※訪問は2024年10月27日
静岡県へ一度戻る
東栄駅から1駅戻る。1駅戻るということは静岡県に再び入るということになるが、ダイヤ的には東栄で、そのまま次の豊橋行きを待つと1時間20分の待ち時間。だったら約40分の待ちで静岡県の出馬駅へ向かい、出馬で30分過ごせば、もともと乗車予定だった豊橋行きに乗れる
初めて降りる駅となったが、大きな目的のひとつが駅名標の撮影である
選挙には関係ありません
真っ先にサムネ写真で紹介しているように「出馬」(いずんま)と読む。まず駅名を見て「まさか『しゅつば』ではないよね」とは思うだろうが、それ以上は無理というもの。駅名が学業向上にあたるとの理由で知名度が上がるという話はよく聞くが、こちらはあくまで「出馬」であって「当選」ではない。だから縁起担ぎや必勝祈願で選挙に出た人が訪れたという話もあまり伝わってこないので、知名度的には、難読駅としての存在が上となる
しかしいざ駅で降りてみると、存在感はなかなかのもの
こうして見ると単式ホームと待合所のみという、お決まりの駅の姿。かつては交換可能駅だったという話もあるが、確認ではなかった。問題は駅への出入り口
ホームの端まで歩くときっぷ集札の箱があり、そこが出入口。細い道が続く。写真で分かる通り、左手には民家が並んでいるが、右側は農地そして川で生活感はあまりない
振り返るとこんな感じ。当然だが、車で近づくことは不可能である。さらに進むと踏切があり
ここが本質的な出入口。遠くにホームが見える
隣駅への距離は路線最短そしてもうひとつの最○
出馬駅は1934年(昭和9)の開業。三信鉄道が北へと線路を伸ばす過程で東栄(当時は三信三輪)~中部天竜(当時は佐久間)開業時に設置された。敷設と同時からあった駅となる
難読の駅名については「馬を飼育する牧場があった」「川から泉が湧き出た『いずみ』がなまった」などあるようだが、詳しい由来は分からなかった。
当駅のポイントのひとつは隣の上市場駅との距離。600メートルしかなく、駅間距離が1キロを切ることが多い飯田線でも最短となる。徒歩だと線路の上をまさか歩くわけにはいかないので、もう少し長くなるが、それでも1キロを切っている(ただし県境越えとなる東栄へは4キロ以上の距離がある)
踏切を渡ってみても集落の逆側にホームと出入口が設けられた理由は分からずじまい。普通は人の生活のある側に設置される。交換設備をなくす際、道路拡張のじゃまになるから出入口ごと逆側にされてしまったのか
いずれにせよ付近の住民にとっては不自由な構造となっているわけだが、実を言うと、ここ最近の利用実績は不自由も何もないのである。とにかく、ここ数年の1日あたりの平均利用者は、限りなく「0」に近い「1」なのだ。2022年のデータでは「金野」「伊那小沢」と並ぶ「1」は飯田線92駅(豊橋、辰野をのぞく)で最下位タイ。秘境駅号停車駅と並んでいるのだ。ちなみに「田本」は「2」、「小和田」は「9」である
さらに言うと、この「1」にはしっかり順位付けがあり、小数点以下の数字は分からないが、出馬は堂々の92位である。これは帰宅して調べてから分かったものだが、周囲にこれだけ民家がありながら限りなくゼロに近く、なおかつ最下位とは知らなかった。小数点以下の数字はすぐ変わりそうで2023年以降がどうなっているかは分からないが、てっきり金野が最下位だと思っていたので驚いた
駅にあった周辺案内図。いつのものかは分からないが、出馬駅の案内図というより、お隣の上市場駅の案内図となっている。周辺に民家がありながら、利用者がほとんどいないという駅は珍しくはないが、民家もあって、上下11・5往復あっての「0」はあまり見かけない。おそらく周辺の民家から通学する生徒がいなくなってしまったのだろう。訪問して、そして帰宅してなお一層驚かされた駅となった
↑2つクリックしていただけると励みになります