きっぷ

夢の原点、リニア実験線を訪ねる(終)

田んぼの向こうにリニア実験線の南端が見える

※動画音声注意

2023年5月10日10時20分

「最寄り駅」からの距離は?

都農駅に到着しました。小倉から298キロ。数字だけを見るとかなりのものです。北海道や九州はひとまとめの地図になるので、近く感じてしまうのですが、東京~豊橋とほぼ同距離。リニア実験線がかなり遠くにあるということが実感できます

駅名標です。都農町の中心駅で、かつては貨物輸送でもにぎわったことをしのばせるヤードが残ります

駅舎は6年前に新築されたもので、かつての駅の雰囲気を残す造りになっていて、駅名板の文字は明らかに国鉄文字

ここからリニア実験線の「南端」を目指すわけですが、距離的なものがさっぱり分からない。跡地の高架橋なんでグーグル地図に存在もしていない。日豊本線の車窓から見えていて私なりの推測では徒歩30分ぐらいでしょうか。駅前にタクシーがいれば乗ってしまって、30分以上の徒歩が必要なら現場で待ってもらおうとも考えましたが、残念ながら、いない時間帯でした

平坦コースということは判明

そこで都農駅で尋ねてみることに。朝夕の通勤通学時間帯に一部の特急が停車する同駅には都農町の観光協会が入っていて、都農町がきっぷ販売も委託しています

といってもリニア実験線の「終点」は、今や観光地でも名所でもありません。「30分あれば行けますかね?」と質問すると「う~ん、そのぐらいあれば大丈夫かな」との答えがあった後、突然現れた男の無茶なお尋ねに対し、事務所内で他の方にも聞いてくださいました

「車だとすぐなんで15分もあれば行けるのでは?」という回答もあり、結論としては30分あれば大丈夫ということ、そして予想通り現地までの道は平坦であることは判明。何気にこれが一番重要な情報です。前日の美々津駅からの徒歩コースでも分かるように、距離以上に坂のあるなしで難易度は大いに変わってきます。昨年訪問した名古屋の南方貨物線もすべてがほぼ平坦コースだったので、少々の距離は苦になりませんでした

感動の対面

ということで歩き始めます。道路は県道で歩道もあり、歩くのには問題ない。10分ほど歩いたでしょうか

遠くに構造物が見えてきました。感動の対面

後は高架の橋脚のふもとまで行けるかどうかですが、うまい具合に折れる道路がありました

手前に見えるのは日豊本線の線路で、ここをくぐると

ここがゴール、つまり南端。実験線ですから、前日の研究所の建物の場所とは異なり、唐突に高架が終わっています。都農からの電車までは余裕があるので時刻表で高鍋駅の特急の発着時間を調べて通過を待ちます

逆方向からは動画でどうぞ

太陽光パネルが並ぶ

役割が終わって四半世紀。実験線にはソーラーパネルが並んでいます。2011年から発電を開始しているので、すでに10年以上の実績。2008年に宮崎県と都農町が公募によって会社が選ばれました。他になかなか例を見ない細長い太陽光発電所となっています。実験線としては約20年だったので、あと何年かで太陽光発電所としての歴史が上回ることになります

リニアモーターカーは現在、東京~名古屋間の実用化に向けて工事が行われています。ここ宮崎の実験線は工事着工が1974年で利用開始が77年。ここ宮崎で夢の原点としてスタートしてから半世紀近くが経過して、ようやく商用化が見えてきました。最近は話題になることすら少なくなりましたが、太陽光発電所に姿を変えても、繰り返された実験の跡が、そのまま残っていることに意義があるのではないでしょうか

都農駅からは徒歩で15分でした。普通に歩ける距離です。そして今回の記事を書くにあたり、グーグル地図を開けたところ、史跡として「リニアモーターカー宮崎実験線跡」が記入されていることに気付きました。私の訪問時はなかったはずで、その後に記入されたのか、それとも私が気付かなかったのか。いずれにせよ都農駅からの道程が分かりやすくなったことだけは間違いありません

どのぐらいの訪問者がいるのか定かではありませんが、一応、駅に戻って観光案内所の方に「徒歩15分」であることだけは報告

何も知らないアヒルは遺構を背景に求愛中でした

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夢の原点、リニア実験線を訪ねる3

東都農駅に到着

2023年5月10日9時10分

昨日で完了のはずが…

リニア実験線訪問の翌日の朝、東都農駅で降りていました

前日の訪問時は実験線の基地を見られたことで満足。次の目的に向けて移動しようと電車に乗り込みました。もちろんリニア実験線訪問は完了です

ただ車窓を見ているうちに気持ちが変わりました。日豊本線に並行して走るリニア実験線。これって一体、どこで終わるのか?と食い入るように見ていると東都農駅と都農駅の間で唐突に終わっています

