北海道&東日本パス

宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その8(最北の首都圏駅)

※2024年7月3日

空白の時刻表に悩む

まず前記事でも掲載したJヴィレッジ駅の時刻表を見ていただこう

これから原ノ町・仙台方面へと向かうが、いわき方面を含めお昼にぽっかりと空白の時間帯があることが分かる。9時台までは1時間に1本ほどの普通が運行されているが、12時台まで約3時間、さらにお次の15時台までも約3時間。要は6時間の間に1本しか運行がない。この時間帯はいくつか、いわき~広野の折り返し運転はあるが、広野を越えて北上する普通はない。空白を埋めるように特急も走ってはいるが、1日3往復でうち2本の昼間運行については今回は特急課金しない方針だ

ということで、ちょっと悩む。7時38分に乗ってどこかの駅で降りたとすれば、40分後の電車が拾ってくれる。原ノ町まで行けば本数も増えるので行動範囲は若干広げられそうだが、そのひとつだけ下車する駅をどこにするか悩んで出した結論が

浪江駅だった

首都圏Suicaの限界点

私好みの国鉄型コンクリ駅舎が健在の浪江駅。最大の特徴は

ホームから出ようとした場所にあるICリーダー。一見なんの変哲もない光景だが、実は首都圏Suica最北の地である。と同時に東京近郊区間の端にある。東京近郊区間とは大都市近郊区間のひとつで、この間はどのような経路をたどっても同一料金という運賃の特例がある代わりに、たとえ100キロを超えるきっぷでも途中下車はできない。東京近郊区間は長野県の松本まで広がっていて、松本でピッという音ともにIC乗車し、在来線の特急を乗り継いで浪江まで来ればピッという音だけで別途乗車券を購入せずに乗れるのだが、改札の外に出ることはできず(できるが運賃はまた一から徴収される)、その日のうちにピッと旅を終えなければならない

これは紙の乗車券を買っても同じで松本~浪江は約500キロと東京~大阪ぐらいの距離があるにもかかわらず途中下車はできず、きっぷの有効期限も1日限りしかない。いかにも理不尽な規定にも見えるが、Suicaのエリアを広げていくと、このようになる(ただしこの考え方はJR東日本のものであって、他社は必ずしもICエリア=大都市近郊区間とは限らない)

もっとも途中下車をしたければ方法はいくつかあって、浪江の隣駅である桃内駅までのきっぷをい、それが100キロあれば堂々と途中下車できる。また磐越東線は東京近郊区間に入っていないので、いわきから磐越東線経由で東京へ向かえば、その時点で100キロを超えるきっぷならば途中下車可能である。またあらかじめ新幹線をルートに組み込んだきっぷを購入すれば、大都市近郊区間の規定外となる(もっとも東京~上野のみを新幹線経由とする乗車券については成功例と失敗例があるようで、買えるかどうか私には分からない)

と長々と書いてきたが、要は東京からピッと乗車してピッと出られる最長距離の駅だということ

さて、最長距離の駅ということで何かそれなりの仕掛けというか、お出迎えがあるかというと

残念ながら塞がれた窓口と指定席券売機(当駅は特急停車駅)そして乗車証明書発券機があるだけ。2020年3月に当駅と富岡間の運行が再開されたタイミングでICエリアが当駅まで拡大。と同時に無人化された

開業は19世紀

浪江駅の開業は1898年(明治31)と長い歴史を持つ

駅前の観光案内図

駅前には同町出身で戦前、戦後に活躍した佐々木俊一氏の功績をたたえる碑がある。「ここに立てば曲が流れます」と書いてあったので、立ってみると大きな音が流れ始めてピックリするやら感心するやら。残念ながら「高原の駅よさようなら」は存じ上げなかったが、作曲リストにあった「野球小僧」は多くのカバーもされているので知っている。調べると「南海ホークスの歌」も手がけていて、そちらも私は知っている。同町HPによると震災前に約2万1500人だった居住者は原発事故の避難指示によって0人となったが、現在は約2200人まで戻っているという

すぐ仙台近郊区間に

さて大都市近郊区間の北限だと、ここまで書いてきたが、実はお隣の桃内駅を挟んで、さらにお隣の小高駅からは仙台近郊区間が始まる

Suicaはまたいで使えません、という注意書きが浪江駅にある。つまり常磐線で唯一、桃内駅のみがIC乗車非対応の駅となっているのだが、これは意図的なものだと思われる。ここをつなげてしまうと現在のやり方では仙台エリアまでが東京近郊区間になってしまうだけでなく、東北本線はSuicaでつながっていないのに常磐線だけがつながるという困った事態が発生してしまう

