JR東日本

宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その6(ここに来るための旅)

※2024年7月3日

そのままの駅名Jヴィレッジ

富岡からいわき方面へ折り返してJヴィレッジ駅で下車。今回の旅はここで降り立つためのものといっても過言ではない。前記事で25年前に何度も来たJヴィレッジについての思い出話をしたが、もちろん当時この駅はなく、関西からJヴィレッジに行くのには、なかなか工夫を要した

私が利用していたのは大阪(伊丹)~福島の飛行機。当時、JALは福島空港に随分力を入れていて、かなり大きな飛行機が飛んでいたと思う。福島空港からは大阪便を待っていわき行きのリムジンバスと接続する。いわきまで90分と、なかなかのバス旅だが、いわきまで着いてしまえば後は広野行きの電車に乗って広野駅からタクシーで1500円ほど。これが最も効率が良い行き方だと個人的には思っていたのだが、もうひとつルートがあり、現在の日本サッカー協会会長は大阪空港から仙台までの飛行機に乗っていた

そんな方法あるの?と思ったが、まだ仙台空港アクセス線のなかった時代、仙台空港のアクセス駅だった館腰駅まで行き、そこから常磐線の普通列車に揺られて富岡で下車。タクシーでJヴィレッジを目指していた。鉄道的な話をすると当時は原ノ町で運行は分断されておらず、乗り換えなしで富岡まで行けたはずだが、それでも90分以上は確実にかかる。なかなかの「乗り鉄」だが、答えは「意外とすぐですよ」

所属クラブでも五輪代表でも日本代表でもすべて主将を務めた「リーダーシップの男」なので、同じクラブからJヴィレッジの代表合宿に参加するメンバーはリーダーに率いられ同じ飛行機、同じ電車でJヴィレッジを目指していた。当時は全員が20歳前後だが、後に日本代表にも名を連ねる選手がそろって常磐線で「乗り鉄」というのは、なかなかの光景である

ちなみに「どちらが早い」という結論だが、これは全くのドローで、なぜかというと朝の大阪空港でいつもバッタリ顔を合わせていたからだ。ほぼ同時刻の福島行き、仙台行きに「分乗」してほぼ同じ時間にJヴィレッジに到着していた。現在は富岡にも広野にも特急が停まるようになったので、どちらが早いか分からない

Jヴィレッジ駅とは

Jヴィレッジ駅は2019年(平成31)4月の開業。当時はイベントに対応した臨時駅だったが、1年後に常設駅へと昇格した。もちろん私は初訪問。ホームにはサッカーの日本代表が世代別のカテゴリーも含めて優勝した際のトロフィーを飾る台座がある(もちろんレプリカ)

ユニークな構造で離れて掘られているトンネルの出口に設けられているため、単式ホームを2つ作り、その間にトロフィーの台座などを置いた単式+単式で島式ホームを構成する。東京からずっと複線の常磐線はいわきのひとつ北の草野駅を過ぎると単線区間となるが、Jヴィレッジ駅が設けられている広野~木戸のみ複線となっているため、このような形式となった

無人駅ながらホームから駅の出口まではエレベーターも設置されている

窓口はあるので多客日には臨時で駅員さんが来られるようになっているようだ

では改札を出てみよう

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その5(四半世紀ぶりの駅訪問)

富岡駅の駅名標

※2024年7月3日

すんなりといわきに宿泊

大津港駅を出るとあっという間に福島県に入る。時刻は13時を回ったところだが、そろそろ本日の宿を決めなければならない。まぁ、ここまで来ると迷うことはない。いわきである。いろいろ思い出も多いいわきだが、降り立ったことは近年でもあるものの、宿泊となれば20数年ぶりとなる

いわきはチェーンも含めホテルも多いところなので心配はあまりない。ちょっと奇をてらって湯本温泉もチラリ頭をよぎったが、翌朝の早いことを考えると旅館というわけにはいかない。あまり苦労することなく駅から徒歩5分ほどの宿を確保。大浴場付きで5700円と価格的にも満足

いわきに着くまで湯本駅

そして植田駅などを訪問。この日は早めに終了し(といっても6時前から活動している)翌日に備える

駅近くの居酒屋に通った

翌朝も5時台から活動を開始。後に説明することになるが、ダイヤ的にこのぐらいの時間から動かないと先へ進めなくなるのだ

乗車するのは6時9分の原ノ町行き。発車までまだ20分以上あるが、すでにこの時間帯に構内の売店が開いていて驚いた。東京へと向かう最初の特急に合わせて開店しているようだ

私がいわきを最も訪れていたのは1998年から2000年ごろ。当時のサッカー日本代表のトルシエ監督がJヴィレッジの施設を大変気に入り、代表チームの主な合宿地となった。トルシエ監督はユースそして五輪代表も含めた全世代の監督だった。すでに2002年の日韓W杯が決まり、ある意味最も「代表熱」が高まっていた。W杯の前にあったのがシドニー五輪。02年のW杯のメンバーには五輪代表から多くが召集されるという空気になっていて五輪代表の人気も高かった

