きっぷ

2028年春の廃線が発表された弘南鉄道大鰐線を雪中行軍~実は徒歩が最も効率の良い移動手段

※訪問は2025年3月10日

隣駅までは700メートル

弘前学院大前駅の次に目指すのは聖愛中高前駅。さてどうしようか?と考えるヒマも何もないのである。答えは歩くのみ

この駅間はわずか700メートルしかない。1時間に1本の電車を待つぐらいなら歩いた方が早いに決まっていると歩き始める

前記事でも紹介した通り、弘前学院大前駅周辺は学生の街として発展。商店街もある。その中を進んでいく

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平均の1区間距離は?

大鰐線は起点と終点を含め全14駅。そして全長は13・9キロ。つまり1区間あたり1キロほどの距離ということになる。もっとも距離にばらつきはあるし道路状況もある。必ずしも線路と並行して道路があるわけではないので、道路の距離は多少異なるが、大鰐線は総じて平地部を走っているし、幹線道路も近い。途中には飲食店もコンビニもある。極端なことを言うと健脚に自信ありの人なら全駅を徒歩で訪問するのも可能だろう。中でも今回の1区間はかなり短い

わずか15分で到達できる。駅間徒歩と言えるものかどうかも怪しい距離である

どんどん進んでいこう。道路はきれいに除雪されている。それにしても1階部分がすっぽり雪に覆われている景色はふだん見慣れていないだけに、ちょっと驚いてしまう。私の住んでいる所は1センチの積雪ですら、昼間はほとんど見ることがない。東京に住んでいたころ、たまに訪れる10センチほどの積雪に坂道ですってんころりしたぐらいだ

実は1月の寒い日に神戸の坂道を降りたところ膝を痛めてしまい、なかなか引かず、このころがピークだったのだが、まだ大丈夫。というのも写真は雪景色だが、この日の弘前は気温10度超えで全く寒くない日で、足下にさえ気をつければ実に快適な徒歩日和だったのだ

人気漫画の舞台

ということで

踏切が見えてきて無事に聖愛中高前駅に到着

単式ホームにスロープで入る簡素な構造である。当駅は大鰐線の開業から20年以上を経た1973年(昭和48)に開業した新駅。当初の駅名は城南。写真の右手、ホームの裏に学校があるが、これは県立弘前実業高校。駅名となった聖愛中学高等学校は駅の開業翌年に現在の場所にやって来た。快速が運行されていたころは通学の便は図るための停車駅だったこともある。駅から徒歩で10分ほどかかるが、西弘前駅が弘前学院大前駅へと改称されたのと同じ2008年9月1日に城南駅も現駅名へと改称された。両校は系列校であり、駅名変更は学校からの請願によるもの

ホームには待合所、待合室があり、学生さんの利用が多い駅だけあってホーム上に自販機がある。聖愛中高は人気漫画でアニメ化された「ふらいんぐうぃっち」で主人公が通う学校のモデルとされ、聖地巡礼の舞台にもなっているという。私はアニメや漫画については全くの門外漢なので何も語ることはできないが、スポーツの強豪校である弘前実業、聖愛高校は私がかつて専門にしていたジャンルである

弘前実業は甲子園に何度も出場しているほか、大相撲に人材を提供していることでも知られる。栃ノ海という横綱を輩出しているので、それだけでも十分に自慢だが、ロボコップ高見盛という人気力士の母校でもある。聖愛高校は男女共学となってからも甲子園に出場しているほか、バレーボールやバスケットの強豪校として知られる

こちらは待合室

この日は試験期間中だったのか、午前中のみの授業だったようで電車の到着時間が近づくと生徒さんが集まってきた。ホーム上で談笑する生徒さんたち。あと3年で廃線、廃駅になるとは思えない光景だった

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2028年春の廃線が発表された弘南鉄道大鰐線を雪中行軍~駅巡りの超貴重駅はかつての本社駅

※訪問は2025年3月10日

目を引く発車案内標

弘前学院大前駅に到着。列車交換可能な島式ホーム。目を引くのは発車案内標で「かいそく」の文字が残る。現在、大鰐線はすべての列車が普通で区間運転もない。普通列車の大鰐~中央弘前が運行されているのみ。快速は2006年に運行を終えている。快速は平日朝の通学向けに運行されていた

