日豊本線

延岡~宗太郎の5駅完了~その4(終) 駅名板の芸術点が高すぎた

北延岡駅の鳥居式駅名標

※訪問は2024年4月23日

高校生の姿はすでになく

時間はあまり与えられていないが、さっそく駅の観察に入る

かなり怪しくなった駅名標。初めてここに連れて来られたら(そんなケースはほぼないと思うが)両隣の駅がどこか分からなくなっている。ただしJR九州おなじみのイラスト入り駅名標にはアユが描かれていることは分かる。ちなみに前訪問駅となった北川のイラストはすっかり姿を消しているが、以前の写真を見るとホタルが描かれているようだ。そろそろ塗り直しをとも思うが、1・5往復の停車では意味をなさないのだろう。ただしサムネに使用した鳥居式駅名標はくっきりと文字が読める

延岡~佐伯間の各駅と同様、すれ違い可能な構造。ただし駅舎は撤去されている。お手洗いもないので冷え込む季節などでは要注意

開業は1953年(昭和28)で、1・5往復区間の5駅では最も新しい。ただ駅の開設理由については調べてみたが分からなかった。いわゆる「よんさんとー」の1968年10月の時刻表を見るとすでに1日6往復の停車となっているが、当時は駅舎もあってもちろん駅員さんもいた。ただ6往復とはいっても、優等列車の通過が12往復もある。まだまだ貨物の輸送は列車が花形だった時代で、貨物列車の通過も含めると線路は飽和状態だったはずで延岡~日向長井の距離が10キロもあることを考えると信号場的な役割があったのかもしれない。ちなみに現在も当駅は9往復もの特急が通過する

こちらは駅前光景。駅舎は平成に入って間もなく解体されたようだ。駐輪場には現役かどうかも釈然としないものも含め、2台の自転車。前記事で延岡学園の高校生は、ここに自転車を留めて通学すると書いたが、写真を撮っている間に高校生の姿はすでになく、通学模様は分からなかった

駅の両側は細い道路でつながっている

駅名板に目が釘付け

恒例となった野ざらし時刻表+運賃表+きっぷ入れのセット

これもまた恒例だが時刻表。同一路線で3駅続く南延岡、延岡、北延岡だが全列車が停車する他の2駅と「待遇差」が顕著すぎる

そんな中、ふと目にとまった駅名板に違和感を感じ近づいてみると

ローマ字の象形文字状態が凄い。目を凝らすと今の文字の下には、ずれていない文字がうっすらと見える。「Station」の部分を見ると元々は普通だったものが年月を経てずれたようにも思えるが、このような駅名板は初めて見た。駅名板の文字に芸術点がつくのなら、かなり高得点となりそうだ

バス停の場所は?

一通り駅周辺を見た後は「脱出」である。駅前は国道が走るが、ここを延岡行きのバスが走っている。北川駅でも触れた路線バスだが、調べたところ駅前にバス停はない。少し歩いたところに「差木野」という停留所があるはず。北延岡駅到着は7時18分でバスの出発は同35分ということになっている

こうして見ると楽勝のような気もするが、地方の路線バスは軽く見てはいけないことは、これまで各地で体験済み。そもそも停留所があるのかどうかも分からないし時刻表が掲げられているかどうかも分からない。今回の場合、地図にはイラストがあるので停留所はあると思われるが、なぜか同名の停留所が微妙な距離で2つ並んでいる

これは早めに行かなければウロウロすることになりかねないと歩を進める。この時間帯は雨はやんでいた

延岡市街がすぐだということで山中の雰囲気はない。2つのおにぎりが並んでいるということは重複区間のようだ。すると右奥にバスが見えるではないか

延岡行きのバスが止まっていた

差木野(さしきの)と読むと初めて知った。時刻表で分かる通り、平日は1日に4本。幸運なことに乗車するバスは当停留所が始発なので、早々にスタンバイしていたようだ。地図で示した停留所2つのうち、手前側が目的の停留所だったが探す手間も省けた。交通ICカードも使えた

佐伯~重岡の各駅訪問の際も見た光景だが、廃校もあってバス通学の小学生がいるようだ。延岡駅までは約15分。小学生とともに1・5往復区間の全駅訪問を終えることとなった

