きっぷ

JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その9~今も印象に残るお酒のCM

3月24日16時20分

本日最後の下車

いつの間にか夕暮れが迫っています。本日の旅最後の訪問は大土呂

「おおどろ」と読みます。私はこの日まで「おおとろ」だと思い込んでいました。日本語の濁点というのも、なかなか難しくて、このシリーズで紹介した「今庄」も「いましょう」ではなく「いまじょう」。こんな有名な駅でも間違えられることが結構ある。「橋」「崎」とか他にもありますね。その意味ではワープロからスタートしたPCや携帯のワープロ機能というのは貢献度が大きく読みを間違うと変換しないので「なるほど」と気づいたりするわけです

駅舎は線路の東側にあって、ずいぶん前からの無人駅ながら西側への「救済」はなく東側に出るしかないようです。元々は2面3線だったようですが、中の1線が消されて2面2線となっています

 

私の写真が下手でコンクリ駅舎のように見えるかもしれませんが木造駅舎。こちらも福井地震の後に建て替えられました

今日見てきた駅名板は特徴あるものばかりでしたので、こういう無機質なものが新鮮。字体はどんなゴシックか分かりませんが

 

地図に注目

写真の駅舎内は閑散としていますが乗車した電車からは、多くの高校生が降り、また乗ってきました。今日は終業式ですかね。それでも夕方まで学校にいたのでしょう。写真は生徒さんが駅を去ってから撮りました

駅舎内には

文殊山までのデマンドタクシーの時刻表そして6年前の地元紙が貼られています

記事によると昭和20年代から30年代にかけては19人もの駅員さんがいて貨物列車も多く運行。駅前にはパチンコ店もあったとか。今は文殊山への登山口の役割も大きいそうです。文殊山は福井県のハイキングコースとして有名で、いろいろなアプローチがある中でも当駅からが最もメジャーなコースのようです

外に出てみます

ハイキングコースの地図とは別に周辺地図。開業前の北陸新幹線が既にイラスト入りで描かれているので新しいものですね

寺社仏閣が多い古い町なんだな、と眺めていると「宇野重吉生誕の地」がありました。名前を言っても分からない方が多いかもしれませんが、昭和の名優です。寺尾聰さんのお父さんと言えば分かりやすいかも。宇野重吉さんで私が思い起こすのは石原裕次郎さんとのお酒のCM。お寺の境内で裕次郎さんが和尚さんに分した宇野さんと酒を飲み交わす。当時私は中学生で日本酒なんてまだまだでしたず「しからば問う。裕次郎」が印象に残っています。今もCM動画は、何らかの形でどこかにある。私も久しぶりに見て細部を思い出しました。途中でお銚子のお酒が切れてしまい、ちょっとお茶目な裕次郎さんが格好いい

ちょっとノスタルジックな気持ちで帰路につきました。実は私が乗った敦賀行きは敦賀でほとんど時間なく姫路方面へと向かう新快速に乗り継ぐダイヤになっていて始発なんで、もちろん十分座れたのですが、さすがに朝6時半のサンダーバードでやってきただけに疲れました

本日分の18きっぷの元は十分にとったでしょう。いつも概算で2500円ぐらい使用したことが分かれば、すぐ特急課金をしてしまいます。敦賀駅でちょっと休憩。サンダーバード課金で帰路につきました。いつの間にか陽が長くなっていて春の訪れを感じました

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その8~高校野球とアクセス駅

3月24日15時20分

高校野球の快進撃で大いに話題

森田駅から再び北上して春江駅で下車

木造駅舎が残ります

改札部分。旧来の改札は使用されていませんが「改札口」の文字がいいですね

丸岡駅のところでも触れましたが、北陸本線の福井県内の駅は1948年の福井地震で甚大な被害を受け、その翌年あたりに改めて竣工したものが多く、こちらも

元々は春江町の中心駅。今は市町村合併で坂井市です

財産票は1949年。地方の駅はまだ木造で建てられていたんだなぁ、と感じます。私は「ザ・国鉄」のコンクリート平面駅舎が好きでこのシリーズでも武生や鯖江で紹介してきましたが、コンクリート駅舎が各地に姿を見せるのには、まだ10年の月日が必要だったようです