私の仕事は五輪代表を追うことだった。ただ「追う」といっても、関西からJヴィレッジまでの道のりは遠い。ただひとつ言えるのはトルシエ監督がJヴィレッジを合宿地に選ばなかったら、今はなき上野駅の特急専用ホームを利用することはなかっただろうということ

当時、Jヴィレッジへは広野まで普通に乗り、タクシーで1500円ほど揺られるのが最も分かりやすいコースだったが、富岡からタクシーで3000円というのも有力なルートだった。そして仕事を終え富岡駅近くの居酒屋でもよく飲んだ。富岡は地域では大きな町で駅近くのホテルを拠点にする同業者も多かった。富岡駅はそれ以来の訪問である

2017年に運転再開

いわきから40分かけて富岡に到着。朝の7時にもならない時間だが、かなりの人が降りた

こちらが現在の駅舎。1898年(明治31)と歴史を刻んでいて以前は木造駅舎があった。東日本大震災の津波によって駅舎が流出。その後、立ち入りが規制されたため、詳しい駅の現状はしばらく分からないままだった。2017年に新駅舎となって運行を再開。駅舎の位置も少し変わったはずだ

もちろん震災前の駅舎そして駅前の様子も多少は記憶にあるが、大きく変化している

無人駅だが指定席券売機が設置されている

東京からいわきを越え仙台まで至る特急「ひたち」は1日3往復だが、すべて停車

ホームから海の方向を望む。構造は2面3線

跨線橋を渡っていたら、ブーンと大きな虫が飛んできたので身をかがめて避けると

クワガタムシだった。ちょっと弱っているというか、クモの巣にからまったようだ。大丈夫だろうか。駅でこんなに立派なクワガタムシを見たのは人生で初めてのこと。そういえば何度も足を運んだJヴィレッジだけど盛夏に来た記憶はないなぁ、そんなことを思った

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その4(茨城最北に到達)

大津港駅の駅名標

※2024年7月2日

北茨城市の3駅はすべて乗下車

なおも常磐線を北上して高萩で下車。常磐線を走る2つの特急のうち[ときわ]については当駅が「北限」となる。また水戸方面からの普通列車も半分程度が当駅折り返しとなるため、昼間は当駅以南が1時間に2本、以北が1時間に1本となる

そして高萩を過ぎると福島県と茨城県の県境である北茨城市に入る。同市にはJRの駅が3つあるが、関西からだと意外と降りるのが難しい駅だけに、ここはすべての駅を訪問することとする

南中郷駅は無人駅。常磐線は都内からずっと有人駅が続いてきたのだが当駅で1度途切れることになる。とはいえ1日に約1000人の利用がある駅で数年前まではみどりの窓口も設置されていた

磯原駅は北茨城市の中心駅。特急「ひたち」も停車する。基本的には1時間に1本のひたちだが、高萩に停車するタイプは磯原を通過、磯原に停車するタイプは高萩通過と、両駅で停車駅を半分ずつシェアする形となっている

乗車券を買っても途中下車はできないのだが山手線内までの運賃は3080円。かなりの距離を進んできたことを実感する

特急停車駅で駅舎内に北茨城の観光案内所も設置されている磯原駅だが、ホームへの階段付近で工事をしているので何気なくのぞいたところ

文面をそのまま解釈するとホームと橋上駅舎の改札を結ぶエスカレーター廃止の案内。1日の利用者が約3000人ある特急停車駅でエスカレーター撤去というのは初めて見た。経費削減はここまで来ているのか、という印象だ

茨城県最北、最東の駅

そして到着したのが

大津港駅。お隣が勿来であることから当駅が茨城県最後の駅だということが分かる。ちなみに茨城県最北端の駅であり、最東端の駅でもある

立派な駅舎を有する。駅舎の入口は駅名標にも描かれている六角堂を模したもの

六角堂はこの地を愛した岡倉天心の設計によるもの。東日本大震災の津波によって消失したが、後に再建。同じタイミングで駅舎もリニューアルされた。北茨城市の観光地は当駅を最寄りとする場所が多い

木目調の重厚な駅舎とピカピカの駅名板が目を引く

1897年(明治30)に「関本駅」として開業。当時駅の所在地だった関本村に基づく

六角堂の所在地は当時、大津町にあり最寄り駅と自治体は別だったが、1950年(昭和25)に自治体名ではなく「大津港」として駅名を変更。1956年の合併で北茨城市が誕生したため、同じ自治体となった。ちなみにこの北茨城市は当初、「茨城市」となることが決まっていたが、県内には先に茨城町が誕生していて、県庁所在地と間違われやすいのではないか、など混乱しかねないとの理由で「茨城市」として発足した後、同日中に北茨城市と名称変更されたという経緯を持つ

