2023年5月26日13時10分
なかなか目にしない漢字だが言葉としては普通に使用している
北一已駅です。深川から1駅目で難読駅クイズではかなりの頻度で出てくる駅。「きたいちやん」とは、なかなか読めないですが地名です。駅の住所は「深川市一已町」
こちらの地名には、もうひとつポイントがあって、このように大きくしてみると、分かるのですが最後の文字は「己」ではありません。「已」です。最後の一本を書く際、微妙に突き抜ける必要があります。なかなか見かけない文字ですが「やむ」から変換すると出てきます。誰もが「やむを得ない」「やむを得ず」という言葉は普通に使用していると思いますが、漢字を使用すると「已む」が充当されます。ここからはこの記事を書くにあたって調べたことですが、「止む」は雨のようにずっと続いてきたことが終わることで「已む」は完全に終わることを意味します。鉄オタをしていると、いろいろな知識がつきますね(笑)
「イチャン」とはアイヌ語で鮭の産卵場を意味し、明治になって地名をつける際、団結のため「一にして已む」との意味で村名になったそうです
ただ本来、文字というのは駅名標のように大きく書くものではありません。現在のようにスマホやPCを使用する時代とは異なり、手書きの時代に「己」と「已」は、なかなかうまく書き分けというか、書かれたものを読み分けできないのは当然で、戦後の1955年に開業した駅は長らく「北一己」と誤った文字が使用され、JRに移管されても平成になっても誤使用のまま正式駅名になっていましたが、97年にようやく「正式地名に変更」されています。自分の経験で振り返ると携帯電話とPCを初めて個人で買ったのが96年(スマホなんてものは当然ない)、職場でも文字入力がワープロからPCに替わりつつあるころでした。それまで(おそらく分かっていながら)ずっと誤使用を続けていたとは、なかなか牧歌的な話です
戦後10年経ってからの駅舎としては
こちらは駅舎ですが、ホーム側から見たもの。国鉄時代に無人化されていて駅舎周りには柵も何もありません。深川は言うに及ばず、逆側のお隣となる秩父別はそれなりに利用がありますが、こちらは1日1人とか2人というレベル。よくぞ駅舎が残ったものです
トタン屋根も入口も駅らしい三角形で統一されたデザイン。冬の寒さを考慮した二重の入口となっています。ただ1955年開業のものとしては、北海道の風雪を考慮しても、三角が基本のデザインも含めてなかなか古い。駅舎を覆っている灰色は不燃パネルのようです
それもそのはずで、この駅舎は留萌本線と同じく深川から出ていた深名線(1995年廃線)の宇津内仮乗降場の駅舎を移築したもの。ダム湖建設と木材運搬のために設置された宇津内駅は工事完了で需要が落ち込み、戦後間もなく仮乗降場に格下げ。その後、仮乗降場としても廃止されましたが、ちょうど同じタイミングで開業したのが北一已。宇津内の駅舎が不要になったことを知った一已村の皆さんが、解体された駅舎を運んで、この地で再建したとか(北一已開業時は、まだ宇津内仮乗降場は現役でしたが、廃止となる前に移転されたようです)
田んぼの中にたたずむ駅
駅周辺は田んぼが広がります。深川は北海道の米どころ
農地の中にポツンとたたずむ駅舎。利用者を考え、こうして俯瞰すると、本当によく駅舎が残ったと思います
駅舎内はきれいに掃除されています。1955年の開業時は交換設備も備え、もちろん駅員さんもいたようで、戦後にわざわざ新設されたのですから需要もあったと思われますが、84年に単式ホームとなったことで無人駅となりました。当時は全国隅々まで自動閉塞は進んでおらず、すれ違いを行う駅では駅員さんが必要でした
構内では花園が造られ、ちょうど目を噴き始めていました。管理されている方と後に出会うことになるのですが、マリーゴールドで7月がちょうど見ごろとのこと。おそらく今ごろはきれいな花が咲いているはず
こちらも北海道でよく見かける姿。階段を使用しなくても昇れるのですが、小さな階段を昇ってホームで次の列車を待ちます
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