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

延岡~宗太郎の5駅完了~その3 ダイヤの微妙な変化に驚く

北延岡駅では高校生2人が下車

※訪問は2024年4月23日

車内で乗車券を発券

北川から5駅の最後の駅となる北延岡へと向かう。朝7時8分発で、延岡行きはこれが初電にして最終なので北延岡で降りてしまうと、その先には行けないのだが事前の調べによるとバスがあるはず。バス停は駅から微妙に離れていて乗り継ぎもたっぷり時間があるわけではないが、ここまで来れば開き直りも通用する。北延岡は駅名から想像できるように延岡のひとつ北にある駅で、線路だと延岡まで4・9キロ。万が一バスに乗れなくても1時間もあれば歩けるし、少し行くと延岡の市街地に入るので徒歩に不安はない。同じ4キロを歩くにしても山中を歩くのと住宅街や商店の多い街を歩くのでは気持ちの面で全く異なる

乗り込むと間もなくして車掌さんが検札に来た。日豊本線の多くの区間は普通はワンマン運転となっているが、延岡~佐伯の特急車両を利用した区間は整理券の発券ができないためか車掌さんが乗務している。また延岡行きについては先頭車両のみを使用するとグリーン車も付いているので車内で自由席グリーン券を発券する。宗太郎以北も含め何度かこの車両に乗車したが、おそらく記念的にグリーン車に乗る人もいる。また確信は持てないが、車両が列車番号を変え、そのまま特急となる場合は引き続き車掌さんが乗ることもあるようだ

「北延岡まで」

と告げる。北川駅で運賃表を見ていたので料金も分かっている。230円を用意して待っていたが、あまりというか、ほとんど発券されない区間なのか「えーと」と、やや時間がかかった。時に鉄オタとは手間をかけてしまう存在である

アレレの日向長井

北川と北延岡の間には日向長井という駅がある。現在の日豊本線が最初に宗太郎越えを目指した時、一時的に終着駅となったが、現在は途中駅で駅舎もないが、こちらは訪問済み

列車交換に伴う3分間の停車時間を借りて一瞬の訪問。これを訪問として良いのか自問するところでもあるが、ダイヤがダイヤだけに許してもらうことにした

今回もこちらの停車を狙ったのかカメラを持った人がドアの前へと移動。皆さん考えてることは同じなんだな、と思いきや、すれ違い列車は既に向かいのホームにいて何か空気が異なる

あれれ?

と感じるや否やすぐにドアが閉まって発車してしまった。昨年の5月と10月に来た時からダイヤが微妙に変わってしまったようだ。ドアに向かった方は大丈夫だったのか心配したが、無事に帰って来られて安心した

とにかく昨年の手段は使えないわけで、その意味では昨年来て良かった

延岡学園の最寄り駅

間もなく5駅目となった北延岡に到着。高校生が2人降りていったが延岡学園の生徒さんだろうか。延岡~北延岡に校舎が見える。夏の甲子園で準優勝したのは、ついこの間と思っていたが調べてみると2013年と11年も前のことだった。多くのプロ野球選手も輩出している

最寄りといえば最寄りだが、日豊本線の本数があまりにも少ないため当駅を利用する生徒さんは少ないようだ。駅前に自転車を留めておいての通学が、わずかながらあると聞く

とにかく駅と近辺散策を手短に終え、バス停に向かうことにする

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

延岡~宗太郎の5駅完了~その2 5駅の中で最も規模の大きい周辺を持つ

北川駅の駅名標

※訪問は2024年4月23日

キーワードは「細」

北川駅に到着

位置はこちら。佐伯まで950円もすることで、かなり距離があることが分かる

時刻表はもう「定番」となってしまったが、1日1・5往復。つまり大分県側から列車で朝の7時過ぎに降り立つと、先に行く列車はなく、その時間が「始発にして終電」。折り返し電車も13時間以上後の20時22分なので駅周辺に夜まで過ごすような訪問先がない限り、事実上折り返しはないことになる。私は6時25分着でやって来て7時8分で延岡に戻る

ホームは島式で見て分かるように非常に細い。跨線橋も同様で

こちらは後に列車の到着間際になってのものだが、外に出る跨線橋も細い。大人同士のすれ違いも困難な幅で、上下列車が同時刻に停車したら、ホーム内での乗降も大変そうだが、そのような電車の設定は今はなく、1日の利用者数は近年のデータは発表されていないが、おそらく10人を割り込んでいると思われる(私が利用したのは平日だったが、1・5往復のうち1往復を利用し、私以外の乗降客は1人だった)

旧北川町の代表駅

延岡~宗太郎の各駅は停車列車の本数はさることながら、特急の本数は多く列車交換に伴う運転停車のため、各駅ともすれ違い可能な構造となっていて、比較的ゆったりとした構造となっているが、北川だけは頑張って設置した構造となっている。この区間は大正期の宗太郎越えなった頃からの駅と戦後の駅に区分されるが、市棚と日向長井が戦前から、北川と北延岡が戦後の駅。宗太郎は戦前は信号場で戦後になって駅に昇格した