「終点を近くで見たい」

好奇心がふつふつと湧き上がってきました

前日は宮崎市内で宿泊。他に予定はしていたこともあったのですが「リニア実験線の南端を見に行くツアー」に急きょ変更です

朝に宮崎駅を出発。東都農で9時過ぎに下車しました

実際の行程はもっと南の宮崎から来ていますが、美々津と東都農は海にほぼ並行して線路が敷かれているので、その傍らをリニア実験線が走っています。線路だけだと4・4キロ。道路だと前回までに説明した通り、国道が少し離れた所を走っているため、約5キロ。ただ実験線は現役の路線ではないためグーグル地図には表示されません

かつては資料館でにぎわう

東都農は待合所のみの無人駅。戦後の1952年に営業を開始しています。両隣の美々津、都農はいずれも大正期の開業で歴史は新しい

一見、随分立派な「駅舎」があるように見えますが、そうではありません。立派なお手洗いです。かつては、ここに「リニア資料館」があり、屋上が見学施設となっていて、多くの人でにぎわいました。つまり「リニア最寄駅」だったわけです

今は施設も撤去され、もちろんリニアをお目当てに訪れる人もいません

ただ駅の跨線橋からは実験線を俯瞰できます

新緑の中、さっそうと車両が走れば格好いいのですが、ここには何も走りません。高架から顔を出して並んでいるのはソーラーパネル

田んぼの中を走る実験線なので周囲に高い建物はない。そのため東都農駅は、今も実験線を眺める一等地です

逆側にはのどかな風景が広がっています

ひとつ危ないことがあり、宮崎側からやって来た電車は待合室側のホームに到着したので、宮崎方面への電車は向かい側から出るものとばかり思い込んで待っていたら、その電車も待合室側ホームに入線してくる。すれ違いがない限り、駅舎側ホームのみ使用いるのは単線区間でよくあることですが、完全に油断していました

時刻表に番線が書かれていますが、完全に思い込みで跨線橋をひたすらダッシュ。乗り遅れたら1時間以上の待ち時間となるので必死です。もしかしたら私の姿を見かけて少しドアを閉めるのを待ってくれたかもしれません。ぜーぜー言いながら、お礼を言いました

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夢の原点、リニア実験線を訪ねる2

ここからリニアモーターカーの実験車が出発していた

2023年5月9日11時

田んぼに映える高架

リニア実験線は田んぼの中を突っ切っています。地元の方でさすがに知らない人はいないと思いますが、初見だと「この構造物は何?」と思ってしまうでしょう

ここからリニアの車両が飛び出していった

大阪万博の目玉商品

もう現実の工事が始まっているリニアモーターカーですが、超電導電磁石の仕組みを利用して高速列車を走らせる理論は、東海道新幹線の開発時にはすでにあり、後はどう実用化するかでした

世間一般に「リニアモーターカー」という言葉が浸透したのは1970年の大阪万博。日本館の目玉商品がこの模型。個人的な話となりますが、物心ついたばかりの私は両親に連れられ、3時間も並んだ末にようやく入館。その姿に目を見張った記憶があります。余話となりますが、世界各国のパビリオンが並んだ万博では日本館以外では、アメリカ館、ソ連館が大人気。1ドル360円時代の当時(学校で繰り返し教えられ、今も覚えているぐらい)は日本人が気楽に海外旅行に行ける時代ではなく、海外情報を生で体感できる万国博覧会というのは、現在よりはるかに注目度の高い一大イベントでした

当時は東西冷戦のまっただ中で、米国、ソ連ともに国の威容を誇示する重要なイベントでもあり、日本館を含めた3カ国のパビリオンはいずれも延々と並ばなければならないものでした。まだ10歳にも満たないころなので、それほど多くの記憶はないのですが、今も鮮やかに覚えているのはアメリカ館の「月の石」と日本館の「リニアモーターカー」です

地方に建設した理由

そのように一般にも言葉が広く知られるようになったリニアですが、単純に時速500キロを走らせればいいというものではなく、安全、安定の定時運行は当然の前提として黒字化しなければ意味はない。そのための具体的な実験が必要となります。国分寺の研究所で浮力など実用に向けた研究を経て、いよいよ実用に向けて動き始めた時に長距離の実験線の候補地として、「振動騒音」「電磁波」の問題が考えられるため、地方が良いとされ、地元も協力的であったことで、この宮崎の地が選ばれました

南方貨物線の項でも記しましたが、当時は社会全体が環境問題や騒音問題に目覚めたころで国鉄も場所選定には慎重でした

そして77年に完成したのが宮崎実験線。この7キロを利用した(すべてが完成したのは79年)開発と研究が続けられましたが、研究が進むにつれ、さらなる調査も必要となってきます。カーブもない直線だけのコースは勾配もトンネルもない。東京~大阪に建設するには、そんなことはあり得ないわけで96年に山梨の実験線にバトンを渡すことになりました

