三岐鉄道北勢線

カワイイ電車は開業110年 北勢線を行く~番外編 3つの線路幅を味わえる国内唯一の踏切

※訪問は2022年3月5日

※動画あり音声注意

桑名駅至近でアクセス容易

三岐鉄道北勢線の全駅訪問を紹介してきたが、最後に番外編として、オタク向け名所とされる国内唯一の踏切の紹介を

オタク向けというと、秘境感があふれている印象を与えるかもしれないが、ここ桑名駅からすぐの場所にある。踏切なので、もちろん料金は無料である

なお訪問は3年前のことなので、周辺の状況に多少の変化があるかもしれませんが、ご容赦ください

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歩行者専用がミソ

目的の場所まで桑名駅から、数分で着いてしまう

グーグル地図では一度道路を渡って回り道をするように表示されているが、実際は線路に沿って歩道があるので、もっと早く着く。北勢線の西桑名駅を右手に通り過ぎ、真っ直ぐ歩けば、そこが目的の場所

あまりにも絶妙な時間というか、ちょうど近鉄特急「ひのとり」が通過していった

あらためて踏切の外に立つ。ご覧のように歩行者専用の踏切となっている。自転車も手押しで可能なようだが、自動車はやって来ないのがミソである

国内唯一というのは近鉄の標準軌、JRの狭軌、そして北勢線の特殊狭軌(ナローゲージ)の3つの線路幅、それぞれ1435ミリ、1067ミリ、762ミリを同時に渡ることができる踏切という意味

こうして歩いてみるとナローゲージの幅の狭さがよく分かる。ひとつの踏切ではなく近鉄は益生第4号踏切、JR東海は桑名駅構内踏切、北勢線は西桑名第2号踏切と、各々名前が付いている3社の踏切だが、一体化していて、事実上ひとつの踏切となっている

運用的には、長めの踏切を渡っている途中で列車が来ても

本数の多い近鉄については独立した遮断機があり、手前で待つことができる。とはいえ

おっしゃることはごもっともで、あまり立ち止まってウロウロするわけにはいかない。そしてこの踏切は線路を挟んだ東西を住民の方々が、階段やエレベーターを利用せずとも渡ることができる貴重な生活道路にもなっている。私の滞在中もかなりの人が踏切を渡っていた

絶好の撮影ポイント?

ただ、このような平面的な写真だと読んでいる方も実感に乏しいかもしれない。何か良い場所はないかと、ふと見上げると

左手に跨線橋が見えた。階段もあって登れるようだ。あそこからなら良い写真が撮れるのではないかと足を運ぶことにする

そして撮影したのが、こちらの写真。随分と端からの撮影となっているが、危険防止のためだろう。跨線橋の途中は高いフェンスが張られていてカメラを差し出すことはできない。車もビュンビュン走る跨線橋の途中で立ち止まる人だらけになると通行のじゃまだし、何より危ない。当然といえば当然だ。近鉄の線路側から登って渡りきったところで何とか撮影となった

関西本線強化のネックに

西桑名駅を出た北勢線の電車がやって来た。このあたりでJRや近鉄の線路と離れつつある。地図でも分かるように北勢線は近鉄そしてJRの桑名駅の東側から出た後、グルリと回り込むように近鉄とJRの線路をオーバーパスとして西側へと向かう

JRの関西本線は国鉄時代末期に名古屋~亀山が電化され、スピードアップしたことで客足が伸びた。名古屋から四日市までは、主に近鉄との競合区間で単線非電化の国鉄は長らく圧倒的不利に立たされていたが、JR移管を契機に電化で伸びた客足をさらに増やして近鉄に対抗しようと複線化を計画。ところが、ここ桑名の北勢線オーバーパス部分を複線とするには大がかりな工事と経費が必要になることがネックとなり、結果的にごく一部の複線化を行っただけで現在に至っている