北川については旧北川村(後に北川町となって現在は延岡市)の中心部に近いということで駅が求められ、1949年(昭和24)に市棚と日向長井の間に設置された経緯があり、このような構造となっている

40分ほど時間があるので中心地方面へと歩を進める

駅を出て川を挟んだ向こうが北川町の中心部

川向こうとは言っても駅を出るとすぐ立派な橋があり中心部へと到達する。地図で分かる通り、徒歩5分

朝もやに包まれ良い風情だ。橋を渡った所に旧北川町役場の延岡市役所北川町総合支所がある。平成の大合併で2007年に延岡市となった

駅舎は消滅

再び駅へと戻る

橋の方から駅を眺めると駅舎があって跨線橋があるように見えるが、近づいてみるとこれは違う。駅を出てその前を通ってからこちらにいるので既に答えは出ているのだが

北川地区の水道を司る水源地の建物のようで鉄条網で厳重に守られている

駅前には立派なお手洗いがあり、市棚駅同様、私は大いに助けられた。しかし建物は2つもあるが駅舎はない。開業時からの駅舎は平成になってから解体されたという

そしてお手洗い前の地面で分かる通り、駅前はアスファルトの部分が少なく

駅から外に出る道路は車の轍が水たまりになっていて一瞬途方にくれそうになったが、水源地の建物の隣に小さな階段があって事なきを得た

川からの朝もやは写真としては優れているが、滞在の40分は小やみになったかと思うと本降りの雨がやってくる状況で結構困った。お手洗いのひさしと隣接する駐輪場で雨宿りさせてもらったが、大いに助かったのは、そそれも含まれている

ホームへ戻る。屋根のある部分はあるが、これぐらい降ると役立たないレベルだ。消滅した駅舎の代わりに跨線橋に駅名標が掲げられている

ホームには石碑らしきものが建っているが文字は読み取れなかった

延岡行きの787特急車両が到着。名残惜しいが北川駅を去ることにする

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

延岡~宗太郎の5駅完了~その1 いつもの列車で細いホームに降り立つ

北川駅の駅名標

※訪問は2024年4月23日

夜明け直前の延岡駅から

朝の5時40分。この時間の延岡駅は昨年の10月以来だが、何やらいつもの光景になってしまった。ほぼ日の出の時刻だが、昨日夕刻からの雨がずっと降っていて雨雲に覆われ暗い。あまりにも酷い雨だと予定変更もあるかとも考えたが、少なくとも現在は小雨なので決行である。これぐらいの雨で予定変更していたのでは、ここまで来た意味がない

1日1・5往復の列車しか停車しない延岡~宗太郎の5駅訪問を今回で終わらせるつもりだ

初回が昨年5月9日で

2回目が昨年10月5日

この2回で宗太郎、市棚、日向長井の3駅を訪問。きっぷ売り場の運賃表を見ると

残るは北川と北延岡の2駅。とにかく早朝の1往復と夜20時台の上り(延岡→宗太郎)1本しかないので、すべての駅で乗降のどちらもこなそうとすると早朝からのべ5日間、延岡駅に行かなければならない。どちらかだけにまけてもらって、日向長井は3分間の交換停車中の時間を訪問とさせていただき、残る2駅を訪ねることにする

今回はきっぷを買っての乗車となった。前日に空路宮崎に入り、旅名人きっぷで宮崎県内をウロウロして夕刻までに延岡に到着

前日に宮崎空港駅で発券した2種類のきっぷ「旅名人きっぷ」は昨日1回目を利用して宮崎県内をウロウロした。今日は午前中のうちに大分県に入り「福岡・大分DCきっぷ」を利用するのだが、後者はエリアが大分県内つまり宗太郎以北となっている。大分県側から宗太郎まで来て、宗太郎から再び大分県に戻るのは事実上不可能なのだが、大分県内の駅と決まっているため日豊本線の南限は宗太郎。つまり早朝の部のみは現金乗車しかないのだ。1日に3700円分乗らないと元がとれない旅名人きっぷの1回分の権利をそれだけに利用するのはあまりにももったいない

いつもの列車に乗車

早朝の改札口

そして特急車両を利用した普通の佐伯行きに乗る。「3号車自由席」となっているが、過去にも紹介した通り、客扱いをするのは先頭の4号車のみ

本日の乗車は私を含め3人。一人はおそらく同業者(鉄道ファン)で、もう一人はスーツ姿の女性でビジネス客のようだ。この列車は車掌さんが乗っていて検札を行う。きっぷを提示すると「北川ですね」。料金表の写真で分かる通り、宗太郎までのすべての駅で料金が異なる。女性の方は佐伯で特急に乗り継ぐようだ。乗車したこの列車は、車両そのものは特急「にちりん」の大分行きとなるが、列車種別は普通から特急になるという説明をしていた