もっとも北海道&東日本パスでは、どこをどう行こうと関係ない。いつもこの手のフリーきっぷばかり使用していると、たまにきっぷのルールに接しても、もう1度調べ直さなければならないことがよくある

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その7(11年前の思い出も)

※2024年7月3日

こんな場所にあるんだ

Jヴィレッジ駅の入口。無人駅ではあるが、事務室があり、イベント開催時には有人となるようだ

この駅がいったいどういう場所に位置するのかピンと来なかったが駅前にある地図を見て要領を得た

こんな場所にあるんだ。私はメインのセンターハウスに行き、そこから練習を眺めていた。タクシーに乗ると必然的にセンターハウス連れていってくれるので、今いる裏のあたりには来たこともない

駅前は道路があるだけで見えるのはJヴィレッジの施設のみ。富岡に行く際のいわき発6時9分の電車に乗った時、ここでワイシャツの男性が1人だけ降りたが、おそらく施設内で働く人だろう

実は駅の出口付近まで来た時、生理現象に襲われ、何もない駅で一瞬困ったが、道路を挟んだ向かいに立派なお手洗いがあって安心して自販機のドリンクも飲めるようになった

11年前に広野まで訪れた

2011年3月の東日本大震災を機にJヴィレッジは原発事故の対応基地となった。芝のピッチは砂利やアスファルトで覆われ、以降2018年までスポーツセンターとしての機能は失われていた

そんな中、私は2013年3月に広野を日帰りで訪れたことがある。当時は東京勤務で3月いっぱいで大阪に帰ることが決まっていて、その前にどうしても行けるところまで行っておきたかったのだ。行ける所とは広野である。広野から北の鉄路はまだ休止状態だった

広野に行く前、ランプ小屋に惹かれて久ノ浜で降りてみた

駅舎で何をやっているのだろう、と見ていたら

駅名板の交換という、なかなか見られないタイミングだった

海の方は津波の爪痕が残る状態で

海と逆側にプレハブの商店街

そこでお昼を食べていると「どこから来られたのですか?」と、お店の人に声をかけられた。自分の事情を話し「4月以降はなかなか来られなくなるので最後に来たのですが、物見遊山のように思われるのも気がひけます」と答えたところ「われわれは、ここでお金をいっぱい使ってくれることがうれしいので気にせず写真もどんどん撮ってください」と商店街内の別エリアに連れていってくれた

展示された写真を見ながら話を聞く。この地区の津波は国道6号のところで、なぜかピッタリ止まったという話が印象深かった

そして当時は仮設ホームが設けられていた「終点」の広野へ。ちなみに帰りはいわきかせ磐越東線で郡山まで行き新幹線で東京まで戻ったのだが

せっかくなので、と帰りのきっぷは久ノ浜駅で購入した。広野という駅は福知山線にも存在するため「常」の文字が入る。ちなみに久ノ浜は2020年にSuicaが利用できることとなったのを機に無人化されている

アカデミーの生徒に助けられる

Jヴィレッジ駅は通常時は普通のみの停車だが、臨時列車に対応できるよう10両分のホームを備えている。もっとも今回は駅で降りたのも私のみ、駅で待っているのも私のみである

写真を撮って駅前のベンチで缶コーヒーを飲みながら「貸切」を満喫していると、突然ゾロゾロと女子中高生が駅にやって来た。JFAアカデミーの生徒さんだろう。JFAアカデミーとはJヴィレッジで寮生活を送るサッカー選手の養成機関。原発事故の影響で御殿場に移転していたが、Jヴィレッジの復活とともに順次福島へと帰還し、今春から全学年がJヴィレッジに戻ったはず。中学、高校は地元の学校に通う

うまく時間に合わせて来るもんだなぁ、と思ってハッとなった

私はこの後、原ノ町方面へと向かう。つまり7時38分に乗車するのだが、なぜか7時44分だと勘違いしていた。44分はいわき行きで逆方向。生徒さんの学校は富岡方面だったはず。ということは私と同電車で、まだ10分あるなぁ、なんて思っているうち自らの間違いに気付いた。時計を見ると35分を回っている。構造的に電車の接近音がしてから改札に入って間に合う駅ではない。ちょっと小走りに階段を駆け下りてギリギリ間に合った

ホームには20人の女子中高生と、ゼーゼー言っている1人のオッサンという奇妙な光景となったが、そんなことは気にしていられない。間に合わせてくれたことに感謝である。今度来られる機会があれば久しぶりにセンターハウスの食事でも、と思う