ホームには弘前学院大学の案内がある。「徒歩2分のところに学校があるのだから快速停車駅だったのだろう」と思うのは当然だ。もちろん、それは合っている。ただ合っているが、ちょっと違う点もある

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スーパーとの合築駅

ホームを降りてまず気付くのは「コープあおもり西弘店」の看板

これでお分かりだろうが、当駅はスーパーとの合築駅となっている。開業は1952年(昭和27)で大鰐線を敷設した弘前電気鉄道の1期生。それもそのはずで、当駅には弘前電気鉄道の本社が置かれた。駅名は西弘前。本社と同時に車庫も設置された。つまり大鰐線をつかさどる駅だったのだ

やがて西弘前駅は学生の街へと発展していく。駅名の弘前学院大のほか弘前大も至近で駅付近には飲食店や商店が並ぶようになった。「西弘前」から「にしひろ」と親しまれる地域になった

弘前電気鉄道はやがてなくなり(弘南鉄道へ譲渡)、車庫も津軽大沢駅へと移転したが、後にスーパーがやって来た。スーパーの名前が「西弘前」ではなく「西弘」なのは、そのなごりだろう

駅名変更に困惑

現在の駅名に変更されたのは2008年(平成20)9月1日のこと。駅名というのは基本的に鉄道会社の専権事項で、特に私鉄においてはその力はさらに強まるが、変更の告知が1週間の8月26日だったこともあって「西弘」に愛着を持つ地元住民は猛反発。弘南鉄道は後に地元向けの説明会を行い、事前の説明をしなかったことを陳謝する事態にもなった

その弘前学院大前駅。私のような「降り鉄」にとっては実にポイントの高い駅だった。現在の駅舎となったのは2018年。まだ7年しか経っていないため、建物はピカピカだ

このテーマについては過去何回も触れているが、冬場の各駅訪問最大の敵は生理現象である。まず弘南鉄道の車両は東急からの譲渡車両であるため車内にお手洗いはない。となると各駅での設置を期待するしかないのだが、そもそも駅舎のある駅が貴重で、先に訪れた千年駅は閉鎖されているのか、お手洗いは見当たらなかった。ならば、この新しいスーパー併設の駅ならどうだ、と降りてみると、建物同様にピカピカのお手洗いもあった。男女兼用で事実上、男子専用のようなお手洗いもあるが、当駅は女性も安心して利用できるものだった(私の記事を読んで各駅訪問をしたいと思われる方がどれだけいるのか不明だが)

駅舎内の写真を撮ろうと思ったが、スーパーの敷地扱いなのかどうか分からないので撮影はやめておいた。ちなみに厳寒期にどれぐらい利用者がいるのか分からないが、ホームを望む構内踏切、駅舎の外にイスと時刻表が設置されている

運行をつかさどる拠点駅から学生の街、そしてスーパー併設駅へ。数奇ともいえる歴史を感じさせる駅である

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2028年春の廃線が発表された弘南鉄道大鰐線を雪中行軍~惹かれる駅名と高く積まれた雪

※訪問は2025年3月10日

貴重な駅舎のある駅

中央弘前から4駅目。千年駅で下車。写真で目に入るのは真っ白な雪だろうが、惹かれるのは「千年」という駅名だ。何か縁起物の風情が漂う。またご覧の通り、当駅はすれ違い可能な構造で、なおかつ駅舎のある駅。この2つを満たす駅は大鰐線にはなかなか少ない

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元々は村名

ホームから構内踏切を渡って駅舎に向かう

当駅の開業は1952年(昭和27)。大鰐線の前身である弘前電気鉄道が開業と同時に設置した。「ちとせ」駅というと、誰もが思い浮かべるのは北海道の千歳駅だろう。他にも「千歳駅」は全国に多い

かつては内房線の千歳駅を紹介したこともあるが、こちらは千年と文字が異なる。かつて当地にあった千年村に基づく。それでも開業時の駅名は津軽千年で「千歳」に気遣ったようにも感じるが、昭和の終わりごろに旧国名は外され現駅名となった

地図で分かるように今でも千年の地名は残っているが、駅舎のある場所は堀越村にあった。それでも駅名となったのは、千年という地名が由緒あるものだったからと推察される。江戸時代に津軽藩の殿様専用の行楽地として千年山と名付けられた場所があったことに基づいて村名となった。なお千年村は駅開業の3年後に弘前市に編入されている

