もっとも今回は駅で降りたのも私のみ、駅で待っているのも私のみである

写真を撮って駅前のベンチで缶コーヒーを飲みながら「貸切」を満喫していると、突然ゾロゾロと女子中高生が駅にやって来た。JFAアカデミーの生徒さんだろう。JFAアカデミーとはJヴィレッジで寮生活を送るサッカー選手の養成機関。原発事故の影響で御殿場に移転していたが、Jヴィレッジの復活とともに順次福島へと帰還し、今春から全学年がJヴィレッジに戻ったはず。中学、高校は地元の学校に通う

うまく時間に合わせて来るもんだなぁ、と思ってハッとなった

私はこの後、原ノ町方面へと向かう。つまり7時38分に乗車するのだが、なぜか7時44分だと勘違いしていた。44分はいわき行きで逆方向。生徒さんの学校は富岡方面だったはず。ということは私と同電車で、まだ10分あるなぁ、なんて思っているうち自らの間違いに気付いた。時計を見ると35分を回っている。構造的に電車の接近音がしてから改札に入って間に合う駅ではない。ちょっと小走りに階段を駆け下りてギリギリ間に合った

ホームには20人の女子中高生と、ゼーゼー言っている1人のオッサンという奇妙な光景となったが、そんなことは気にしていられない。間に合わせてくれたことに感謝である。今度来られる機会があれば久しぶりにセンターハウスの食事でも、と思う

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その6(ここに来るための旅)

Jヴィレッジ駅の駅名標

※2024年7月3日

そのままの駅名Jヴィレッジ

富岡からいわき方面へ折り返してJヴィレッジ駅で下車。今回の旅はここで降り立つためのものといっても過言ではない。前記事で25年前に何度も来たJヴィレッジについての思い出話をしたが、もちろん当時この駅はなく、関西からJヴィレッジに行くのには、なかなか工夫を要した

私が利用していたのは大阪(伊丹)~福島の飛行機。当時、JALは福島空港に随分力を入れていて、かなり大きな飛行機が飛んでいたと思う。福島空港からは大阪便を待っていわき行きのリムジンバスと接続する。いわきまで90分と、なかなかのバス旅だが、いわきまで着いてしまえば後は広野行きの電車に乗って広野駅からタクシーで1500円ほど。これが最も効率が良い行き方だと個人的には思っていたのだが、もうひとつルートがあり、現在の日本サッカー協会会長は大阪空港から仙台までの飛行機に乗っていた

そんな方法あるの?と思ったが、まだ仙台空港アクセス線のなかった時代、仙台空港のアクセス駅だった館腰駅まで行き、そこから常磐線の普通列車に揺られて富岡で下車。タクシーでJヴィレッジを目指していた。鉄道的な話をすると当時は原ノ町で運行は分断されておらず、乗り換えなしで富岡まで行けたはずだが、それでも90分以上は確実にかかる。なかなかの「乗り鉄」だが、答えは「意外とすぐですよ」

所属クラブでも五輪代表でも日本代表でもすべて主将を務めた「リーダーシップの男」なので、同じクラブからJヴィレッジの代表合宿に参加するメンバーはリーダーに率いられ同じ飛行機、同じ電車でJヴィレッジを目指していた。当時は全員が20歳前後だが、後に日本代表にも名を連ねる選手がそろって常磐線で「乗り鉄」というのは、なかなかの光景である

ちなみに「どちらが早い」という結論だが、これは全くのドローで、なぜかというと朝の大阪空港でいつもバッタリ顔を合わせていたからだ。ほぼ同時刻の福島行き、仙台行きに「分乗」してほぼ同じ時間にJヴィレッジに到着していた。現在は富岡にも広野にも特急が停まるようになったので、どちらが早いか分からない

Jヴィレッジ駅とは

Jヴィレッジ駅は2019年(平成31)4月の開業。当時はイベントに対応した臨時駅だったが、1年後に常設駅へと昇格した。もちろん私は初訪問。ホームにはサッカーの日本代表が世代別のカテゴリーも含めて優勝した際のトロフィーを飾る台座がある(もちろんレプリカ)

ユニークな構造で離れて掘られているトンネルの出口に設けられているため、単式ホームを2つ作り、その間にトロフィーの台座などを置いた単式+単式で島式ホームを構成する。東京からずっと複線の常磐線はいわきのひとつ北の草野駅を過ぎると単線区間となるが、Jヴィレッジ駅が設けられている広野~木戸のみ複線となっているため、このような形式となった