お昼を食べながら地元の方々と会話

さてこの北茨城市の3駅にたどり着くころはちょうどお昼時で、おそらく磯原駅がランチにありつきやすそうだったが、ダイヤ的にどうしても1時間の空きができてしまう大津港駅周辺でお昼とすることにした。ネットで評判の徒歩10分ほどのお店に着いたら営業しておらず、通りかかった地元の方に「この冬に店じまいしたよ」と教えられぼう然。駅前にはセブンイレブンがあるので、またいつものコンビニおにぎりかと覚悟したが、喫茶店を見つけて一安心

暑さにアイスコーヒーをまずガブリ。ピラフをいただいてお腹も気持ちも満たされた。このまま鈍行のみで青森を目指すと言ったら「はぁ~?」と予定調和の反応。ただこういうお店では地元ならではの話が聞けて楽しい

「いわきはここより暑いので気をつけて」と言われるので意味を訪ねたら、北茨城市では道路整備によって海からの風が直接駅の近くまで届くようになったので涼しくなった、とのこと。やはり地域的には県をまたいだいわきとのつながりも強いようで、年配の方は「平」という言葉がよく出てくる

単に駅間距離だけの話にもなるが、大津港から福島県側の最初の駅である勿来までは4・5キロなのに対し、同市内である磯原までは7・1キロもある

こちらは駅舎内の様子(写真は到着時のもの)。「電車が出発したらすぐ福島県だから」と送り出された。確かに県境である大津港止まりの列車は最終の1本のみしかない

観光案内図も福島県側とセットとなっている。こうした地域間のつながりは駅に降りてみないと分からないもの。こんな体験をすると「降りて良かった」と思うのである

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたらその日は終わりの北海道&東日本パス旅~その3

大甕駅の駅名標

※2024年7月2日

ラクラク自動改札機を有効に

勝田駅でかわいい特急オブジェを眺めながら、駅訪問を開始する

今回の旅ではローカル無人駅はあまり出て来ない。なぜかというと北海道&東日本パスの特徴のひとつである「自動改札機の通り抜け」を有効に利用したかったから。毎年秋に出る鉄道の日記念の3日間乗り放題パスにも共通していることだが、自動改札機をホイホイ通り抜けできるのは青春18きっぷにはないストレスからの開放がある。もっとも地方の非電化ローカル線に行ってしまえば同じなのだが、都心部や幹線では自動改札機の通り抜けはポイントが大きい。今年は外国人旅行者も多いだろうから、駅員さんのいる改札の渋滞も予想される。一瞬見せるだけのために改札が空くのを待つのは、なかなかの苦痛。ということで今回は

①自動改札機を抜けられる特性を生かした幹線旅

②ふだんは途中下車ができない三セクもじっくり乗車

の2本の柱で北上することにした。東北本線ではなく常磐線としたのは、常磐線内には特急でしか通過したことのない区間がいくつかあるからだ

またいつものように降り立った駅をひとつひとつ紹介していくと、9月になってもこのシリーズが終わらない可能性もあるので、一部の訪問駅についてはX(旧ツイッター)での紹介ということにしたい

漢字そのものが分からない難読駅

まずは村でありながら特急が停車する数少ない駅のひとつ東海駅で下車

ただし今回紹介するのは駅名標に何やら難しい漢字が見える、お隣の大甕駅である。読みはローマ字で分かるが「おおみか」

いわゆる難読駅には漢字そのものが難しくて読めないものと漢字は簡単だが思いもよらない読みをするものの2つのパターンがあるが、こちらは前者である

現在の駅舎は2018年からのもの。開業は1897年(明治30)と古く120歳を超え、130歳になろうとしている

大甕とは地名だが、当駅を最寄りとする大甕神社から来ている。漢字の「甕」は水を入れる「かめ」のこと。かめは今でも普通に使用される言葉だが、漢字の方はなかなか使われなくなっている。今はワープロ機能というものがあるが、すべて手書きだった時代は大変だっただろう。あまりにも難しいからか、1972年にできた住居表示は「大みか町」とひらがなが使用されている

駅前の案内図も「大みか」の表記で駅名もひらがな表記。ただし固有名詞である神社はもちろん漢字表記だ

かつては私鉄との乗り継ぎ駅

駅からはバスターミナルが見える。遮断機のようなものが見えるが、これは「ひたちBRT」

かつて水郡線支線の常陸太田駅と大甕駅は日立電鉄で結ばれていた(日立電鉄の駅名は常北太田)。日立電鉄とは日立製作所の傘下にあった鉄道会社で、常陸太田からは山中を進み、常磐線とクロスした後に北上。海沿いには日立の関連会社、工場が存在した。こうして見ると東西南北のかゆい所に手が届くように路線があり、ローカル私鉄とはいえ、さすがに電化されていた。常磐線との接続駅が大甕だった