春江といえば、私が真っ先に思い浮かべるのは高校野球の春江工業です。いつも高校野球や高校サッカーからの発想で申し訳ないのですが2012年の福井県秋季大会で準優勝。初めて進出した北信越大会では決勝に駒を進め、県大会で惨敗した敦賀気比に雪辱。初優勝を果たすと神宮大会では浦和学院に勝って4強進出して大いに話題を呼びました。「春江ってどこ?」がずいぶんとホットワードになりました

初出場のセンバツ甲子園では惜しくも初戦敗退となりましたが、春江という町の知名度アップには大いに貢献しました

残念ながら当駅が最寄りだった春江工業は、その後の学校統合により名前は消えてしまいましたが、2年生ながら4番を打っていた栗原選手は、ソフトバンクで(今年は開幕直後に不運なけががありましたが)活躍中です

では、その春江駅はどこ?という話ですが

空港アクセス駅だった

地図をご覧になれば、お分かりのように福井空港の最寄り駅なんです。約2キロ。車なら数分で着いてしまいます

ただ空港のアクセス駅としては静かな駅前。なぜかというと、もう40年以上、定期旅客便が就航していないから。高度経済成長期に開港しましたが、滑走路が小さくジェット便が飛べずに客足が減少。定期便がなくなった後も何度か空港拡張の動きはありましたが、駅も国道も近いという便利な場所にあるのがかえってよくなく、騒音などの反対の声が強く実現には至りませんでした。今も空港はありますがドクターヘリや自家用プロペラ機が主流となっています

空港の所在地はもちろん春江町。「もしも」があれば、町の歴史も含め、ずいぶんと違う光景になっていたかもしれません

島式ホーム1面2線

玄関の文字が格好いい

ちょっと古い駅では定番の温度計も駅舎内には残っています

ちょっとレトロな雰囲気ですが福井から、たった2駅ということで新しい住宅もでき、通勤や通学で利用者は多い

それでも

こちらは昨年で終わっていました。「現役」を見ることができず、ちょっと残念でした

今日最後の駅へと向かいます

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その7~需要がありそうな窓口だったけど

北陸本線各駅の紹介に戻ります

3月24日15時

福井市街に位置

丸岡から再南下。森田駅で降りました。福井から北へひとつ目とあって周辺は福井市の市街地が広がります

福井駅から九頭竜川を渡ると当駅

おしゃれな駅舎です

車寄せ部分の短い階段。玄関部分の柱は近年強化れたようです

独特の字体と青い文字が印象に残ります

しかし、こちらも「う~ん」。何かこの張り紙ばかりを紹介しているような。ちょっと寂しい

簡易委託で改札業務は行わないようですが、駅舎内の窓口ではきっぷの発券中。後ろで聞こえてくる感じでは、ずいぶん先の東京方面へのきっぷを頼んでいる様子。かなり時間を要していたので単純往復ではなかったのかもしれません。3月後半のこの時期、いろいろな駅で大きな荷物を持つお客さんの姿をかなり見ました。大きなスーツケースを持って駅から降りてくる若い女性を見て「故郷に帰ってきたのかな」などと勝手に思ったりしていました。異動と移動の季節。春の鉄道旅行でよく見かける光景。新幹線へ飛行機ではゾロゾロ目にしますが、どこかで新幹線や特急、もしくは高速バスを乗り継いでローカル線の駅で降り立つのは、大概ひとり。季節ならではの光景

きっぷも、そんな一環で買っている気がしました。再来年には三セクとなってしまうので、どうしようもないことですが、窓口できっぷを買うなら、おそらく福井駅まで足を運ばなければならなくなるのでしょう。スマホで予約してターミナル駅で発券というのが、もう主流になりつつある。ターミナル駅では車を止めるのも大変なので、これは面倒だけど券売機に慣れきってしまうと別の困ったことも起きてしまう可能性もあります