北川へは路線バスもある。北延岡、日向長井も通り、北川駅から徒歩5分ほどの熊田という停留所が終点で所要時間は30分ほど。もっとも「バスもある」とはいっても平日は1日3・5往復、週末は2往復である

延岡から15分で北川に到着。細長い島式ホームの駅となっている

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

宗太郎の「お隣」市棚を訪問(後編)~美しきうろこ雲に癒やされる

市棚駅に到着

※訪問は2023年10月5日(動画あり)

最初の出会いは…

宗太郎は滞在15分しかない駅だが、市棚は30分ほど時間があります

また山中の秘境感が漂う宗太郎に比べると市棚は小さいながら集落がある

国道10号は宗太郎越えでは、ほぼ日豊本線と寄り添うように走っている。また駅舎の裏手を国道が走るようになっているのは、かつて駅前の道路が国道だったから

まだ朝の6時半だが、もう起き始めているようで人の気配をそれぞれの家に感じる。ただ外を歩いている姿とまではいかず、最初に出会ったのは

2人のニャンコ。仲がいいのか悪いのかは不明だが微妙な距離感。共通しているのは明らかにヨソ者の私を警戒しているということ

ちょっと振り返って駅舎側を見る

再び駅まで戻って写真を撮ってしまった。あまりにも美しいうろこ雲。まだまだ暑いが、空に秋を感じる

駅付近のナゾを探索

もう少し歩を進める。車窓から見ていて不思議だったのは駅前に複数の集合住宅があること。大分県側の重岡駅もそうだったが、峠越えに多い宮崎側の保線作業の場は市棚のはずなので、かつて当駅で保線にあたっていた方の住居跡だと思っていた

その道中で

山中になぜか船

そして線路に面した集合住宅。見た目も含め、廃屋かと思ってナゾを明かしに入っていこうとしたが、1軒に灯りがついていたのでやめておいた

再び駅へ戻ろうとしたら

またもや美しいうろこ雲。これだけでここまで来て良かったと感じる

駅の規模は大きい

駅へと戻る

自転車置き場の「利用者」は見たところ1人だけのようだ。いつからのものかは分からない

駅の規模は大きい。2面3線構造は今も現役で、それとは別に側線がある

こちらは宗太郎方面を望むもの。ホームは待合室側から1~3番線。2番線は特急や貨物の通過列車が通り、停車列車は3番線を使用する。といっても1日1本なのだが。もっとも写真を見るだけでは電化された長いホームの駅に停車する列車が上下合わせて3本とは、とても思えないだろう

市棚駅はホームに3種類の駅名標が立っていた

まずは国鉄式。きれいなので最近更新されたものなのか

これはJR移管後のもののようだが、いわゆる「鳥居式」

そしてもうひとつが現在のJR九州の標準的なもの。ちょうど駅名標の向こうから朝陽が上ってきたところで美しい構図となった

延岡行き普通という名の特急車両がやってきた。名残惜しいが、これだけは乗らないわけにはいかない

日向長井駅も紹介

4カ月前の乗車で日向長井では列車交換のため3分ほど停車することが分かった。あまり本意ではないが、列車事情が事情なので許してもらおう

こちらもうろこ雲に覆われている。当駅は待合所のみの駅

2面2線構造で側線が1本残る

東九州自動車道の北川ICが近くにある。東九州自動車道は佐伯で海側に向かい、宗太郎越えでは国道10号、日豊本線と離れたところを通るが、この付近で合流する

待合所の背中に駅名板がある

駅名標には西郷さんが描かれている。宮崎県で一体何?と思ったが、近くの可愛岳は西南戦争の激戦地のひとつとなったそうだ

ここから列車は北延岡を経て延岡に至る。北延岡では路線バスの絶妙な乗り換えで延岡まで行けそうだということが分かったが、いずれにせよ北川駅が残ってしまう。いつになるか分からないが3回目のチャレンジで残る駅の回収をすることにしよう

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

宗太郎の「お隣」市棚を訪問(前編)~ダイヤは同じです

市棚駅の国鉄式駅名標

※訪問は2023年10月5日

夜明け前の出発

朝の5時40分、ホテルを出て延岡駅へと向かう。この日の延岡の日の出は6時でまだ暗い

4カ月前と同じ景色が私を出迎えてくれて

あの時と同じ普通という名の特急列車に乗車する。3カ月前にも宗太郎から北側となる大分県内の閑散ダイヤに挑んだ時も同じ列車に乗っているから、4カ月で3回。かなりの頻度で足繁く通っていることになる