無人駅ながらホームから駅の出口まではエレベーターも設置されている

窓口はあるので多客日には臨時で駅員さんが来られるようになっているようだ

では改札を出てみよう

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その5(四半世紀ぶりの駅訪問)

富岡駅の駅名標

※2024年7月3日

すんなりといわきに宿泊

大津港駅を出るとあっという間に福島県に入る。時刻は13時を回ったところだが、そろそろ本日の宿を決めなければならない。まぁ、ここまで来ると迷うことはない。いわきである。いろいろ思い出も多いいわきだが、降り立ったことは近年でもあるものの、宿泊となれば20数年ぶりとなる

いわきはチェーンも含めホテルも多いところなので心配はあまりない。ちょっと奇をてらって湯本温泉もチラリ頭をよぎったが、翌朝の早いことを考えると旅館というわけにはいかない。あまり苦労することなく駅から徒歩5分ほどの宿を確保。大浴場付きで5700円と価格的にも満足

いわきに着くまで湯本駅

そして植田駅などを訪問。この日は早めに終了し(といっても6時前から活動している)翌日に備える

駅近くの居酒屋に通った

翌朝も5時台から活動を開始。後に説明することになるが、ダイヤ的にこのぐらいの時間から動かないと先へ進めなくなるのだ

乗車するのは6時9分の原ノ町行き。発車までまだ20分以上あるが、すでにこの時間帯に構内の売店が開いていて驚いた。東京へと向かう最初の特急に合わせて開店しているようだ

私がいわきを最も訪れていたのは1998年から2000年ごろ。当時のサッカー日本代表のトルシエ監督がJヴィレッジの施設を大変気に入り、代表チームの主な合宿地となった。トルシエ監督はユースそして五輪代表も含めた全世代の監督だった。すでに2002年の日韓W杯が決まり、ある意味最も「代表熱」が高まっていた。W杯の前にあったのがシドニー五輪。02年のW杯のメンバーには五輪代表から多くが召集されるという空気になっていて五輪代表の人気も高かった

私の仕事は五輪代表を追うことだった。ただ「追う」といっても、関西からJヴィレッジまでの道のりは遠い。ただひとつ言えるのはトルシエ監督がJヴィレッジを合宿地に選ばなかったら、今はなき上野駅の特急専用ホームを利用することはなかっただろうということ

当時、Jヴィレッジへは広野まで普通に乗り、タクシーで1500円ほど揺られるのが最も分かりやすいコースだったが、富岡からタクシーで3000円というのも有力なルートだった。そして仕事を終え富岡駅近くの居酒屋でもよく飲んだ。富岡は地域では大きな町で駅近くのホテルを拠点にする同業者も多かった。富岡駅はそれ以来の訪問である

2017年に運転再開

いわきから40分かけて富岡に到着。朝の7時にもならない時間だが、かなりの人が降りた

こちらが現在の駅舎。1898年(明治31)と歴史を刻んでいて以前は木造駅舎があった。東日本大震災の津波によって駅舎が流出。その後、立ち入りが規制されたため、詳しい駅の現状はしばらく分からないままだった。2017年に新駅舎となって運行を再開。駅舎の位置も少し変わったはずだ

もちろん震災前の駅舎そして駅前の様子も多少は記憶にあるが、大きく変化している

無人駅だが指定席券売機が設置されている

東京からいわきを越え仙台まで至る特急「ひたち」は1日3往復だが、すべて停車

ホームから海の方向を望む。構造は2面3線

跨線橋を渡っていたら、ブーンと大きな虫が飛んできたので身をかがめて避けると

クワガタムシだった。ちょっと弱っているというか、クモの巣にからまったようだ。大丈夫だろうか。駅でこんなに立派なクワガタムシを見たのは人生で初めてのこと。そういえば何度も足を運んだJヴィレッジだけど盛夏に来た記憶はないなぁ、そんなことを思った

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その4(茨城最北に到達)

大津港駅の駅名標

※2024年7月2日

北茨城市の3駅はすべて乗下車

なおも常磐線を北上して高萩で下車。常磐線を走る2つの特急のうち[ときわ]については当駅が「北限」となる。また水戸方面からの普通列車も半分程度が当駅折り返しとなるため、昼間は当駅以南が1時間に2本、以北が1時間に1本となる