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その6(ここに来るための旅)

※2024年7月3日

そのままの駅名Jヴィレッジ

富岡からいわき方面へ折り返してJヴィレッジ駅で下車。今回の旅はここで降り立つためのものといっても過言ではない。前記事で25年前に何度も来たJヴィレッジについての思い出話をしたが、もちろん当時この駅はなく、関西からJヴィレッジに行くのには、なかなか工夫を要した

私が利用していたのは大阪(伊丹)~福島の飛行機。当時、JALは福島空港に随分力を入れていて、かなり大きな飛行機が飛んでいたと思う。福島空港からは大阪便を待っていわき行きのリムジンバスと接続する。いわきまで90分と、なかなかのバス旅だが、いわきまで着いてしまえば後は広野行きの電車に乗って広野駅からタクシーで1500円ほど。これが最も効率が良い行き方だと個人的には思っていたのだが、もうひとつルートがあり、現在の日本サッカー協会会長は大阪空港から仙台までの飛行機に乗っていた

そんな方法あるの?と思ったが、まだ仙台空港アクセス線のなかった時代、仙台空港のアクセス駅だった館腰駅まで行き、そこから常磐線の普通列車に揺られて富岡で下車。タクシーでJヴィレッジを目指していた。鉄道的な話をすると当時は原ノ町で運行は分断されておらず、乗り換えなしで富岡まで行けたはずだが、それでも90分以上は確実にかかる。なかなかの「乗り鉄」だが、答えは「意外とすぐですよ」

所属クラブでも五輪代表でも日本代表でもすべて主将を務めた「リーダーシップの男」なので、同じクラブからJヴィレッジの代表合宿に参加するメンバーはリーダーに率いられ同じ飛行機、同じ電車でJヴィレッジを目指していた。当時は全員が20歳前後だが、後に日本代表にも名を連ねる選手がそろって常磐線で「乗り鉄」というのは、なかなかの光景である

ちなみに「どちらが早い」という結論だが、これは全くのドローで、なぜかというと朝の大阪空港でいつもバッタリ顔を合わせていたからだ。ほぼ同時刻の福島行き、仙台行きに「分乗」してほぼ同じ時間にJヴィレッジに到着していた。現在は富岡にも広野にも特急が停まるようになったので、どちらが早いか分からない

Jヴィレッジ駅とは

Jヴィレッジ駅は2019年(平成31)4月の開業。当時はイベントに対応した臨時駅だったが、1年後に常設駅へと昇格した。もちろん私は初訪問。ホームにはサッカーの日本代表が世代別のカテゴリーも含めて優勝した際のトロフィーを飾る台座がある(もちろんレプリカ)

ユニークな構造で離れて掘られているトンネルの出口に設けられているため、単式ホームを2つ作り、その間にトロフィーの台座などを置いた単式+単式で島式ホームを構成する。東京からずっと複線の常磐線はいわきのひとつ北の草野駅を過ぎると単線区間となるが、Jヴィレッジ駅が設けられている広野~木戸のみ複線となっているため、このような形式となった

無人駅ながらホームから駅の出口まではエレベーターも設置されている

窓口はあるので多客日には臨時で駅員さんが来られるようになっているようだ

では改札を出てみよう

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その5(四半世紀ぶりの駅訪問)

富岡駅の駅名標

※2024年7月3日

すんなりといわきに宿泊

大津港駅を出るとあっという間に福島県に入る。時刻は13時を回ったところだが、そろそろ本日の宿を決めなければならない。まぁ、ここまで来ると迷うことはない。いわきである。いろいろ思い出も多いいわきだが、降り立ったことは近年でもあるものの、宿泊となれば20数年ぶりとなる

いわきはチェーンも含めホテルも多いところなので心配はあまりない。ちょっと奇をてらって湯本温泉もチラリ頭をよぎったが、翌朝の早いことを考えると旅館というわけにはいかない。あまり苦労することなく駅から徒歩5分ほどの宿を確保。大浴場付きで5700円と価格的にも満足

いわきに着くまで湯本駅

そして植田駅などを訪問。この日は早めに終了し(といっても6時前から活動している)翌日に備える

駅近くの居酒屋に通った

翌朝も5時台から活動を開始。後に説明することになるが、ダイヤ的にこのぐらいの時間から動かないと先へ進めなくなるのだ

乗車するのは6時9分の原ノ町行き。発車までまだ20分以上あるが、すでにこの時間帯に構内の売店が開いていて驚いた。東京へと向かう最初の特急に合わせて開店しているようだ