そんな景色も眺めながら足を運ぶんでみるのもいい。JRは特急「南紀」も含め全列車が停車する。近鉄も「しまかぜ」と名阪ノンストップ特急(津のみ停車)以外はすべて停車。通過特急についても時刻表でおおよその通過時間は推測できる。ナローゲージから近鉄特急までが同じ踏切を渡るシーンは、見ていて飽きない。簡単に行ける場所なので、ぜひ訪問を

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カワイイ電車は開業110年 北勢線を行く~その13 最後の駅は村の集まり

※訪問は2024年12月17日

13番目の駅に到着

七和駅に到着。こちらが北勢線13駅で最後の訪問駅となります。時刻は9時17分。こちらは1面2線の島式ホームで、ちょうど列車交換のタイミングでした

こたらが駅の時刻表。北勢線はすれ違いのできる構造となっている駅が限られているので、ほぼパターンダイヤとなっている昼間に列車交換は全くないのとは対照的に、本数の多い朝夕は多くの交換シーンが見られる

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駐車場がないのに利用者数5位

七和駅は1914年(大正3)の開業。北勢鉄道が敷設したオリジナルの駅のひとつ。当時の所在は七和村。桑名市のHPによると明治の町村制施行の際、7カ所の村や地域が合併して誕生したことが村名となった。七和村は1951年(昭和26)に桑名市へと編入されたが、村内にあった駅は当駅と、三岐鉄道移管後に廃駅となった坂井橋駅

その際にできた星川駅は今で言うところの七和村にあった駅だが、もちろん駅の設置時に七和村は存在していない

構内踏切から駅舎へと向かう

駅舎は三岐鉄道になってから建て直されたもの。駅を出てすぐ駐輪場はあるが、古い駅だけあって駅前のスペースは小さく、北勢線で力を入れているパーク&ライド用の駐車場はない。にもかかわらず、1日あたりの利用者数は568人(2023年)と13駅中5位と上位にある

利用者数を押し上げているのは桑名工業高校の存在だ

駅から徒歩約10分。同校が1962年にできたことで利用者が増えたため、駅の位置を学校からのアクセスが便利な場所にずらした経緯がある

現在は無人駅だがホームに目をやると

いぶし銀的な上屋と古い駅らしい木製の長いベンチがある

収支の向上と今後の課題

これで北勢線の全13駅の紹介が終わった。ときおり歴史もたどってきたが、近鉄が廃線を打ち出してから地元の熱意で三岐鉄道に移管され、いくつかの駅を統廃合した上でのパーク&ライドの積極的な導入や、全駅に遠隔操作できる自動改札機を設けて効率化を進めてきたのは、これまで記した通り。これにより収支は大幅に改善して近鉄時代に年間7億円もあった赤字は近鉄時代の半分ほどになったが、それでもまだ赤字経営で、地元の負担に支えられながら走っている

今後の課題は老朽化してきた車両の更新。今も近鉄時代の車両を使い続けているが、最も新しいもので1977年製と50歳近い年齢で、中には70歳を超えた車両も現役登録されている。車両の更新が進まないのはナローゲージという特殊構造に起因していて、地方で私鉄に乗ると、かつて都心を走っていた列車を見かけることが普通にあるが、ナローゲージは全国に3路線しかなく、しかもそのうち2つが、かつては同じ近鉄だった四日市あすなろう鉄道と北勢線で、都心を走っていた大手私鉄の車両を譲ってもらうわけにはいかない。つまりは新規車両の導入しかないわけで、これには多額の費用がかかる

七和駅の構内踏切部分を外から見る。近鉄を思わせる布製の屋根が健在。ホームの施設は古いものも、そのまま使用できるが、車両については限界がある

どういう形での導入になるかは分からないが、新車両の登場を期待しよう

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カワイイ電車は開業110年 北勢線を行く~その12 変化を待つ駅の光景

