※訪問は2024年8月7日
文字に要注意
須原駅から藪原駅へと移動する。30キロ以上揺られ、所要時間は35分。何やら訪問エリアの北端まで行き、南端へ、そして未訪問の北端へと長い距離ばかりの移動となっているが、ダイヤの薄さを考慮するとこうならざるを得ないと同時に、とにかく暑いので涼を求めるのなら、電車の中が最もよろしい。もっとも青春18きっぷシーズンの夏休み中ということも重なって、原則2両編成の列車は座れないこともかなりあった
藪原は中津川から見ると奈良井のひとつ手前の駅。ここで注意しなければならないのは、文字が「薮」ではなく「藪」だということ。PCでもスマホでも「やぶはら」で変換すると「藪原」となるので気付かない方もいるかもしれない。似たような意味で微妙に意味も異なる漢字だが、留意点である。なぜこのようなことを書くのかというと、かつて阪神タイガースのエースの名前で随分と鍛えられたからである
駅でまず目を引くのが名所案内の「上高地への最短経路」の文字。例によって予習はほとんどせずに降り立ったのだが、これはちょっと驚いた。中央本線のルートからの上高地=松本が頭にたたきこまれている
ここはグーグル先生にお伺いを立てるしかないだろう
地図で見ると確かに駅から一本道。1968年10月の時刻表(復刻版)を見ると朝夕に急行の停車がある。かつては当駅から上高地への路線バスがあり、季節による臨時停車もあったという。確かに名古屋方面からだと、ここでの接続が最短ルートとなるが、国鉄が末期を迎えるころには路線バスもなくなり、上高地への公共交通は松本からのみになったようだ
旅人を阻んだ鳥居峠
藪原駅は1910年(明治43)の開業。中央東線が奈良井から1区間延伸された際に設置され、さらに1駅南の宮ノ越まで延伸されるまでの2カ月足らず終着駅だった
駅舎はロッジ風でもあり社務所風でもある
中央西線ではおなじみの「M」が記された財産票。当駅名は中山道の藪原宿に基づく
風格のある駅名標が並ぶ
藪原宿の特徴は鳥居峠にあった
奈良井宿から藪原宿までは7キロほどだが、途中の鳥居峠は中山道の難所のひとつで多くの旅人を阻んだという
国道19号は長大トンネルの一本道となっているが、元々の中山道はポスターの写真で分かる通りの山道で、今も奈良井宿から藪原宿を結ぶ旧中山道は徒歩コースとして残る
分水嶺のある村
駅の所在地は木祖村。鳥居峠には分水嶺があり、ここで日本海側と太平洋側へと川が分かれる。明治の町村制施行の際、木曽川の源流の地で「木曽の祖」という意味で木祖村と名付けられた。地勢的にも重要な地なので、多くの合戦の舞台となっている。鳥居峠では、木曽義仲が出陣の際に利用した清水があり、その子孫とされる戦国大名の木曽義元が必勝祈願の鳥居を建てたことが名前の由来とされる
簡易委託駅で取り扱いはもちろんないが、手荷物窓口も現役の状態で残る
奈良井駅がJR東海で最も高い933メートルなら、隣駅の藪原駅も924メートルと高い。ただ訪問日は8月7日で訪問時間も13時18分と1日で最も暑い時間だった
駅前には、いわゆる駅前旅館が並ぶ。その上には国道19号が走り、道の駅「木曽川源流の里 きそむら」がある。徒歩で簡単に行ける距離だが、あまりの暑さにそこまで上る気力すら起きなかった。そこまでも行けないのだから、私は鳥居峠を行く武士はもちろん、旅人にも、なれないようである
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