貨物を担う私鉄としてもうすぐ100年の三岐線~その14 古風な駅でじっくり機関車を見る

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※訪問は2025年2月7日

※現在、三岐鉄道の三岐線と北勢線は別々の1日乗車券が必要です

近鉄富田から1駅

大矢知駅に到着

近鉄富田から1駅目の駅。時間帯によっては区間運転もあるため、できるだけ奥(終点)の駅から訪問していきたいと思っていたので残る駅は近鉄富田に近い駅が多く、すなわち周辺は住宅街である

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地名の由来は

大矢知駅は1931年(昭和6)の開業。当時は大矢知村だった。当然といえば当然だが、三岐線の各駅は当時の自治体単位で駅が設けられていることが多い。1954年に四日市市となっている。先に紹介したかつての三岐朝明駅である現在の信号場も村内にあった。つまり近鉄富田駅の西側のかなり広い地域が大矢知村だった

構内踏切を渡り駅舎へと向かう。踏切と駅舎が少し離れているおなじみの光景。私鉄の駅は線路にビッシリ張り付くように駅舎が設けられていることが多いが、かつては貨物にも対応していた駅もあってス構内は比較的広く、古き良き時代の駅を感じさせてくれる

駅舎はおそらく開業時からのもの。三岐線はずっと独立した私鉄だが、古き時代は国鉄も私鉄も同じような感覚で駅舎を造っていたのだな、と感じる

さて少し分かりにくいかもしれないが、駅名板に書かれたローマ字を見ると「OYACHI」。私の感覚ではこれが一般的なローマ字表記なのだが、サムネや冒頭の写真を見ていただくと駅名標には「OOYACHI」と書かれていることが分かる。どっちやねん、と言いたくなるところだが三岐線では他にも同様のケースがあって、その時にまた紹介したい

大矢知の由来は三岐線とはきってもきれない縁となっている朝明(あさけ)川に沿った大きな谷と川による湿地帯という意味だとされる。当地が有名になったのは「久留倍官衙(くるべかんが)遺跡」の存在だろう

飛鳥時代から平安時代の初期にかけられて建てられた建物群で、当時の朝廷とのつながりの深さが分かる国の史跡で現在は遺跡公園として整備されている。当駅からは徒歩でも15分ほどの距離。ただし

ホームの周辺案内には表記がない。それもそのはずで詳しい調査が行われ多くの遺跡が見つかったのは北勢バイパスの工事が行われた2000年ごろでつい最近の話だ。地図で見るとバイパスが遺跡をまたぐようになっているのが分かる

交換停車の機関車が間近に

ホームには貨物用の機関車がやって来た。列車交換のための運転停止のようだが、こんな近くの触れるような場所で見られるのはローカル鉄道ならでは。JRのローカル線では貨物列車の運行がほとんどなくなっているので貴重な体験ともいえる。そちらのジャンルは詳しくない私も間近で見てみたい

「ED458」とプレートがある。調べると東武から譲渡されたもので

「昭和29年」の文字が輝いている。線路はこの先でJR方面と近鉄方面へと分かれるので、当駅での交換待ちとなるのか。なかなか良い場面に遭遇できた

手作り感があふれる

話を駅に戻すと

他駅でも見られるように当駅も手作りがあふれている

こちらは改札の全景

お手洗いはプレハブの新しいものとなっているが案内文字はそれ以前からと思われる手書きのものだ

そして駅舎裏には

駅名板が置かれていた。形から推察すると駅舎正面に掲げられていたものだろう。捨てずに残されていることに感謝である

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