そして高萩を過ぎると福島県と茨城県の県境である北茨城市に入る。同市にはJRの駅が3つあるが、関西からだと意外と降りるのが難しい駅だけに、ここはすべての駅を訪問することとする

南中郷駅は無人駅。常磐線は都内からずっと有人駅が続いてきたのだが当駅で1度途切れることになる。とはいえ1日に約1000人の利用がある駅で数年前まではみどりの窓口も設置されていた

磯原駅は北茨城市の中心駅。特急「ひたち」も停車する。基本的には1時間に1本のひたちだが、高萩に停車するタイプは磯原を通過、磯原に停車するタイプは高萩通過と、両駅で停車駅を半分ずつシェアする形となっている

乗車券を買っても途中下車はできないのだが山手線内までの運賃は3080円。かなりの距離を進んできたことを実感する

特急停車駅で駅舎内に北茨城の観光案内所も設置されている磯原駅だが、ホームへの階段付近で工事をしているので何気なくのぞいたところ

文面をそのまま解釈するとホームと橋上駅舎の改札を結ぶエスカレーター廃止の案内。1日の利用者が約3000人ある特急停車駅でエスカレーター撤去というのは初めて見た。経費削減はここまで来ているのか、という印象だ

茨城県最北、最東の駅

そして到着したのが

大津港駅。お隣が勿来であることから当駅が茨城県最後の駅だということが分かる。ちなみに茨城県最北端の駅であり、最東端の駅でもある

立派な駅舎を有する。駅舎の入口は駅名標にも描かれている六角堂を模したもの

六角堂はこの地を愛した岡倉天心の設計によるもの。東日本大震災の津波によって消失したが、後に再建。同じタイミングで駅舎もリニューアルされた。北茨城市の観光地は当駅を最寄りとする場所が多い

木目調の重厚な駅舎とピカピカの駅名板が目を引く

1897年(明治30)に「関本駅」として開業。当時駅の所在地だった関本村に基づく

六角堂の所在地は当時、大津町にあり最寄り駅と自治体は別だったが、1950年(昭和25)に自治体名ではなく「大津港」として駅名を変更。1956年の合併で北茨城市が誕生したため、同じ自治体となった。ちなみにこの北茨城市は当初、「茨城市」となることが決まっていたが、県内には先に茨城町が誕生していて、県庁所在地と間違われやすいのではないか、など混乱しかねないとの理由で「茨城市」として発足した後、同日中に北茨城市と名称変更されたという経緯を持つ

お昼を食べながら地元の方々と会話

さてこの北茨城市の3駅にたどり着くころはちょうどお昼時で、おそらく磯原駅がランチにありつきやすそうだったが、ダイヤ的にどうしても1時間の空きができてしまう大津港駅周辺でお昼とすることにした。ネットで評判の徒歩10分ほどのお店に着いたら営業しておらず、通りかかった地元の方に「この冬に店じまいしたよ」と教えられぼう然。駅前にはセブンイレブンがあるので、またいつものコンビニおにぎりかと覚悟したが、喫茶店を見つけて一安心

暑さにアイスコーヒーをまずガブリ。ピラフをいただいてお腹も気持ちも満たされた。このまま鈍行のみで青森を目指すと言ったら「はぁ~?」と予定調和の反応。ただこういうお店では地元ならではの話が聞けて楽しい

「いわきはここより暑いので気をつけて」と言われるので意味を訪ねたら、北茨城市では道路整備によって海からの風が直接駅の近くまで届くようになったので涼しくなった、とのこと。やはり地域的には県をまたいだいわきとのつながりも強いようで、年配の方は「平」という言葉がよく出てくる

単に駅間距離だけの話にもなるが、大津港から福島県側の最初の駅である勿来までは4・5キロなのに対し、同市内である磯原までは7・1キロもある

こちらは駅舎内の様子(写真は到着時のもの)。「電車が出発したらすぐ福島県だから」と送り出された。確かに県境である大津港止まりの列車は最終の1本のみしかない

観光案内図も福島県側とセットとなっている。こうした地域間のつながりは駅に降りてみないと分からないもの。こんな体験をすると「降りて良かった」と思うのである

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