宗太郎と同ダイヤ

今回目指すのは宗太郎のひとつ手前の「市棚駅」。この時にも記したが、クローズアップされるのは宗太郎ばかりになりがちだが、延岡~宗太郎の各駅はすべて同じダイヤ

先に市棚の時刻表を掲載すると

朝に2本、夜に1本。延岡から北の北延岡、日向長井、北川、市棚、宗太郎はすべて同ダイヤである。夜の1本は遅すぎる上、下車してしまうとそこから動けない。早朝の1往復を利用するしかないのだ。つまりこれはどういうことかというと、この5駅をすべて鉄道で訪ねようとすると、5日間を要することになる。延岡~宗太郎は約25キロ。東京~横浜が約29キロだから、これより短い距離の各駅訪問が5日もかかるという、壮大な旅程となってしまうのだ

ということで

4両編成のうち先頭の1両だけが開放されている普通に乗車。旅客は私を含め5人。4カ月前と似たような数だが、ちょっと異なるのは、うち2人が若い女性だったこと。大きなスーツを持っている。男性の1人は地元の方といった風情で、もう1人の私と同世代ぐらいの方は、おそらく同業者(鉄道ファン)。最近はスマホアプリの発達により、車内でパラパラ時刻表をめくる姿が少なくなり、同業かどうか見分けはつかなくなりつつあるが、この路線については確認が可能である。私は宗太郎まで行かないが、同業者なら後で必ず出会うことになるからだ。宗太郎から延岡に向かう列車も特急車両の1両のみを開放するシステムなので、すぐ分かる。やはりというか、市棚からの折り返し列車でしっかり同乗となった(笑)

路線バスでも困難

電車に揺られること20分。市棚に到着。すっかり夜は明けている

宗太郎を除く4駅のうち、なぜ市棚を選んだかというと、当駅は宗太郎と同じく付近にバス路線がないからだ。この後、先に進まなければならないので今回は市棚の1駅のみの訪問で終わるわけだがコミュニティバスはあるものの、それは2時間後で北川駅付近には行けるが、どこかの駅で再び長時間待機となる(北川まで歩いた方が早いが結末は同じとなる)。いずれにせよ途中駅の乗下車はかなわない

おそらく、いつの日にか再び来なければならないが、できれば何とかあと1回で終わりたい。その意味で先に市棚を回収しておこう。また車窓からの市棚駅に大きくひかれたこともある

車窓からはホームを降りると駅舎が出迎えてくれる、と思っていたが実際は違った

駅舎のように見えるが実際はお手洗い。お手洗いの裏手のホーム側が待合所になっていて実態は待合所のみの駅ということになる。ただ駅訪問の際、これは実にありがたい。そもそもが近い方なので、大変助かる。男女別できれいなもの。20年ほど前にかつてあった駅舎が解体されて現在の姿になったようだ

宗太郎は15分ほどの滞在時間しかないが、こちらは「時差」がある分、30分の時間がある。周囲の散策を開始しよう

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

日豊本線の超閑散区間「人名シリーズ」~総まとめ    すべての駅で乗降どちらかが可能

宗太郎駅の駅名標

※動画と音声ありです

初めて知った超閑散区間

私が佐伯~宗太郎間の人名シリーズに興味を持ったのは、5月に宗太郎駅訪問をした時でした。必ず延岡に宿泊しないと宗太郎には行けないので、佐伯~延岡間は基本的に特急利用となります。車窓に流れるいくつかの駅をながめていると「あれ?この駅名はすべて人の名前じゃないか」と思いました

「重岡宗太郎」は有名なので知っていましたが、佐伯から上岡、直見、直川とすべて私の周囲にもいそうな人ばかりじゃないか。大いに関心を持ち、時刻表をパラパラめくっていくと、あまりの列車本数の少なさにがく然。電化区間の本線上で特急に比べて普通の本数が極端に少ない路線というのは紀勢本線などでも見てきましたが、ここまで少ないというのは恥ずかしながら全く知りませんでした。コロナ禍で減便されて現在は2時間に1本の運行ですが、特急が1時間に1本走る列車だったのですから

こちらは直見駅の時刻表

そして上岡駅ホームの端に残る鳥居型の駅名標

これはぜひ全駅訪問をしなければならないと機会をうかがっていたところ、飛行機会社のタイムセールで安価な九州方面へのきっぷ獲得に成功。宗太郎行きから2カ月も経たないうちの旅となりました