私がいわきを最も訪れていたのは1998年から2000年ごろ。当時のサッカー日本代表のトルシエ監督がJヴィレッジの施設を大変気に入り、代表チームの主な合宿地となった。トルシエ監督はユースそして五輪代表も含めた全世代の監督だった。すでに2002年の日韓W杯が決まり、ある意味最も「代表熱」が高まっていた。W杯の前にあったのがシドニー五輪。02年のW杯のメンバーには五輪代表から多くが召集されるという空気になっていて五輪代表の人気も高かった

私の仕事は五輪代表を追うことだった。ただ「追う」といっても、関西からJヴィレッジまでの道のりは遠い。ただひとつ言えるのはトルシエ監督がJヴィレッジを合宿地に選ばなかったら、今はなき上野駅の特急専用ホームを利用することはなかっただろうということ

当時、Jヴィレッジへは広野まで普通に乗り、タクシーで1500円ほど揺られるのが最も分かりやすいコースだったが、富岡からタクシーで3000円というのも有力なルートだった。そして仕事を終え富岡駅近くの居酒屋でもよく飲んだ。富岡は地域では大きな町で駅近くのホテルを拠点にする同業者も多かった。富岡駅はそれ以来の訪問である

2017年に運転再開

いわきから40分かけて富岡に到着。朝の7時にもならない時間だが、かなりの人が降りた

こちらが現在の駅舎。1898年(明治31)と歴史を刻んでいて以前は木造駅舎があった。東日本大震災の津波によって駅舎が流出。その後、立ち入りが規制されたため、詳しい駅の現状はしばらく分からないままだった。2017年に新駅舎となって運行を再開。駅舎の位置も少し変わったはずだ

もちろん震災前の駅舎そして駅前の様子も多少は記憶にあるが、大きく変化している

無人駅だが指定席券売機が設置されている

東京からいわきを越え仙台まで至る特急「ひたち」は1日3往復だが、すべて停車

ホームから海の方向を望む。構造は2面3線

跨線橋を渡っていたら、ブーンと大きな虫が飛んできたので身をかがめて避けると

クワガタムシだった。ちょっと弱っているというか、クモの巣にからまったようだ。大丈夫だろうか。駅でこんなに立派なクワガタムシを見たのは人生で初めてのこと。そういえば何度も足を運んだJヴィレッジだけど盛夏に来た記憶はないなぁ、そんなことを思った

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その4(茨城最北に到達)

大津港駅の駅名標

※2024年7月2日

北茨城市の3駅はすべて乗下車

なおも常磐線を北上して高萩で下車。常磐線を走る2つの特急のうち[ときわ]については当駅が「北限」となる。また水戸方面からの普通列車も半分程度が当駅折り返しとなるため、昼間は当駅以南が1時間に2本、以北が1時間に1本となる

そして高萩を過ぎると福島県と茨城県の県境である北茨城市に入る。同市にはJRの駅が3つあるが、関西からだと意外と降りるのが難しい駅だけに、ここはすべての駅を訪問することとする

南中郷駅は無人駅。常磐線は都内からずっと有人駅が続いてきたのだが当駅で1度途切れることになる。とはいえ1日に約1000人の利用がある駅で数年前まではみどりの窓口も設置されていた

磯原駅は北茨城市の中心駅。特急「ひたち」も停車する。基本的には1時間に1本のひたちだが、高萩に停車するタイプは磯原を通過、磯原に停車するタイプは高萩通過と、両駅で停車駅を半分ずつシェアする形となっている

乗車券を買っても途中下車はできないのだが山手線内までの運賃は3080円。かなりの距離を進んできたことを実感する

特急停車駅で駅舎内に北茨城の観光案内所も設置されている磯原駅だが、ホームへの階段付近で工事をしているので何気なくのぞいたところ

文面をそのまま解釈するとホームと橋上駅舎の改札を結ぶエスカレーター廃止の案内。1日の利用者が約3000人ある特急停車駅でエスカレーター撤去というのは初めて見た。経費削減はここまで来ているのか、という印象だ

茨城県最北、最東の駅

そして到着したのが

大津港駅。お隣が勿来であることから当駅が茨城県最後の駅だということが分かる。ちなみに茨城県最北端の駅であり、最東端の駅でもある

立派な駅舎を有する。駅舎の入口は駅名標にも描かれている六角堂を模したもの

六角堂はこの地を愛した岡倉天心の設計によるもの。東日本大震災の津波によって消失したが、後に再建。同じタイミングで駅舎もリニューアルされた。北茨城市の観光地は当駅を最寄りとする場所が多い