実は先日、JR東日本の乗り放題きっふで旅をした時、みどりの窓口だけしかなく指定券券売機のない駅で発券しなければならなくなり、私は逆に戸惑ってしまいました。スマホに表示されたQRコードをピッとかざすだけの行程に慣れてしまうと、こんなことになります。なかなか難しい

なお、三セク移管後、森田と福井の間に新駅が設置される予定です

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その6~今旅の北限の駅へ

3月24日12時20分

発展する西側に対応

鯖江からひとつお隣の北鯖江で下車しました

島式ホームです。今回訪問した各駅では珍しい構造。どの駅でも見た雪メーターがあります

駅舎は線路の東側にあります

瓦屋根の駅舎。北陸本線の福井県内の駅は1948年の福井地震で大きな被害を受け、それに伴う改築、新築が多いのですが、こちらは1955年の開業で当時から同じ姿です。島式ホームなので駅舎からは跨線橋で向かいます

無人化されていて駅舎内だけでなくホームにも待合室が設けられています。跨線橋を慌てて渡るリスクを考えると冬場にはありがたい。そして跨線橋からは西側にも出られるようになっていてICリーダーが設けられています。前回の鯖江駅の項でも記しましたが、後から駅舎と反対側がにぎやかになってくると、どうやってそちらに出るかで利便性が大きく変わるのですが無人駅だと対処しやすいですね。駅の西側は国道8号を挟んで福井鉄道が走っていて、国道沿いにあるショッピングモール、アル・プラザの最寄りにもなっているようで週末は西口がにぎわうそうです

大いに勘違いしていた私

北鯖江から再び武生まで戻り昼食を摂り(私の探し方が悪いのかもしれませんがランチは鯖江より武生が目につきやすかったです)、またもや福井方面行きに乗車。前に行ったり後ろに行ったりでややこしい。福井を通り過ぎ、福井から3つ目の丸岡で降ります。今日は日帰りで、ここから敦賀方面のいくつかの駅に行けていないので日没を考えると、こちらが北限

丸岡といえば有名なのは丸岡城。私なんかは高校サッカーの強豪、丸岡高校を思い浮かべますが、丸岡の駅そのものは旧丸岡町ではなく旧坂井町にあり、丸岡の町の中心部はかなり離れています。恥ずかしながら訪れて初めて知りました。今は三国町、春江町とも合併して坂井市となっていて市役所は丸岡駅が最寄り。つまり坂井町の中心駅が丸岡駅だったんですね。50年以上前は当駅には京福電鉄の丸岡線というのが走っていて終点というか起点の本丸岡駅が丸岡町の中心地。今は本丸岡駅跡のバスターミナルが中心の役割を担っています

結構遠いですね。バスで検索すると「こちらの方が早い」と言わんばかりに徒歩が出てきました。考えてみると古くからの城下町の真ん中に旧国鉄の線路が敷かれたということは多くはありません。丸岡駅と丸岡バスターミナルを結ぶバス路線は、本数も多くないようで今は、旧丸岡町から福井市内へは直接バスで向かうのがメーンルート。ただし丸岡駅は坂井高校の最寄りでもあるので、多くの高校生が利用します

駅舎は12年前にリニューアルしたばかり。前述した福井地震は丸岡町が震源で、丸岡城も倒壊し丸岡駅も全壊。その後に復旧した駅がリニューアルされ、駅には多目的ホールも設置されました。私が訪れた時は

ひな人形のお出迎えがありました。地元の有志の方が毎年展示しているようです。これは良いものを見ました。その一方で駅舎の中は

1カ月ほど間に合いませんでした。残念

次の駅へと向かいます

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その5~特急が連続停車

3月24日11時半

連続停車は画期的なことでした

武生の次は北へひとつお隣の鯖江で下車します

現在、鯖江駅を走る特急の主力は大阪行きのサンダーバードと米原or名古屋行きのしらさぎの2種類。もうひとつ朝夕に通勤者用の特急があります。サンダーバードの停車パターンは両駅を通過するか、両駅とも停車するかの主に2パターン。しらさぎは東京からの新幹線乗り継ぎ要素が強いのですべて停車します。通勤特急は当然停車