※訪問は2024年12月17日

高架?の下へ到着

在良駅に到着。「ありよし」と読む。ホームは高架下にあるが、他の鉄道路線とは西桑名駅を出て間もなく交差してお別れしたはず。一体何だろうと興味がわく構造となっている

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東名阪道の直下を走る

高架の正体は東名阪自動車道

当駅そのものが東名阪道の桑名インターの間近にあり、ここで北勢線の頭上を通る

在良駅の開業は1914年(大正3)で、こちらも北勢鉄道が開業した際に設けられた1期生。1951年(昭和26)まで存在した在良村に基づく。桑名市HPによると、明治の町村制施行の際、西別所村、蓮花寺村などがひとつの村になる際、この付近を在善(ありよし)郷と呼んでいたことにちなんだという

1面2線の細いホームを持つ。これまで紹介してきた北勢線の島式ホームは新駅らしく広いものばかりだったが、この狭いホームは近鉄時代からのものだということを認識させてくれる。ただ当然のことながら、線路が敷かれたころ、そして在良村が存在した戦後間もないころに東名阪道はない

最初の写真で分かる通り、ホームから駅舎へは構内踏切を経て向かう。北勢線の駅はバリアフリー対応のものが多いが、当駅については構造が古く、構内踏切からホームについては階段となる。駅舎については、近鉄時代の古いものから三岐鉄道に移管して自動改札機が設置された際、現在のものに建て替えられている

工事の真っ最中

駅舎で最初に目にとまったのが

カバーをかけられた自動改札機。実はこの3月1日から北勢線ではJR西日本のICOCAシステムを導入。ICカードでの乗車が可能になる。タッチシステムにより定期券も、いくつかの限られた駅にしかない窓口ではなくネット上で購入することが可能となる。今回私が利用した1日乗車券もネット上で買うことができ、スマホで自動改札機を通過できる

つまりは、このように気を遣わなくて済むようになる

そして自動改札機を使えないゆえの臨時的な措置だろうが、きっぷの回収箱が設置されていた

ある意味、このような暫定的な時期だけの貴重な出会いとなった。訪問は1カ月以上前のことなので、現在は順調に自動改札機の更新が行われていると思われる

こちらはホーム上の時刻表。それほど長い歳月を経たものではないはずだが、横雨や横風、気温の上下に影響されてか、かなり年季の入ったものになりかけている。ちなみに当駅にも駐車場はあることはあるが台数は少ない。隣駅の蓮花寺が大きな駐車場を伴って、当駅からわずか600メートルの場所に移転したこともあってか、2023年の在良駅の1日あたりの利用者数は213人。217人の西別所駅(こちらには駐車場がない)とはわずかな差ながら13駅中最下位となっている

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カワイイ電車は開業110年 北勢線を行く~その11 統廃合の新駅には農産物販売所

※訪問は2024年12月17日

いかにも新駅らしいホーム

大泉駅に到着。こちらで列車交換を行うダイヤとなっていた。東員駅でも見た広めの島式ホームや上屋の感じがいかにも新駅という雰囲気を出している

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2つの駅を統廃合

当駅は2004年(平成16)に誕生した20歳を迎えたばかりの新駅。「大泉東」「長宮」という2つの駅の間に設けられ、この2駅は廃止された。開業時は単式ホームだったが、1年後に現在の島式ホームとなった

ホームからは構内踏切を介して駅舎に向かうが、この方式も東員駅と同じ。北勢線は古くからの駅をのぞくと、バリアフリー対応が強く意識されている

当駅の住所は「いなべ市員弁町大泉」。もちろん当駅ができるずっと前の話だが、周辺はかつて「大泉村」だった。大谷神社から湧き出る泉の水が万病への薬とされたことで大泉という地名になったという。大泉村は1941年(昭和16)に員弁町となり、現在はいなべ市

農産物販売所を併設

地図で大泉駅を確認すると、周辺には何かがあるというわけではなく、その分、線路沿いを南北に見ると、それぞれ大きめの集落があるが、これが大泉東駅と長宮駅がそれぞれあった場所。両駅とも1914年(大正3)の北勢鉄道1期生(大泉東駅はもともと大泉駅を名乗っていて後に大泉東駅となった)だけに、駅を中心として集落が形成されていた。2つの駅が廃止されたといっても、駅間はわずか800メートルで、それまで両駅を利用していた住民向けの道路も建設された

