
※訪問は2024年10月9日
ロッジ風駅舎は平成になってから

バスを降りて簗場駅へ。駅舎はロッジ風でおしゃれな感じだが

中に入ってみると簡易的なもの。もちろん無人駅

財産票によると2004年からのもの。「待合所」とされているので駅舎という感覚ではないようだ
大糸線での最高標高
最近の数字は分からないが、おそらく現在の1日あたりの利用者は20~30人ほど。しかし以前の当駅はもっとにぎわいを見せていた

駅の前はすぐ中綱湖で湖畔の旅館街までは徒歩で10分もかからない。私の訪問時はシーズンオフだったが、旅館街のすぐ向こうにスキー場が見える。鹿島槍スキー場で、駅から歩いていけるスキー場である
簗場駅は1929年(昭和4)の開業。信濃大町以北の建設を行った国鉄が信濃大町から北へと線路を伸ばす際の一時的な終着駅だった(翌年、神城まで延伸されている)
転機を迎えたのは戦後となった1957年の大糸線全通以降。元々は国防用に敷設が始まり、全通時には終戦から10年以上が経過していた大糸線をレジャーに活用することになって、最初に着手したのが輸送力を充実させるための電化だった。松本から信濃大町までは信濃鉄道の手によって大正期に電化されていたが、信濃大町以北も一気に電化させようというもの。信濃大町~信濃四ツ谷(現白馬)までが1959年には電化される
以前の記事で白馬駅について紹介したが、最も脚光を浴びたのはスキーだった。沿線では、それまであったスキー場の拡充や新規オープンが相次いだ。その意味では夏場のレジャーにもなる仁科三湖を有する簗場駅は格好の対象だった。当駅の標高は827メートル。大糸線内で最も高い場所にあり、道理で肌寒いはずだが、電化後間もなく鹿島槍スキー場がオープン。当時は何本も乗り入れていた大糸線の優等列車も停車する駅となった
はがれた地図にあった駅
駅前にあったトレッキングコースの地図に目が行ってしまった

赤丸で囲った部分。紙で塞いだ部分がはがれていた。駅の部分を覆っていたようだが「ヤナバスキー場前」と書かれている。簗場駅の駅名標も

かつてあった隣駅を変更した跡が明白だが、簗場と南神城の間にはかつてヤナバスキー場前という駅があった。スキーの季節だけ営業する臨時駅だった
こちらは青木湖畔にあった。グーグル地図を拡大すると、もちろん駅はないが、今も「出入口」という表記だけが残る。1985年という昭和終わりごろのスキーブームのころに開業したヤナバスキー場だったが、2016年度に営業を中止しており、臨時停車もなくなり、やがて廃駅となった。存在していれば簗場駅よりも標高の高い位置にあったようだ。また現在は大糸線を北上すると簗場駅が大町市最後の駅となっているが、この駅も大町市にあった
簗場駅が簡易化されたのは、ちょうどそのころ

優等列車の停車があったことを物語るように、かつては長いホームがあったようだ

側線が保線用に残されている。かつての貨物ヤードだったのだろうか

ホームの待合室は古いものが残る

この時間帯は当駅で列車交換が行われる。再び信濃大町方面へと向かう


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