ただし同線は2005年に廃線。常磐線に沿う形の南北の道路の渋滞が激しいため、日立電鉄の路盤を利用してバス専用レーンとなったのがひたちBRT。ただし停留所名は「大みか駅西口」とひらがな表記となっている

駅前には茨城キリスト教学園中学校・高等学校そして大学があることもあって駅の利用者は東海駅を上回っている。学校そしてBRT乗り場が駅の西側にあり、かつては東側に存在した駅舎から西側への移動が課題でもあったが、改札口を地下に設けたことで自由通路を通っての東西の往来も容易になった

ちなみに同校に通っていた後輩に漢字で「大甕」と書けるのか尋ねたところ「さすがに書けます」との返信だった

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたらその日は終わりの北海道&東日本パス旅~その2

勝田駅の駅名標

※2024年7月2日

今回の旅の「ルール」

品川駅の常磐線ホームに到着したのは6時25分。当然だが右側ホームの電車に用事は全くない

今回の旅は常磐線を北上、仙台から東北本線を北へ向かう予定となっている。「予定」と記したが、実は予定なんてものはほとんどなく

①きっぷで乗車できる列車で青森を目指す

②降りたいと思った駅で降りる

③飽きたら何時であろうと、その時点でその日は終了。つまりホテルはその日暮らし

と、一応ルールは決めたが、どこかの県で気になる駅が続けば、青森まで到達しないことも十分ある。気になる駅といえば格好いいが、どちらかというと暑さでやる気がなくなり、早々にその日の活動を終了することが多くなるだろう、ということだ

さすがの首都圏電車はグリーンの誘惑を振り切る

乗車したのは6時35分の品川始発電車。ホームに降りた時は出発までまだ10分近くあったので、座席には余裕がある。私は「2人分だけのロングシート席」が好きだ。多少窮屈だが、爆睡態勢の時は身体ごと預けてられるから

当初は高輪ゲートウェイから新橋まで行って乗車するつもりが、時間があったので品川まで戻る形で始発乗車(フリーきっぷなのでどのように動こうが問題ない)としたのだが、結果的にはそれが大正解。品川を出発時はまだ空きがあったが、新橋から早くも立ち客が出るようになり、東京からは普通に混雑の電車となった。新橋ではホームの並び方次第では座れない可能性も高かったわけでホッとした。それにしてもまだ7時にもなっていない下り電車、それも15両編成(JR西日本の通勤電車は最長でも12両)の座席があっという間に埋まってしまうのだから、さすが首都圏の電車である

この後、7時台に千葉県に突入するわけだが、沿線には一体いくつの高校があるのか、と思ってしまうほどで、下り電車の車内はすっかり高校生専用列車と化した。最後にドッと高校生が降りたのが牛久で時刻は7時45分

何となくの予定では、今回の旅では乗車電が最も長く乗り続ける列車になるはずで、普通車グリーンに乗るのもおそらく最後の機会。実は品川駅でかなり心が揺れたが、グリーン料金の値上げでSuical利用でも1550円もするの何となくの予定では、今回の旅では乗車電が最も長く乗り続ける列車になるはずで、普通車グリーンに乗るのもおそらく最後の機会。実は品川駅でかなり心が揺れたが、グリーン料金の値上げでSuical利用でも1550円もするのでヤメ。というか時間帯的にも下りということもあって、そんなには混まないだろうという私の考えが甘かったのだ

ということで乗車電の終点、勝田に到着。2時間15分の普通車は同じ列車に1時間乗ると飽きてしまう私には、なかなかしんどい時間だった

勝田は水戸のひとつ北側の駅。車両センターがあり、多くの列車が始終着となるため知名度が高い。全列車が停車する。ひたちなか海浜鉄道の接続駅としても有名。かわいい単行列車が停車中だった

10年以上前、ひたちなか海浜鉄道への乗車とあんこう鍋を求めて降りたって以来の訪問となった。ただし今回のきっぷでは乗れないので先へと向かう。ここからはいくつかの駅で降りつつ北上しよう。まだ時間は朝の9時である

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたらその日は終わりの北海道&東日本パス旅~その1

高輪ゲートウェイ駅の入口

※2024年7月2日

スタートは高輪ゲートウェイ駅

7月2日、朝6時前の泉岳寺交差点。ホテルを出て高輪ゲートウェイ駅へと向かう。ここが旅の出発点ともいえる

話は前日にさかのぼる

かなり激しい雨の大阪空港から8時半の飛行機に乗って羽田へと向かい

10時すぎに京急の羽田空港駅へ。随分と人が少なく感じるが、何らかのトラブルで遅延が発生していたためだ。もっとも今日に関しては少々の遅延は気にならない。というか本日は都内宿泊なので何とでもなるだろう

