9月9日11時20分
貴重な遺産を次々と
楡原から1駅富山側に戻って笹津で降りました
ホームは1面2線。ホーム上の待合所で発見したものが
鉄製の案内板。今やあるようでないものとなりつつあります。長年の排煙を受けているようですが、こちらはまだまだ使えそう
駅舎へは跨線橋で向かいます
かつては跨線橋にも、このような文字が描かれていました。最近見る機会が少なくなっています。私が見落としているものもあるかもしれませんが、直近だと中央本線旧線の辰野支線、川岸駅(長野県、今年10月)
昨年までさかのぼって和歌山線の粉河(和歌山県、昨年7月)
こちらは明朝の渋い案内文字付きですが、これぐらいしかありません
ただ笹津駅のものは、かなり危ない感じがします
広い駅前とピカピカな駅舎
跨線橋を渡って駅舎に行くと
無人駅ですが立派な駅舎が建っています
旧駅舎は大正期のものでしたが、2000年代に入って現駅舎となりました
コミュニティーセンターにもなっているようです。そして駅前ロータリーは広い
国鉄の高山本線がここまでやって来たのは昭和初期のことです。ではなぜ旧駅舎が大正生まれだったかというと、富山鉄道の駅だったからです
笹津は岐阜県の神岡鉱山から神岡鉄道により鉱石が運ばれる拠点となり、その際に富山鉄道の笹津~富山が敷設されました。しかし高山本線ができたことによって鉱石輸送はそちらが中心となり、富山鉄道の路線は廃線
しかし復活を望む声は廃止当時から多く、戦後になって新たに富山地方鉄道の笹津線として当駅~南富山が新たに開業。ただ今度は自動車普及による波で実績が低下。当時は全国的に軌道線が車の邪魔だという時代で75年に廃線となりました
笹津駅のやや北側に消防署がありますが、地鉄の笹津駅はここにあったようです。つまり現在の笹津駅は、かつての地鉄の跡地に建てられています
ホーム側から跨線橋を経た駅舎への導線はこんな感じ。妙なスペースに不自然さを感じるのも、駅前ロータリーの広大さに違和感を覚えるのも、そのためです
こちらもホームから見た裏側。奥の白い建物が消防署で手前が現駅舎。並んでいるのが分かります
また高山本線で富山方面へと向かうと車窓右手の草むらが分岐していく様子が残っていて廃線跡だと伺えます
帰ってから調べたことですが、廃線跡の痕跡は、あまり残っていないものの、12キロという手頃な距離だからか、南富山~笹津のウォーキングイベントは開かれているようです
駅舎内には地元紙が張ってありました。廃線は全国で見られる姿ですが、2度の廃線というのは、なかなかないことだと思います
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