大糸線全40駅訪問最終章~南小谷の手前で複線化も間もなく棒状に戻る

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千国駅の駅名標

※訪問は2024年10月10日

全線開通後の開業

再び白馬駅を越えて今度は白馬大池駅も越えた。千国駅に到着。電化区間の「終点」、JR東日本区間の「終点」である南小谷は隣駅だ。ちなみに白馬大池駅の記事では自治体入りの駅名標も掲載したので分かっていただけていると思うが、白馬大池という駅名だが所在地は小谷村。大糸線は大町市の信濃大町から北へ向かうと簗場までが大町市、南神城から信濃森上までが白馬村、そして白馬大池から小谷村へと入り、JR西日本区間となると、平岩から新潟県となる(平岩駅は新潟と長野の県境部分にあることは平岩駅の記事で記した)

駅の開業は1961年(昭和36)。南小谷と白馬大池の間に仮乗降場として設置され、翌年に正式駅に昇格した。大糸線の全通が1957年なので、全通後にいくつか開業した駅のひとつだが、1960年に信濃大町から信濃四ツ谷(現白馬)までが電化した際に設置された電化区間内からも外れていて、当駅付近が電化されるまでは1967年を待たなければならない

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南小谷まで近く

その千国駅の現在の姿は

このような形。簡易的な駅舎が建っていて真新しい。2016年に建て直されたものだが、ではその前はどうだったのかというと、待合室があるだけで、規模は現在とあまり変わらない。駅舎にぶら下がっているかわいいポストも前駅舎と同様のようだ

白馬より北にある信濃森上、白馬大池についてはすでに記事で紹介された通り、最寄りのスキーや高原観光の拠点駅としての利用が期待された。両駅の紹介では70年代、80年代の時刻表を参照して説明したが、当時のレジャー目的の特急や急行は白馬から信濃森上、白馬大池と各駅に停車して千国のみを通過して南小谷へと向かっていた。駅周辺は特にこれといって何もなく南小谷駅へも比較的近い。千国駅は開業から一度も有人駅にはなっていない

利用者数は開業時から多くはなかったとみられる。大糸線というとJR西日本管轄の非電化区間ばかりが話題になるが、白馬から北についても何度も行ったり来たりした実感からすると乗客はかなり少ない。電化、非電化の境界から別の鉄道会社になってしまったが、同じ小谷村にある駅の利用がそれほど大きく変わるはずはないのだ。大糸線のJR東日本区間は最近のデータがない駅が多いのだが、千国駅については10年以上前、すでに1ケタの利用者となっているので現在それ以上の数字にはなっていないて思われる

ホームの跡

駅舎の中には街道時代の休憩所のような風情の小さな待合所がある。寒さは防げる。料金表と時刻表掲げられて貴重な写真も張られているようだ

ホームの向こうは村営グラウンドのようだが、その手前にホーム跡とレールをはがした跡がある。開業以来、旅客駅のみで貨物駅になることはなく単式ホームだった当駅に変化が訪れたのはJR民営化後の1989年(平成元年)。当時はスキーブームでスキー客を乗せた列車が運行され、信濃森上と白馬だけではさばききれなくなりつつあった。白馬大池は構造的に2線化できないため当駅に白羽の矢が立ち、すれ違い可能な駅となった(もちろん優等列車や臨時列車は運転停止)

だがスキーブームが去ると列車本数は減って交換設備の必要もなくなった。JR西日本区間でも交換設備が多く撤去され、千国駅も2005年に棒状ホームに戻った。わずか15年の交換可能駅だった

駅舎からホーム上の駅名標を挟んで右側に見える建物はお手洗いだ。こちらも真新しいが、廃止された向かいホームへの入口部分を塞ぐようにして設置されている。白馬大池駅でピンチとなった話はすでに紹介したが、まさか利用者数のさらに少ない千国駅にきれいなお手洗いがあるとは想像できなかった

時刻は正午前。すっかり日が昇って気温も上がってきた。そもそも朝7時にホームに立った信濃木崎駅より標高が200メートルも低いのだ。朝もやのかかっていたころと比べると山と雲が美しい

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