泉岳寺のホテルに荷物を預け高輪ゲートウェイ駅の券売機へ

目的のものを発見

そしてゲット。きっぷの有効期限は7日だが、6日に帰る。そして今日は都内で飲み会があるので正式な出発は明日となる。だったら、もっとゆっくり東京へ行けばいいと思われるかもしれないが、飛行機のチケットは5月のタイムセールで確保したので、その時点では東京からすぐ鈍行旅を開始する可能性があったため朝の飛行機にしたのだ。飲み会が決まったのは6月に入ってからのこと。さすがに都内だけはできるだけ早めに宿をとらないと「空きがない」「高い」の二重苦に陥ってしまうので、その時点でホテルを予約した。高輪ゲートウェイ駅から旅の出発とは、いかにも企画したようになってしまったが、飲み会の会場やホテル価格から泉岳寺になったということ

長年憧れの北海道&東日本パスとは

北海道&東日本パスは7日間にわたってJR東日本とJR東日本の普通列車が乗り放題となるフリーきっぷ。利用期間は7月1日から9月30日までで(販売は9月24日まで)、きっぷのルールは青春18きっぷとほぼ同じだが、大きく異なる点として

①利用期間は連続7日間

②きっぷは1人1枚でグループ乗車はできない

③青い森鉄道、いわて銀河鉄道、北越急行も利用できる

がある。特に大きいのは①で使用開始日を指定して購入し、旅を始めた時点で払い戻しはできないのだ。その分、長期間で5回利用の青春18きっぷの1万2050円と比べて7日1万1330円と安くなっているが、ある意味時間に余裕がないと、なかなか利用できない(乗り方によっては3日ぐらいで十分元はとれるが)きっぷなのだ。要は時間のある学生さんか、私のようなリタイア組向けのきっぶだといえる

また③の旧東北本線の三セク利用できるのも大きい。同じ鈍行旅で北上すると盛岡から北はJRの通しきっぷは利用できず、私の「本業」である降り鉄をするための途中下車をするには、それぞれの会社のフリーきっぷ購入をする必要があって経費的にかなり高くつく。現在、青春18きっぷで東京から青森まで行こうとすると日本海回りのダイヤが薄く、なかおつ距離の長い区間を行く必要があり、かなり不便だが、北海道&東日本パスなら最短ルートで到達できる。そして何より、私にとって大切ないろいろな駅での降り放題が可能になる

それなりの準備をしてから出発

会社員時代から、これを使って旅をしてみたいものだとずっと思い続けていて2年前の夏に早速利用してみたが、私の準備不足もあって常磐線~水郡線で郡山まで行った時点で引き返し、後は伊東線などに乗ることになってしまった

その分、今回は起点と終点だけは最初から決めることにした。まず最後は当然ながら神戸の自宅に帰らなければならないので、スタートは東京としても帰りにもう1度東京まで戻ってしまうと、東京(ギリギリまで踏ん張ると熱海まで乗れるが)からの交通機関代金が発生する上、仮に東北のどこかまで行くとして再び東京まで戻ってくるのが肉体的にも精神的にも大変な負担になる。別な言い方をすると、正直かったるく新幹線別料金が登場する可能性も高い。そこでタイムセールで花巻~大阪の飛行機をあらかじめ確保し、最終日は飛行機で東北から直接帰ることにした。自分がぼんやりと描いていたイメージでは青森空港あたりから帰るのが便利そうだったが、東北の飛行場で自分が利用したことのない空港が大館能代、山形、花巻の3空港だったので、確実にルート上にありそうな花巻とした

到着当日は

川崎新町

以前はなかった小田栄

久しぶりの浜川崎など、南武線支線の駅などを訪問、歩きつつ(当支線は駅間距離が短く歩いた方が早い場所もある)、せっかくのフリーきっぷを少しでも有効に利用しながら適度に汗をかいて夜の飲み会に備え、夜も翌日に響かない程度に、こちらも適度の飲酒としホテルにも22時にも戻った

まずは品川駅から常磐線に乗り込むことにする

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師走の外房線各駅訪問~千葉市内に戻って終了 早くも発表された「秋」のダイヤ改正

鎌取駅の駅名標

※訪問は2024年12月14日

3駅まとめて紹介

鵜原から上総一ノ宮で乗り換え、大網を越え

土気駅まで戻ってきた

ここから千葉市に入り、1日の利用者が万単位の駅が続くので3駅まとめて紹介したい

そして誉田駅

こうして見ると「とけ」「ほんだ」と意外と難読駅であることに気付く

そして鎌取駅

過去に大網と本千葉は訪問済みなので、外房線は全駅完了となった

難読とした土気、誉田(開業時は野田)は1896年の房総鉄道が蘇我~大網で開業した時からの明治29年生まれなので、歴史的には外房線の原点でもある。駅ができた時は、それぞれ誉田村、土気本郷町だったので周辺の景色が今とはまるで異なるものだったことは想像に難くない。いずれも千葉市となったのは戦後10年、20年が経過してから