現在の姿はかなり風雪を経たものになっていますが、廃墟となっているわけではありません

鉄道総合技術研究所の宮崎実験センターとして施設の管理は行われています

夢のスタートは残る

宮崎の実験線では79年に最高時速517キロという、その後山梨の実験線まで破られなかった記録を達成。当時は大きなニュースとして取り上げられました

そんな時速500キロの夢が伸びています

電車の時間もやって来たようなので美々津駅へと戻ります。来た道なので帰路は分かる

この景色だけでもかなり満足できます。左奥に駅の跨線橋が見えます。その向こうには遙かな海。初夏の優しい風が心地よかった

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北海道フリーパスはどれだけお得か

北海道フリーパスとは

さる5月24日から6日間、北海道に行ってきました。その際に利用したきっぷが

北海道フリーパスです。要点を説明すると

・北海道新幹線を除くJR北海道及びJR北海道の路線バスが1週間乗り放題

・利用当日の購入可能

・指定席は6回まで利用可能(自由席は乗り放題、グリーン席の場合はグリーン券のほか特急券も必要)

たったこれだけ。バスについては乗れる路線と乗れない路線があって、事前確認が必要ですがルールは実に分かりやすく、通年発売しています(年末年始、GW、お盆の時期のみ利用不可)

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降り鉄にも有効?

ただその一方で欠点というか、二の足を踏んでしまう要素もあります。まず旅行者目線だと、これだけ長期間、北海道を旅するのは、その分だけ休暇を取る必要があるため、現実的に使用の機会は限られてくるということ。7日間有効ですから、利用は3日でも4日でも良いのですが、2万7430円という高価な料金の元を取らなければならないので、利用にあたっては、いろいろ考えてしまいます

そしてこちらは私的なこととなりますが「降り鉄にも有効なのか」ということ。私の場合、駅訪問に重点を置いていますので必然的に優等列車の停車しない駅や走らない路線が多くなります。場合によっては普段行っているようにローカル線やローカル駅の手前まで優等列車を使用して、そこから青春18きっぷのような安めのフリー乗車券を使うのもありかもしれません。ただ初めてのことなので、今後のことも考えて初めて利用してみました

以下、6日間の行程を実際に普通のきっぷを利用した場合はどのぐらいの料金がかかるのか計算したものです。いろいろな駅に行きましたが、100キロを超える区間はできるだけ通しのきっぷを買って途中下車制度利用するものとしました。途中下車した駅についての記述は省略しています。途中バックしたり、枝分かれする路線については、その都度別に運賃を支払ったものと仮定。またほぼすべて自由席利用でしたので特急は自由席料金とします

初日

10時に新千歳空港に到着して券売機で北海道フリーパスを購入。全国で買えますが、その場合はおそらくJR北海道は他社に手数料を支払わなければならないので、ここは全額がJR北海道に入るようにしました

新千歳空港~小幌 3210円

苫小牧~登別 特630円

小幌~洞爺 540円

計 4380円

洞爺湖で知人と会う約束があったので、途中下車は行いましたが料金はこれだけ。6日間ですので単純計算だと4580円利用しなければなりませんが赤字スタート

2日目

洞爺~豊浦 250円

豊浦~札幌 3630円(室蘭泊でしたが途中下車のため乗車券は札幌まで)

伊達紋別~稀府 往復290円×2=580円

伊達紋別~東室蘭 特320円

東室蘭~母恋 250円

母恋~輪西 250円

輪西~御崎 200円

御崎~室蘭 200円

計 5680円

どうしても稀府駅に行きたかったので、伊達紋別との間を往復。何とか2日分の元は取れました

3日目

室蘭~東室蘭 290円

幌別~苫小牧 特630円

苫小牧~鵡川 往復750円×2=1500円

苫小牧~札幌 特1150円

札幌~旭川 2860円(深川で途中下車しています)

札幌~深川 特1830円

深川~石狩沼田 340円

石狩沼田~北一已 340円

北一已~秩父別 250円

秩父別~北秩父別 200円

北秩父別~深川 340円

深川~旭川 特630円

計 1万360円

時限付きでわずかに残った留萌本線の全駅訪問。移動も多く、特急にも何度も乗ったので1万円台に

4日目

旭川~東鹿越 2420円

富良野~芦別 往復640円×2=1280円

東鹿越~金山 340円

富良野~旭川 1290円

計 5330円

一度も特急に乗りませんでしたが、運賃だけで5000円超え。実際は旭川から芦別にダイレクトに行ったのですが、それだと100キロに満たず途中下車ができないので東鹿越まで乗車券を購入したものと仮定。根室本線の区間は、かなりバスにもお世話になっています