この2駅連続停車は、国鉄時代の特急では、ある意味御法度でした。急行と特急では料金が大いに異なり(その規定は今も残っていますが定期急行がないので有名無実状態です)、高いカネを払っている(取っている)のだから停車駅は限りなく少なくしないと意味がない、差別化できないとの考えがあり、近い場所に有力な駅が2つある場合は交互にどちらか停車させる千鳥パターンをとっていました。私が実際に体験したものでは神戸市の神戸と三ノ宮、広島県の福山と尾道などがそうでした。そもそも特急は原則全車指定席です

しかし国鉄の最後の方に「エル特急」が出現。お高いイメージの特急にもっと乗ってもらおうと、自由席を設けて停車駅も増やした「エル特急」は大いに受けました。今では信じられないことですが昔の急行というのはグリーン車以外は冷房が付いていないことも普通にあったのです。おまけに座席は4人BOXの背中直角シート。これまで停まらなかった駅にも停まるようになったし、少々高いカネを払っても特急車両で気持ちよく行こうという方が多かったのでしょうね。「でしょう」と書いたのは貧乏学生だった私には特急なんて高嶺の花。帰省の際に新幹線に乗るのが目一杯のぜいたく(半分ぐらいは大垣夜行でした)で、平素の旅行では急行を探して乗っていましたら

ただエル特急の効果は抜群で、主要路線の急行があっという間に衰退してしまいました。やはり自由席の採用が画期的なことだったと思います。別の角度から見れば、体のいい値上げだったわけで、コロンブスの卵というか、これを考えた人は凄い

めがねの街とコンクリ駅舎

鯖江は国鉄式の平面コンクリートです。私はこの「ザ・国鉄」駅舎が大好きなんです。近年、急速に姿を消していますが日本海側はかなり残っているイメージがあります

姿を消している理由としては老朽化ももちろんありますが、このようにコンクリートで固めた駅舎を規模の大きな駅に造ると、線路を挟んで駅舎の反対側にいる人は「駅前にいながら駅までが果てしなく遠い」状態になってしまいます。規模が大きければ大きいほど、線路の本数は多く踏切を設ける場所もどんどん遠くなります。駅ができた当時は街の中心部に向けて駅舎があり、それほど問題にならなかったことが時代が進むにつれて問題になっていきます。それを解決するのが橋上駅舎化や高架化で片方だけの古い駅舎は各地で姿を消していっています

解決策のひとつは歩行者のための地下歩道を造ることで、ここ鯖江も

地下の自由通路ができています。「めがねのまち」のシルエットが、さすが鯖江という感じがします

戦前に既にメガネの製造で東京や大阪を上回り、現在はメードインジャパンのメガネの95%を誇るメガネの街

こうやってメガネストリートを歩くこともできるようです

さて駅に戻ります

「きっぷ売場」の文字がいいですね。明らかに国鉄時代からのものと思われますが、いつまでも残ってほしいです

今も残る「特急」

さて手元に1988年3月の時刻表があります。JR移管後1年。既に昼間の急行は姿を消しています

サンダーバードもスーパー雷鳥もまだなく、エル特急雷鳥がずらり並んでいます。まだ昼行で大阪と青森を結んだ特急・白鳥は健在ですが、こちらはエル特急ではなく武生と鯖江は通過です。他はしらさぎと加越。しらさぎが名古屋行き、加越が米原行きなので、夜行を除くと今とほとんど同じ特急パターン。既に両駅停車が多くなっていますが、武生のみというダイヤが多い。しかし鯖江のみというのもチラホラ。昔の特急の名残が残っています。実は今も数少ないながらも存在していてサンダーバード上りで武生のみ停車が4本、鯖江のみ停車が1本、下りでは武生のみ停車が3本あります(鯖江のみはありません)。停車パタンの基準については分かりませんが、こうやって時刻表を眺めていると私は楽しくなってしまいます