背丈よりも高い雪

としいえ、どうしても目が行くのは雪の高さだ。私のような平素は雪が積もることはまずない地域に住んでいると「すごいな」と思ってしまう。後方の自販機と比べると、その高さが分かるだろう

しばらくすると人がやって来た

もっと分かりやすくなった

駅舎はかつては有人駅だったが現在は無人。駅名板の文字のかすれ具合が歳月と風雪を感じさせる。寒冷地の駅ながら駅舎は扉があるわけではなく、開放されたまま、悪い言い方をすれば吹きっさらし。その分、ホームの待合所はしっかりした部屋となっている

さらに特徴的なのは、駅舎の裏側。裏側というよりもうひつとの出入口。こちらはほとんど除雪されておらず、積雪の際は使用されないのかと思っていたら、後に当駅付近を通過した際、雪を踏みしめながら歩く人がいた。雪国の人はたくましい

駅にはこのような注意書きが残る

要は火気厳禁、燃えやすいものはダメということだろうが「有毒ガス」から「多量のマッチ」まで守備範囲が広い。そういえば子どものころ、セルロイドのおもちゃはストーブに近づけてはいけないと習ったことを思い出した。半世紀も前のことだ

こちらはホームの周辺案内図。4駅目といっても10分で到着する。中央弘前駅から4キロで、周辺は市街地。ふだんのローカル線駅巡りのクセで、すぐ駅から至近にあるコンビニ2軒に目が行ってしまうが、あっても不思議ではない場所である

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2028年春の廃線が発表された弘南鉄道大鰐線を雪中行軍~れんが倉庫車で出発

※訪問は2025年3月10日

まずはフリーパスを入手

中央弘前駅での改札が始まっていざ出発だが、その前に弘南鉄道のフリーきっぷを入手しておいた

青森空港到着後、バスに乗る前に入手していた「大黒様きっぷ」

詳しくは弘南鉄道HPを参照していただきたいが、まずはアプリをダウンロード。その後に購入する。先日伝えたQRコード乗車券の購入と手順は同じだが、当然ながら弘南鉄道にQRコードの改札口はないので、下車時に運転士さんに提示すればOK。弘南鉄道の大鰐線、弘南線の両者共通で使用できる。大人1000円、子ども500円。前記事で掲載した駅の自動券売機でも紙の大黒様きっぷが買えるが、残念ながらどこの駅にも設置されているわけではないので、(機会は少ないかもしれないが)途中駅から乗車する場合も、こちらのモバイル版が便利だ。ただし収集など紙のきっぷにこだわる方は値段は同じなので券売機で買い求めていただきたい。ただし大鰐線では中央弘前、大鰐の2駅しか券売機の設置がないので注意が必要

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待ち構えていた車両は

大きなこけしのオブジェに迎えられてホームを進む。中央弘前駅は頭端式構造で1面1線。

待ち構えていた電車を見ると何やら頭の部分がレンガ造りのようになっている。ヘッドマークには「HIROSAKI RENGA STORY」の文字

これは「HIROSAKI RENGA STORY装飾列車」と名付けられた弘前れんが倉庫美術館とコラボしたラッピング電車。100年以上の歴史を持つ倉庫が美術館として再生されたもので、中央弘前駅の通り抜けが近道となっている

中央弘前駅の駅舎内には近道となる自由通路があり、入口も美術館のれんがをイメージしたアーチが設けられている

こちらはその通路。通路を通れば目の前にある

弘南鉄道では東急から譲渡された車両を利用しているが、車両番号は東急時代そのままになっているようだ

ラッピング車は2022年秋から運行していてHPで時刻表を確認することができる

こちらは車内のゆか部分

電光の案内表示があるが、現在当駅からの列車はすべて大鰐行き。以前は快速運転もあったようだが現在はすべて各駅停車なので、こちらは事実上の固定。廃線までに他の表示が出ることはあるのだろうか

改札が出発の5分前なのでホームでウロウロしている時間はあまりない。ちょっと慌ただしくはなったが、ようやく出発。大鰐線の駅数は起点、終点を含め14。できる限りの駅を訪問するつもりだ

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2028年春の廃線が発表された弘南鉄道大鰐線を雪中行軍~見どころが多すぎる市内中心部の駅

