中央西線の駅をすべて訪問してみよう~1カ月遅れで本当のゴール 初めて知った「木曽」

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日出塩駅の駅名標

※訪問は2024年9月8日

1駅の積み残し

青春18きっぷを利用しての中央西線各駅訪問から1カ月。無事に全駅を訪問した…はずだが実は1駅だけ回収しきれていない駅があった。塩尻の2駅手前の日出塩である。これは8月の時点で分かっていたことだった。自分の立てた旅程だと、どうしても贄川と日出塩のどちらかに行けなくなる。ちょっと迷ったが、洗馬から塩尻市のコミュニティバスに乗車する際、下車するのは「贄川駅前」か「日出塩上」のどちらか。これは当該記事でも書いたが、乗下車するなら「贄川駅前」の一択でもある。「○○駅口」や「○○駅上」という停留所は、駅から離れていることが多い。こういう時は無難な方を選択する

もともとはあまりの暑さに2024年夏の青春18きっぷは購入しない予定だった。それが9月上旬に全く別件で長野に行くことになり、ならば18きっぷを買ってみるか、となった次第。つまり9月の予定が入ったからこその8月の中央西線だったのだ。後から出てくる話だが、18きっぷの期限は10日で残り3回の権利を持っていたこの日が8日。強制的に今日から3日間は18きっぷの旅となる

日出塩訪問の後は篠ノ井線を北上して篠ノ井で下車するつもり。日出塩に立ち寄った後は後戻りするのではなく前身あるのみなのだが、ここで懸案事項がある。前夜は春日井に宿泊(名古屋のホテルが満員だった)し、8月と同様に6時13分に名古屋を出る中津川行きに乗車すると松本行きに接続して日出塩まで連れていってくれるのだが、先に当駅の時刻表を披露すると

このようになっている。日出塩到着が9時33分。その場合、次の塩尻行きは2時間以上後の11時42分で、ちょっと空きすぎだ。最初はそれでもいいと思っていた。なぜなら8月にコミュニティバスに乗車した際、日出塩と贄川の間に「これより木曽路」の石碑があることを知ったからだ

日出塩駅から徒歩約30分。ちょうど良いではないか。行って帰ってこよう、9月になれば暑さも多少は和らぐだろう、と考えていた。だが直前になっても暑さは相変わらずで、いくら標高800メートルとはいえ往復1時間歩くなんて絶対無理となった。そこで、ややゆっくりめに宿を出て中津川から塩尻まで特急ワープし、塩尻から普通で折り返し10時58分に日出塩着、11時42分に再び松本方面へと向かうことに。これなら滞在40分ほどだ

簡易駅舎がお出迎えもしっかり残る「S7年」

と、そんな思いをしてたどり着いた日出塩駅は

ご覧の通りの簡易駅舎

一応、扉は閉まるようになっていて寒さはしのげるようだ。中央西線では簡易駅舎は今のところ珍しい存在で、中津川以北の今回のシリーズでは落合川と当駅のみである。以前は開業時以来の木造駅舎があったが、10年以上前に現在の形となった。駅の歴史は1913年(大正2)に洗馬と贄川の間に信号場として設置されたことに始まる。1926年に駅に昇格した

ただ駅には古い建物も残されている。駅舎と反対側の中津川方面ホームにある

木造の待合所には

昭和7年(1932)の財産票が張られていた

「国」でないことを初めて知る

駅は高台にあり、ふもとには公民館。2022年度の1日あたり乗降者数は16人で、中央西線では37駅(塩尻、金山をのぞく)中の最下位だが、案内で分かるようにお手洗いの設置はある

ということで無事に全駅訪問が完了。とても恥ずかしいことだが、60歳を過ぎるこのトシまで「木曽」という旧国があると思っていた。「木曽路」はあっても「木曽国」はない。各駅のことを調べているうちに初めて知った。このように駅巡りは年寄りに、さらなる勉強をさせてくれる

また多くの明治からの古い駅舎が今なお残るという事実もあらためて知らされた。これらの駅がいつまで残るかは分からない。旧中山道の宿場町にちなんだ駅は大丈夫という気はしないでもないが、これはあくまで私の楽観的予測だ。耐震性を持ち出されるとどうしようもないのが古い駅舎の宿命でもある。基本的には普通しか停まらない駅ばかりだが、明治を表す「M」の入った財産票とともに、その目に焼き付けてほしい

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