5日目

旭川~比布 440円

比布~札幌 3190円(深川で途中下車)

旭川~深川 特630円

深川~幌加内 JRバス往復 1130円×2=2260円

深川~札幌 特1830円

計 8350円

深川~札幌でこの旅最初で最後の指定席に乗車しました。もっともこれは、このままだと1度も指定席に乗らず終わってしまうと考えて乗車したもの。実際は車両の多い自由席の方がすいていました。幌加内までのバスが深名線の代替バスでJR北海道バスだったのは大きかった

6日目

札幌~新得 3630円(トマムで途中下車)

      特1830円

トマム~占冠 往復540円×2=1080円

新得~島松 3190円(追分などで途中下車)

新得~追分 特1830円

鳥松~新千歳空港 460円

計 1万2020円

石勝線で普通料金で乗れる特急列車に散々乗った末、どうしても行きたかった島松で締め。実は札幌~旭川より札幌~トマムの方が遠いことを初めて知りました

特急に乗らないと動けないエリアが多数

ということで6日間で利用した運賃と特急料金は4万6120円。大幅に元を取ったことになります

活動エリアは新千歳空港を出入りして洞爺から旭川までと、そう広くはないのですが、それでもこれだけの料金。無理に特急を利用したことはなく、最長でも札幌~トマムですから、北海道のエリアを考えると、そう長い距離ではありません。おそらく稚内や網走、釧路などに行けば、もっと簡単に元を取れたと思います

今回痛感したのは、北海道では普通利用だけでは、なかなか動きがとれないということ。深川駅を複数利用したことで、深川~旭川を何度も乗ることになりましたが、この区間はわずか30キロ。特急は30分から1時間間隔で多数走っている動脈区間ですが、普通の運行は少ない。結果的に特急ばかりを利用することになりました。北海道にはこのような区間が多数あり、青春18きっぷのみでは、降り鉄はかなり難しいですね

もっとも、このぐらいで大いに元は取れるので行程のうちの1日ぐらいはレンタカー利用もありかな、と思いました

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宗太郎駅に行ってきました(後編)

2023年5月9日6時40分

周辺には民家が数軒

宗太郎駅の駅名標です。山中の峠越えの駅だけに両隣の駅も7キロ前後離れています

駅からの俯瞰。奥に見えるのが国道10号。日豊本線はこの国道沿いに走っていて幹線国道だけに駅への訪問は比較的容易(ただし見る限り、国道からの道路は決して道幅は広くない様子)です

ユニークな地名

かつては駅舎が存在したと思われる場所にポツンと、きっぷの回収箱がありました。一応、ラッチ(改札)に囲まれています。年間にどれだけの切符が投入されるかは分かりません

この駅が有名なのは「宗太郎」という愛らしい駅名によるものも大きい。大分と宮崎の県境付近の峠越えは古代から交通の難所として知られ、江戸時代に管轄の岡藩(「荒城の月」で知られる豊後竹田城で有名)に命じられた洲本宗太郎という人が付近の調査、管理をしていたことにちなみ「宗太郎峠」と名付けられ、以降、列車や車の時代が到来しても難所の横断は宗太郎越えと呼ばれ続けています

記念碑や井戸も

駅は2面2線構造。1日1・5往復はあくまで停車列車の話で、当駅を通過する特急列車は終日バンバン走っています。そのため、佐伯~延岡間は特急の停車駅はないものの、すべての駅がすれ違い可能な構造です

駅の出入り口は小さな階段。ただ前述した通り、通過列車は多いため、上下ホームは跨線橋での移動が必要

跨線橋から見ると、長大編成のすれ違いに備え、構内の複線部分は大きくとられていることがよく分かる

駅入口側には

井戸がありました。現役ではない様子

跨線橋を渡ったところには

記念の石碑。手前まで入れるようになっているので近づくと

肝心な部分が歳月のおかげで読めません。左側にうっすら残る文字からは「大分保線事業所長」によるものだと分かりました。宗太郎駅は大正期に信号場として開設され、戦後間もなく駅に昇格。おそらくその時のものだと推察されます

駅の入口側とは逆側のホーム(延岡方面)には待合所がありますが、ここには駅ノート入れとともに石がズラリ。ひとつひとつにメッセージが書き込まれていて、風変わりな「駅ノート」となっているようでした