 

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その4~昔は日本中あった光景

3月24日10時20分

数字のないバス停

湯尾駅に到着しました

北陸路は峠が多く、旅人の行く手を阻んだだけではなく、戦国時代までは自然の砦としてそれぞれが重要な戦略拠点となっていました。湯尾峠もそのひとつ。日野川沿いに小さな街ができています

ホームには降雪メーター

ログハウス風の駅舎があります

駅前のバス停。地元の方向けへのコミュニティーバスのようで、私も全国各地でお世話になりましたが、たまにこのような時刻表の数字が入っていない停留所に出会って絶句することがあります。もちろん地元の皆さんはご存知のようで、時間になると停留所前にやって来られるのですが

普通列車を探せ!

続けて

武生に到着です。敦賀を出てから3時間かけ、初めてみどりの窓口設置駅に来ました。まぁ真っ直ぐ来れば30分ほど。特急なら20分ですが

3分ほど歩けば福井鉄道のターミナル駅である越前武生駅があって接続駅ともなっています。かなりの本数の特急が停車します

駅舎内も広くて立派なみどりの窓口があります。最近、ターミナル駅でもみどりの窓口のスペースがどんどん小さくなっていますが、これだけ大きいと「偉い駅」という感じがしますね

北陸本線の特急停車駅では、このような案内板があります。何両でやって来るのか、自由席がどこかが一目瞭然で大変分かりやすい

北陸本線というのは在来線の特急天国で、北陸新幹線の金沢延伸前までは本当にいろいろな特急が走っていました。今でも時刻表は

こんな感じ。まるで「普通列車を探せ」のクイズです

優等列車ごとの乗車位置を示すヒラヒラの案内。いくつも並んでいるので自分のきっぷと照らし合わせながら、その前に並びました。以前は全国各地に普通にありましたが、もはや絶滅危惧種

北陸新幹線にも武生駅は設置されますが、少し離れたところに「越前たけふ」として新幹線単独駅として設置されるため、同駅での接続はありません。こうした光景も1年半ほどで見られなくなるので、何十年もありふれた景色だったものが、なくなってしまいます

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その3~ぬくもり感じたかけ声

3月24日9時50分

かつての一服駅

再び敦賀行きの列車で折り返す形で今庄に到着

今も大きな構内を持つ駅ですが観光拠点でもあり、5年前に駅舎そのものを南越前町がJRから購入し、立派にリニューアルさせました

かつては峠を越える前の今庄宿として栄え、近代になってからは同じく難所に向かう鉄道拠点として重要駅となりました

前回、南今庄駅の項でもお伝えした通り、北陸トンネルができるまではクネクネと峠を越える難所だった敦賀までの区間に挑むには1台の蒸気機関車では足りず補機が必要で、その付け加えをする拠点となっていて、長時間今庄に停車する必要があり、待っている時間に今庄そばでお腹を満たしたとか

今も広い構内が残ります。駅名標は降雪メーター付きのようです

駅にあった周辺見所にはしっかり旧線がありました。ウォーキング大会なども行われているようです

立派な駅舎に手動の行き先表示

駅観光協会が入居しています。駅舎には今庄の町の情報館もあり、かつての今庄駅のジオラマもあるそうですが、私は座布団のある立派な椅子に腰掛け、高校野球に見入ってしまいました。駅の業務は観光協会、つまり南越前町に簡易委託駅していました

「いました」と過去形になっているのは

南条駅と同じく、こちらの張り紙があったから

改札部分は今も駅らしい雰囲気であふれているのですけどね

手動の行き先表示。最近見たのは、いつどの駅か忘れてしまいました

そろそろ時間となったので、私ともう一人ご婦人が跨線橋からホームに向かおうとしたその時

「次の発車は2番線ですから!」

と後ろから大きな声。後で写真を見て気づいたのですが、写真の左側を見ると「次の武生方面は2番線です」との紙がぶらさがっています。どうやら基本的には1番線を下り、3番線を上りホームとしていて、特急の通過待ちがある時などは2番線に下り電車が入ってくることがあるようです。手動の行き先表示は固定されていて、このように紙をぶら下げて案内しているようです