木目調の重厚な駅舎とピカピカの駅名板が目を引く

1897年(明治30)に「関本駅」として開業。当時駅の所在地だった関本村に基づく

六角堂の所在地は当時、大津町にあり最寄り駅と自治体は別だったが、1950年(昭和25)に自治体名ではなく「大津港」として駅名を変更。1956年の合併で北茨城市が誕生したため、同じ自治体となった。ちなみにこの北茨城市は当初、「茨城市」となることが決まっていたが、県内には先に茨城町が誕生していて、県庁所在地と間違われやすいのではないか、など混乱しかねないとの理由で「茨城市」として発足した後、同日中に北茨城市と名称変更されたという経緯を持つ

お昼を食べながら地元の方々と会話

さてこの北茨城市の3駅にたどり着くころはちょうどお昼時で、おそらく磯原駅がランチにありつきやすそうだったが、ダイヤ的にどうしても1時間の空きができてしまう大津港駅周辺でお昼とすることにした。ネットで評判の徒歩10分ほどのお店に着いたら営業しておらず、通りかかった地元の方に「この冬に店じまいしたよ」と教えられぼう然。駅前にはセブンイレブンがあるので、またいつものコンビニおにぎりかと覚悟したが、喫茶店を見つけて一安心

暑さにアイスコーヒーをまずガブリ。ピラフをいただいてお腹も気持ちも満たされた。このまま鈍行のみで青森を目指すと言ったら「はぁ~?」と予定調和の反応。ただこういうお店では地元ならではの話が聞けて楽しい

「いわきはここより暑いので気をつけて」と言われるので意味を訪ねたら、北茨城市では道路整備によって海からの風が直接駅の近くまで届くようになったので涼しくなった、とのこと。やはり地域的には県をまたいだいわきとのつながりも強いようで、年配の方は「平」という言葉がよく出てくる

単に駅間距離だけの話にもなるが、大津港から福島県側の最初の駅である勿来までは4・5キロなのに対し、同市内である磯原までは7・1キロもある

こちらは駅舎内の様子(写真は到着時のもの)。「電車が出発したらすぐ福島県だから」と送り出された。確かに県境である大津港止まりの列車は最終の1本のみしかない

観光案内図も福島県側とセットとなっている。こうした地域間のつながりは駅に降りてみないと分からないもの。こんな体験をすると「降りて良かった」と思うのである

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたらその日は終わりの北海道&東日本パス旅~その3

大甕駅の駅名標

※2024年7月2日

ラクラク自動改札機を有効に

勝田駅でかわいい特急オブジェを眺めながら、駅訪問を開始する

今回の旅ではローカル無人駅はあまり出て来ない。なぜかというと北海道&東日本パスの特徴のひとつである「自動改札機の通り抜け」を有効に利用したかったから。毎年秋に出る鉄道の日記念の3日間乗り放題パスにも共通していることだが、自動改札機をホイホイ通り抜けできるのは青春18きっぷにはないストレスからの開放がある。もっとも地方の非電化ローカル線に行ってしまえば同じなのだが、都心部や幹線では自動改札機の通り抜けはポイントが大きい。今年は外国人旅行者も多いだろうから、駅員さんのいる改札の渋滞も予想される。一瞬見せるだけのために改札が空くのを待つのは、なかなかの苦痛。ということで今回は

①自動改札機を抜けられる特性を生かした幹線旅

②ふだんは途中下車ができない三セクもじっくり乗車

の2本の柱で北上することにした。東北本線ではなく常磐線としたのは、常磐線内には特急でしか通過したことのない区間がいくつかあるからだ

またいつものように降り立った駅をひとつひとつ紹介していくと、9月になってもこのシリーズが終わらない可能性もあるので、一部の訪問駅についてはX(旧ツイッター)での紹介ということにしたい

漢字そのものが分からない難読駅

まずは村でありながら特急が停車する数少ない駅のひとつ東海駅で下車

ただし今回紹介するのは駅名標に何やら難しい漢字が見える、お隣の大甕駅である。読みはローマ字で分かるが「おおみか」

いわゆる難読駅には漢字そのものが難しくて読めないものと漢字は簡単だが思いもよらない読みをするものの2つのパターンがあるが、こちらは前者である

現在の駅舎は2018年からのもの。開業は1897年(明治30)と古く120歳を超え、130歳になろうとしている

大甕とは地名だが、当駅を最寄りとする大甕神社から来ている。漢字の「甕」は水を入れる「かめ」のこと。かめは今でも普通に使用される言葉だが、漢字の方はなかなか使われなくなっている。今はワープロ機能というものがあるが、すべて手書きだった時代は大変だっただろう。あまりにも難しいからか、1972年にできた住居表示は「大みか町」とひらがなが使用されている