宗太郎を含めると最低2泊が必要

早朝と18時以降にしか列車がないことを考えると宗太郎を含めた6駅訪問には最低2泊が必要なことになります(公共交通機関以外の手段やタクシーを利用する場合は別)。まず宗太郎へは延岡での宿泊が必ず求められます。また重岡~佐伯区間の各駅訪問を果たすにも必ず佐伯での宿泊が必要となります。ともに朝の始発駅(正確には宗太郎行きは南延岡始発)となるからです。幸いなことに両駅とも宿泊施設、飲食店は充実しています

※音声注意

同県内の連続する6駅、たった33キロの区間の各駅訪問に2泊3日が必要となるなんて、意味が分からなくなりそうですが、朝の6時台に延岡もしくは佐伯にいなければならないのでそうなります

全駅乗車or下車どちらかも可能

前回までお伝えした記事では初日の直見駅のみバスで訪れてバスで去るという乗降のどちらもできないというやや不本意な結果になりましたが、これは訪問が金曜から土曜にまたがっていたことが原因

2日目が平日の場合は、佐伯~重岡間でのすべての駅での乗車or下車のどちらかが可能となります。初日は17時25分佐伯発で重岡まで行きます。この電車は重岡で折り返しとなりますから、18時21分重岡発で18時49分に上岡着。記事では西田病院からの徒歩を利用しましたが、駅からすぐの国道沿いに「上岡」のバス停があり、19時22分に佐伯行きのバスがやって来て19時36分に佐伯に到着。1日3本しかないバスで平日と週末は微妙にダイヤが異なりますが、19時22分というのは共通。私の道程では直見から異なるルートのバスに乗車したので西田病院からの徒歩となっています

翌日は佐伯から6時18分発の延岡行きに乗車し、直川に6時35分着。同駅6時58分発の電車に乗るところまでは同じですが、お隣の直見に7時4分着。ここで降りてしまうと次の電車は18時41分と絶望的な11時間後ですが、直川振興局から直川駅を経て直見駅→佐伯駅へと向かうコミュニティバスが8時に来ます。これは平日のみの運行で土曜日だと9時54分とさらに2時間後な上、直見駅周辺は時間をつぶすような場所がほとんどないので現実的ではありません。なお日曜祝日についてはコミュニティバスそのものの運行がないので要注意

重岡駅については1日2本のバス以外は電車で行くには先述した佐伯発17時25分でしか行けません。重岡駅の項でも触れましたが朝の電車は当駅での列車交換(すれ違い)となるため乗降ができないのです

※音声注意

こちらは重岡駅で出発を待つ佐伯方面行きにちりんシーガイヤ14号。雨の音が旅情を誘います

かなり暗いように感じますが、当日は日没までまだ1時間もあり、雨雲のためです

この記事を書いている時点で佐伯市の日没時間は19時12分。訪問時より20分ほど早くなりましたが、まだまだ18時台は明るい。訪問するなら夏の季節の今のうちを推奨します

にほんブログ村 鉄道ブログへ>

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

日豊本線の超閑散区間「人名シリーズ」~最後の訪問早朝のカブトムシ

佐伯駅から特急車両の普通に乗車

2023年7月1日6時

宗太郎行きの特急電車に乗車

一夜明けた朝の佐伯駅。時間は6時でまだ無人状態

大分方面へ向かうのが左側、今から乗るのが宮崎方面へと向かう右側。右側は特急車両ですが、こちらは以前にも紹介した

特急車両を利用した普通列車。前回、宗太郎駅から延岡に戻る時にも利用した列車ですが、その時はまさか2カ月も経たないうちに、再び乗車することになるとは思いませんでした。宗太郎訪問の時も記しましたが、4両編成のうち、先頭の1号車しか客扱いをしません

利用者は私を含め3人。おそらくすべてが同業者(鉄道ファン)です

旧直川村の中心駅

電車は6時18分に発車。6時35分に

直川に到着。降りたのも乗ってきたのも私のみ

2005年まであった直川村の代表駅です

有効長の長いホームは長大編成のすれ違いにも対応しています

側線が残っており、屋根付きの部分は保安車用のようです。貨物の扱いは私が生まれたころに終わっています

駅には立派な建物がありますが、こちらは人名シリーズの他駅と同じくお手洗い。駅舎は20年前に解体され、その跡に建てられています

つまり駅舎はなく

外のフェンスに時刻表が設置されています

次の佐伯行きは6時58分。宗太郎からやって来る、こちらもまた特急車両。私に与えられた時間は約20分ということになります

気になるカブトムシ

この時点でカブトムシのイラストにあまり興味はなかったのですが

バス停にもカブトムシ

駅付近の地図にも大きなカブトムシが描かれ、全長6・5メートルの巨大モニュメントと書かれています。直川村は「カブトムシの村」だそうで、がぜん興味がわいてきました

駅からも近いようで、片道10分以上要するのなら引き返すということで歩き始める。すると国道10号を5分ほどで

お目当てのモニュメントに到着

昆虫館のほか、キャンプ場、温泉もあるようです

直川駅付近は旧直川村の中心機能が集まっています。昨日、直見駅を訪れたバスは「直川振興局」止まりでした。旧直川村役場のことで現地まで来ると納得。直見駅から乗車したバスに乗っていた小学生は、おそらくここから乗ってきたのでしょう。その時間帯に列車がないのが残念