構内踏切を渡ると駅舎に到着

こちらが駅舎。隣に見える似たような色合いの建物が気になるところだが

全景はこのようになっている。隣にある建物は地元の農産物販売所である「ふれあいの駅 うりぼう」。到着したのは、まだ朝の8時半にもなっていない時間で、間もなくの開店前にお店の方が掃除をしている時間だった。もともとは員弁町役場近くにあったものを当駅が開業する際に移設した。そのため、駅舎とは隣接というよりも、一体化した建物のようになっている

2つの駅を統廃合した新駅は140台以上が利用できる路線内で最大の駐車場を備えていて、パーク&ライドのみならず販売所にも安心して車でつけられるようになったことになる

新駅が誕生してからしばらくは駅員さんのいた時代もあったようだが、現在は無人駅で窓口は閉ざされている

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カワイイ電車は開業110年 北勢線を行く~その10 駅を移転したその理由は?

※訪問は2024年12月17日

1カ月を経ての再訪

朝7時すぎの桑名駅前。冬至の季節でこの時間でも暗がりが残る。1カ月ぶりに桑名にやって来た

本日は残る北勢線、三岐線の回収である。三岐線は積み残しが出そうだが、北勢線はできれば午前中に全13駅コンプリートとしたい

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駅名の割には無骨な駅舎

前回の訪問が11月19日で今回が12月17日なので、ちょうど1カ月が経った。最初の乗車電は1カ月ぶりに出会うだけで懐かしさを感じてしまうサッカークラブ「ヴィアテイン三重」車だった

その蓮花寺の駅舎。「蓮花寺」という駅名から優雅な駅舎を想像していたが、随分と無骨というか、率直な感想を述べると、あまり「お愛想」のない姿形である

当駅は1914年(大正3)の開業。敷設した北勢鉄道の1期生で路線内では最も長い歴史を持つ駅のひとつ。当時は在良村に所属した。戦後間もなく桑名市に編入された。駅名はもちろん最寄りのお寺に由来する

全国でよく見かける蓮花寺は当地でも健在。周辺は神社も多く古来からの神聖な場所のようだ。旧来からの駅舎が建て直されてこのようになったのかとも思ったが、どうも理由は駅前にあるようだ

駐車場のために駅を移転

歴史を見ると当駅は三岐鉄道移管後の2008年(平成20)に移転している。理由はこちらで

駅前に駐車場のスペースを確保するため。北勢線の駅紹介で何度か紹介してきたが、三岐鉄道移管後、パーク&ライドに沿った駅の統廃合や新駅設置が行われている。駐車場を作るスペースがない駅が廃駅となった例も多い。蓮花寺については、北勢鉄道そして近鉄時代からの小さな駅舎があるだけだったが、阿下喜寄りにある在良地区市民センターの前へと100メートル以上駅を移転させ、市民センターの駐車場をパーク&ライドの拠点としたのだ。駅舎ももちろん新設となった

この移動によって、もともと駅間距離の短い北勢線ではあるが、蓮花寺と在良の駅間はわずか600メートルという距離になった

線路に沿って道路もあるため、徒歩で10分かからないような位置関係となった

単式ホーム構造の駅だが、蓮花寺は周辺の地名にもなっていて、家々が並ぶ新興住宅街でもある。2023年の蓮花寺駅の1日の利用者数は538人。13駅中、7位の数字となっている

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カワイイ電車は開業110年 北勢線を行く~その9 通年販売フリーきっぷの利用方法

※訪問は2024年11月19日

敷設から開業の駅

馬道から1駅戻って西別所駅に到着。ご覧の通り狭いカーブ状のホームに張り付くように電車が着く。1914年(大正3)の北勢鉄道開業時に設置された110年の歴史を持つ駅である