※訪問は2025年3月10日

凜々しい文字

中央弘前駅である

凜々しい駅名板の文字のお出迎え

周辺案内図。もっと分かりやすく撮れよ、とおしかりを受けそうだが、雪が積んであってスペースと足下を確保できなかったからだ。それでは駅舎に入ってみよう

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興味津々の駅舎内

いきなりレトロな改札口が待ち受けている。大鰐線は大鰐駅と当駅以外はすべて無人。駅の規模も含めて考えると「駅らしさ」があるのは、当駅のみ

中央弘前駅は1952年(昭和27)の開業。弘前電気鉄道によって大鰐~中央弘前の13・9キロが開業した際、終点駅として設置された。起点が中央弘前ではなく大鰐になっているのは延伸計画があったからで、すでに敷設免許もとっていた。この先、五能線の板柳駅まで延伸する予定で、中央弘前駅はあくまでも仮駅の扱い。現在の頭端構造も駅舎もやがては姿を消すことになっていたが、予算不足などにより断念。駅はそのままの形で残ることになった

「出札所」が、なかなかイケている。改札では手荷物の一時預かりが行われている。危険品の注意書きについては全国の古い駅舎の定番

手荷物預かりの案内板もある。「手小荷物扱所」「携帯品預所」の文字が新鮮である。「携帯」といえば、ここ20年以上で「電話」のことを指すようになったが、この文字が張られたころはもちろん、そのような意味はなかっただろう。世の中は物心ついた時から携帯電話があった世代と、そうではない世代に分かれると思うが、もちろん私は圧倒的な後者で、携帯電話が身近なものとして出回り始めたのは30代も半ばのころ。20代のころはドラえもんしか持っていない「あれば便利だけど、そんなものあるはずもない」品物だった。今にして思うと「携帯」という言葉は日常的にあまり使わない言葉だった。なぜか、そんなことを思い出させてくれた文字だった

写真だけで十分な駅舎内

話を戻そう。案内板の下には「乗車券のお求め方」の説明文がある

運賃表を見てお金を入れる→ランプがついたら行先ボタンを押す→きっぷとおつりは下の取り出し口で受け取る

と案内されているが、券売機の使い方を分からない人が今の世の中にどれだけいるのかという超クラシックなもの

券売機は真新しいもので、説明文が掲げられたころのものとは明らかに異なるのだろうが、券売機が設置されたのはいつのころなのだろうかと考えてしまった

天井部分にズラリと並ぶ絵画。一方で、少し下に目をやるとベンチ椅子の背もたれには、しっかり塾の広告がある

と思うと路線情報はしっかりデジタル化されていたりするコントラストも楽しめる。もう駄文の説明などは不要で写真を並べるだけで十分だ

こちらが時刻表。きっちり1時間に1本の運行。始発はゆっくりで終電は早いが、廃線が決まった路線の本数としては多い。駅に到着したのは11時で30分の待ち時間は駅を満喫するのには十分な時間だった

11時25分、出発の5分前になって改札が始まった。初乗車の弘南鉄道の旅の始まりである

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2028年春の廃線が発表された弘南鉄道大鰐線を雪中行軍~一面雪の青森空港から

※訪問は2025年3月10日

上空からも白一色

朝6時台の大阪(伊丹)空港。大阪空港は飛行時間に制限があって朝は7時が解禁時間。そしてこの時間を待っていたかのように全国へ一斉に飛行機が飛び立つ。JALでこれだけあるのだからANAを入れると、もっと凄い便数になるだろう。そしてロビーや保安検査場も人でごった返す

私が乗るのは7時25分の青森行き。3カ月前の話だが、ここからは別世界のように景色が異なっていることを前提に読んでいただきたい

とにかく青森上空からの景色は一面銀世界なのだから

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弘前駅から中心部へのアクセス

私が初めて青森へ行ったのは、まだ昭和のころ。当時はまだジェット機が就航しておらず、搭乗したのはいわゆるYS11。ある意味懐かしさがこみ上げてくるが、リクライニングもない座席で所要時間は3時間。まだ20代前半だったが、当時は新幹線も東京~新大阪が3時間10分の時代で、新幹線に比べるとかなり苦痛だった記憶が鮮明に残る。このあたりは昔の急行列車に今、長時間乗れるのかというのと同じだ。現在の伊丹~青森の所要時間は当時の半分、90分ほどだ