周辺には産直市場やスーパーもあり、食事もできるようです。まだ早朝で空いていませんが、しばらくして店舗が開いている時間に鉄道で来るのは不可能なことに気付く。こちらも残念

そんなことを考えているうちに20分はあっという間に過ぎ、駅へと戻ります。間に合わないと大変なことになります

駅は国道を少しそれた道のさらに路地を入った所にあります。正面に見えるのは駅舎ではなくお手洗いになってしまいますが、駅への道標となる場所に建てられていることが分かる。各地で見られる良い光景

さてしかし、長いホームのいったいどこから乗るんだ、とウロウロしているとホームでこのような目標を発見。特急車両787の4両編成の先頭車はここから乗れ、という意味でしょう

幸いなことに佐伯駅から電車に乗って直川駅に滞在する間、雨は一滴も降りませんでした。当日は土曜だったので、佐伯までの間、乗車してくるお客さんは少なかったですが、乗車すると地元の一般利用や高校生の姿も車内にはありました。昨日のことを考えると平日なら、もう少しお客さんは多かったのかもしれません

佐伯到着は7時19分。一度ホテルに戻って朝食を摂ることにします。ホテルに到着してすぐ雨が降ってきました

にほんブログ村 鉄道ブログへ>

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

日豊本線の超閑散区間「人名シリーズ」~夜の6時にしか行けない日没駅

重岡駅に到着

2023年6月30日18時

乗車した電車の終着駅、重岡に到着しました

あまりに対照的な隣駅

高校生を中心に10人ほどが下車します。到着時は雨は本降り

誰が置いたのか、テルテル坊主が印象的

駅名標です。お隣の駅は宗太郎ですが、当駅と宗太郎では好対照のことがあります

こちらは時刻表。なかなか壮絶なダイヤで延岡へと向かう列車は1日1本それも早朝にしかありません。目につくのは朝の列車は同時刻に重岡を発車すること。ここで列車交換(すれ違い)が行われます。つまり双方向とも同じ時刻にやって来て、同じ時刻に出発するので朝に電車でやって来て帰るのは不可能なのです

ではどうすれば列車で来て帰れるのかというと、私が乗車してきた佐伯発17時29分、重岡着18時の列車に乗り、折り返しとなる重岡発18時21分に乗るしかありません。もうひとつ佐伯発19時3分、重岡着19時36分に乗車し、この電車は客扱いをせず折り返すようなので宗太郎方面からやって来る20時43分で佐伯方面に戻るという方法がありますが、さすがに駅で1時間待つ間に真っ暗になると思われるので、おすすめできない。いずれにせよ電車で来て帰るには18時以降の到着しかありません

宗太郎は延岡からの6時39分着に乗り、延岡に向かう6時54分発で折り返す「朝のみ訪問」の駅でしたが、ひとつお隣の重岡は「夜のみ訪問」と、あまりにも対照的になっています

かつての駅舎は今

駅舎を跨線橋から見下ろすと、高校生の家族が出迎えに来ています。全国の地方都市で見かける光景

重岡駅は2005年まであった旧宇目町の代表駅(代表駅といっても町内にあるのは当駅と宗太郎駅のみ)で駅名は、さらにその前にあった重岡村に由来します

開業は1922年と大正期。かつては開業以来の重厚な木造駅舎がありましたが、宇目町が佐伯市になったころに解体され、今は簡易な駅舎が建てられています。最後に残った一人の生徒さんが出迎えを待っていました

駅舎入口の駅名板。ここにもテルテル坊主がぶら下げられていました

他の「人名駅シリーズ」と同じく立派なお手洗いが設置されています

山中に分け入る事実上の県境駅

駅のすぐ横を国道10号が走っています。山中に入っていくと宗太郎駅方面。ここ重岡駅周辺が最後の集落となるようです

駅構造は2面3線。すべて有効で、私の訪問時は特急の待避もありました。ちなみに観光列車「36プラス3」では宗太郎と並ぶ停車駅で「重岡宗太郎」の面目躍如

奥が宗太郎方面で、宮崎との県境駅は宗太郎ですが、列車の運行を見ても重岡が事実上の県境駅として運用されていることが分かります

国鉄末期までは当駅も貨物扱いがあったようです

佐伯駅へはコミュニティバスの運行もありますが、佐伯駅まで行くのは1日3本。電車の本数の少なさから、大分駅方面へと向かう人は豊肥本線の三重町駅を利用するとか

三重町は特急停車駅で普通の運行も多く、普通でも大分まで1時間かからず行けるので、こちらのコースが便利だとか。木次線沿線で伯備線を利用する人が多いのと似ていますが、電化されている沿線に住んでいながら、わざわざ非電化路線を利用するというのは珍しい