宗太郎駅に対するダイヤの誤解

駅を去らなければならない時間がやってきました。わずか15分の滞在。もう少しいたかったですが、さすがにこれに乗らないわけにはいきません

手元に2017年3月の時刻表(ダイヤ改正版)があります。当時は現在と同じ早朝の1往復のほかに南延岡発16時43分の佐伯行き、佐伯発17時14分発の南延岡行きがあり、それに乗車すれば17時20分に宗太郎に到着して18時10分に離れられるという、今の季節なら十分明るいうちに行動できる運行がありました。また夜の20時台も0・5往復ではなく1往復運行されています。それ以外にも南延岡から宮崎県の端にあたる市棚まで朝に1往復の設定がありました(ただし市棚からの折り返しが8時37分発で延岡着が9時1分と微妙に通勤通学帯からは遅い時間です)。それらの運行は2018年3月のダイヤ改正で姿を消し、現在のダイヤとなっています

宗太郎駅のダイヤについては多少の誤解があって、先日紹介した羽越本線にも存在した「普通列車も多くが通過する駅」と一部で思われているようですが、それは違って、そもそも運用がこれだけしかないのです。つまり宗太郎だけがクローズアップされるのであって宗太郎~延岡の5駅はすべて同じダイヤなのです

ただ少し驚いたのは延岡行きの宗太郎6時54分発の列車には数人の乗客がいたこと。今回の旅は青春18きっぷの期間でもないGW直後の平日という最も旅客の少なそうな日を選んでいます。宗太郎にやって来る時とは逆で1号車部分のみが開放されているため、車両の半分を占めるグリーン座席も座れるようになっているため(グリーン券は車内で購入のシステムだが、当然のように誰も乗っていない)、普通座席部分が狭くなっていることもあるのでしょうが、宮崎県に入ると駅に停車する度に通学の高校生が何人かずつ乗り込んできました

こちらは列車交換のために3分間停車した日向長井駅でホームに降りて撮影したもの

高校生は全員が延岡で降りていきました。延岡発の佐伯行きは20時7分発。高校生の帰宅としては、ちょっと遅い。おそらくコミュニティーバスを利用するのでしょうが、どうやって帰宅するのだろう?と思ってしまいました

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宗太郎駅に行ってきました(前編)

宗太郎駅の駅名標

2023年5月9日午前6時

早朝から注釈付き列車に乗車

前夜のうちに宮崎県の延岡に入り駅近くのホテルに宿泊

そして朝の6時には駅にいました。5月上旬ですが、西国だけに、まだ夜が明けつつある雰囲気でした

乗車するのは6時10分の普通佐伯行き。奥に見えているのは6時2分の宮崎方面行きで、今から乗車する電車とは違います。そもそも電車の形が違います

今から乗車する列車には注釈があって

何やら不思議なことが書いてあります。文脈だけを読み取ると4両編成で、そのうち1両にしか乗れないことになっている。2両編成で、うち1両が送り込み用の回送扱いというのはJR四国でよく見かけますが、4分の3が乗車不可というのは、あまり聞いたことがありません

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やって来たのは特急列車

間もなく乗車列車がやって来ました。6時6分南延岡始発の佐伯行き。なんと特急車両が運用に入っています

九州ではおなじみの787系。 1両分しか客扱いしませんが、車掌さんも乗車しています

30分ほどですが、優雅に特急車両の旅を楽しむことにします。1両分しかお客さんがいないので乗車状況は分かりやすい。南延岡はひとつお隣の駅で、ここからの乗車はなかったようで無人で入線。延岡から乗車したのは私を含め3人。一目で分かりますが、当の私を含め3人とも目的地は同じ「同好の士」です

宮崎県からしか行けない大分県の寝坊厳禁駅

普通という名の特急車両に揺られること30分。目的地の宗太郎に到着しました

延岡から25キロ。宮崎県から大分県に入ったところにある県境の駅。「宗太郎」という駅名と県境ならではの雰囲気に加え、1日の利用者が1人にも満たないことで鉄道ファンの中は知らない人がいないほど有名ですが、特筆すべきは時刻表

ご覧の通り、1日1往復半。しかも朝の6時台に大分方面と宮崎方面の列車が1本ずつあった後は20時35分の佐伯行きがあるだけ。延岡方面に至っては6時54分が始発にして最終電車です。日本中に閑散路線は数多くありますが、これはもう究極のダイヤ

時刻表もあまりに余白部分が多すぎて告知ボードのようになっています

そしてこれが何を意味するかというと、当駅を訪れようとすると私が乗車した列車に乗り、15分後の延岡行きで引き返すしかない。つまり大分県にあるにもかかわらず宮崎県からしか行けず、寝坊は絶対に許されない。もっと言うと、日常的に当駅に行く(人がいるかは不明)には南延岡~宗太郎間に住むしかなく、それ以外の地域からだとホテルが多数ある延岡に前日から宿泊するしかないわけです