弘前行きのバスまで時間があるので展望コーナーへと行ってみた。これでも足場を確保すべく除雪はしっかり行われているのだろうが、目に入るものは雪また雪である。地元の方にとっては日常光景だろうが、私にとってはもちろん非日常である

バスに乗車し1時間弱で弘前駅に到着

弘前には何度も来ているが、いつも駅の写真を撮って乗り換えるだけで終わってしまう。これから市内の移動となるが、目指すは弘南鉄道大鰐線の中央弘前駅。JRの弘前駅からはやや距離がある

徒歩20分はそこそこ歯ごたえがある。事実上初めての弘前だが、中央弘前という駅名からそのあたりが弘前の街の中心部だということは想像に難くない。周辺にホテルが多数あることからもそれは分かる。つまりJR(国鉄)の駅は街外れという「あるある」パターンだが、その不自由さを補ってくれるのが土手町循環バスである

通勤通学帯を外した10時から18時の間、市内の主要区間を10分間隔で走っている。料金は現金150円でIC130円。観光用に1日乗車券もある。これならば10分ちょっとで中央弘前付近まで行くことができる(弘前駅からき路線バスも出ていて循環バスの時間外はそちらを利用することになるが、今回は利用しなかったので未確認)

中央弘前駅に近い蓬莱橋のバス停に到着した

ただ、ここから自分の経験に基づく反省というかアドバイスになるのだが、弘前駅から中央弘前駅に行く場合はとても便利な循環バスだが、中央弘前駅から弘前駅に行く時にこのバスを利用すると、ちょっと大変な目に遭う。というのも循環バスというからには一方通行で、市内の主要地点を順番に回っていくため、かなりの時間がかかる。弘前駅までは歩いた方が早い。もしくは5分ほど歩くと

中央通り2丁目というバス停に行けるので、ここから乗ると先回りしてさらに前のバスを捕まえることができる。バスにかなりの時間揺られて「あれ?あのマンションはバスに乗車する時に見たぞ」と思ったことで分かった次第

70年以上の歴史に終止符

バス停付近は古くからの街の中心部である風情が漂う

そして今日はるばるやって来たのは、弘南線と大鰐線の2つの路線を持つ弘南鉄道が大鰐線の廃線を発表したからだ。廃線の時期は2028年3月としている。私にはまだまだ乗っていない私鉄や三セクがあるが、弘南鉄道については、部分的にも乗車したことがない。平日キュンパスを利用して東北地方に行くことになったので、こちらはぜひものとしてやって来た次第

停留所から中央弘前駅は至近だが、詳細なアクセスは弘南鉄道HPにも掲載されている

そしてやって来たのは

中央弘前駅。なかなかそそる駅舎である。時刻は11時。写真や映像で見たことはあるが、実物を見るのは初めて。ワクワク感が漂う中、大鰐線の旅のスタートである

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QRコード乗車を2日間してみた(途方に暮れました編)

QRコード乗車券の読み取り機はJRの駅では各1台

ふだん意識していないので

「堺おでかけフリーパス」初めての利用は大阪駅からとなった

まだ朝の6時20分で、さしもの大阪駅も人は少ない。そして初めて気付いたことがあった

「これだけ改札機が並んでいてQRが読み取れるものは1台しかないの?」

大阪駅の中央口にはズラリと自動改札機が並んでいる。数えてはいないが、軽く10機は超えているだろう。その中でQR対応は1機しかない。そんなこと今気付いたのか、と言われるかもしれないが、ふだん利用の予定がないと興味はわかないものである。駅員さんに尋ねてみると、現状では大阪駅の中央改札口には1機しかないが、今回の「おでかけフリーパス」のエリア内の駅には、ほぼ設置があるという。まぁ、1機でもあればいいか、とその時は気にしなかったのだが「1機」のみ、というのが、この後大きな意味合いを持ってくる

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ラッシュ時は通れません

この後、環状線から阪和線の駅へと入っていく。時間もどんどん過ぎていき、朝の通勤通学時間帯のピークに突入。ここで壁に当たる。QRコードに対応する改札機の位置を見てみよう