2面3線のホームは1番が独立していて2、3番は同一ホーム。つまり間違って1番に行くと、もう1度跨線橋を上る必要性が出てくるので(通過待ちで長時間停まるのでやり過ごす危険はないとは思いますむ)、気を使ってくれて念押しの声をかけてくれたようです

私は左の紙に気づいていなかったので、そのままだとうっかり1番に向かっていたかもしれません。ありがとうございました

もっとも地元の方と思われるご婦人は分かっていた様子なので、明らかに私にかけてくれた言葉だったのかな。階段を2度上がるのはしんどいですから、感謝の念でいっぱいです

このような光景はもう見られなくなっているのでしょうか。確認しに行く必要がありますね

跨線橋の文字を見て思いました

ありがとうございました。また来ます

 

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その2~最も降りたかった駅へ

3月24日8時50分

トンネルを出るとそこは…

南条から敦賀へ戻る形で北陸本線で長年、最も降りたかった駅に到着しました

サンダーバードで金沢から大阪を目指すと敦賀の手前で長~いトンネルに入り、その間、長時間携帯が使用できなくなる体験を誰でもしたことがあると思います。敦賀から金沢を目指す時もそう。13キロ以上に及ぶJRの在来線(狭軌という意味)では最も長いトンネルです

駅前には農地が広がるのみ。すぐ南側にトンネル開けて待っています。地図でお分かりのようにすぐ近くには旧大桐駅跡。北陸本線の歴史というのは、複線化、電化、直流と交流などトピックが多すぎて語り始めるとキリがないので、この近辺のみに絞ると、かつては海に沿うようで実は山中を行くという形でレールがあり、複数の細かいトンネルとスイッチバックでクネクネ走る難路でした。加えて冬季の雪。悩ましいことが多すぎ、トンネル技術も発達した戦後になり、それを解決すべく北陸トンネルが掘られ、複数の駅が廃止されると同時に南今庄駅が新たに設けられました

ですから元々、周囲は何もありません。2面2線の簡易なホームがあるだけ

実際の私の行程は1度行き過ぎてから戻った形になっているのでトンネルを抜けた直後に雪の残るホームに降り立ったわけではありませんが、まだ雪の残る光景が見られました。訪問日は3月24日でしたが、ホームで雪が見られたのは結局ここだけでした

駅舎と呼べるものはなく待合所があるだけ。ただしICリーダーはちゃんとあります。左に見えるのは今は県道の旧線跡。サンダーバードでは、いつも敦賀を出た後、やっと携帯がつながるようになったか、と思った瞬間に猛スピードで駆け抜けてしまうので駅の様子もほとんどうかがい知れず、ぜひ1度降りてみたかった(金沢方面からの場合は行程上夜のことが多いので、もっと分からない)。ダイヤの都合ですぐ離れることになり廃線跡まで至ることはできませんでしたが、それは次回の課題とします

そのような駅ですので利用者もそう多くはないのですが、発車時間直前になると数人が駅にやってきました。すぐ近くに駐車場が設けられており、そちらを利用してのパーク&ライドなのでしょうか

意外と難読駅です

再び福井方面へと向かい

4駅進んで王子保で下車。これはなかなかの難読で一発で読める人はまれだと思います。「おうじ」ではなく「おうし」で最後も「お」と読むのはハードルが高い

ここまで来ると越前市

日本語表記は「おうしお」ですがローマ字表記だと「おーしお」なんですね

木造の駅舎です。モルタル造りというのでしょうか

無人駅ですが9時15分に到着すると駅舎内はずいぶん暖かい

中に石油ストーブがありました。これが理由。もう消えているようですが、しばらくすると管理をしている方でしょうか。年配の方が何度も消化状態を確認して去っていきました。もうすっかり春の訪れですが、北陸路の朝はまだまだ寒い。ちょうど朝の通勤通学時間帯が終わった直後。いい光景でした。できればもっと早い時間帯に来て手をかざしてみたかった