なおバス路線ですが、大分県にあるため延岡側からのバスはなく、宗太郎のバス停は地元の方向けの予約制デマンド運行。県境を越えて1時間ほど歩けば延岡市のコミュニティーバスが来ていますが、週3回の運行で、なおかつ延岡まで直接は行けないという状況。また両隣の重岡、市棚両駅にも徒歩では1時間半以上かかる上、駅まで行ってもダイヤ的には変わりがない(重岡駅からは佐伯中心部まで行けるバスがありますが本数は少ない)ので、まさに「脱出困難」駅

貴重な15分間を堪能することにします

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満員の代行バスで旅を締める

酒田駅の特急いなほパネル

3月4日11時10分

特急いなほに乗車

いなほは秋田~新潟を結ぶ特急ですが、1日7往復の運行のうち、秋田と新潟を直接結ぶのは2往復のみ。多客期は一部延長運転が行われますが、5往復は酒田~新潟の運行となっています。酒田駅が新潟支社と秋田支社の境界となっているため、普通の運行は酒田で分断され、特急を利用しない場合は乗り換えが発生します

とはいえ

秋田~余目間は未乗車区間のため、酒田で下車。すでに山形県に入っています。ここでランチタイムと。昭和30年代に建てられた典型的な国鉄コンクリート駅舎ですが、2年前にリニューアルされました

美しい余目駅

酒田からは普通に乗車。15分ほどで

余目に到着。駅名標で分かる通り乗り換え駅

駅名標は新しいものですが、ホーム上の乗り換え案内はクラシックなものが残ります。新庄へ向かう陸羽西線の乗り換え駅

来るのは2度目ですが、黄色の文字が美しい。階段もその色に準じていて離れたところからも目立ちます

陸羽西線はバス代行中

時間的には東京に向かうことになっていて、本当は特急で新潟まで行き、上越新幹線で東京に行く方が圧倒的に早く、新幹線も乗れるJR東日本パスを有効利用できるのですが、この日はちょっと違うことを考えていました

余目駅の跨線橋ですが、新庄へ向かう陸羽西線ホームへの通路は塞がれています。現在、陸羽西線と交差する道路のトンネル工事に伴い、バス代行が2024年度中までの予定で行われています

この代行バスに乗ってみたくなりました。最上川に沿って走る陸羽西線ですが、バスからだと以前乗車した鉄道とはまた異なる景色が見られるはず

こちらは前日、古川駅に張られていたバスの時刻表。陸羽西線は酒田から直接乗り入れる運行があったため、バスで酒田からも行けるようになっていますが本数は圧倒的に余目からが多く、また久しぶりに美しい余目駅を見たい願望もありました

余裕の行動だったが…

積み上げられた雪の向こうですでにバスは待機しています。しかし過去に陸羽西線に乗車した記憶は大してお客さんはいなかったものなので

たまたまやって来た観光用の快速「海里」を眺めるなどして余裕の行動

バス出発の15分前もこんな感じで、まぁ大丈夫だろうと、この後に乗る山形新幹線の発券を行うなどして駅舎内にいました。そもそも寒いので並びたくない

ところが発車10分を切った時点で再び駅舎外に出ると、一体どこから集まってきたのかと思うほどの並びになっていました。考えてみれば、前日、川部駅で実感したように、今は東日本パスと青春18きっぷが重なる時期。人が多いのも当然。慌てて並びに参加しましたが窓際席は確保できない、どちらかといえばギリギリセーフの状況。実はバスはもう1台待機していて、運転手さんが並びの人数を何度も数えていましたが、もしかすると予備車両だったのかも。そんな理由でバスの車窓からの写真はなしとなりました

雪の車窓をながめながら旅を終える

鉄道の時刻表の感覚では大いに余裕があった新庄からの山形新幹線の乗り継ぎですが、バスは若干の遅れが発生。新庄からの新幹線は2時間に1本しかないためヒヤヒヤしましたが、無事間に合いました

こんな機会はめったにないため、指定券は余目で発券。4回まで利用できる指定席ですが、前回と同じくほぼ自由席だったため、今回の旅で唯一の指定席となりました

山形と福島の県境の雪景色を見ながら旅は事実上、終了。東北新幹線の各駅訪問、長年の念願だった羽後亀田駅も訪問できて充実の旅でした

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ホームから望む夕陽

岩城みなと駅の駅名標

2023年3月3日16時50分

※時刻表は当時のものです

あまりの寒さに予定変更

大変名残惜しいですが、羽後亀田駅を去ることにします。「町の顔」確かにその通り。バス停のような簡易駅になってしまったのでは悲しすぎるので、いつまでも美しい駅舎であってほしいですね

羽後亀田駅の時刻表。ところどころ空きますが、1時間に1本程度の列車はあります。当初の予定では16時2分の酒田行きに乗る予定でした

羽越本線の秋田~余目間には普通すらも多くが通過する駅が3駅あります。桂根、折渡、女鹿の3駅でいずれもJR移管後に信号場から昇格した駅です。そうしょっちゅう来られる場所ではないので、そのうちひとつでも訪ねておきたい、と思い。羽後亀田のお隣である折渡に訪問する予定でした