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今回利用したきっぷ

西別所駅の改札。これまでずっと紹介してきたように、三岐鉄道移管後、北勢線の各駅には自動改札機が設置され、ここを通らないとホームには入れない。当駅は無人駅でご覧のように窓口も閉鎖されているが、無人駅の自動改札機も遠隔操作で必要に応じて開閉できるようになっている

今回利用したのは「三岐鉄道1日乗り放題パス」。西桑名駅で購入した。通年販売されている。1200円で三岐鉄道の北勢線と三岐線の両方が乗り放題。北勢線の西桑名~阿下喜が510円、三岐線の起点となる近鉄富田から終点の西藤原までが560円なので、どちらか片方の路線だけでも終点まで行って、途中どこかの駅1つだけで降りても元が取れるなかなかお得なきっぷである

ただ西桑名駅で購入した際、利用の注意を同時に渡された。一体何のことかと思っていたが、最初に降りた穴太駅で理解できた

各駅の自動精算機横にはインターホンときっぷを乗せる台があり、ここにきっぷを置いてインターホンを押し「フリーきっぷです」と告げると、オペレーターの「確認できました」の声とともに自動改札機を通れるようになる

JR西日本の幹線でよく見られる

この形式と同じである。このシステムの難点はオペレーターがなかなか出ないことがあってイライラさせることで、昨夏までは「青春18きっぱーの敵」とも言われていたが、同じシステムでもJRで利用するのと北勢線で利用するのでは、こちら側の意識もなぜか大きく変わる。北勢線にオペレーター役を何人で担当しているかは分からないが、おそらく小規模の兼任だろう。駅の出入りで必ず2度使用することになるが、駅によってはダイヤの都合もあって10分ほどで呼び出しボタンを押すこともある。先ほど手を煩わせたばかりなのに、すぐにまた仕事をさせることになるので申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまう。と同時に私のように各駅を細かく回る利用者はオペレーターの人も「またこの人か」と、なるだろう。ちょっと気恥ずかしかった。だから有人駅で降りるとホッとする。12月にも当地を訪れているので、結果的に十数回この作業を行ったというか、行わせてしまったことになる

すぐ隣をバイパスが通る

西別所駅の駅舎は三岐鉄道移管後に新たに建てられた。単式ホームで駅舎が線路に沿って建てられていることで想像できるように、馬道駅と同様に駅前は狭くパーク&ライドの駐車場は設けられていない。西別所は昔の村名で古い文献で名前が見られる。町村制施行で在良村となり、戦後桑名市に編入となった

駅のすぐ東側を国道バイパスが通り、駅からすぐの場所には新興の住宅街が広がる

時刻はお昼の12時半を回った。三岐線にも乗ってみたいので、残る駅はまた次回の宿題として一度北勢線から離れることにする

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カワイイ電車は開業110年 北勢線を行く~その8 唯一ホームにフリーで入れる駅

馬道駅の駅名標

※訪問は2024年11月19日

西桑名駅から1駅

終点の阿下喜から、ぐーんと戻って西桑名の手前の馬道で下車。一見どう読むのかと身構えてしまうが普通に「うまみち」と訓読みが並ぶ。当駅を出るとJRと近鉄をオーバーパスしながら、回り込むようにして「標準軌」「狭軌」「ナローゲージ」の3線が並ぶ有名な踏切を経て西桑名に滑り込む

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近鉄時代の面影がそのまま

私が降りたのは西桑名方面ホーム。駅舎はご覧のように逆側にある。木製の柱や屋根の瓦は近鉄時代とほぼそのまま

阿下喜方面のホームにある駅舎の入口は狭いが、奥行きはある

縦長の待合室からホームへ入る形となっていて、お手洗いはホーム上にある

1914年(大正3)に北勢鉄道が開業した際に同時設置された。当時の所在自治体は益生村。益生といえば、近鉄名古屋線の益生駅は目と鼻の位置にある

もっとも現実的に急行通過駅の益生駅と馬道駅での乗り換えは、そう多くはない

豆知識となるが、益生駅は開業した1929年(昭和4)には西桑名駅を名乗っていた。現在の北勢線の西桑名駅は当時、大山田駅を名乗っていた。近鉄の西桑名駅は1930年に現在の益生駅に改名。その翌年には北勢線(当時は北勢鉄道)の大山田駅が西桑名駅となった。つまり名称交換となったわけだが、西桑名駅の記事でも紹介した通り、桑名駅の東側にあるにもかかわらず西桑名駅となっているのは大山田村に変わって西桑名町という自治体が誕生したため

