※訪問は2024年11月19日
西桑名駅から1駅
終点の阿下喜から、ぐーんと戻って西桑名の手前の馬道で下車。一見どう読むのかと身構えてしまうが普通に「うまみち」と訓読みが並ぶ。当駅を出るとJRと近鉄をオーバーパスしながら、回り込むようにして「標準軌」「狭軌」「ナローゲージ」の3線が並ぶ有名な踏切を経て西桑名に滑り込む
近鉄時代の面影がそのまま
私が降りたのは西桑名方面ホーム。駅舎はご覧のように逆側にある。木製の柱や屋根の瓦は近鉄時代とほぼそのまま
阿下喜方面のホームにある駅舎の入口は狭いが、奥行きはある
縦長の待合室からホームへ入る形となっていて、お手洗いはホーム上にある
1914年(大正3)に北勢鉄道が開業した際に同時設置された。当時の所在自治体は益生村。益生といえば、近鉄名古屋線の益生駅は目と鼻の位置にある
もっとも現実的に急行通過駅の益生駅と馬道駅での乗り換えは、そう多くはない
豆知識となるが、益生駅は開業した1929年(昭和4)には西桑名駅を名乗っていた。現在の北勢線の西桑名駅は当時、大山田駅を名乗っていた。近鉄の西桑名駅は1930年に現在の益生駅に改名。その翌年には北勢線(当時は北勢鉄道)の大山田駅が西桑名駅となった。つまり名称交換となったわけだが、西桑名駅の記事でも紹介した通り、桑名駅の東側にあるにもかかわらず西桑名駅となっているのは大山田村に変わって西桑名町という自治体が誕生したため
近鉄の駅も自治体名になったことになる。益生村は1933年に桑名町に編入されて、そのまま桑名市になった。西桑名町も1937年に桑名町となった。つまり現在はともに桑名市に所在するわけだが、桑名市の地図だけを見ると益生駅が西桑名駅を名乗っていた方が、どちらかというと自然なのが歴史のおもしろさである
西桑名行きホームは出入りフリー
当駅の最も大きな特徴は西桑名行きホームが自由に出入りできるようになっていること。北勢線の駅は三岐鉄道移管後、駅舎の建て直しも含め、すべての駅で自動改札機が設置され自由に出入りできないようになった。無人駅で改札機を通れないきっぷを所持している場合は、遠隔操作によって開閉が行われるのだが、残り1区間の当駅にでは西桑名行き列車に限り、降車時は乗務員が集札にあたる。乗車の際は乗車証明書の発行機を利用して桑名西駅で精算するか、駅舎側に設置されている券売機できっぷを買ってこちらのホームに来ることになる。ただし阿下喜方面のホームは自動改札機を抜けないと入れない
かつては構内踏切で両ホームは結ばれていたようで跡も残るが、柵で入れないようになっている。西桑名方面のホームを利用する人は絶対に1区間のみの利用しかないのだから、駅舎の逆側に住んでいる人の利便性を考慮しての措置だろう
駅周辺は古い街並みが残る場所で慣れた人でないと自動車で侵入するのも、ためらわれる立地で北勢線特有のパーク&ライドは不可能だが、西桑名までは1区間しかなく、そもそも徒歩でも行ける距離である
話はややこしいが、北勢線の線路が大きく回り込むようになっているため、桑名駅の「西口」までは歩いても大した距離ではない。それでも当駅の利用者は2023年のデータで1日あたり560人で13駅中6番目の数字となっている
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