鎌取駅については戦後の1952年(昭和27)の開業だが、宅地開発も進み、今では1日の利用者が3万人を超える外房線では千葉、蘇我に次ぐ第3位の駅となっているので、単独駅としては1位の駅となった

ひらがなの駅名標が目を引く。当駅は島式の1面2線構造で朝のラッシュ時は人があふれかえって危ないと、当駅停車の本数を増やすことになったが、折り返し可能な構造ではないので隣の誉田折り返しの電車が登場している。また土気には東京方面への通勤用として朝夕の一部特急が停車するほか、誉田では列車の増結や切り離し作業が行われる

早々に秋のダイヤ改正を予告

外房線、内房線沿線から東京へと直通する朝の通勤快速廃止が発表されたのは私が外房線の各駅訪問を終えた直後。途端に県知事をはじめ。沿線各自治体の首長から猛烈な反発が起きた。全国ニュースでも取り上げられるほどで、結局は朝の快速を2本復活させることになった。線路や駅には容量があり、一度引いたスジを改めて引き直すのは容易ではないので、いったん発表したものを引っ込めて引き直すのは異例のこと

それでも反発は収まらないため、JR東日本では5月30日に9月1日からのダイヤ改正を改めて発表。それによると朝と夜に内房線、外房線に直通する普通4本を快速に変更するという。内房線、外房線それぞれ2本ずつの変更で、朝の始発駅は内房線は上総湊、外房線は上総一ノ宮である。3月以前の勝浦からの直通復活は実現しなかったが、自治体の要望を受け入れ、早々に「再々改正」に応じたことになる。ただし、これでもまだ火種は残っている状態で沿線からは不満の声があがる。「首都圏」が拡大しすぎて通勤通学が遠距離になった反面、コロナ禍で鉄道利用者が一時的に減少したことのひずみだともいえる

千葉から100キロに満たない外房線。1年前の内房線と合わせ、房総半島の各駅を回ってみた。当然ながら千葉から離れていくにつれ、幹線ではあるものの、ローカル線感が強くなっていく感覚は東京から1時間半で味わえるのは、なかなか貴重だ。また京葉線のダイヤを巡る沿線自治体の反発とは逆に外房線の各駅もバスとの競合は避けられなくなっている。安房小湊駅の記事で、小湊鉄道の目的地だったにもかかわらず、同社のバスはずっとやって来なかったと記したが、2013年に駅へと乗り入れたバスは東京行きの長距離バスである

その一方で古典的な木造駅舎も貴重な景色として残り、地元の方々に大切に使われている場面に出会える。また行川アイランドのような別の歴史にも触れられる。東京からは十分に日帰り圏内なので、ぜひ興味がわく駅や地域があれば、訪れてほしい路線である

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師走の外房線各駅訪問~郵便局と一体化して姿を変える文人の愛した理想郷

鵜原駅の駅名標

※訪問は2023年12月14日

事実上最後の駅訪問

鵜原駅に到着。これが大網以南で最後の訪問となる。大網から千葉にかけては首都圏ダイヤのようなものなので、事実上2日間の旅はここで終わりである

1面2線の島式ホームにログハウス風の待合室がある

両隣の勝浦、上総興津は特急も停車する駅だが、当駅は普通のみの停車。周辺は森に囲まれたようになっていて一見すると、なぜここに駅が?となりそうだが、駅の開業は1927年(昭和2)。勝浦から上総興津まで延伸された際に同時設置となった。元々は鵜原村だったが、駅の開業時にはすでに興津町となっていた。いずれにせよ、最初から駅が設置される予定だった

多くの文化人に愛された理想郷

駅の設置理由は駅前の地図を見れば分かる。駅そのものは山中の谷間のような場所にあるが、駅の設置時にはすでに観光名所だった

中でも有名なのは鵜原理想郷で、入口までは徒歩10分ほどでたどり着ける。荒波に浸食されたリアス式海岸の美しさは多くの文化人を魅了し、理想の別荘地として開発する計画ができたことで理想郷の名前が付いたという。勝浦市のHPによると与謝野晶子は1936年の4~5月に当地に滞在して76もの歌を詠んだ

私と同じ電車で降りた5人組の外国人旅行者グループはスマホアプリ片手にスイスイと歩いていった。スペイン語のグループのようだったが、東京から1時間半以上もかかる普通のみしか停車しない駅からの観光地を外国の方が訪れる時代だということを実感する。どのように紹介され、どのようにオススメされているのだろう

無骨ながらも味わいのある駅舎は今のうち

駅舎は無骨なコンクリート製。昭和2年から、この姿ではないと思うが、いつから現在のものになったのかは分からなかった。形具合やさび具合から見ると国鉄時代にはすでに現駅舎となったと思われる

