日豊本線のもうひとつの難所を訪ねる3~集落のない元信号場駅には待合所のみ

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
西屋敷駅の駅名標

※訪問は2024年4月24日

私以外に乗降なし

立石からひとつ小倉方面へと戻り西屋敷で下車。時間は8時50分。事前に予想できたことだが、降りたのは私のみ。入れ替わりに乗車した人もいなかったと思う。小倉方面への隣駅は宇佐。そこまで行けば同駅での折り返しもあるし、手元の「福岡・大分DCオフろう!きっぷ」は特急も乗り放題なので、おそらく移動に苦労することはないが、だからこそ西屋敷で降りたのである。立石と並ぶ日豊本線ダイヤのボトルネック区間を訪れるのが趣旨だ

最初に記しておくが、当初の予定はしばらく来ない電車には見切りをつけ、宇佐まで歩くことだった

この区間の日豊本線は国道10号とほぼ並行して走っている。立石峠も越えた平坦コース。駅間徒歩で最も有効なのは線路とともに歩くことが可能な区間だ。道を間違うこともなく、最短距離で隣駅まで行ける。日豊本線のように電化区間だと少々それても見失うことはないのだが、今回の場合は道路の隣を線路が走っているので、そちらの条件も必要ない。しかも平坦。これだと50分の徒歩もそう苦にならない

しかし残念ながら、この日は雨だった。中津では降っておらず、立石でもパラパラ。天気予報は午後から晴れ。ただ、いい流れだと感じたのもつかの間。西屋敷に到着した私を待っていたのは本降りの雨だった。西屋敷は駅舎のない構造。よりによって、この駅でなぜ?と言いたくなったが、とにかく宇佐への徒歩移動は中止となった

こちらは西屋敷駅の時刻表。8時52分で到着して次は10時9分。1時間20分の待機である

戦後の駅昇格も財産票は戦前

上りホーム入口と下りホーム上にある待合所のみが駅の建造物。というか、この日においては雨を凌げる唯一の場所。ICリーダーが設置されている

駅の開業は戦後の1947年(昭和22)だが、待合所には

かなり年季の入った財産票がある。かなり薄くなっているが、「待合所」「S14 5.2」とある。当駅は1926年(大正15)に信号場として設置された。立石~宇佐が10キロもあるので信号場が必要だったのだろう。臨時や仮の乗降場となった記録は探せなかったが、駅への昇格は1947年(昭和22)。その過程で待合所が必要となった事案があったのだろう

こうして列車が過ぎ去った後の様子だけを見ると一見、単式ホームの駅にも見えてしまうが、右側のちょっと高い所にあるのが下りホーム。そもそも信号場としてスタートしたのだから単式ホームのはずはないが、立石~宇佐が複線化された際にこの位置にホームが設置された。立石駅の記事でも記したが、立石~当駅は複線化の際に下り線は立石峠をトンネルで貫く形にしたため、上り線と下り線が大きく離れている。当駅のすぐ立石側で線路は再び出会う

とにかく、ここから時間をやり過ごさなければならない。信号場としてスタートしただけに付近に集落はなく、私の貸切状態となったのも当然といえば当然だが、傘を手に周辺の散策に入る

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*