駅前の案内図も「大みか」の表記で駅名もひらがな表記。ただし固有名詞である神社はもちろん漢字表記だ

かつては私鉄との乗り継ぎ駅

駅からはバスターミナルが見える。遮断機のようなものが見えるが、これは「ひたちBRT」

かつて水郡線支線の常陸太田駅と大甕駅は日立電鉄で結ばれていた(日立電鉄の駅名は常北太田)。日立電鉄とは日立製作所の傘下にあった鉄道会社で、常陸太田からは山中を進み、常磐線とクロスした後に北上。海沿いには日立の関連会社、工場が存在した。こうして見ると東西南北のかゆい所に手が届くように路線があり、ローカル私鉄とはいえ、さすがに電化されていた。常磐線との接続駅が大甕だった

ただし同線は2005年に廃線。常磐線に沿う形の南北の道路の渋滞が激しいため、日立電鉄の路盤を利用してバス専用レーンとなったのがひたちBRT。ただし停留所名は「大みか駅西口」とひらがな表記となっている

駅前には茨城キリスト教学園中学校・高等学校そして大学があることもあって駅の利用者は東海駅を上回っている。学校そしてBRT乗り場が駅の西側にあり、かつては東側に存在した駅舎から西側への移動が課題でもあったが、改札口を地下に設けたことで自由通路を通っての東西の往来も容易になった

ちなみに同校に通っていた後輩に漢字で「大甕」と書けるのか尋ねたところ「さすがに書けます」との返信だった

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたらその日は終わりの北海道&東日本パス旅~その2

勝田駅の駅名標

※2024年7月2日

今回の旅の「ルール」

品川駅の常磐線ホームに到着したのは6時25分。当然だが右側ホームの電車に用事は全くない

今回の旅は常磐線を北上、仙台から東北本線を北へ向かう予定となっている。「予定」と記したが、実は予定なんてものはほとんどなく

①きっぷで乗車できる列車で青森を目指す

②降りたいと思った駅で降りる

③飽きたら何時であろうと、その時点でその日は終了。つまりホテルはその日暮らし

と、一応ルールは決めたが、どこかの県で気になる駅が続けば、青森まで到達しないことも十分ある。気になる駅といえば格好いいが、どちらかというと暑さでやる気がなくなり、早々にその日の活動を終了することが多くなるだろう、ということだ

さすがの首都圏電車はグリーンの誘惑を振り切る

乗車したのは6時35分の品川始発電車。ホームに降りた時は出発までまだ10分近くあったので、座席には余裕がある。私は「2人分だけのロングシート席」が好きだ。多少窮屈だが、爆睡態勢の時は身体ごと預けてられるから

当初は高輪ゲートウェイから新橋まで行って乗車するつもりが、時間があったので品川まで戻る形で始発乗車(フリーきっぷなのでどのように動こうが問題ない)としたのだが、結果的にはそれが大正解。品川を出発時はまだ空きがあったが、新橋から早くも立ち客が出るようになり、東京からは普通に混雑の電車となった。新橋ではホームの並び方次第では座れない可能性も高かったわけでホッとした。それにしてもまだ7時にもなっていない下り電車、それも15両編成(JR西日本の通勤電車は最長でも12両)の座席があっという間に埋まってしまうのだから、さすが首都圏の電車である

この後、7時台に千葉県に突入するわけだが、沿線には一体いくつの高校があるのか、と思ってしまうほどで、下り電車の車内はすっかり高校生専用列車と化した。最後にドッと高校生が降りたのが牛久で時刻は7時45分

何となくの予定では、今回の旅では乗車電が最も長く乗り続ける列車になるはずで、普通車グリーンに乗るのもおそらく最後の機会。実は品川駅でかなり心が揺れたが、グリーン料金の値上げでSuical利用でも1550円もするの何となくの予定では、今回の旅では乗車電が最も長く乗り続ける列車になるはずで、普通車グリーンに乗るのもおそらく最後の機会。実は品川駅でかなり心が揺れたが、グリーン料金の値上げでSuical利用でも1550円もするのでヤメ。というか時間帯的にも下りということもあって、そんなには混まないだろうという私の考えが甘かったのだ