近鉄の駅も自治体名になったことになる。益生村は1933年に桑名町に編入されて、そのまま桑名市になった。西桑名町も1937年に桑名町となった。つまり現在はともに桑名市に所在するわけだが、桑名市の地図だけを見ると益生駅が西桑名駅を名乗っていた方が、どちらかというと自然なのが歴史のおもしろさである

西桑名行きホームは出入りフリー

当駅の最も大きな特徴は西桑名行きホームが自由に出入りできるようになっていること。北勢線の駅は三岐鉄道移管後、駅舎の建て直しも含め、すべての駅で自動改札機が設置され自由に出入りできないようになった。無人駅で改札機を通れないきっぷを所持している場合は、遠隔操作によって開閉が行われるのだが、残り1区間の当駅にでは西桑名行き列車に限り、降車時は乗務員が集札にあたる。乗車の際は乗車証明書の発行機を利用して桑名西駅で精算するか、駅舎側に設置されている券売機できっぷを買ってこちらのホームに来ることになる。ただし阿下喜方面のホームは自動改札機を抜けないと入れない

かつては構内踏切で両ホームは結ばれていたようで跡も残るが、柵で入れないようになっている。西桑名方面のホームを利用する人は絶対に1区間のみの利用しかないのだから、駅舎の逆側に住んでいる人の利便性を考慮しての措置だろう

駅周辺は古い街並みが残る場所で慣れた人でないと自動車で侵入するのも、ためらわれる立地で北勢線特有のパーク&ライドは不可能だが、西桑名までは1区間しかなく、そもそも徒歩でも行ける距離である

話はややこしいが、北勢線の線路が大きく回り込むようになっているため、桑名駅の「西口」までは歩いても大した距離ではない。それでも当駅の利用者は2023年のデータで1日あたり560人で13駅中6番目の数字となっている

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カワイイ電車は開業110年 北勢線を行く~その7 終着駅ならではの雰囲気

阿下喜駅の駅名標

※訪問は2024年11月19日

終着駅は日本最西端のナローゲージ駅

北勢線の終着駅、阿下喜に到着。車止めを見ると心がときめいてしまう「終着駅フェチ」として、全国どこに行っても櫛形ホームの景色は心躍るものがある

ホームにはこのような表示も

「日本最西端のナローゲージ駅」とある。ある意味マジで、ある意味ちょっとシャレている。シリーズの最初で記した通り、現在ナローゲージを運行するのは、北勢線の他には四日市あすなろう鉄道(三重県)、黒部峡谷鉄道(富山県)しかない。最西端争いをするとしたら同県内で比較的近い所にある四日市あすなろう鉄道しかないことを分かった上での表記だろう。両社ともに、ずっとコトコト電車を走らせてほしい

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古くからの町の証明

北勢線の項で何度も繰り返しているような気もするが、ここ「阿下喜」(あげき)も、なかなかの難読。三重県のHPなどによると、阿下喜には「上木」の表記もあり、ヒノキの大木が生い茂っていて御用木に上げたから上木となったとか、ウグイスをお上に献上したところ、年貢を減らされたので阿(あまね)く下に喜んで阿下喜になったなどの説があるようだが、難読の地名というのは、古くから存在する町の証明でもある

風格ある駅舎は三岐鉄道に移管されて新たに建てられたもの。立て書きの駅名に風情を感じる

当駅は1931年(昭和6)の開業。前記事でも述べたが、北勢線は阿下喜へ至る最後の1区間が難工事で、1区間だけの開業まで10年以上を要した。旅人にとっては、山中を行くナローゲージの車両は車窓も含め趣深いものだが、こうして調べるまで、その努力は知らなかった