こんなところや

こんなところ

お気づきだろうか。朝の大阪駅もそうだったが、いずれも駅員さんがいる場所に最も近い場所に設置してある。例外もあるかもしれないが、駅員さんのいるあたりは自然な動線で最も人が通りやすい場所だ。そしてQRコード乗車券対応の改札機は1台しかないので出入札どちらもできる形となっている。つまり向こう側からの人つまりライバルが多いのだ。学校最寄りの駅などは電車が到着すると一斉に降りてくるので、人の波が一段落するまで入場ができない。またQRコード乗車券というのは、スマホの画面を出すまで若干のラグタイムがあるので、改札機から離れたところでQRコードを出してから改札機に向かうのだが、出入りが多いとライバルも多い。平素のラッシュ時は「こちらは混雑しているのであちらの改札機を使おう」となるのだが、こちらは一択である。かなり苦労した

QRコード未対応の駅も

そしてもうひとつ、エリア内にはQRコード乗車券対応の改札機が未設置の駅も存在する。今後順次設置されていくのだろうが、このパターンにも駅員さんのいるいないがあって、駅員さんのいない時間帯に着いてしまうと大変である

かつて「青春18きっぷキラー」と呼ばれたこちらのインターホンのお世話になる必要がある。18きっぷが磁気券になったことで、もうお世話になることはないと思っていたが、QRコード未対応の駅の場合、改札付近に小さなQRコードがある

こちらの駅では赤く丸で囲った右上の部分。それほど大きく目立つように張ってはいないので注意が必要だが、スマホでQRコードを読み取り、画面を表示させた上でインターホンで呼び出し、きっぷを入れるようにスマホの画面を見せると通してくれる…と、書いてしまうと簡単だが、実情はちょっと違う

全くコールに応じてくれません

18きっぷ時代も苦労したが、人員削減でもしたのか、と言いたくなるほど反応がない。2日間で3駅、出入札があるので計6回インターホンを押したが、結構苦労させられた

ここからさらに、もうひとつ問題が発生してQRコードを読み取ろうとしても、わけの分からない文字の羅列が出てきてQRコードが表示されないこともあった。「もう1度」とうながされても同じ。しかも1度インターホン通話を切ると次にいつつながるか分からないので、こちらも「通話は絶対切らないでください」と念押ししてからの行動となる。最後はフリーパスの最初の画面を出して通過となったが、かなりの時間のロスである

そもそも改札近辺にあるQRコード読み取りがあることを知ったのは最初に遭遇した未対応駅で、こちらは駅員さんがいたものの「どうするの?」と尋ねると「ええ~?」となって処方箋が分からず、駅員さんと一緒にキョロキョロしているうちに「ひょっとしてこれ?」となって発見したものだった。もっとも導入間もないと使う方も使われる方も分からないことが多いもので、これはQRコードでの買い物が始まった時と同じで駅員さんを責めるつもりは全くない

私鉄の方が進んでいる?

ただ

こちらは南海の三国ヶ丘駅の様子だが、QRコード対応の改札機は駅員さんの場所から離れたところにあって、しかも入場専用、退場専用と別々になっている

阪急の南茨木駅も駅員さんから離れた場所に2機の設置。駅によっては駅員さんから一番近い場所に1機のみの設置という形式ももちろんあったが、設備投資やサービスという面では私鉄の方が進んでいるというか、利用者目線にあるというのが2日間の感想だ

まだまだ導入開始間もなく主流にはなっていないQRコード乗車だが、各鉄道会社は今後シェアを増やしたいと思っていることだけは間違いない。スマホにトラブルがあった時の対処法や個人情報の取り扱いなど、ハー面でもソフト面でも問題は残っているが、今は各社とも力を入れていて、さまざまなお得なきっぷがリリースされている。将来主流になることも見越して今が「試し時」なのかもしれない

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QRコード乗車を2日間してみた(よくできました編)

京都2デイズパスのポスター

とても目に付く改札機

最近、多くの駅で見かけるこちらの自動改札機。写真はJR西日本の改札口のものだが、見てほしいのは手前の青いインターホンではない(こちらは後に大きな意味を持ってくるが、それは次回で)。「QR」と書かれた改札

QRコードをかざして開閉するタイプだということは分かる。ただ自身の体感では、目の前で使用している人をほとんど見たことがない。一体どういうものなのか? では実際に自分が使ってみようということになって4月と5月の1日ずつ、計2回使用してみた

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各社猛プッシュのフリーパス購入方法は?