時刻表を見ると分かりますが、私が秋田から乗車してきた16時2分は折渡通過ですが、17時31分は停車します。そしてこれが折渡駅の最終列車。ほとんどの普通は通過で1日に上りが3本、下りが5本しか停車しません。ただ羽後亀田と折渡の距離はたったの3キロで、地図を見るとほぼ道路が並行している。これは迷わず40分もあれば十分歩けるはず。つまり羽後亀田から徒歩移動して羽後亀田17時31分発で折渡同35分の列車を捕まえるのです。となれば本日宿泊予定の羽後本荘に順調に着くことができる

という自画自賛的な作戦を考えたのですが、結論からすると

寒すぎてヤメ

元々気温は低かったのですが、夕暮れも迫ってきて急激に気温が下がってきました。駅間徒歩移動には夏より冬の方が絶対に良いと考えている人間ですが、ここまで寒いともう無理です。何より、せっかくの羽後亀田駅ですから、もう少し長く滞在したくなりました

目指すは新駅

そこで1駅戻って岩城みなとを目指すことにしました。こちらも羽後亀田から1駅。ちなみにこの間には二古信号場があります。山中ではなく海と国道沿いの信号場で、誰も住んでいない場所にポツンとある信号場のイメージとは全く異なり周囲には集落もあるように見えますが、70年代に駅から信号場へと降格してからは、JR移管時も駅に戻ることはありませんでした。そのすぐ先にあるのが岩城みなとです

ホームを降りると新しい駅舎が出迎えてくれます。それもそのはず。開設は2001年で旧岩城町の中心駅となるべく新たに開業しました

こちらが駅舎。夕闇が迫っています

駅前にはウェーブ岩城という新しい建物があり、図書館などが入居しています。駅前は新興住宅街となっていて、役場も至近。岩城町の中心機能が集められて新たな駅が誕生した形となっています。岩城町は2005年に周辺の町と本荘市と合併して由利本荘市となりました

道の駅も徒歩圏内で島式の漁港があります

窓口とお別れ

岩城みなとは簡易委託できっぷ売り場があります

ただ、その傍らには

こんな張り紙も。羽後亀田駅と同じく、3月17日で窓口を閉鎖して無人駅となる案内です。由利本荘市の中心で特急停車の管理駅である羽後本荘駅では一足先に指定席発券機能もある自動券売機に移行。そしてこの3月17日をもって岩城みなと、羽後亀田のほか羽後岩谷、西目の計4駅が一斉に無人化されました(羽後本荘は発券窓口はありませんが駅員さんはいます)。つまり市内のJR駅から、すべて発券の窓口がなくなってしまったわけです。時代の流れとはいえ急過ぎます

岩城みなとは海の見える駅でもあります

ホームからの風車と海は駅のみどころでもあります。この日は雨予報だったのですが、雲の合間に夕陽がなんとか顔を出してくれました。晴れた日の夕陽はもっと美しいのでしょうね

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羽後亀田駅よ永遠に

羽後亀田駅は島式ホーム構造だった

2023年3月3日16時

現代にリメイクできる砂の器

羽後亀田の駅舎内です

松本清張作品には多くの鉄道が登場します。松本清張と鉄道をメインにした本まで出ている。路線だけでなく「駅」が多く出てくるのも特徴のひとつですが、インターネットどころかテレビさえも広く普及していない昭和30年代によくぞここまで調べ上げて知識を得たと感心してしまいます

ただ鉄道が重要なファクターとして登場する作品は、有名な「点と線」の寝台列車の死角など現代版として映画、ドラマ化するのがなかなか難しものが多い。その中でも数少ないリメイク可能なものが砂の器です。刑事2人が、ここ羽後亀田と木次線の亀嵩に向かうのですが、最近のものでは亀嵩へは岡山からやくもに乗り、松江から木次線を南下することになっていました

もちろん作品の設定は松本清張が備後落合の旅館で作品の構想を練ったことで知られる通り、芸備線を備後落合で木次線に乗り換えたことになっているのですが、現代風に東京から鉄路で亀嵩に行こうとすると、そうなります

ただドラマや映画で重要なのは駅の風情。時代設定を昭和30年代にした場合はもちろん、現代風にしても駅舎というのは大切です。映画版やドラマ版のいくつかでは「亀嵩」の設定でありながら別の駅がロケ地になっていることもありますが、ここ羽後亀田だけは鉄板で動くことがありません