開業時は阿下喜町(直前に村から町になった)。戦後に町村合併で北勢町となり、平成の大合併を経ていなべ市。北勢というのは、もともとは自治体名ではなく地域を指す言葉で、敷設した北勢鉄道そして北勢線の由来にもなっている

駅の周辺には阿下喜の町が広がる

表現は正しくないかもしれないが、難工事を経てもこの地まで鉄道を通したことがよく理解できる。駅前にはすぐコンビニ。当然お世話になったが、降り鉄にとって駅からすぐのコンビニは大いに勇気づけられる存在だ

いなべ市役所の最寄りともなっている。かつては駅から徒歩10分程度の現在の北勢庁舎が市役所だったが、2019年に新庁舎が誕生して駅からは少し遠くなった

有人駅でエアコン完備の待合室を有する。駅前広場は新駅舎誕生の際に拡張されタクシー、バスの発着所となっていて

3つ並ぶ地域バスの停留所を前に「これに乗って三岐線の駅まで行きたい」と思った

軽便鉄道博物館

当駅で忘れてはならないのが

軽便鉄道博物館

ホームと並んで転車台があり

かつて活躍した車両が残されている

解説によると阿下喜延伸に合わせて製作され、昭和50年代まで同じ近鉄だった現在の四日市あすなろう鉄道で走っていたという。開館日は月に2日。いつかはそれに合わせて必ず来たい

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カワイイ電車は開業110年 北勢線を行く~その6 いなべ市の代表駅で半数が折り返す

楚原駅の駅名標

※訪問は2024年11月19日

発車番線に注意

楚原駅に到着。ご覧の通りの2面2線構造だが、昼間は半数が当駅で折り返す。朝のラッシュ時が終わると西桑名から当駅までが30分に1本、当駅から終点の阿下喜までは1時間に1本の運行となる。それゆえ西桑名行きは発車ホームが異なり

ホームの時刻表には発車番線が表示されている。時刻表を見ると分かるが、折り返し以外の阿下喜まで向かう列車と阿下喜からやって来る列車が必ず当駅で列車交換を行うのも特徴のひとつ

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いなべ市員弁町

楚原駅の駅舎。近鉄から三岐鉄道への移管の際、駅の統廃合が行われ、従来の駅舎も自動改札機の遠隔操作に対応するため、多くの駅で建て直しが行われたが、当駅は近鉄時代のまま。現在の駅舎が1992年(平成4)に新築されたばかりということもある。北勢線では数少ない有人駅のひとつととなったことも、そのまま利用される一因ともなっている

当駅は1914年(大正3)に現在の西桑名駅である大山田から当駅までの敷設が完了して北勢鉄道が新規開業した際の終着駅としてスタートした。当駅から先の部分は山中の難工事続きで、先に紹介した麻生田駅を含む阿下喜東駅(後に六石と改名され、三岐鉄道移管で廃駅)までが2年後に開業したものの、終点の阿下喜まで到達したのは1931年(昭和6)のことだった。駅の開業時は大泉原村に所在。1941年に員弁町となったが、最初に開業したことでも分かるように地域の中心でもあった。「楚原」も現在も当駅の利用者は多く、2023年の1日あたりの乗降客数は991人で西桑名、星川に次ぐ第3位である。有人駅となっているのもよく分かる。いなべ市の市役所最寄りは阿下喜駅だが、いなべ市の中心駅は人の多さからも楚原駅となっている

ちなみに鉄道むすめも「楚原さん」である

駅の住所は「いなべ市員弁町楚原」。平成の大合併でいなべ市が成立した後も旧町名はそのまま使われているが、「員弁」はもちろん「いなべ」と読むため、すべて平仮名にすると「いなべしいなべちょう」と「いなべ」が続く。市が誕生した際、「員弁」が難読だとして平仮名となった。当時は駅名にしても平仮名にすることが流行った時代でもあった。楚原もかなり古い文献に登場していて鎌倉時代には伊勢神宮領として「曾原」の表記があり「蘇原」という表記も見られるという