昨年あたりから導入が加速してきたQRコード乗車券については、西日本地区の方が先行しているイメージだ。機械を導入する際の駅の数やバスの規模も異なる上に首都圏は相互乗り入れが多く、設定に手間がかかるからだろう

導入されているほとんどがフリーパス。乗り放題降り放題を標榜するフリーパスについてはQRコード乗車券は鉄道各社にとって便利で、磁気券を発行する手間や経費が不要になる上、改札機の中で磁気券がストップしたり読み取りエラーが発生することもなくなるからだ。阪急電車のHPを見ると阪急と阪阪神が1日乗り放題となる「阪急阪神1dayパス」については今年の3月いっぱいで磁気券の販売をすでにやめている

QRコードのフリーパスを購入するには、もちろんスマホが必要。JR西日本が主体となっている「KANSAIMaaS」と私鉄各社が主体となっている「スルっとQRtto」の2種類があり、前者はアプリのダウンロードとカード登録が必要。後者はWEB方式アプリになっているので名前を登録しておけば、その度にHPでログインして購入する。特に前者については、こちらもJR西日本が最近力を入れているWESTERとの連携が強くなっている

今回の利用は2種類

どちらのアプリも開いてみると無数にQRコード乗車券があるのではないかと思ってしまうほど、画面にズラリ並んでいて大変(特に今は万博関連のものが多い)だが

「堺おでかけフリーパス」そして

「京都2wayパス」である。前者が1000円、後者が1300円。私のような降り鉄にとっては、あっという間に元がとれてしまうすぐれもので、結果的に堺へはJRで向かい、三国ヶ丘で南海に乗り換えて大阪まで戻ってきた。京都へはJRで向かい、奈良線や山陰本線にちょこっと乗って阪急で戻った

自動改札機を通るにはアプリを立ち上げるとQRコードが示される

こちらを改札機にかざすだけ。ただしQRコードの有効期間は1分なので、前回改札を抜けてから1分以上が経過した場合(ほとんどの場合で1分を超えるだろう)は、もう1度アプリを立ち上げればQRコードが再発行される。更新ボタンを押し続ければ画面が維持されるが、次の出入りまでの時間が極端に少ない時以外は現実的ではない

ということで初日は手探りだったものの、2日目は操作にも慣れた。アプリではおすすめの観光地やおすすめコースの案内もあり、それに合わせたフリーパスを表示してくれるので商品の数は多いが、比較的簡単に目指すものに近いチケットを探すことができるだろう

ただ私の操作技術の問題以外にも、QRコード乗車券の利用には、さまざまな問題点があることも分かった。次回は改札口で途方にくれてしまった経験を語っていきたい

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貨物を担う私鉄としてもうすぐ100年の三岐線~その18(終) 総ガラス張りの駅でゴール

北勢中央公園口の縦駅名標

※訪問は2025年2月7日

※現在、三岐鉄道の三岐線と北勢線は別々の1日乗車券が必要です

最後の駅は長い駅名

いよいよ最後の駅となった。「ほくせいちゅうおうこうえんぐち」。ひらがなにすると随分と長い駅名である。三岐線の駅名で地名以外の駅名は2つしかない。暁学園前駅と当駅。昭和初期からの歴史を持つ三岐線。暁学園前がそうであったように、こちらも戦後に名付けられた駅である

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移転して駅名変更

当駅の駅名標を見ると「旧大長」と記されている。大長駅は1931年(昭和6)の開業。当時の大長(おおなが)村に基づく。大長村は戦後の合併で東員村となり現在は東員町。1997年(平成9)に現在の場所に100メートルほど移転して駅名変更となった。目的は同名の公園へのアクセス向上である。と同時に駅の位置は旧大長村の村域からは出てしまったが、それでも新駅扱いではなく、あくまでも駅名変更である

ただし三里駅の記事でも触れたように

「○○口」という駅名は対象となる場所からかなり離れていることが多い(三里駅も戦後に地名以外の駅名に一時変更されている)

公園の公式HPにも駅から徒歩30分と記されている。地図だけ見ると梅戸井駅からの方が近く見える(実際は歩くとほぼ同じ時間のようだ)。それでも駅名変更としたのは駅前の広さなどを考慮してのものだろう

ガラス張りの駅舎に目を見張る

駅舎は新しい

ちょっとした小さなビルのような建物。たった14駅しかない三岐線だが、戦前の開業時からのものと思われる駅が残っているかと思うと東藤原や当駅のような斬新な構造で楽しませてくれる