地方の駅でよく見かけますが、こちらも駅が地域の案内、連絡コーナーとなっているようです

駅名は以前の「王子保村」から来ており、学校などにその名前は今も残っています

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その1~ちょっと悲しい張り紙

3月24日

始発のサンダーバードへ敦賀へ

再来年春、北陸新幹線の敦賀延伸で北陸本線の金沢~敦賀間は第三セクターに移管します

ならば直前にドタバタするのではなく、今のうちにJR駅をしっかり味わって記録にも残しておこうと今春そして今夏の2回に分けて青春18きっぷで各駅を回ってきました。まずは春の青春18きっぷで巡った福井県の駅から

朝の6時半、大阪発のサンダーバード1号に乗り込みます。北陸路に向かう時は、いつもこの電車なのですが、いつものことながらかなりのお客さんがいます。サンダーバードは在来線特急としてはJR西日本の看板列車です。昔の特急は皆こうだった、と言いたくなる9両の長い編成。多客時には3両増結されます

8時前に敦賀で下車。ここから青春18きっぷの出番です。敦賀までは新快速が乗り入れていて大阪から青春18きっぷで行けないこともありませんが、となると私の家からだと最短で行ってもおそらく敦賀着は8時46分。通勤通学時間帯は1時間ヘッドとなってしまう北陸本線だけに特急に乗ることで1本多い電車に乗ることができるのです。今日は日帰りだけに、この1本は大きい。というか早朝は敦賀まで直通の新快速はないので細かい乗り換えをしていくうちに敦賀までで疲れてしまいそうです

細かく前後に動く

本来は福井方面へ1駅ずつ順番に紹介していくものでしょうが、訪問順に紹介していきます。1時間に1本の運行ということは順番にたどると1駅着く度に1時間待たなければなりません。それだと5駅で4時間も要してしまうので時刻表とにらめっこしながら、できるだけ効率的に回れるよう前後の動きを繰り返すのです

ということで最初に降りたのは敦賀から約20分。4駅目の南条

 

立派なビルの駅舎。南越前町の中心駅で駅舎は同町商工会館にもなっているので立派なのもうなづけます。南越前町は南条町、今庄町、河野村が合併して誕生。こちらが町役場の最寄り駅となっていますが、鉄道ファンには今庄の方が有名かもしれません

待合室のポスターも役所関連の一部という感じでトイレも立派。まだ朝は冷える北陸でしたが、それほど寒くはありませんでした

ホームは実質上2面。元の形は国鉄伝統の2面3線だったようですが、中線はなくなっています。南越前町の中心駅ですから

当然、駅員さんがいて窓口もあるのですが、よく見ると

悲しいお知らせが。訪問時点で、あと1週間しか有人駅ではないのです。私がこの時期に訪れたのも、これが大きい。たとえ簡易委託であっても駅員さんがいる駅の光景って、いいですね。ちょっと寂しい「今しか見られない鉄道風景」でした。北陸本線はこり時期にパタパタと無人化していき、この後いろんな駅で、この張り紙を見ることになります

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フリーきっぷのワープは姫路乗り換えがおすすめ

時間も料金もほとんど変わらない

先日、鉄道開業150年記念 秋の乗り放題パスを利用して旅をしてきました

訪問地は広島県と山口県です。瀬戸内海側の在来線は優等列車が全く走っていない路線ですので、このきっぷ向きです

きっぷの概要などについては以下で説明しています

鉄道開業150年記念 秋の乗り放題パス本日から。特にJR西日本ではうれしい

まだ利用期間は2週間ほど残っているので、こちらを利用される予定の方も多いと思います。。そんな方々のための、ちょっとした情報です

私は2泊3日の旅を経て神戸の三宮(JRの駅名は三ノ宮ですが他線も出てくるので便宜上、記事では三宮と表記します)まで戻ってきたわけですが、さすがに全部が全部普通ばかりでは帰りも遅くなるし、何よりしんどいので、ここは途中はワープして広島からは新幹線利用です。ちなみに往路は速達性を求められるので新神戸から福山まで新幹線利用しました