周辺事情を初めて知る

そんな羽後亀田にようやく訪れることができたのですから周辺散策もしましょう

と駅舎の外に出ると

な、何にもない

周囲はほんの少しの民家と農地です。廃屋らしきものが1軒ありましたが、農地部分はおそらく昔から農地でしょう。これでは刑事さんの聞き込みも3分ほどで終わってしまう。私の知識では、亀田藩と亀田城があって、その城下町だったのですが全く違います。どうしたものかと困っていると

地図を見て納得。城下町はやや離れたところにあるのですね。私が到着した時、バスが止まっていましたが、どうやら町の中心部へ向かうものだったようです

駅に見られる変化

羽後亀田はこのような構造になってしました。右に見えるのが駅舎。かつての貨物の側線も残っていますが、島式ホームに上り下りの電車がやって来て、乗客は跨線橋で駅舎に行きます

ただ駅舎のさらに奥にもうひとつのホームがあるのは何でしょう

改札からホームへの案内は秋田方面2番線、酒田方面3番線と記されています。乗り換え駅ではないので他方向に向かう列車はありません。だったら1番線は何なんだとなり、気になるので行ってみると普通に入れる

新しめのホームがあり駅名標もある。これは何だろう?と調べてみると、ようやく分かりました。私の訪問日から2週間後の3月18日から、すべての列車は上下とも、このホームに停車するのです。私が降り立った2、3番線は旅客ホームとしては閉鎖。特急や貨物などの通過線となるようです

ですから、この記事を書いている現在はもう跨線橋には入れなくなっているはず

乗り場案内が単なる紙だったことも納得です

存在感ある駅舎の将来は?

「落とし物」という表現に思わずクスッとなってしまった、この案内も、もう見られません

そしてその3月18日からの大きな変化は無人化です

訪問時は委託によるきっぷ販売が行われていましたが、それも3月17日で終了しました

そうなると気になるのは駅舎の将来です。今回、秋田~余目の羽越本線を乗車してみた感じでは古い駅舎が残っているのは、ここ羽後亀田のみ。全くの私見ですが、1日の乗降客が100人ほどの当駅の駅舎がずっと残されている理由には砂の器の存在が大きいのではないかと思っています。私のように映画やドラマを見て駅を訪れる人も少なくはないはず。今後については不明ですが、映画史にも残る当駅の駅舎は、ずっとこのままの姿であってほしいと思います

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奥羽本線を行く~羽越本線に乗り換え念願の駅へ

羽後亀田駅の駅名標

2023年3月3日14時30分

1日3往復のために働く車両

素晴らしい能代駅の駅名標とお別れして再び奥羽本線に戻ります。JR東日本の駅名標って地方の小さな駅でも特化した駅名標がよく見られますね

東能代で1日3本の特急「つがる」に乗り換えます。ホームの待合室もつがる仕様でユニークです

ほんの数分の接続でつがるがやって来ました。1日3往復ですが、この列車のおかげで先にうまく乗り継げます。常磐線でも活躍したE653に似ていますが、このE751は交直両用のE653とは異なり、交流専用仕様。元々は東北新幹線が盛岡までだった時に盛岡~青森の「スーパーはつかり」用として製造されましたが、現在は青森~秋田間のつがる専用となっています

つがるは東能代から50分で秋田に到着。つがるの終着ですが、奥羽本線はまだ続きます。ただ私は奥羽本線とはお別れ。ここから日本海沿いに羽越本線を進みます。つがるの秋田到着が15時27分そして羽越本線の秋田行きが写真でお分かりのように15時31分発とタイトな乗り継ぎで、ダイヤ乱れがあったらどうしようとヒヤヒヤでしたが、うまく乗り継げました。同ホームでの乗り換えにも助かった

未乗区間を埋め、38年来の念願の駅へ

新潟~秋田を結ぶ羽越本線ですが、私は新潟から余目までは乗車したことがあるものの、余目~秋田は未乗区間です。その区間に川部駅と並ぶ今回の旅の目的のひとつがあります

秋田から30分で、その羽後亀田に到着しました。由利本荘市に入っています

多少、くたびれた感のある駅名標ですが私は感無量でした

1974年に映画化された後、何度もテレビドラマ化されている松本清張の「砂の器」。羽後亀田駅は重要な役割を持った駅として登場します。私が映画を見たのはすでに中学生になっていたので、75年のことだと思います。砂の器といえば構内におそば屋さんが入居していることでも知られる木次線の亀嵩駅(島根県)が有名ですが、最初に登場するのはこちら

何度も映画、ドラマで見た駅舎をようやく生で見ることができました。再度記しますが、まさに感無量という言葉がぴったり

財産票によると駅舎は1920年(大正9年)の開業時のもの。赤い文字が印象に残ります

防犯連絡所の文字も古風です

ここでの時間はたっぷりあるので、しばらく感慨にふけることにしましょう

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