駅舎内は総ガラス張り。いろいろな方角から光が差し込んでくる斬新な構造だ

周辺案内図は見上げた場所にある。単式ホーム構造ながら、なかなかおしゃれな駅となっている

各駅訪問をふりかえって

駅前のロータリーから駅舎をながめて全駅訪問の終了である。昨年11月から始めた北勢線と三岐線の旅。パッと地図を見ると、ほぼ並行するように走っている2つの線路は何か関係があるのかと思う人も多いだろう。今は同じ三岐鉄道という会社の路線となっているが、もともとは岐阜県に向けて貨物中心の線路を敷設する際、北勢線のナローゲージの路盤では貨物列車は無理ということで新たに三岐線が建設されたものの、岐阜県への延伸をあきらめたことで2つの並行する路線ができたことが分かった

また三岐線の出発駅がなぜ近鉄富田なのかも不思議だったが、貨物を考慮した国鉄の富田駅(当時)での接続は利用者から不評で新たに近鉄との連絡線を設置したことも分かった。いろいろなナゾが解けた有意義な2路線の訪問だったが、まさか今年3月にフリーきっぷが別々のものになるとは昨年11月の時点で私は全く知らず、その意味ではギリギリ滑り込みセーフというか、最後の貴重な体験となった

そして三岐線の各駅で見た自動改札機のない有人改札の美しさ。貨物鉄道博物館の開館日に合わせて、ぜひまた訪問したいと思っている。その際は新しいフリーきっぷを手にしているのだろう

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貨物を担う私鉄としてもうすぐ100年の三岐線~その17 ぶっちぎりの利用者を誇る駅

暁学園前駅の駅名標

※訪問は2025年2月7日

※現在、三岐鉄道の三岐線と北勢線は別々の1日乗車券が必要です

単式ホーム構造ながら

暁学園前駅に到着。ご覧のように単式ホームですれ違いのできない構造。ただ路線内では圧倒的1位の利用者数を誇る駅である(近鉄富田のぞく)

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暁学園の移転により

近鉄富田をのぞくと三岐線には14の駅があるが、1日の利用者数が千人を超えるのは当駅のみ。しかも2023年度の数字を見ると2305人。唯一の4ケタでなおかつ2000人超え。2位が保々駅の824人なので、その突出ぶりが分かる。そしてその理由は駅名にもなっている暁学園にあることは容易に察しがつくだろう。暁学園前という駅名だが、学校は駅前にあるわけではない

学校のどこに行くかによるが、徒歩で10~15分の距離である。そして地図に学校に隣接するように萱生(かよう)城が見えるが、こちらが駅の成り立ちにも大きく寄与している

当駅の開業は1931年(昭和6)。当時の駅名は「萱生」。所在の自治体は前記事で紹介した平津駅と同じく八郷村だった(現四日市市)。萱生城は戦国時代の城で織田信長の攻撃に5年も持ちこたえた立派な城だったという。落城後は廃城となり、長らく跡地となっていたが、三岐鉄道が利用者増のため誘致活動を行い1965年に萱生城跡に移転。同時に駅名も現在のものに変更された。つまり城跡は学校となっている。ただし学校の住所は今も四日市市萱生町。

また三岐鉄道では学校周辺の宅地開発も行い、地図をやや拡大すると分かるが、周辺の住宅地は「あかつき台」という住居表示となっている

ターミナル駅の雰囲気が漂う

利用者数に応じるかのように駅の規模は大きい

改札口は大人数を効率良くさばけるよう広くとられている。ホームの向こうには農地が広がり、周辺も農地が多いが、駅に着いて駅舎内と改札付近の様子だけを見ると地方私鉄のターミナル駅のような雰囲気がある

こちらが駅舎。駅舎は昭和の終わりに改築されたものだ

駅舎に隣接するあかつきプラザには売店や郵便局が入居している

ちょうど試験日だったのか、お昼前にもかかわらず下校の生徒さんが多い。間もなく到着する電車をめがけて一斉にダッシュする姿は(行動自体は好ましいものではないが)、高校の最寄り駅ならではの風景である

エアコン完備の待合室も広くとられている。電車が到着するたびに座っていた多くの高校生が出ていった

三岐線14駅の中で、たたずまいが大きく異なる駅である

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