ただし新神戸まで乗ったのではなく

姫路で乗り換えました。なぜこんな行動をとったかというと、わずかな時間を惜しむだけで使うお金が全然違うからです

まず、お金について言うと

広島~新神戸は9670円(自由席利用)

広島~姫路は7910円(同)

1760円も違います。まぁ、当然と言えば当然で姫路~新神戸は50キロ以上も離れている(新神戸駅までの距離は三宮ではなく神戸駅の距離となっているのがJRのルールです)わけですから料金も違う。それを言い出したら、あらゆる地域でキリがなくなってしまいます。では時間を見てみましょう

私の実例で言うと

乗車したのは

広島発16時49分発のさくら560号です。新神戸には18時15分着。ここから三宮に向かうと地下鉄ですが、ご存知の方は分かると思いますが地下鉄の駅までは結構遠い。猛烈にダッシュして18時22分に乗れるかどうか。三宮着は同25分です。おそらくこれが最短。バンバンやってくる地下鉄なんで荷物を抱えてダッシュする必要はないと思いますが、実際の私は姫路でダッシュしたので、こちらもダッシュ想定してみました。普通の速度で歩くと6分後の到着です

さて現実の私はというと、姫路での新快速の乗り換えが4分しかなく姫路に17時52分に到着して同56分の新快速に乗車。三宮着は18時32分着となりました。ちなみに姫路の新幹線→在来線の乗り換えは大変便利にできていて4分しかなくても比較的余裕はあります。つまり着いてみると、ともに最短で行っても7分しか変わりません。地下鉄の駅から地上に上がってくる時間を考慮すると、ほとんど同じになってしまいそうです(もっとも私の乗ったさくらは姫路でのぞみの通過待ちをするので広島を17時1分に出るのぞみに乗れば新神戸には5分早く着きます)

これだけを見ると、今回のきっぷや青春18きっぷ使用の場合は姫路~三宮はタダ(厳密に言うと違いますが)なわけですから、はるかにお得感があります

大阪に行く場合だと、さらに効果絶大…と言いたいところですが、この区間は特急料金が同じですので自由席で9870円と新神戸下車と比べて320円しか変わりません。ただ新大阪着が18時28分で当該の新快速が19時ちょうど大阪着ですので、目的地が大阪だとすると新大阪の乗り換え時間も含めると20分も差がないはずです。320円といえども缶ビール1本は十分飲めます

15分ヘッド、必ず座れる

この乗り換えには、もうひとつ大きなポイントがあって必ず座れるのです

新快速は夜の遅い時間帯でない限り(朝は平日と土休日で運行本数が変わります)、15分間隔の運転で基本的には姫路始発です。姫路以西からの電車もありますが姫路からなら、新快速は12両編成ですので、まぁ座れます。座れなかったら15分待てばいいのです。よくJR西日本には普通車グリーンや通勤ライナー的なものがなぜないかの議論がありますが、姫路から大阪方面へ向かう方は駅で少し待てば座席も広めなクロスシート車に乗れるので、効果がないと言われるのもそのため

私も発車ギリギリでしたが、窓際はムリだったものの余裕で座れました

これと同じ考えで料金と速度だけなら、大阪や三宮から姫路で新幹線に乗り換える逆方向でも同じになりますが、こちらは座れるかどうかとなると私は全く保証できません。新快速との乗り換えを考えると西明石でも使えそうなものですが、今度は西明石に停車する新幹線が少ないのと、やはり座席確保の問題があります。東からの新快速は始発駅がまちまち。それに対し西からは必ず姫路を使えます。現在の乗り放題パスそして年末年始の青春18きっぷのシーズン。新幹線の乗車駅や料金も見ながら、ぜひ姫路乗り換えを考慮に入れていただければと思います

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