無人駅でICリーダーと乗車証明書発券機があるだけだが、窓口があった痕跡はある。証明書発券機が丁寧に格納された形になっているのはなかなか見かけない

こちらの看板は最近のものだと思われるが、こちらの車両とも房総半島では見られなくなる季節が迫っているのかもしれない

そんな味わいのある駅舎だが、間もなくお別れである

今年の2月に日本郵便とJR東日本が「鵜原駅で郵便局窓口業務と駅窓口業務の一体運営」を発表した。駅舎を郵便局として郵便局が駅の窓口業務も行うというもの

そこで思い浮かぶのはこちらである

ちょうど1年前に訪れた内房線の江見駅。この形式になるようだ

現在の駅り隣には元々郵便局があり

ローカル線駅の近所にある郵便局は、いつも撮るようにしているのだが、郵便局ごと駅舎内に引っ越しするのだろう。新駅舎は2025年夏と発表されている

「ようこそ」と「またのお越しをお待ちしています」の看板が残るのかどうかは分からないが、現在の駅舎を訪問するなら今のうちだということだけは間違いない

折り返しの列車を待っていると到着時とは別の外国人旅行者グループが駅にやってきた。こちらは英語である。訪日する方には有名スポットとなっているようだ。来年の夏に新駅舎が誕生すると皆さん、驚き、喜ばれるのだろうか

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師走の外房線各駅訪問~戦前に幻の乗換駅となった知名度の高すぎる駅

安房小湊駅の駅名標

※訪問は2023年12月14日

景観に配慮した(?)コンビニ

安房小湊駅に到着。行川アイランドからわずか1駅。今もそうだが、ここからが安房の国になる最初の駅で、元々は上総の国の最後の駅となる上総興津駅と当駅間は7キロもの距離があった。いかにも国境という感が強い

その安房小湊駅は旧小湊町の駅。安房天津駅の記事でも少し触れたが、昭和の合併で1955年(昭和30)に天津小湊町となり、平成の大合併で鴨川市と合併。現在に至る

駅の開業は1929年(昭和4)。上総興津~安房鴨川が線路でつながり外房線(当時の名称は房総線)が全通した際に設置された。つまり安房天津と誕生日は同じ。駅名に旧国名が付けられたのは東北本線の小湊駅(青森県、現在は青い森鉄道)が先にあったためだ

柱の部分が豪華になるなど、多少手が加えられているが、駅舎は開業時からのもの。豪華になったのは観光資源に恵まれているから

こちらは駅名板。イラストにタイが描かれているのは好漁場でタイが集まる鯛の浦にちなんだもの

駅を出るとすぐ海で旅館なども並ぶ

写真中央の屋根だけが見える建物はコンビニで最初から分かっていないと気付きにくい。景観に配慮して、あえてこのような構造になっているとも思える。ちなみに前日、スマホのモバイルバッテリーに異変が起き、一度道程を中断してレンタルのモバイルバッテリーを調達すべく、茂原駅までUターンしたのだが、検索した際に駅から近く、モバイルバッテリーに空きがあるコンビニはこちらだった。ただその時点で残り1台ということで、ちょっと危ないと判断して行くのはやめた

国鉄駅より早い工事着工

さて房総半島、小湊というワードで誰もが思い浮かべるのは小湊鉄道だろう。内房線の五井から房総半島の内陸部にあたる上総中野までは結ぶ、東京から気軽に行ける非電化の私鉄として有名だが、会社名で想像できるように当初は、ここ安房小湊まで到達する予定だった

駅舎内の待合室に計画段階だった時点でのパンフレットだろうか、小湊鉄道の地図が張られている。小湊鉄道は1928年に上総中野まで到達して現在の形となった。目指したのは小湊にある名刹・誕生寺でお寺への参拝客を見込んでのものである

イラスト上では大原と上総中野がすでに国鉄としてつながっていて、久留里線も上総亀山まで到達している。現在のいすみ鉄道、当時の木原線の大原~上総中野の全線開業が1934年で、久留里線の木更津~上総亀山が1936年の全線開業なので、イラストはそのころのものだと思われる。上総中野から安房小湊までは予定線となっていて、途中に5つの駅が設けられる予定だったらしい。だが私が説明するまでもなく、予定は未成線のまま現在に至り、小湊を目指した小湊鉄道という路線名と会社名だけが残っている。安房小湊駅の建設工事は小湊鉄道の方が先に着手していたが、上総中野からの延伸工事は行われず1936年に路線建設のための免許は早々に取り消されている。だからこの地図は微妙な時期に作成されたようだ