ということで乗車電の終点、勝田に到着。2時間15分の普通車は同じ列車に1時間乗ると飽きてしまう私には、なかなかしんどい時間だった

勝田は水戸のひとつ北側の駅。車両センターがあり、多くの列車が始終着となるため知名度が高い。全列車が停車する。ひたちなか海浜鉄道の接続駅としても有名。かわいい単行列車が停車中だった

10年以上前、ひたちなか海浜鉄道への乗車とあんこう鍋を求めて降りたって以来の訪問となった。ただし今回のきっぷでは乗れないので先へと向かう。ここからはいくつかの駅で降りつつ北上しよう。まだ時間は朝の9時である

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたらその日は終わりの北海道&東日本パス旅~その1

高輪ゲートウェイ駅の入口

※2024年7月2日

スタートは高輪ゲートウェイ駅

7月2日、朝6時前の泉岳寺交差点。ホテルを出て高輪ゲートウェイ駅へと向かう。ここが旅の出発点ともいえる

話は前日にさかのぼる

かなり激しい雨の大阪空港から8時半の飛行機に乗って羽田へと向かい

10時すぎに京急の羽田空港駅へ。随分と人が少なく感じるが、何らかのトラブルで遅延が発生していたためだ。もっとも今日に関しては少々の遅延は気にならない。というか本日は都内宿泊なので何とでもなるだろう

泉岳寺のホテルに荷物を預け高輪ゲートウェイ駅の券売機へ

目的のものを発見

そしてゲット。きっぷの有効期限は7日だが、6日に帰る。そして今日は都内で飲み会があるので正式な出発は明日となる。だったら、もっとゆっくり東京へ行けばいいと思われるかもしれないが、飛行機のチケットは5月のタイムセールで確保したので、その時点では東京からすぐ鈍行旅を開始する可能性があったため朝の飛行機にしたのだ。飲み会が決まったのは6月に入ってからのこと。さすがに都内だけはできるだけ早めに宿をとらないと「空きがない」「高い」の二重苦に陥ってしまうので、その時点でホテルを予約した。高輪ゲートウェイ駅から旅の出発とは、いかにも企画したようになってしまったが、飲み会の会場やホテル価格から泉岳寺になったということ

長年憧れの北海道&東日本パスとは

北海道&東日本パスは7日間にわたってJR東日本とJR東日本の普通列車が乗り放題となるフリーきっぷ。利用期間は7月1日から9月30日までで(販売は9月24日まで)、きっぷのルールは青春18きっぷとほぼ同じだが、大きく異なる点として

①利用期間は連続7日間

②きっぷは1人1枚でグループ乗車はできない

③青い森鉄道、いわて銀河鉄道、北越急行も利用できる

がある。特に大きいのは①で使用開始日を指定して購入し、旅を始めた時点で払い戻しはできないのだ。その分、長期間で5回利用の青春18きっぷの1万2050円と比べて7日1万1330円と安くなっているが、ある意味時間に余裕がないと、なかなか利用できない(乗り方によっては3日ぐらいで十分元はとれるが)きっぷなのだ。要は時間のある学生さんか、私のようなリタイア組向けのきっぶだといえる

また③の旧東北本線の三セク利用できるのも大きい。同じ鈍行旅で北上すると盛岡から北はJRの通しきっぷは利用できず、私の「本業」である降り鉄をするための途中下車をするには、それぞれの会社のフリーきっぷ購入をする必要があって経費的にかなり高くつく。現在、青春18きっぷで東京から青森まで行こうとすると日本海回りのダイヤが薄く、なかおつ距離の長い区間を行く必要があり、かなり不便だが、北海道&東日本パスなら最短ルートで到達できる。そして何より、私にとって大切ないろいろな駅での降り放題が可能になる

それなりの準備をしてから出発

会社員時代から、これを使って旅をしてみたいものだとずっと思い続けていて2年前の夏に早速利用してみたが、私の準備不足もあって常磐線~水郡線で郡山まで行った時点で引き返し、後は伊東線などに乗ることになってしまった

その分、今回は起点と終点だけは最初から決めることにした。まず最後は当然ながら神戸の自宅に帰らなければならないので、スタートは東京としても帰りにもう1度東京まで戻ってしまうと、東京(ギリギリまで踏ん張ると熱海まで乗れるが)からの交通機関代金が発生する上、仮に東北のどこかまで行くとして再び東京まで戻ってくるのが肉体的にも精神的にも大変な負担になる。別な言い方をすると、正直かったるく新幹線別料金が登場する可能性も高い。そこでタイムセールで花巻~大阪の飛行機をあらかじめ確保し、最終日は飛行機で東北から直接帰ることにした。自分がぼんやりと描いていたイメージでは青森空港あたりから帰るのが便利そうだったが、東北の飛行場で自分が利用したことのない空港が大館能代、山形、花巻の3空港だったので、確実にルート上にありそうな花巻とした