住宅街にたたずむ

駅の周辺はかなり規模の大きい住宅街

甲子園の高校野球やレスリングでも知られる「三重県立いなべ総合学園高校」の最寄りでもあり、駅の利用者数に大きく貢献している

訪問時はたまたま駅員さん不在の時間帯だったが、駅舎の待合室はエアコン完備で多くの利用者に対応している

緑の布製シートの屋根は近鉄を強く意識させるもの。最初に時刻表を見た時は、なんでこの駅で半分が折り返すのだろう、と思っていたが、行って納得、調べて納得だった

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カワイイ電車は開業110年 北勢線を行く~その5 ロードサイド店の一角で「復活」

星川駅の駅名標

※訪問は2024年11月19日

新規開業も路線で2位の利用者

麻生田駅から桑名市内へと戻って星川駅で下車。当駅は2005年と三岐鉄道移管後に新たに設けられた単式ホームの駅だが、路線内では数少ない有人駅のひとつ。しかも2023年の利用者数は1日1019人と北勢線13駅の中では西桑名駅(3461人)に次ぐ第2位。事実上、西桑名駅は桑名駅と一体化しているので、ある意味1位と言ってもいいぐらいだが、数字の理由については現地を訪れると一目瞭然となる

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車窓からの景色

阿下喜方面から西桑名を目指すと星川駅の手前で車窓にMEGAドンキが見える。これだけだと、ありきたりな光景で「ドンキぐらいあるだろう」と思ってしまうが、駅から出ると、ちょっと驚く

左にあるのが駅舎で正面にあるのが三洋堂書店で右がMEGAドンキ。つまりこの2店舗と敷地を共有し、ロードサイド店の一角に駅がある格好となっている

周辺の店舗はこれだけではない。駐車場を出るとすぐ国道421号で、東名阪自動車道の桑名インターも至近であるためファミレス、回転寿司などのチェーン飲食店のほか、病院やチェーンホテルなど多くの施設が集まる。北勢線沿線では駅近辺が最もにぎやかな場所となっている。

別の駅を移転開業

当駅は三岐鉄道移管後に、500メートルほど離れた場所にあった「坂井橋」という駅を移転して新規開業した形をとっている

旧駅は、まさに坂井橋の近くにあった。員弁川を渡る貴重な橋の近くでマイカーなど存在しない大正期の開業時は貴重な場所にあったといえるが、駅前にスペースがない。北勢線は三岐鉄道移管後にパーク&ライドに重点を置く駅を目指しているので現在の場所が選ばれたのだろう。坂井橋駅は星川駅開業と同時に廃駅となっている

駅舎を正面から見ると

デザインはまさに「星と川」だが、駅の住所ともなっている星川は古い地名である。桑名市のHPによると、大和(奈良県)の星川から移住してきた人びとによって開発されたと考えられていて、平安時代の文献には「星川市庭(いちば)」という物資交換の市場が記録されていて、員弁川に港もあったという

そのように古い地名なので、実は過去にも「星川駅」が存在した。しかも2回も。初代は北勢鉄道の開業(1914年)と同時に設置され、現在の駅より西の嘉例川を渡った先にあったが、ホームを設置するスペースがないということで間もなく廃止。昭和になって嘉例川の砂利を運搬する目的で嘉例川西岸付近に2代目の星川駅ができたが、戦時中の電力節約のあおりを受けて休止駅となり、戦後20年以上を経て正式に廃駅となった。名称だけなら現在の駅は復活した3代目となるが、正式には坂井橋駅の移転という形になっている。駅間の近い北勢線ならではの話でもある

暑さも寒さも凌げるエアコン完備の待合室も備え、早朝や夜間以外の駅員さんがいる時間帯では定期券も買える。利用者数第2位にふさわしい施設を備えている

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