正しい地図表記はこのようになる

写真のイラストはかなり誇張した形になっているが、西に真っ直ぐ行けば大原へと至るわけで、国鉄によって上総中野とつながった時点で、工事を無理に行わなくなったこともうなづける話である。ただ上総中野~上総亀山の工事も行われず(木原線の「木」は木更津の意味)、房総半島を乗り換えなしで横断する列車は走ることなく終わった

かなり以前にみどりの窓口は営業を終え、現在は業務委託駅

だが、これまで触れてきたように観光資源も多いため、特急も含め全列車が停車する。いにしえの地図を張ってあったきれいな待合室はエアコン完備。師走の駅訪問では心強い味方だった

ちなみに鉄道会社というより、バス会社として名前を見かけることが多い小湊鐵道だが、かつて目指した安房小湊駅へ同社のバス路線が乗り入れたのは、わずか10年ほど前のことである

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師走の外房線各駅訪問~内房線を通じて初めて同業者と出会った

行川アイランド駅は通過列車も60キロ制限

※訪問は2023年12月14日

今も残る「特急」停車

今の状況からは信じられないことだが、行川アイランドはかつて全列車停車駅だった

周辺に民家はほぼなく、あるのは行川アイランドという施設のみの単式ホーム構造。すべての列車が停まっていたという事実が凄い。ダイヤから急行が消え、特急のみとなった後も一部の特急が停車していた。特急の停車位置番号も残っている…と思ってしまうが、事情はやや異なる

ホームの端まで来るとカーブ状のホームを見渡すための乗務員用モニターがある。このようなものは無用の上物かと思ってしまうが時刻表を見ると現役だということが分かる

安房鴨川方面の夜の部分だが、20時50分と22時44分発の列車には「特急車両で運転」の文字がある。これはいわゆる間合い運行というもので、東京からの「わかしお」のこの時間の2列車は勝浦まで特急として走った後、車両はそのままで普通列車へと姿を変える。特急車両ではあるが、もちろん「タダ」である。時刻表には車両編成も記されていて22時44分発については10両編成。かつてはすべての列車が停車していたため、カーブ状の単式ホームにもかかわらず11両に対応する長いホームを有する当駅が存在意義を示す機会が残っていた

ただし今春のダイヤ改正で、この時刻表には大きく手が加えられた。20時50分のわかしお17号はダイヤこそ20時47分と、ほぼそのままだが15号に変更。22時44分のわかしお21号は19号に変更された上、勝浦止まりとなり、行川アイランドまでは来なくなった。代わりに千葉からの勝浦止まりの普通が安房鴨川行きとなって勝浦で乗り継げば、ほぼ同じ時間に行川アイランドまで来られるようになった(といっても、その時間に下車する客がどれぐらいいるかは不明だが)

春から全車指定となったわかしおは、すべて5両編成で運行されることが発表されている。では長い編成の特急車両は、もう来ないのかとなると、話はちょっとややこしく、時刻表を見ると唯一、間合い運転となる15号については「6月28日まではグリーン車併結」となっている。これは9両編成車両。どうやらダイヤ改正後も自由席があると思い込む人が多く乗ってきて座席があふれてはいけないので周知期間を設けているものらしい。つまりあと3週間ほどは10両ではないものの、9両の運用が見られる。しかも期間限定ながら、グリーン車も「タダ」である

現在の利用者は?

そろそろ列車が来るころである。待合所は吹きさらしだが、この日は穏やかな晴れで師走でも問題のない気候だった

JR東日本では駅別の利用者数を乗車人員という形で発表していて、単純計算だと乗降者はその2倍ということになるのだが、実はこの表に行川アイランドという駅名は登場しない。最小が飯山線の平滝駅で4人。つまりそれ以下の測定不能レベルの利用者ということになる。駅から1キロの所に浜行川の街があり徒歩で10分ちょっと。それほど遠い場所ではないが、鉄道利用とはなっていないようだ

ちなみに「行川」(なめがわ)は、私にはなかなかの難読だが、千葉県や茨城県には「行」を「なめ」と読む地名がいくつかあって、それぞれの町に近い人にはなじみのある読みらしい。元々の地名は「滑川」で地形に基づいたものとされる

こうして料金表を見ると100キロ圏が西船橋のようだ。千葉まで80キロなので東京まではかなり遠い。ディズニーランドの浦安で客足を止められると、園としてはなかなか辛いものがある。園の跡地の今後については前日出会ったご婦人が「温泉ができるって聞いたけど、話が前々進まないね」と話していたが、一応レジャーホテルができる予定にはなっているようだ。ただし予定は未定の世界である

ふと気付くとホームで盛んに写真を撮っている方の姿が。明らかに同業者(鉄道ファン)である。下車したのは私一人と認識していたが、もう1本前の列車で来たのか、どこかから徒歩で到達したのだろうか。外房線の2日間で初めて出会った同業者。こういう「有名駅」では、なかなか貸切というのは難しいのだが、ちょっとうれしい気分にもなって、やって来た電車に乗り込んだ

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