到着当日は

川崎新町

以前はなかった小田栄

久しぶりの浜川崎など、南武線支線の駅などを訪問、歩きつつ(当支線は駅間距離が短く歩いた方が早い場所もある)、せっかくのフリーきっぷを少しでも有効に利用しながら適度に汗をかいて夜の飲み会に備え、夜も翌日に響かない程度に、こちらも適度の飲酒としホテルにも22時にも戻った

まずは品川駅から常磐線に乗り込むことにする

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ありがとうございました

2022年も終わろうとしています

今年は人生において大きな変化があった年になりました。言ってみれば36年ぶりの変化です

社会人になったのは、まだ昭和の1986年。世間的に分かりやすいのは阪神タイガース唯一の日本一の翌年。鉄道の視点からすると、国鉄最後の年。今にして思うと社会人1年目の出張は国鉄に乗って出かけていたのですよね。明確に覚えていますが、人生初の出張は高松。宇野ダッシュの最初で最後の経験でした。そもそも高松までの往路は飛行機でしたから。伊丹~高松の空路がまだあった時代。乗ったのはYS11と、これまた今にして思えば貴重です

そこから36年の時を経て会社員生活を7月いっぱいで無事卒業。こちらのブログを開始したのは9月でこの記事が91本目となります

最も印象に残っているものは

全部の振り返りをしているとキリがないのですが、副次的な要素も含めると最も印象に残っているのは遠方への旅ではなく

能勢電鉄です。騒ぎにならないうちに能勢電鉄の「山下発山下行き」「旧阪急2000系の1700系」とのお別れをしておこうと出かけたところ、当日の運行当該編成が、その1700系だったという一石二鳥というか王手飛車取りというか、まさに僥倖、超ラッキー

能勢電鉄のホームページでは、惜別のヘッドマークを付けた1700系の運行について、日付ごとに、どこの運用に入るのかを発表していたのですが、私は知らなかった

当日、山下駅の朝は随分と撮り鉄さんがいて、まだ惜別まで1カ月もあるのに、おかしいなぁ、と首をひねったものですが、まる1日こちらの運用に入るのであれば、そりゃあ来ます

その意味で自分の体験はもちろん、動画としても貴重なものになりました

実は能勢電鉄には11月30日にも訪れていまして、まだ記事にしていませんが、平日の朝7時半というラッシュ時に川尻駅のホームに行くと

いきなりいらっしゃいまして驚きました。この日も運用についての調べはしていません

当日は能勢電鉄の全駅下車(ラッシュ時ということもあり、すぐ終わりました)が主眼だったので、1駅でお別れとなりましたが、印象深いです

意外と難しい、あてのない旅

そして時間ができたら、ぜひやってみたかった念願の旅というのはこちら

1週間自由に乗れるパスで、あてのない旅をすること。こちらのポイントは自動改札機を通れることと、もうひとつ大きいのは青春18きっぷより微妙に早く運用が始まること。混雑を避けられます

行くところまで行って飽きたらホテルをとる、とい66日間(きっぷは7日使用できますが私に与えられた時間は6日間でした)。こんなの時間がないとできませんから、憧れていたのですが意外と難しい、というか洗濯が面倒だ(笑)。結局、5泊のうち2泊は都内の部屋に洗濯機があることで有名なホテルチェーンを利用することに

また旅に出ると必要以上に呑んでしまうので疲労がたまります。道中の1泊を郡山にしたのですが、何やら体内の危険信号が働き、当日はサイゼリヤでパスタ+サラダ+ドリンクバーのみの夕食で終わるという、初の旅先ノンアルコールを経験。福島の地酒をとても楽しみにしていたのですが、こちらは年齢の影響もあるのかもしれません

そして当日に確保しようとすると宿もなんだかんだで大きな都市になるのですよ。それは高山本線の時にも学びました。ただこちらについては来年また再チャレンジしたいと思います。そもそも東京を起点にすると、必ず飲み会が入ってしまうので、来年はもっと北の方をスタート地点にしたいと思います

と、とりとめのない話をダラダラと書いてしまいましたが2023年もよろしくお願いします

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