うーん、読めないと思っていたら「そぼかたむき」「かたむきやま」と、そのまま読むそうです

わずか20分の滞在でしたが、さすがにこちらに乗らないわけには行きません。今日はこのまま佐伯に宿泊。翌朝に残る「直川駅」を訪問することにします

にほんブログ村 鉄道ブログへ>

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

日豊本線の超閑散区間「人名シリーズ」~周辺施設充実の閑散駅

上岡駅の駅名標

2023年6月30日16時50分

病院で下車

直見駅からバスで15分

降りた停留所は西田病院。佐伯市では利用者が多い病院のようで、地方では病院にバス路線が集まっているのと同じく、こちらにも多くの路線が集まっています。私が降りたバスにも佐伯駅方面へ向かうお客さんが入れ替わりに乗ってきました

なぜ、ここで降りたかというと

病院から上岡駅までは徒歩10分もかからないから。つまり当駅は病院の最寄りということになります

地図ですべてを表示してしまいましたが、ここ西田病院は商業施設が集まる「コスモタウン」に隣接しています。もちろん西田病院とセットでバスの重要ルートになっていて、バスの車窓からは核となるスーパー以外にもハンバーガー、回転寿司、家電量販店、ファミレス、コンビニ、100均、カレーチェーン、携帯ショップ、紳士服、車用品などなど、私の家の周りにもある店舗がズラリ並んでいます。各地で見られる幹線道路沿いのロードサイド店をひとつに集約した形になっていて、おそらくすべてのジャンルが網羅されています。訪問時は雨模様の夕方でしたが週末などは多くの人が集まることが容易に想像できます

にもかかわらず上岡駅の列車本数はわずかにこれだけ。病院や商業施設へのアクセスという点では、ほとんど機能していません。駅舎は逆の方向に立っていて回り道が必要だし、むしろコスモタウンができてから列車は削減されているほどです

徒歩で駅を目指すが…

とにかく上岡駅を目指します。乗車予定は17時36分の重岡行き。40分以上の余裕があるので時間的には問題ない。ここでナビタイム先生の出番。駅舎は線路の向こうにあり、かなり回り道が必要なように感じますが、ほぼダイレクトに線路を横切れるよう指示される

すると歩行者専用の小径に案内され、なるほどなるほど、これで線路の下をくぐれそうだ、と感心していると

通路はおりからの雨で用水路が浸水。水深20センチはありそうで泣きそうになる。時間に余裕はあったので病院の裏手まで回って駅へと向かいましたが(その道程はグーグル地図で示されたもの)、急いでいたらゴルフのウォーターショットのように靴と靴下を脱いで横断していたと思います

踏切を渡ると国道217号に出て間もなく

上岡駅前に到着。ここにもバス停があり、こちらは山中に入って豊肥本線沿いを大分市内に向かう長距離路線で、1日3本の運行がありますが直見駅、直川駅には向かわない路線なので今回は利用することができませんでした

大正期からの駅舎が残る

今回の「人名シリーズ」の各駅で古くからの駅舎が残るのは、ここ上岡のみ

1920年(大正9)からの木造駅舎が今も現役です

公民館として使用されているのが駅舎が残った要因のようです。隣には立派なお手洗いもあります

公民館へは駅舎を通り抜けてから入る構造となっています

いつのものでしょうか。古い駅名標も残されていて、駅舎とともになかなか価値のあるものだと思います

ホームにも古い待合所が残ります。直見駅からバスに乗り、徒歩で上岡駅に到着するまでは雨は止んでいたのですが、このあたりから激しく降り始めます。今回の各駅訪問では、雨が降るのは電車に乗っていたり、駅舎がある駅にいる時ばかりで、かなり幸運でした

かつては貨物輸送も行われていたようで、その跡も残っています

向こうに見えるのは西田病院。駅舎側は古い街並みで、駅舎の反対側となる病院側には新しい住宅街ができています。ただし前述した通り、駅舎の逆側には直接出られないようになっています

雨が激しくなって待合所で待機していたのですが、重岡行きがやって来る時間となると、いつの間にか人が集まっていました

にほんブログ村 鉄道ブログへ>

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります